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前編


蔓が覆い茂り、誰も手入れしていない薔薇の花壇の中で、一際、美しい薔薇が咲いていた。


その薔薇は他に咲いている薔薇よりも鮮やかで大きな赤薔薇だった。


誰かがその薔薇を見てこう言う。


「濡れていないのに、あんなに艶やかな薔薇は初めて見た。まるで誰かの血を吸ったようだ。」


その言葉を聞いた者達はその薔薇が美しくとも気味悪いと言って、余計に花壇に近づかなくなった。


その薔薇は決して誰かを生贄にして咲いている訳ではない。


その薔薇はただ嘆いているのだ。



“どうしてこうなったの?”と。



薔薇の感情を映し出すように、その場に雨が降る。


雨水が当たり、雫の重さに紅い薔薇の花弁が一枚零れ落ちた。


その花弁は地面に落ちると思いきや、強風に吹かれ飛ばされてしまう。


まるで誰に呼ばれているように。


薔薇の花弁は風に揺られ、ただ流れるままに身を任せた。


辿り着く場所は…今度こそ幸せがあると思って…




・・・・・・



とある時代にある由緒正しき伯爵家フェニス伯爵家には娘が二人いる。


長女であるソルシア、次女のミリアンナ。


二人は1つしか歳が離れていないが仲が良い姉妹だ。


姉は長女らしく“しっかり者”で、妹は“甘え上手”

でも、姉は妹を優しく見守り、妹は姉に甘えるがちゃんと姉を立てる。

二人の姉妹は容姿も美しく気立ても良くて、使用人からも領民からも愛されていた。


両親の分け隔たりない教育の賜物だ。


そんな二人はよく他の貴族から求婚の釣書が来るが、両親によって内密に全てお断りを入れられ争いごともなくすくすくと成長し行く。


だが、ソルシアが17歳になった頃、ササライ侯爵家から婚約の申し込みがあった。


相手はササライ家の嫡子、アルソン・ササライ

ササライ家は古き時代から王家を支える文官の家で、同じ文官の家であるフェニス家にも少なからず関りがある。


というよりフェニス家にとってササライ家は上司的な存在だ。

そんな家からの申し出にフェニス伯爵当主は断ることは出来なかった。

そして、それを知ったソルシアも貴族の娘の役目としてその申し出を受け入れる。


始めての顔合わせでアルソンがフェニス伯爵家に来た。


「始めまして、ソルシア嬢」


「始めまして、アルソン様」


アルソンはソルシアより1つ年上で、背が高く美丈夫だった。

初めてなのにソルシアは顔を赤くする。


…どうしてかしら?

この人の事、何も知らないのに顔が熱くなる。


「ふふっ、そんなに緊張しないでください。沢山ソルシア嬢とお話しがしたいのに、そんなに固くなっていると私まで緊張してしまうではありませんか?ただえさえ美しい赤薔薇姫と言われた方の婚約者になれたというのに…。」


あ、赤薔薇姫!?


「そ、それはどなたが仰っているのですか?聞きたことない言葉ですわ。」


「おや?結構貴方の話は噂で聞きますよ?フェニス家の姉妹は薔薇の様に美しい姫達と、特に長女は赤薔薇のように一際美しい女性だと評判です。でも、私もこうしてお会いして確信しました。確かに赤薔薇姫だ。…お顔がとても愛らしく薔薇の様に真っ赤だ…くくっ。」


楽しそうにいうアルソンにソルシアは余計に顔が熱くなった。


か…顔が赤で薔薇…!?


「そ、そんな例え、う、嬉しくありませんわ!!」


プルプルと身体が震えた。

噂がどんなものであっても、少なくともこの人は今の私を見てからかっている。

初対面なのにぃ!


