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辺境伯家を襲うスイーツの魔の手

 私は今、虚ろな目をしながら夕食を食べている。申し訳ないけど香辛料マシマシ料理は辛いって食事が終わったら料理長に言おう。自分で作れと言われたらそれでもいい。だからもうこの胃が荒れそうな料理は勘弁して欲しい。

 

 フレデリック様もヘレナ様も普通に食べている。やっぱ言いづらいよなぁ。自分達にできる最大限のもてなしをしたら、相手からは嫌がらせみたいに思われてましたって言うようなもんだし。でも今後ここで生活していくならどこかで限界がくる。そうなったら相手からすれば早く言ってくれればよかったじゃんって気持ちになるよね。

 ……あれ、詰んだ?


 アレクサンドル様は青い顔をしてるし、リリも力のない目をしている。子供たちの敏感な舌では香辛料は辛いのかもしれないね。

 約四人が虚ろな目で進んだ晩餐はいよいよ佳境だ。私は料理長に目配せをしてミルクレープを持って来るように頼む。はよ持ってきておくれ。


「旦那様。私は料理の腕なら誰にも負けない、今までそう思って生きてきました。しかし、その傲慢さが目を曇らせていたのでしょう。昼食にお出ししたデザートは今思い返せば料理と呼ぶのもはばかられる様な酷いデキでした」


「ねぇ料理長、その話長い? ミルクレープ持ってきてくれる?」


 料理長のよくわからない独白はたぶん誰も興味無いよ。目配せして伝わることほとんどないじゃん! 私目付き悪いからかな?


「師匠! おまかせを!」


 そう言って料理長は足早に去っていった。師匠とか勝手に言うから皆がこっち見ちゃったじゃん!


「ノ、ノエルはジェフの師匠になったんですの?」


「なってないよ? なんか勝手にそう呼ぶんだよ。愛称みたいなものだと思って」


 リリは突然、勢いよく立ち上がり大きな声で喋りだした。


「わ、わたくしだってリリ、ノ、ノエルって愛称で呼びあっておりますわ!」


 そうだね。でも今それを言うタイミングでもないと思うよ。急にどうしたの。


「ほほう。ノエルちゃんは早速リリアーヌとジェフの二人と仲良くなったみたいだね。それは良い事だ」


「別に仲良くなってなどいません!」


 フレデリック様の発言にリリがまた噛みついた。まぁリリが一方的に喋り続けてただけで仲良くなったとは言い難いよね。あれで仲良くなれるなら誰も苦労はしないと思うよ。私は膝の上に乗せているシャルロットを見つめながらなでる。最近はツルツルで硬めなボディも悪くないと思ってる。


「ふん、リリアーヌがそんな風に言うから平民が落ち込んでしまったぞ」


「あ、いや、ノ、ノエル違くてね? えっと仲良くはなっています。ただこれからもっと仲良くなっていくのでまだまだですよという意味で……」


「ヘレナ様もシャルロットのつるりんボディ触ってみませんか? 意外と癖になりますよ」


 私の言葉でヘレナ様はシャルロットを撫ではじめる。アレクシアさんも便乗して反対側からシャルロットを撫でている。シャルロットは皆に撫でられて御満悦でおしりを小刻みに振ってるよ。スイーツ食べる以外でその反応がでるの珍しいな。やっぱこの子は甘えん坊のかまってちゃんだよね。


「ノ、ノエル聞いてますか?」


「え? はい、仰る通りだと思いますよ」


 よく分からなくてもこう答えておくとリリはまたしばらくは一人で喋り続けるのだ。さっきのプチお茶会で発見したテクニック。


「お待たせいたしました。我が師匠渾身の力作、その名も『師弟の愛、百層に重ねて』でございます。僭越ながら私も協力した次第でございます」


 料理長はよくわからない名前を勝手に付けて、ミルクレープをワゴンに乗せたまま皆の周りをゆっくりと一周した。

 指示した通り粉砂糖とイチゴでデコレーションされている。薄くカットしたイチゴを立体的な華の様に綺麗に並べて飾り気のないミルクレープが一つの芸術品みたいになっている。さすがは料理長だ、私には出来ない繊細な飾り付けは天晴れだよ! 私が料理長にグーサインを出すと料理長は少し震えた後に一筋の涙を零した。


