緊急事態発生?
エリーズさんとの話し合いも終わり、絵本は発売する方向性で決まった。まぁ作るのは商会だから完成するまで時間はかかるけどそれはいつもの事だからしょうがないね。電話がある訳じゃないからどうしたって時間はかかる。完成するのをのんびりと待っている間も、案外楽しいものだよ。
そんな話し合いの日から数日が経過した今日はお母さんとお料理をする日だ。色々と商品化をすることで現金を得た私はついに念願のお料理革命を少し達成したのだ。少し達成というのも沢山の食材や調味料が手に入ったわけじゃないから、正直まだまだ私の理想とは程遠いんだよね。現金を得たと言っても実際に持っているわけじゃない。エリーズさんを通して商会に欲しい物を注文して、預けているお金から引いてもらっているのだ。言ってしまえばクレジットカードでの通販みたいな感じかな? 翌日届いたりはしないけどね。
この買い物の仕方は結構便利なんだけど、私が直接街に出向くわけじゃないからデメリットもある。実際に商品を見てるわけじゃないから思うように欲しい物が注文できないのだ。甘い調味料はありますかと聞いたら砂糖は手に入ったし、ピリッとした感じの調味料はありますかと聞いたらブラックペッパーは手に入った。でも醤油はなんて注文する? 味噌は? みりんは?
具体的すぎる注文の仕方は不信感を煽ることになるし、実際に頼もうとした物があれば良いけどなかった場合にそれはなんですかと逆に聞かれたら困ってしまう。エリーズさんに前世の事を打ち明ける事も考えたけど、意外と商売の事になると積極的なエリーズさんだ。異世界なんて言ったら目を輝かせてしつこく聞いてくるだろう。そうなるとちょっとめんどくさい。だから近々街へ行って、どんなものが手に入るのか調べに行きたいけど、今は家にある調味料を使うしかないのだよ。
今日のお料理は私たちにとって凄く特別な物を作る。作るメニューはズバリシュガーラスク様です! このシュガーラスク様は色々と商品化をする私に難色を示したお母さんを黙らせることに成功した魔性の料理で、パンを薄く切って砂糖をかけてカリっと焼くだけのお手軽さなのに、その破壊力は計り知れない。やはり糖分は女性を狂わせるのだ。
「じゃあノエル早速シュガーラスク様を作るわよ。アルバンはレオをよろしくね」
「あぁ、わかってるよ」
私は砂糖を躊躇いなく買うことができるくらいには稼いでいるそうだけど、買っても村までの運搬の問題があるから未だに割と貴重なのは変わらない。私の為だけに馬車一杯に砂糖を積んで運んでくださいとは頼みにくいし、そんなに一杯持ってこられても置く場所がない。かと言って片道一日かかるのに頻繁にもってこいともいえないよね。お金を払っているとしてもやっぱりそれはワガママだと思う。そんな貴重なお砂糖を使うのだから私とお母さんはシュガーラスク様を作るときは必ず作る日を事前に決めるのだ。抜け駆けは許されない。
「じゃあ私がパンを薄く切るからノエルは砂糖を用意してくれる? わかっているとは思うけど慎重にね?」
「もちろんわかってるよ」
小瓶に入ったお砂糖を戸棚から取り出して、作業台に乗せる。この時、二人の視界に入る場所に置くのがポイントである。砂糖を抜け駆けして舐めることは許されない。
お母さんが薄く切ったパンを両面がカリカリになるまで焼いていく。
「焼いてあるパンをもう一度焼くなんて言うから最初シュガーラスク様を作った時は驚いたわ」
「でもカリカリの食感に甘いお砂糖が美味しいでしょ?」
「そうね。シュガーラスク様を作る度にノエルが私の子供で良かったと思うわ」
「それはもうちょっと違うタイミングで思ってほしいね」
そんな冗談を言いながら……冗談だよね? 顔が凄く真剣なのはシュガーラスク様を作ってるからだよね? ……冗談を言いながらも集中して調理を続けている。
「さぁ、ノエル。そろそろ良い感じに焼けてきたからお砂糖をかけてくれる? くれぐれも、くれぐれもこぼさないようにね?」
「そんなに心配しなくても私たちは今同じ気持ちだよ。大丈夫」
小さい匙を使ってこぼさない様に慎重にフライパンの中にまぶしていく。このまましばらく焼いて、砂糖が少し溶けてパンと絡めば完成だ。だけどそこで私はとあることを思いついてしまった。これは手を出していい事なのかどうかわからない。もしかしたらこの国の法で禁じられている可能性だってある、それくらい危険なことに気が付いてしまったのだ。言うべきか、言わぬべきか……。匙を手に握ったまま固まる私を見てお母さんは問いかけてくる。
「ノエルどうしたの? まさかお砂糖をこぼしたの……? そんな風には見えなかったけど」
「ねぇお母さん……。私ね、気が付いたの。このままもう少し焼いたら完成でしょ?」
「そうね。待ち遠しいわ。私は日々このシュガーラスク様をどれだけ楽しみに――」
「完成した後に、追い砂糖をかけたらどうなるかな……」
「……っ!? 追い……砂糖……!? あなたなんて恐ろしい事を……」
「でも想像して? こんがりと焼き目の付いたパンに砂糖がかかっているでしょう? そこにまるで新雪のように白い砂糖を更にかけるの。いつもより白さを増したシュガーラスク様は幻想的で蠱惑的だと思わない? やってみたいと、そう思わない?」
「……二度と戻れなくなるとしても……?」
「……うん。お母さん、私は更に先へ行くよ。お母さんはいいの……? いつまでもこんなところで足踏みしてて」
「……いいえ、ノエルが行くのなら母として私も一緒に行くわ。あなたを一人になんてしない」