「あははっ、表情が豊かですね?気位が高いと噂もあったからどんな人かと正直怖かったのです。良かった、案外可愛らしい方だ。」


アルソンは更に笑い出す。

そんな彼にソルシアは余計にムキになる。


「全然、嬉しくありませんわ!!」


ソルシアはとうとう憤慨するが、アルソンには余計にツボに入ったらしく笑い続ける。

でも、これが二人にとって緊張感をほぐす切っ掛けになった。


その後、たっぷりと笑ったアルソンは落ち着きを取り戻し、ソルシアの前で畏まることなく雑談を振った。

ソルシアもそんなアルソンに緊張を解き、まるで友達の様にアルソンに接する。


短時間の間で二人は敬語を無くすほど、良い仲になった。

そして二人はお互いの婚約を結ぶことを決意して話が終了する。


「また来るよ。」


「ええ。」


アルソンが帰宅するために玄関に向かおうとすると、ソルシアも見送る為について行く。

すると一人の若い女の子が玄関から家に入ってきた。


「ただいま戻りました…あらお姉様とお客様?…あ、そうか。」


「ミリアンナ、お帰りなさい。」


ミリアンナはソルシアとアルソンを見るなりカーテシーをする。


「始めましてササライ侯爵子息様、フェニス家の二の娘、ミリアンナと申します。」


「アルソン・ササライと申します。将来は私の義妹になる方ですね。どうぞよろしくお願い致します。」


アルソンもミリアンナに軽く挨拶すると、ミリアンナもにっこりと微笑んだ。


「お姉様のお相手が『冷徹なる貴人』とお聞きして心配してましたが、とてもお優しそう。こんな方が私のお義兄様になるなんて嬉しいわ。良いお方で良かったね、お姉様?」


「こらミア。初対面の方に失礼な事を言わないで頂戴。」


からかうよう妹をソルシアは窘める。


「ふふっ、お姉様も満更ではなそう!お二人の邪魔をしてはいけないわね。では私はお部屋に戻ります。お姉様、後でいっぱい惚気話を聞かせてね?」


「もう、ミア、アルソン様はもう帰られるのよ?一緒に見送りなさい。」


惚気話って…また顔が熱くなる。

まるで私がアルソンに懸想しているようではないか?