「まあ! なんて綺麗な食べ物なのでしょう!」


 ヘレナ様は両手を胸の前で合わせて乙女チックに喜んでらっしゃる。


「基本はクレープと変わらないけど、これならアレクシアさんも喜ぶかなってアレンジしてみたよ」


「ああ、初めてみたよ。ありがとな」


 アレクシアさんはニカッと笑って頭を撫でてくれた。明日で少しばかりのお別れだからね、思い出も一緒に持って帰っておくれよ。


 子供たちはすでにフォークを握って待機している。子供センサーがあれは美味しいと反応したのだろう。料理長が皆の見守る中、ミルクレープを切っていく。その間に私は忠告しておこう。


「皆様、こちらに注目してください。本日ご用意したあちらのミルクレープ、恐らくは皆様初めて召し上がるものでしょう。召し上がる際は必ず、負けないという確固たる意志を持って挑んで下さい。特にヘレナ様、国王陛下が目の前で見ている、それくらいの緊張感を持って下さい。私からの忠告は以上です」


 今の所男性陣が気絶した事例はなく、子供は比較的平気だからこの場で唯一耐性がないのはヘレナ様だけだ。アレクシアさんは私のスイーツを何だかんだで一番食べているからもう平気だ。


「そうですか。では私もベルレアン辺境伯家夫人としての自覚を持って挑ませていただきます」


 ヘレナ様のおっとりとしたような雰囲気はなりを潜め、凛とした印象を受ける貴族様に変わった。貴族としての顔なんだろうね。


 切り分けたミルクレープをメイドさんが配膳してくれるが、そっとお皿をテーブルに乗せたまま手を離さない。乙女心がスイーツを手放す事を拒否してる様だ。


「今日は無理でも後日貴方たちにもスイーツを振る舞います。なので今は我慢なさい。そして精一杯私に尽くしなさい」


 メイドさん達は反対の手でお皿を掴んだままの手を引き剥がしてから、ミルクレープと私に二回に分けてお辞儀をした。彼女達もまた、食べる前にスイーツに魅了された様だ。クッキーくらいから慣らしていく方がいいかな?


 女性陣から発せられる並々ならぬ気迫に、フレデリック様とアレクサンドル様は萎縮気味だ。武門の当主と次期当主はそれでいいのか。


「では、覚悟のできた人からどうぞ召し上がってください」


 私とアレクシアさんはもう免疫があるからひょいパクだ。シャルロットもどうぞー。


「おお! 凄いな、確かに使っている物自体はクレープと同じみたいだが、何層にも重なっている生地の間に挟んだこのクリーム。これはいつもとは違うな? 微かに卵の風味を感じるぞ」


 気がついたか、アレクシアさん。さすが誰よりも近くでスイーツを食べ続けた女は一味違うね。


「今日のクリームはいつものホイップクリームだけじゃなくて、カスタードクリームも混ぜたんだ。いつもより濃厚な甘さでしょ?」


「ああ、いつものフワッとした食感じゃなくて少し重たさが増したな。これも美味い!」


 シャルロットもおしりフリフリ喜んでる。カスタードクリームも問題なく食べられるみたいでよかったよ。


 次に食べ始めたのは子供たちだ。大人はまだ静観している。


「おお!! 凄い美味しいよ! 僕こんなに美味しいお菓子食べたの初めてだ! あ、平民、良くやった。中々に美味いぞ」


 アレクサンドル様は興奮気味にそう言った。……もしかしてアレクサンドル様のそのクソガキっぽいのって演技なの? 10歳だし少し早い中学二年生的な奴なのかな?


「ノ、ノエルちゃん! わたくしこれ、毎日食べたいわ! いいえ、毎食に致しましょう! 寝る時も枕元に置いていつでも食べられるようにしてください! いいえ、いっそコレを枕にしてしまえば……」


 リリも喜んでる。でもそれ作るの結構めんどくさいんだよ。悪いけどしばらくは作らないよ。重ねて塗って重ねて塗ってって時間かけて作ったのに食べると一瞬だからね。なんか賽の河原の石積みを彷彿とさせる悲しさがある。

 気が付けばフレデリック様は眉間に皺を寄せながらパクパクと食べてる。残念だけど口に合わなかったみたいだ。すまんね。


 だけどヘレナ様ただ一人、未だに食べられないでいる。これは小学生の頃、給食の時間に嫌いな物が食べられなくて、皆が遊びに行ってるのにいつまでも教室で給食と向き合う子を思い出させた。