「わかった。じゃあ、いくよ……?」
「一思いにやりなさいっ!」
綺麗に焼き目が付き、甘い匂いと香ばしさをまとったシュガーラスク様をお皿に盛りつけたあと、私は深呼吸を一つしてから、更に砂糖をかけた。これで本当に完成だ。悪魔の料理が完成してしまったのだ。
いつもより軽くなってしまった小瓶を棚に戻してからお母さんと席へ向かう。あの砂糖が封印されている棚は私とお母さん双方がいなければ開けることができないルールになっている。抜け駆けは許されないのだ。
席についた私たちはすぐにでも食べたい気持ちを抑えて、先ずは覚悟を決める。
「さて、今日のこの特製シュガーラスク様はいつもより刺激が強いと思うんだ。お母さん、気を確かにね」
「それくらいわかっているわ。ノエルも十分気を付けるのよ」
私とお母さんはこのシュガーラスク様を食べるとき、いつもより真剣に食前の祈りを捧げる。こんな田舎村では甘いというのはとても貴重だ。
「「ではいただきます……!」」
「こら、神父様がお見えになったから食べるのは後にしなさい」
父がそんな罪深いことを言って私たちの至福の時間を邪魔しようとしてきた。私とお母さんはこの甘い物を食べる為に日々を一生懸命頑張っているのだ。魔法を使って叱られる日もあった、雨が降って遊びに行けない日もあった、それでもこのシュガーラスク様を食べる日を心の支えに今日まで頑張ってきたのだ。それを邪魔しようなどと、到底許される行為ではない。きっと慈悲深い神々でもお許しにはならないだろう。
「あぁ、神父様。この愚かな父をお許しください。私たちは今神聖なるシュガーラスク様を頂く儀式の最中なのです。それを邪魔するなど言語道断! 神に弓引く行為です!」
「……すみません神父様。折角来ていただいたのにこんなわけがわからない状況で……」
「いえ、突然来た私がいけなかったんですよ。何やら大事な用事の最中だったようですね。しかしこちらも少々急いで知らせた方がよろしいかと思って来たのですよ。できれば少し時間を貰えませんか?」
そんな会話が遠くで聞こえる。すぐそこで喋っているけど私の神経はほとんどがシュガーラスク様を堪能することに割かれているから声が遠いのだ。五感を通じてシュガーラスク様を最大限味わわなければ無作法という物! カリっとしたパンの食感に、ガツンと来る甘味が堪らない。頭の筋肉が喜んでいるのを感じられる。追い砂糖の甘さは原始的な程、純粋に暴力的だ。なんて恐ろしいのか……。
「はぁ。本当に申し訳ない。妻も娘も砂糖を前にするとこうなってしまって……。僕だけでもよければ話を伺いますよ。さぁどうぞ座って下さい」
「では失礼して」
私とお母さんは涙を流すまいと我慢しながらシュガーラスク様を少しずつ食べていく。泣くのは後だ。今はこの甘味に感謝を、そして今日まで頑張ってきた自分をほめてあげよう。食べる以外に口を開いては、せっかくの甘さが開いた口から出て行ってしまいそうな気がして無言で食べ続ける。
「それで、急いで知らせる、なんて何があったんですか?」
「えぇ。……実は先日村の若者達が街へ行った際にノエルさんの事を少し話してしまったそうなんです」
「んな!? ど、どこまで話したんですか? 大丈夫なんですか?」
なんかお父さんが寝てるレオを抱っこしながら勢いよくイスから立ち上がった。埃が立つから大人しくしててよ。今シュガーラスク様を食べてるんだから。やはりシュガーラスク様は凄い。生活に潤いを与えてくれる。でもバターを使ったらもっと美味しくなるだろうに、この村では畜産は盛んじゃないから手に入らないのだ。お菓子作りに乳製品は欠かせないのにさ……。今後の課題だ。
「正確には村に魔法が使えて面白い事を考える凄い子がいるんだ、という事を言ったようで、ノエルさん個人をはっきりと特定出来るようなのことを言ったわけではないようです」
「それなら安心ですか……? いや、万が一村に人が来れば一緒か。神父様、僕らはどうすれば……。今すぐに逃げるべきですか? あぁどうしてこんなことに……」
「落ち着いてください。酒場での口論が原因のようですから、先ずほとんどの人は信じないでしょう。ですから今日明日どうにかなる事はないと思います。なのでどうか、落ち着いてください」
「すぅー……はぁー……。取り乱してすみませんでした。一体どういった経緯でそんなことに……? それがわからなければ僕もこの気持ちをどう整理したらよいのか……」
「事の始まりは、街への買い出し当番だった者たちが街の酒場で飲んでいた時に起こったそうです。その時たまたま一緒に飲んでいた街の同年代の人たちに田舎での生活なんて退屈だろ? と言われたことが発端になったと言っていました。村の者たちはその言葉がバカにされた様に感じてついカッとなったと、確かに田舎だけど俺たちの生活は楽しいと一生懸命伝えたそうですが理解が得られず、村にはこんな凄い子もいるんだぞ、とつい口走ってしまったようです。まぁその場では一応酔って変なことを言ったと誤魔化したそうですが。そして戻ってきた村の者たちが先ほど私のところへやってきて、事の経緯を説明して相談した、というのが流れです。彼らも良くないことを言ってしまったと凄く落ち込んだ様子でしたよ」
「そうでしたか……」
「えぇ、お酒の席でのことですから、ほとんどの人が真に受けてはいないと思いますが、面白半分に噂が広まればいつか確認しに来る者が現れる可能性も否定できません」
シュガーラスク様を食べ終わった私は勢いよく立ち上がり声を上げた。
「お父さん、お母さん。私決めたよ。街に行ってくる!」