「そうなの?でも、こういうのは第三者は邪魔してはいけないのがお決まりよ?それに、家庭教師がもうすぐ来る時間だから遠慮するわ。」


そんな私を他所にミリアンナは冷静だ。

普段はもっと『構って!』と我儘を言うけど、今の状況が彼女を変えてしまっている。


「では御機嫌よう。」


ミリアンナは二人に軽くお辞儀して自室に戻っていった。


ミア…随分やつれている。

朝から父の部下と共に領地の視察に行って勉強しているのに、今から家庭教師…殆ど休む暇がない様だ。

お転婆だったミアが今大変なのは知っているのに、何も助けることが出来ない。


ミアはフェニス家の後継ぎになるのだから。


ソルシアがササライ家に嫁ぐことに決まった時点でミリアンナがフェニス家の後継者となった。

本来はソルシアがフェニス家を継ぐ予定だった為に、ミリアンナは夫人の教育しかしていない。

その所為で、フェニス伯爵はミリアンナに次期当主として教育をさせる為に特別講師を呼んでほぼ毎日のようにミリアンナに勉強させている。


ソルシアは唇を噛む。


この婚約の話が来た時は、呆然とした。

だけど、相手は侯爵家。仕方ない話として受け入れるしか出来ない。


父はミアをアルソンの嫁にと望んだが、この国の決まりによって成人未満の娘の場合、長女が婚約者がいないのに次女が先に婚約者を作ることが出来ない。

自分があと一年で成人になるので、父はフェニス家に相応しい夫を迎える予定だったが、まさか自分が嫁ぐとは思わなかった。


二人が成人していたらミリアンナがアルソンの婚約者となっていたけど今更だ。

これによりソルシアを嫁に出すことに決定し今の現状がある。


「…なんだか、悪い事をしてしまったね?」


考え事しているソルシアを横目にアルソンは呟くとソルシアは首を振った。


「いいえ。あの子もそれを承知して今を受け入れています。父も出来るだけあの子に寄り添って、この家に迎える夫を幼馴染にしたの。だから、大変なのは今だけなんです。」


そう、ミアには隣領であるエストワール伯爵の長子である幼馴染のハロルドがいるのだから。


「あの子がたとえ当主として出来なくても幼馴染が頼りになる方なので、この家は大丈夫ですわ。」


あの子は十分恵まれている。


昔からエストワール家とフェニス家は仲が良く、家族の様に付き合いをしていた。


お互いの子供が年が近く、特にミリアンナとハロルドは仲睦まじい。

いつも一緒で、よくソルシアやハロルドの弟を置いて二人で楽しく散策したり、走り回ったりしていた。


そんな本人達に『お互いに気があるのか?』と何気なく聞くと、二人とも満更ではなさそうに微笑んだ。


親達はこの二人の仲を良しと思い、より縁を結ぼうとミリアンナをエストワール家に嫁ぐ予定していたが、今回の件があり一度は駄目になると思っていた。

でも、親たちは諦めず二人の為に色々と手をまわしてくれたことによってハロルドはエストワールを継ぐのではなくフェニス家の婿養子とさせ、ハロルドの弟がエストワール家を継ぐ形にすることによってミリアンナとハロルドは引き裂かれる事も無くなり一緒に居られるようになる。


普通なら、他所の後継者を婿養子にさせるなどとんでもない話だが、エストワール家が兄弟平等に勉強させていた事によってそれが可能になり、こちらが迷惑をかけたのにエストワール夫妻は兄弟両方に爵位を持たせれて嬉しいと、逆にこの事を喜ばれてソルシアはとても複雑の気分なる。


