ちっちゃな子
ユルゲンさんがツヤツヤした顔で、「貴重な経験をさせてもらった」と帰って行ったあとも、私達は寒空の下サカモトと一緒に訓練場を占拠していた。せっかくの帝国なんだから、陛下との面会まで街の探索でも……と思ったんだけど、それはいつか皆と来た時の楽しみにとっておこう。
サカモトの上で寝転がりながらボーッと雲を眺めていると、下から騒がしい声が聞こえてきた。
「姫様ッ! 危険です!」
「なんで? 大人しいじゃん。ねぇそこの大きいの! なんて名前なの?」
慌てたような女性の声と、甲高くて少し滑舌が甘い子供特有の声が聞こえた。下からだと恐らく私の姿は見えてないだろうな。
「我はサカモト。汝こそ名を名乗れー」
私はサカモトの上に乗ったままサカモトにアテレコする。
「私か? 私はハイデマリー・クリスタ・マグデハウゼンだよ! サカモトは何をしてるの?」
「我はハイデマリー、貴様を待っていたのだ」
「私を……?」
「姫様! 耳を傾けてはなりません!」
「そこなメイドよ。我とハイデマリーの話の邪魔をするでない」
上からこっそり見た感じ、メイドさんは二十代くらい。ハイデマリーと名乗ったお姫様は五、六歳って感じだね。
、六歳って感じだね。
皇帝陛下と同じ銀色の髪で、まだ小さいからか髪の毛は細い感じがするね。上からじゃ顔までは見えない。
「なんで私を待ってたの?」
「それは……貴様が美味そうだからだああああ!!」
男の子だったら「力が……欲しいか?」ってしたかったんだけど、女の子だし。悩んだ結果こうなってしまった。
「きゃああああ!」
「姫様ッ!」
お姫様は驚いて悲鳴を上げ、メイドさんはお姫様を抱きしめて守ろうとしている。悪ふざけが過ぎたね。
私はぴょんと飛び降りて二人の前に立った。
「ごめんごめん。冗談だよ。サカモトは食べたりしないから安心して」
「ッ! 何者ですか!」
「私はノエル。サカモトの家族だよ。モンテルジナから招待されて来たんだけど聞いてない?」
「私パパに聞いたよ! お客様って人ね!」
姫様は気持ちの切り替えが早いのか、さっきまでの命の危機など忘れてキラキラした目で私を見ている。
メイドさんも私の悪ふざけだったことを理解した様で、ジトーっとした目で見てきた。
「そう、お客様だよ。凄いでしょ」
「私の方が凄いよ? この栄光あるマグデハウゼン帝国のお姫様なの!」
「女の子は皆お姫様なんだよ? だから私もメイドさんもお姫様だよ」
「そうなの?」
姫様はメイドさんに確かめるように顔を見あげている。
「そう……ですね。でもハイデマリー殿下は特別ですよ」
メイドさんは否定しにくかったのか、曖昧に肯定した後更にお姫様を一段上に置く事にしたようだ。
「私特別だって!」
「良かったね! でも女の子は皆誰かにとって――」
「もうおやめ下さい」
「はーい」
私たちのレスバはメイドさんに止められた。ハイデマリー殿下を改めて観察する。銀色の細長い髪に緑の瞳。このカラーがマグデハウゼン帝国の王族特有の物なのかな? パッチリしたお目目にちょっと生意気そうな表情で可愛らしい子だ。村にいた女の子にはいないタイプだね。
「姫様は何しにこんな何も無いところに来たの?」
「私ね、日課の巡回をしてたらこのサカモトが見えたの! だから来た!」
「朝のお散歩って事ですか?」
「そうですね。身も蓋もない言い方をすれば」
メイドさんが苦笑いしながら答えてくれた。生意気盛りか背伸びしたいお年頃かわからないけど、お散歩は巡回らしい。
「巡回ご苦労さまー。じゃあ風邪ひくと困るし、もうお城の巡回に戻った方がいいよ? ここは大丈夫だから」
「お客様は? まだここにいるの?」
「私はここにいるよ」
「じゃあ私も!」
姫様はイレギュラーな存在の私たちが気になるのか、この場から離れたくないらしい。いつもと変わらぬ日常に突如現れたドラゴンに乗った美少女。さぞかし気にはなるだろう。