「ヘレナ様、無理はしないでいいんですよ」


 力いっぱいフォークを握っている手にそっと手を重ねて優しく語りかける。力を入れすぎて白くなってしまったヘレナ様の指を一本ずつそっと剥がしていく。


「誰にだって苦手な物はあります。私だって香辛料マシマシのお料理は苦手です。甘い物がお好きでないなら、無理に食べる必要なんてないんですよ」


 ヘレナ様から取り上げたフォークを横にそっと置いた。ヘレナ様は震える手で顔を覆い、首を横に振り始めた。


「違うのです。こんなにも素敵な物を食べてしまったら、きっと私はもう元の自分には戻れなくなってしまう、そう思ったら怖くなってしまったの……。ねぇ、ノエルちゃん。もしこれを食べてしまったら、他家のお茶会でたまに出される砂糖の塊みたいなお菓子を今後どうすればいいの? 他の夫人や令嬢がまるで生肉の様なそれを美味しいわと食べている姿を見て、私はどう思うのかしら……おぞましいと思うの? それとも哀れに思うの? 私が私でなくなってしまいそうで怖いのです……」


 きっとヘレナ様は蝶よ花よと育てられてきたのだろう。安全なものだけ与えられ、皆に守られながら、転ばないよう、ケガしないよう、丁寧に石を取り払われた道を歩いてきたんだ。そんな時、目の前に恐ろしい未知の怪物が現れた。ミルクレープという未知の怪物。今まで何気なく歩いてきた道でさえ、歩みを進めてしまえばその先で待っている怪物へと近付く事になる。フォークという武器を握るところまではできたけど、そこからはもう一歩も動けなくなってしまったみたいだ。そして今、スイーツ最前線に立ったヘレナ様の手を引いてくれる人は誰もいなかったんだね。それなら私が背中を押してあげよう。


「ヘレナ様、今は勇気を振り絞る時だと思います。きっと他のご令嬢方は今もまだ、調理などされていないデザートを美味しい美味しいなどと宣って食べているのです。そのままで良いのですか? 私たちはお肉を捌き、味を付けて焼くことを知りました。しかし、他の方々はまだ動物の死骸に直接歯を突き立てて貪っているのです。一緒に助けてあげませんか? 甘いものはこうやって食べるんだよって教えてあげませんか? 皆を導いてあげませんか? 今、ヘレナ様にそれが出来るのかどうか、女神エリーズは試練を与えているんだと思います」


 ヘレナ様の手をそっと握る。


「大丈夫ですよ。私は甘くて素敵な物をスイーツと呼びます。そして目の前にあるのはスイーツです、甘くて素敵な物です。何をおそれることがありましょう。皆様に教えてあげませんか? お茶会を開き、目を覚まして上げるのです。ウホウホ生肉齧ってないで、ちゃんと火を通せと教えてあげるのです。他でもないヘレナ様が手をそっと引いてあげましょう? 女神エリーズはいつでもあなたを見守っています。さぁ、一歩踏み出してみましょう」


 ヘレナ様はスイーツ、女神エリーズ、導くとうわ言の様に呟いている。私はヘレナ様がオーバーヒートしているうちにフォークでミルクレープを取り、ヘレナ様の整った顎に手を当てこちらに向けた。


「あーん」


「あ、あーん……」


 そっと口の中にフォークを入れる。初めてのスイーツの衝撃で、ヘレナ様の瞳孔が開いたり閉じたりしている。このままではいけない!


「ヘレナ、しっかり意識を持ちなさい! あなたが導くのでしょう? ここで倒れてはダメよ!」


 私は両手で頬を抑えて目を見てそう言う。ヘレナ様は少し落ち着いたのか開ききっていた瞳孔がゆっくりと閉じていった。


「よく頑張りましたね」


「はい……はいッ……」


 ヘレナ様は少し涙目になりながら頷いている。私はそっと頭を撫でてから、またフォークでミルクレープを取る。


「もう泣かないの、ほらあーん」


「あーん」


 言われるがままにミルクレープを食べる姿は、凛とした貴族ではなく、この場にいる誰よりも幼く見えた。


  

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― 新着の感想 ―
[一言] これはもうお家の簒奪として裁かれても仕方ないのでは
[良い点] 一気読み。面白いなぁ。 言い回しが好き。こういうのにありがちなメタ発言や会話ネタに走りすぎて話が進まない、なんてのも無いからスラスラ読める。 [一言] 言い方が辛辣(笑)
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