正直、ソルシアはこの話を聞いた時はミリアンナだけ色々して貰って狡いと思った。


でも、成人になっていない自分は婚約者がいない。

そして求婚してきた相手は侯爵家だ。

当然、フェニス夫妻は長女を差し出すしかない。


父はそんなソルシアに謝り出来るだけ気分を上げるように、侯爵子息に見合う様ドレスを奮発して新調したりしてソルシアを慰めた。

そうやって何とかソルシアを宥めこうして侯爵家の婚約を了承させたが、美男子であるアルソンに出会って寧ろソルシアは自分は幸運だと思えるようになる。


自分の嫁ぎ先が侯爵家で、夫となる人がこんなに美形なうえに性格も少し意地悪だけど優しい、それに私だけを見つめる目や言葉はとても情熱的だ。


この人が自分の婚約者だなんて、自分の今までの苦労が報われた気がした。

だからもうミリアンナに嫉妬することはない。


「あの子の事は気にしないで上げてください。逆に今まで遊んでいた分、つけが回っただけですもの。いいお勉強になりますわ?」


「…そうか。でも、薔薇姫と呼ばれた君の妹なんだから、きっとこの先もフェニス家を守ってくれると思うよ?君が大切な実家なんだから、ね?」


「…嬉しいけど、薔薇はもういいですわ…。」


アルソンの言葉に脱力してしまう。

でも、私の事ばかりアルソンは考えている…とても嬉しい。


とりあえず話は終わりにして私はアルソンを馬車まで見送った。


「今度は俺の家にも遊びに来てくれ、大いに歓迎するよ?」


「ええ。是非、行かせてもらいますわ。」


次回会う約束をして私は家の中に戻った。




一方、ササライ家の馬車の中でアルソンが暗い笑みを浮かべながら窓の外を見ている。


「…どんなに綺麗でも、棘が多すぎる…。」


浮かぶのは淑女として完璧に磨かれた美しい令嬢。

でも、内側からその美しさに影が忍び寄る。


「棘はどれだけ水を与えれば丸くなるかな?」


「…妹君の婚約者になる者を調べますか?」


暗い笑みを浮かべたアルソンに従者が声を掛けると、アルソンは頷く。


「…これからが大変だ。」


そう言ってアルソンは笑みを浮かべながら目を瞑る。


この先に起こる事を考えながら…



・・・・・・・



あれからソルシアとアルソンは婚約者として順調に二人の仲を深めた。


ソルシアはアルソンを『アル』と呼び、アルソンは『シア』と愛称で呼び合う程、気が知れた仲になり、そんなを二人を家族達は祝福した。


ササライ侯爵家の家族もソルシアを可愛い義娘としてみて、ソルシアが定期的に次期侯爵夫人として学ぶたびに赴けば温かく迎える。


ソルシアは幸せだった。

自分の周りには温かい人ばかりいる。

私達の幸せを心から喜んでくれるのだ。


一方、フェニス家もミリアンナが次期領主として勉強も軌道に乗ることが出来き、成人を迎える前にハロルドと婚約を結び順調に事が進んでいる。

ソルシア達だけではなく、ミリアンナ達もとても幸せそうに笑っていた。


両家に問題なく順調な婚約生活にこれ以上の幸せはないだろう…。


ソルシアはアルソンの隣でそっと幸せを噛みしめ微笑んだ。


そしてソルシアが成人を迎え嫁ぐ日程が決まる。


とある天気のいい日、ソルシアはフェニス家のテラスでアルソン、ミリアンナとハロルドを呼び将来の義兄妹として親睦を図るべくお茶会を開いた。


「もう、お姉様は結婚してしまうのですね…少し寂しいわ。」


「ミア、私が嫁いでも一生離れ離れになるわけではないのよ?落ち着いたらハロルドと一緒に遊びに来て頂戴。」


嫁ぐソルシアにミリアンナは一緒に過ごせる時間が無くなると寂しそうに呟くと、ソルシアは優しく妹の頭を撫でる。


「そうだよミア。普段私は仕事でいないけど、ちょくちょくシアに会いにおいで?シアもきっとミアに会えなくて寂しがってくるからね?ミアよりシアの方が寂しがりそう…。」


「ちょっと!アル、どうしてそんなに意地悪なの?」


「本当の事じゃない?」


ミリアンナを気遣うようにアルソンも声を掛けるが、結局ソルシアをからかう材料になってしまいミリアンナよりもソルシアがムキになってアルソンの肩をポカポカと叩く。

そんなソルシアを楽しそうにアルソンは見ていた。


「…こんな仲睦まじい新婚夫婦の間に入っていたら馬に蹴られそう。だから、たまに顔を見に行くわ。私も来年は成人するのだし、領主としてしっかりしなきゃいけないもの。」


「ミア、無理をしなくても大丈夫。俺も自分の仕事と兼任するけど、ミアをずっと支えるからな?」


色々と揉まれ当主としてしっかりしてきたミリアンナ。

そんな彼女をハロルドは支えるようにミリアンナの手を握るとミリアンナは嬉しそうに握り返した。


ミリアンナとハロルドもソルシア達と負けないぐらいお互いを想いあっている。

寧ろ一緒に居る時間が長い為、お互いを色々と知っている妹達は姉達よりも絆が強い。


ソルシアはそんな二人に少しだけ劣等感を抱いているが、普段アルソンのソルシアへの溺愛っぷりに

ソルシアは満足しており特に比較する程、気にすることはなかった。


優雅に紅茶を啜るソルシアを他所にアルソンがハロルドに親し気に話しかける。


「ハロルド君は確か王城で法務関連の仕事をしているんだっけ?」


「はい。元々実家がそっちの仕事ですから俺も学ぶ為、2年前に研修員として仕事に就いてます。」


「仕事を持ったまま辞めずにフェニス家に婿養子と行くなんて、結構優秀なんだね?法務大臣が『奇才が現れた』と嬉しそうに話していたけど、君の事かな?」



奇才?ハロルドが?


ハロルドに感心するような眼を向けるアルソンにソルシアは目を丸くする。

ハロルドはバツの悪い顔をするが、隣でミリアンナがクスクスと声を出さない様に口を両手で隠し笑っているではないか?


つまりハロルドは大臣に認められるほどの才を持っている。


「…いや、それはあの人の大嘘ですよ?あの人がわざとボケるから、俺が資料をみて正しただけです。それなのにあの人は『奇才の誕生だ!』と大袈裟に騒いでいるだけで…あのくそ爺っ…周りに変なことを言いふらしているのか…?」


