誤魔化すのも難しい
街へ行く一番の理由は調味料と材料探しだ。シュガーラスク様はまだまだこんなものじゃない。パンだってもっと美味しい物があるだろうし、バターがあればもっと美味しくなる。他にも乳製品やはちみつ、バニラビーンズとかチョコレートとか色々な材料があればそれだけ色んなお菓子が作れるのだ。
正直な話、私に言わせればシュガーラスク様はおやつだ。よく言ってもお菓子でしかない。お菓子が悪いわけじゃないよ? だけど、例えばイチゴのショートケーキ。あれを私はスイーツと呼ぶ……! シュガーラスク様は美味しいけどスイーツとは言えないよ。だから私は街に行くことにした。いや違うね、スイーツの為に行かなければならないんだよ。だから――
「お父さん、お母さん。私決めたよ。街に行ってくる!」
「そんな! ノエルよく考えなさい! ノエルが行ってどうするんだ!」
いやどうするってそりゃお買い物するよ。そもそもどんな材料があるのか、どんな調味料があるのかわかっていたら注文して終わりだった。だけどそれがわからないから、お菓子を作る私自身が街へ行って、実際にお店で見なきゃならないんだよね。だから私が行かなきゃ意味がないの!
「お父さん、逆に聞くけど私が行かないでどうするの?」
「くっ……そうかもしれない、そうかもしれないけど……。だからって早すぎる……」
……早すぎる、か。確かにお父さんの言う通りかもしれない。砂糖の希少性を考えればきっとこの世界のお菓子作りは地球より相当遅れているんだと思う。下手したら砂糖をかければかけるほど素敵なお菓子、みたいな価値観なのかもしれない。つまり、私が作る予定のお菓子達はこの世界には早すぎるのだ。十分に育っていないお菓子作りの文化を、これから積み上げていくであろうお菓子作りの歴史を、自分勝手に早送りするようなそんな所業だ。そう考えれば早すぎると言うお父さんの意見も正しいと思う。だけど私は久しぶりに砂糖を食べてしまった。だからもう後戻りはできないんだよ。
「私はね、もう覚悟を決めてるよ。いつか後悔するかもしれないけど、きっと今動かなきゃいけないんだよ」
私が強引に時計の針を進めることで、”昔からこの地域で食べられていた素朴なお菓子” みたいな物が生まれなくなるかもしれない。だけどそれでも私はプリンとかケーキが食べたいんだ。単なる私のワガママにすぎないけど、もう口がスイーツの口になっちゃってるから食べずにはいられないのだ!
「そうか……。本当ならパパも覚悟してなきゃいけなかったんだよね。時間なら十分あったんだから」
……なんか今日のお父さんはヤケに感情的だね。お母さんは未だに目を閉じてシュガーラスク様の余韻に浸っているけど、部屋の空気はやたら重いし、神父様も沈痛な面持ちだし。一体今どういう状況?
「ねぇノエル。ママから一つ聞いてもいい?」
シュガーラスク様の余韻から醒めてようやく現世に戻ってきたお母さんが尋ねる。
「お母さんお帰り。どしたの?」
「ノエルは今なんの話をしてるかわかってる?」
「わかってるよ? 街に行くって話でしょ?」
「ええそうよ。じゃあどうして街へ行く話になったの?」
この時、私の背筋が冷たくなる感覚がした。……あれ? 私の生存本能が警鐘を鳴らしている……? これたぶん答えを間違えると怒られるやつだ! どうして街に行くのってそれは私が街に行くねって言ったからだけど、きっとこれでは不正解だから今私は背筋が凍るような思いをしてるんだ。
……ちょっと、待って? ならどうして神父様は家にいるんだ……? この質問の答えと、神父様が家にいるという状況が無関係だとは到底思えない。だけどシュガーラスク様を食べてる時に横で何かを話していたのは聞こえてはいたけどぶっちゃけ右から左に抜けてる。言葉として脳が処理していなかった。でも聞こえていたなら大丈夫なはず……。思い出せ、思い出すんだ私……っ! ――! そうだ! 身体強化で脳の筋肉を強化するんだ! 唸れ! 私の脳筋!
頭に魔力を集めて脳を強化するとあたりの音がパタリと消えた。音だけじゃない、動きも止まっているように見えるし、私の身体も凄くゆっくりとしか動かない。……これは多分脳を強化したことで、頭の回転が凄く速くなってるから周りが遅く感じるんだ。でも慣れていないからか頭が痛いぞ。脳に凄く負担がかかっているのか、たぶん長くは続けられそうにないね。それならこの思考加速状態の間にさっき聞いていたはずの会話を思い出さなきゃ! 集中だよ、私! 脳の奥底に眠るさっきの会話を掘り起こさなきゃ!
……それにしてもこの思考加速中の世界は全てが超スローモーションに見える。割と美人さんのお母さんも瞬きがゆっくりだと結構ぶちゃいくな表情に見えるわ。あれだね、写真を撮るときに瞬きしちゃったやつ。逆にお父さんは普段の目つきが鋭いから半開きの方が親しみやすいかもしれないね。だけどこんな表情をがっつり見せつけられるのは流石に面白い。さながら変顔選手権だ。と言うか私も同じような顔してるのでは……? 瞬きするの恥ずかしくなってきちゃったよ!
……うっ。 鼻の奥がツンとする。脳の負担が限界で鼻血が出るのかもしれない。これ以上は危険そうだからもう解除しなきゃ!
私は頭に集めていた魔力を全身に戻して、脳の強化を解除した。今後これはクロックアップって呼ぶことにしよう! カッコいいぞ!