ただ、外に来る予定はなかったのか寒空の下で長時間過ごすには心許ない格好をしている。可愛らしいピンク色のドレスに、ポンチョの様な物を肩に掛けているだけじゃ寒かろう。
「姫様、お風邪を召してしまったら大変ですよ」
メイドさんは姫様を城に連れて行きたいらしい。
「お客様は?」
「私? 私は風邪ひいたことな――」
メイドさんが私をキッと睨む。風邪ひいたことないなんて言おうものなら、このお転婆っぽい姫様は「じゃあ私も平気」と言い出すだろう。
「私もそろそろ戻ろうかなー……」
メイドさんをチラリと伺うと、目を閉じて静かに頷いた。これが正解だったらしい。
「じゃあ私が案内してあげる! お客様は低知能? に持て成すんだよってパパが言ってた」
「今さり気なくバカにした?」
「してないよ?」
「姫様、『丁重に』ですよ」
メイドさんはクスクス笑いながら姫様の頭を撫でた。話の流れ的に私も城に戻らないといけないようだ。サカモトを一撫でしてからふたりと一緒に城へと戻った。
ゴレムスくんはサカモトと一緒に日向ぼっこするらしく、今は私とシャルロット、それに姫様とメイドさんで城の中を歩いている。
案内、とはいっても五歳の姫様が知っている場所は限られた所だけだろう。
「ここが厨房ー! 果物くれるところだよ!」
「へー」
厨房の様子はモンテルジナと大差なく、特別な設備はなさそうに見える。そして料理人達も、姫様の来訪には慣れているのか慌てた様子もなく、穏やかな表情で頭を下げた。
「こちらをどうぞ」
「ありがとー!」
厨房の片隅に何故か置いてある小さ目のイスに座ると、料理人の一人が、手早くリンゴを切って渡してくれた。メイドさんが受け取り、先に一口食べる。
「あのね、コリーナは食いしん坊なの。いつも私が貰った食べ物を先に食べちゃうんだよ?」
「ホントだね。姫様より体が大きいからすぐお腹減っちゃうんじゃない?」
相手は城の料理人とはいえ、毒味が必要なんだろう。毒味というコリーナさん命懸けの仕事は食いしん坊の一言で片付けられてしまっているけど、五歳くらいの姫様に毒味が必要な立場だと知らせるのは酷な事だよね。言ってみれば誰かに命を狙われているかもしれないって事だし。
「姫様、また我慢できずに食べてしまいました。申し訳ありません」
コリーナさんは姫様に謝罪しながら、毒味の済んだリンゴを渡した。それに対して姫様はいつもの事だしいいよと笑って許していた。いつの日か、コリーナさんの食いしん坊の意味に気がつく日が来るんだろう。
「お客様もいる?」
「私はいいよ」
コリーナさんがせっかく毒味した安心安全の食べ物を私が食べるのは申し訳なさすぎる。私は別の貰うよ。
「すみません、私にもリンゴ1つ貰えます?」
姫様という最強の身分証を持っているからか、特に何も言われること無くリンゴを持ってきてくれた。私はそれをウサギさんカットしてお皿に乗せる。
「はい、シャルロットも一緒に食べよ」
シャルロットが背中からお腹の方に回ってきたので口元にリンゴを持っていく。
「それなに?!」
「この子はシャルロットだよ? 紹介してなかったね」
「私もシャルロット食べたい!」
姫様の興奮気味の発言に、シャルロットはイヤイヤと頭を振る。イヤイヤシャルロット懐かしいな。
「ほらシャルロット嫌がってるよ?」
「違うの! これ! これ食べたい!」
姫様はリンゴのお皿を指差して騒いでいる。どうやら姫様がテンション上がったのはシャルロットじゃなくてウサギさんカットのリンゴだったらしいね。
「だってさ。姫様はウサギさんカットのリンゴが御所望みたいだね。ほら食いしん坊のコリーナさん、出番ですよ」
私もシャルロットも食べてるから安全だと思うけど一応ね。コリーナさんはジトーっとした目で私を見てからウサギさんカットのリンゴを見て、にへらとだらしなく笑ってから食べた。可愛い物が好きっぽい。
「姫様、どうぞ」
姫様は渡されたリンゴをキラキラとした目で観察してから首を傾げた。
「このウサギさん角ないよ?」
角の生えたウサギは嫌いなんだよ! おのれぴょん吉……。