「ふふふっ、そんなこと言っては駄目よ?私もそれ大臣様に聞いたわ。この前父と一緒に王城に行った時にハルを取らないでって抗議されたの。面白い人だったわ。」


「ミアにもかっ!?次会ったら文句を言ってやる!!」


ミリアンナの言葉に更にハロルドは憤慨する。

そんな様子にソルシアはただ目を丸くするしかない。



昔から賢い子だと知っていたけど、この国の誉れにある大臣に気に入られるなんて凄い。

その上、大人になるにつれハロルドも美丈夫のアルとは違う魅力が出てきた。

優秀なうえ美男子なハロルド。

そんな彼は多くの令嬢の心を掻っ攫うだろう…昔の私の様に…。


ソルシアは紅茶が入っているカップを取っては口に含み、そっとため息を隠した。


小さい頃から家の付き合いである為、お転婆なミリアンナと一緒に遊んでいたハロルド。

幼少期は一つ下とはいえ、ソルシアはハロルドに少しばかり恋心を抱いていた。

でも、成長するにつれハロルドは同じ歳である妹ミリアンナを異性として見ていて為、ソルシアはその恋心を蓋をしてハロルドを弟として見るように努力を続けると、次第に弟として接することに成功できた。


この恋を諦めたからこそ私にはアルという素敵な運命の人に会えたのだから、結果は良しよね?


妹達を見ながら少しだけ苦い過去を思い出して感傷に浸るソルシア。

だが、隣でアルソンがハロルドとミリアンナを意味ありげな目で見ていた。


その後は4人で親睦を深めつつお茶を楽しむが、アルソンはハロルドに珍しく積極的に話を振りかける。

そんなアルソンにハロルドは嫌な顔をしず話に応じ、まるで本当の兄弟同士みたいに親し気になっていく様子をソルシアとミリアンナは微笑ましく眺めていた。


楽しい時間は終わり二人が帰った後、ソルシアは大きくため息をつく。


「最後まであの二人、私達を置いていたわね?」


アルソンとハロルドは最後まで二人で楽しそうに話をしていて、ソルシアは正直呆れてしまった。


「そうね?でも、当初ハルはお義兄様の事を怖い人だってビクビクしていたのよ。だからこれで良かったと思うわ。それに二人が仲が良ければ、私は気軽にお姉様に会えるもの。」


ミリアンナは楽しそうに言うと、ソルシアも苦笑しながら「そうね」と相づちをした。


二人が仲が良いならば、きっと自分が嫁いでも妹達と仲良くやれる。

この時のソルシアはそう思っていた。



この二人の仲が、この先ソルシアの足元を脅かすものとは知らずに…



・・・・・・・


それから、とうとうソルシアが嫁ぐ日が来た。


純白のドレスに身を包み両家と妹その婚約者や親戚、多く友人達に見守れながらソルシアはアルソンと婚姻を結びソルシア・フェニスからソルシア・ササライになった。


そしてソルシアがササライ家に住むようになって月日は経つ。


次期侯爵夫人として日々はとても大変だが、充実の毎日を送った。

ソルシアは元々伯爵家を支える為に色々と勉強していたので、侯爵家であっても夫人として直ぐに順応にしていく。

それにより侯爵家の住人から一目置かれる存在になり、ソルシアは夫人として存在感を示した。


アルソンもそんなソルシアに嬉しそうだ。


「シアがいれば自分の仕事に専念できる。シア、家の事を任せたよ?」


「勿論です。心置きなく自分のお仕事に専念してくださいませ?」


二人は微笑み合い、順調な夫婦生活を送った。


アルソンの父であるササライ侯爵家当主は、そんな息子たちを見て安心して、まだ結婚一年目だというのに、早々と爵位を渡して自身の妻と共にササライ領地の別宅で第二の人生を送る事を決める。