「何か急に満足そうな顔してるけどママの話聞いてる?」
「き、聞いてるよ! あれでしょ? どうして街へ行く話になったかってやつ」
「そうよ、それでどうして?」
くだらない事考えただけでクロックアップの限界に達したのは悔やまれるがこうなったらアドリブで頑張るしかない!
「えっと、それはー……お菓子……? は関係なくてー……。うわさ……? そう! 噂だよ! 噂が流れてー……るんだよね?」
頭の片隅に残っている断片的な単語とお母さんの表情を頼りに一生懸命正解を模索する。見当違いな事を言えばお母さんの眉が少しピクリと動く、そうしたら軌道修正だよ!
「その噂はー……この村にー? うん! この村にー……、あ、わかった! この村に妖精みたいな美少女が二人いるって噂が流れてるんだ! あれ? じゃあなんで街に行くの?」
「アルバン、こういう事よ。この子はなんにも話なんて聞いてないから、さっきからあなた達は全く会話が成立してないわ。もう一度話してあげて」
どうやら選択肢を間違えたらしい。神父様も眉尻を下げて少し困り気味に長いひげを撫でているけど、神父様も悪いと思うな! 私に関係ある話なら最初にそう言ってよ! 洗礼式の時も何をするか説明もしないで水をかけてきたし、自分の常識が世間の常識とは限らないってことを理解してほしいよね。
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なるほど、そんなことになっていたのか……。改めて話を聞いてみると、この村に魔法が使える凄い子がいるって言ってしまった人がいたんだって。照れるね!
「へー。そんなことになってたのかぁ。でもまぁしょうがないね! ドンマイドンマイ!」
お酒の席で口を滑らせるなんてことは良くあることじゃないの? 人間、人の命がかかっている状況でもミスはするんだよ? それなら酔っぱらいが秘密を漏らすことくらい大して珍しくもないよね。お父さんは焦っているのか、怒っているのか、はたまたそのどちらともなのか、顔を真っ赤にしてるけどさ。
「いや、そんな軽い問題じゃないよ……」
「でも今回秘密を漏らしてしまった人が正直に告白したから発覚しただけで、実は以前から似たような事はあったんじゃないの? だって私が魔法を発現してからもう二年だよ? どこかで誰かしら一度くらいは言ってるでしょ。だからドンマイだよ! むしろ怒られるかもしれないのに良く言ったと褒めてあげたいね!」
「ほっほっほ。自分に否がないのに迷惑を被るとなると、多くの人が怒るものですよ。ノエルさんは度量が広いですなぁ」
お父さんもお母さんも頭痛を抑えるように、こめかみに手を当ててしかめっ面をしているけど、神父様は楽しそうに笑ってる。怒って事態が好転するなら私も怒るけど、そうじゃないなら笑ってる方が楽しいと思うから私も笑う事にしよう!
「にしし。そうでしょ? 私は美少女で魔法が使えて心が広い完璧な女の子なのです! それでどうするかって話だけど、それならなおさら私の答えは変わらないよ。街に行ってくる!」
「ならママも改めて聞くわ。街へ行ってどうするの?」
「答えは簡単! 一発街の門でもぶち破って私が噂の妖精だーって宣言してくる! そうすれば少なくても村の他の子たちが危険に晒される事はないでしょ?」
私が一番心配しているのは他の子たちだ。今回の噂はあくまでもこの村に凄い子がいるというだけで、その子が誰なのかはわからない。そうすると間違えて他の子が被害を受けるかもしれない。そうなってしまえばきっと私は自分を許せなくなるだろう。それなら先制攻撃あるのみ。向こうが来る前にこちらから行ってやろうじゃん!
「はぁー……。それは普通に犯罪だからやめなさい。門をぶち破るのは冗談としても、一度街へ行くっていうのはママも賛成よ」
「ジゼルまでなんで!」
「このままずっと何もないなんて保証はないのよ? 商会に多くの利益をもたらしている今ならエリーズの商会とも有利に話を進める事ができると思うの。上手く交渉できれば後ろ盾になってもらえるかもしれないし、以前エリーズもお爺様なら辺境伯家との橋渡し役になれるかもしれないと言っていたわ」
「エリーズさんの商会というとセラジール商会ですかな? なるほど、かの商会と繋がりがあるのなら何かと力になってもらえるかもしれませんね」
大人たちがそれぞれ眉間に皺を寄せながら色々と考えているが、私の中では街へ行くのは決定事項だ。街へ行って何かしらのアクションを起こさない限り後手に回ってしまう。商会と交渉してもいいし、暴れまわって御しきれないとわからせてもいい。街へ行って具体的に何をするべきかはわからないけど、その辺りの事は大人たちに任せよう。だから退屈で堅苦しいこの話し合いの場からどうにかして逃げ出したい、なんて考えていると、丁度よく玄関の方からノックの音が聞こえた。これはチャンスだけどなんだか今日はやけにお客さんが多いね。
「はーい。ちょっと待ってくださいねー」
玄関に向かう方が自然と席を離れることが出来るからね。完璧な動きだ! 私は小走りで玄関まで向かい、ドアを開けるとそこにはオッサンズの一人が立っていた。この人はあまり酔わないおじさんじゃないかな? 正直名前は知らないんだよね。
「あれ? おじさんどしたの? 家に来るなんて珍しいじゃん」
「あぁ、神父様は来てない? 実は面倒な事になってさ……」
「神父様なら今いるよー。おじさんも上がって」
なんかまた面倒な事になってそうな予感がするし逃げようかな。