それにより、ますますソルシアは夫人として頑張らなければと己を奮い立たせた。

でも、心の中では順調な夫婦生活に心身共に満足している。


とても幸せな毎日だった。


そんなソルシア達が過ごしている中で更に月日は経ち、実家では妹のミリアンナとハロルドも成人を迎え二人は無事に婚姻を結んだ。


二人の晴れ姿にソルシアも嬉しそうに涙を零し、アルソンはソルシアを支えながら義妹夫婦に祝福する。


妹夫婦も新しい生活は順調そうで、恙ない日々を送った。



姉妹が各々で頑張る姿は世間でも好評だった。


特に噂になるのは侯爵夫人となったソルシアだ。


夫は現在宰相の補佐を務めているが、噂だと次の宰相候補と名を挙がっているほど優秀で有名人。

そんなアルソンを支える妻であるソルシアは貴婦人たちの話題になり、貴婦人たちのお茶会に引っ張りだこになる。


お茶会で必ずアルソンの話題になり羨望されるソルシアは、その度に大きなプレッシャーを感じるが、決して嫌な気分ではない。

寧ろ当然だと思えた。


貴婦人として社交界も上手くいっている。


妻としてしっかりと侯爵家を守っている。


あとは後継ぎがいれば完璧…。


アルソンとの仲は良好だ。


中々帰ってこれないアルソンだが、私を愛してくれる。


だから後継ぎもきっとうまくいく。


何も心配ないわ。


そう、何も心配ない…。




だが、現実は甘くない。



嫁いでから4年後、ソルシアは悩まされていた。


「…またつきものが来たわ…。今回も駄目だったみたい。」


「奥様、そんなに落ち込まないでください。まだお若いのですからこれからですよ?」


女性の月経が来たことにソルシアは憂鬱そうに呟くと、専属侍女であるエリーはソルシアを励ました。


結婚してからもう4年、ソルシアは妻としての役目を果たしていない。

正確には男女の行為はしているが、後継ぎを授かる事が出来ていないのだ。


「旦那様も中々お忙しい方ですから、結婚してから中々奥様と一緒にいられないですもの。仕方ありませんよ?お仕事が落ち着いたらきっと奥様との時間を多くとってくれますわ。」


「…時間ね?…ここずっと顔を出しても、すぐに出掛けてしまうもの…そんなに仕事が忙しいのかしら?」


アルソンは宰相補佐をしている為、殆ど王城に入り浸りだ。

とはいえ、宰相補佐なのにそこまで帰られないものだろうか?

結婚してからずっとそう。

一週間に一度帰って来ては、すぐに城に行ってしまう。

酷い時は一ヶ月に一度だけ家に帰ってくる事もあった。


アルソンは侯爵当主なのに…。

いや、侯爵としての仕事はちゃんとしている。


普段は城にいるが、執事たちに協力してもらい領民の声を聴いていた。

だからソルシアが当主であるアルソンの代理として領地を任される事がない。

ソルシアがアルソンの代わりとして請け負っているのは、このササライ家の管理だけだ。


「…旦那様のお仕事に関して私は良く存じませんが、お城に勤めている友達の話によると、旦那様はよくフェニス法務官に会いに行ってはお話しされているそうです。それもよく二人で遅くまで話しているところをよく見かけるそうですよ?」


「ハロルドと?初耳だわ。」


ハロルドも法務官として城勤めをしている。

ミリアンナが当主だから出来ることだが…。


お互いに異なる仕事をしているのに、雑談できるなんて…そんな暇があるなら家に帰ってきて欲しい。


ただえさえ、後継ぎの事を義母に散々言われているのに…。


「…ハロルドも一緒という事は、彼も家に帰っていないのかしら?」


「さあ?そちらはよく分かりません。でも、遅くまでという事はその可能性もありますね?奥様と同じ寂しい想いをしているでしょう。」


エリーはミリアンナも自分と同じ想いをしていると言ってくれるが、ソルシアの気持ちは晴れない。

だって、ミリアンナのところは自分と違うのだから。


ミリアンナは既に一人、子供を産んでいる。

彼女に似た可愛らしい男の子だ。


ミリアンナは私に気を遣っているのか懐妊した時は遠慮そうに手紙だけを送ってきたけど、私は妹の目出度い話にアルソンと共にお祝いをした。


そんな私達にミリアンナもハロルドもとても喜んでいたわ。


あの時はミアが結婚してすぐに子を設けるからそんなにダメージはなかったのだけど、今そんな話を聞くと絶対に落ち込む。

ただえさえ、私の友人達も子に恵まれて取り残されている状態なのに…。


でも、ハロルドも城から戻ってきてないのなら、あの子も寂しい想いをしている。

そこだけは私と一緒だわ。


「ねえ、明後日は何もない日だったよね?」


「は、はい。その日は婦人会もなく、この家に来客も訪れませんので大丈夫と思います。」


予定を尋ねるとエリーは急いで手帳を取り出して見ては答える。

侍女なのに執事のようだ。


「なら、その日はフェニス家に行きます。先方に連絡をお願いね?」


「はい。承知致しました。」


そう言ってエリーは下がっていった。


とりあえず今できる事をするしかない。

ソルシアは侯爵夫人として再び仕事に戻った。



ーそしてソルシアがフェニス家に行く日ー


従者や侍女と共に馬車に乗り実家へと赴いた。


「お姉様お久しぶりです。」


出迎えてくれたのはミリアンナだ。


「突然の訪問でごめんなさいね。元気にしている?」


「いいえ。お姉様が来てくれたもの、凄く嬉しいわ。」


花が綻ぶ様に笑うミリアンナは結婚して子供を産んでも変わらない。

いつまでも少女の様な可憐な妹だ。


「ロバートはいないわね?」


「あの子は今お昼寝中なの。さっきまで元気に遊んでいたから疲れちゃったみたい。」


「ふふっ子供だから仕方ないわね?」


二人の子であるロバート・フェニスはロニーと愛称で呼ばれ愛されながら、すくすく育っている。


ミリアンナはこの子を特に溺愛していた。

ロバートの顔形はミリアンナにそっくりだけど、目の形や色はハロルドにそっくりだから嬉しいそうだ。


部屋の個室に通されたソルシアは、ミリアンナと二人っきりにしてもらい久々の姉妹の水入らずで会話を楽しむ。


ソルシアは久々に妹の前で気を楽にして会話が出来た。

侯爵夫人という肩書は余りにも重い。

上位貴族だと背負うものが多いからこそ、常に友人の前でも気が張る。

でも、妹の前ではそれがない。


お互い年が近い姉妹で、よく一緒に居たからこそだろう。

多少弱音を吐いても、ミリアンナは受け止めてくれる。


会話が落ち着いた頃、ソルシアはあることをミリアンナに切りだす。


「ねえ、ハロルドはちゃんと帰ってくるの?」


「ハル?ええ、帰りは遅いけど帰ってくるわ。それがそうしたの?」


ハロルドはアルソンみたいに城で寝泊まりしないみたいだ。


「いえ、私の侍女が良くアルと一緒に遅くまで話をしているって言ってたから、ミアも寂しい想いをしているのかしらと思って…ごめんなさい。アルが中々城から帰ってこないからハロルドも一緒かと思ったの。勘違いしてしまったわ。」


「ああ、そういえば一緒に仕事をしていると言っていたわ。…でも、お義兄様は家に帰って来てないの?」


「ええ…。でも、宰相様の補佐だから仕方ないわよね?」


本当は自分だけがこんな思いをしているなんて、正直妹に気づかれたくない。

出来るだけ気丈に振る舞ったが、ミリアンナは更に困惑した表情になる。


「…お義兄様…ハルとよく一緒に仕事から帰って来て、この家でお酒を飲んでいるわよ?たまに飲み過ぎて泊っていく事もあるけど…てっきり家に帰っていると思っていたわ。どういう事かしら?」


「…え?」


アルソンがここに来ている?


ソルシアは耳を疑った。


結婚してから今までアルソンが一人でフェニス家に行くなんてなかったのに、妹たちの家に頻繁に来ている?


「…本当に聞かされていないの?」


動揺する姉の様子にミリアンナは更に困惑する。

ソルシアは心を落ち着かせるために、訳をきくことにした。


「…『よく』っていう事はそれってどれぐらいなの?それに、いつからアルがここに来るようになったの?」


「毎日ではないけど、週に一度…二度ぐらいかしら?大半はハルと一緒にお酒を飲んでから帰ってしまうけど…。ここに来るようになったのは1年半前ぐらいだわ。ロニーが生まれて半年ぐらいから、あの子の顔を見に来てくれるようになったの。」


一年半前…つまりミリアンナの子供が生まれてアルソンと一緒に祝いをする為にこの家に訪れた後ということか?


そんな前からなんて…なぜそれをもっと早く知らせてくれないの?とは思ったけど、自分と妹達の環境が違う為、中々会う機会はなかった。

それにミリアンナ達が自分達の事情を知らないから猶更だ。

詳しく聞くと、姉も知っていると彼は二人に話していたらしい。


…アルが嘘をついてまでここに来ている。


どうして嘘をつくの?


「…お姉様、もしかしてお義兄様と喧嘩をしているの?」


ミリアンナが心配そうにソルシアを見ている。


でも、今のソルシアは余裕がなかった。


喧嘩はしていないけど、家に中々帰ってこない。


…この前、アルソンが帰って来た時、彼は何て言っていただろうか?


※※※


夫婦の寝室で二人は身を寄せながら愛を深めていたが、ある不安にソルシアはアルソンに問いかけた。


「ねえ、アル…仕事ってそんなに忙しいの?」


「まあね。でも、他所の国の交流によって色々と仕事のやり方も変わってきたからこればかりは仕方ないよ。」


仕方ないの一点ばかり…前にも同じことを聞いたが、このままでは何も変わらないのでは?とソルシアは焦る。


「でも、この前またお義母様が『子供はまだなの?』と言われたわ。周りからも頻繁に跡取りを聞かれるの。私も早く貴方の子が欲しいから毎日とは言わないけど、出来るだけ家に帰って来てくれないかしら?」


懇願するソルシアにアルソンは呆れたようにため息をついた。


「またそれか?それは無理だよ。宰相様の仕事が多くて手が回らないんだ。補佐としてしっかり努めないとササライ家の名誉に傷がつく。だから母や周りの事は気にしなくていいよ。それにこうして君と共にしているのに、まるで俺が何もしていない様に聞こえる。正直、傷つくよ?」


「…そ、それは…ごめんなさい…」


痛いところをつかれる。

そう、アルソンは自分を愛してくれる。

愛してくれるのに、結果が出ないのは自分なのだ…


「いいよ、俺も言い過ぎた。もう寝よう?明日は早朝に出なければならないんだ。」


「…ええ…」


これ以上なにも言えなかった。

このまま責めれば、確実に自分に分が悪い。


複雑な思いを抱えソルシアは眠った。


※※※



…もしかして私の所為?



「お姉様?」


「…いいえ、喧嘩はしていないわ。アルが仕事が忙しくて話がちゃんと出来ていないだけなの。ここに来ているとは知らなかったから…とりあえず浮気の心配はなさそうね?」


ソルシアは不安を隠し明るく振るまった。

問題の原因が自分にあるのじゃないかと内心不安で仕方ないが、妹の前ではしっかりしていないといけない。


「お義兄様はお姉様にぞっこんだもの、それは無いわ。それにお義兄様が頻繁に会っているのはハルでしょう?浮気相手がハルという事になるのかしら?それなら別の意味で面白いかもしれないわね。」


「こらっ、自分の旦那様でしょ?そこは否定しないさい。」


アルソンとハロルド

どっちもイケメンだけど、そんな話は正直考えにくい。


でも妻より義弟の方が心休まるなど屈辱だ。

そんな姉の気持ちを知らずミリアンナは楽しそうに二人の仲を話す。


「でも、二人は結構仲良しよ?この前なんか酔い潰れて応接室で仲良く並んで寝てたもの。客室に連れて行くのが大変だったわ。もういっそ、そのままにしておけば良かったと思うぐらい。」


「…そう、男同士だから気が知れるのね…。」


妻に内緒で義弟と仲良くする。

別に浮気しているわけではないのだから、多少目を瞑ってもいいと思う。

でも、侯爵家の後継者として現実を見て欲しい。


…子供さえできれば、全て解決するのに…


そうすれば、私がアルソンを責めることもない。私も義母に責められることもない。


ソルシアは悔しそうに唇を噛んだ。


「…私も今度お義兄様が来たら、それとなくお姉様が心配しているって言ってみるわ。お姉様も侯爵夫人として大変かもしれないけど、色々と思い詰めないでね?」


「ミア…。」


ミアは私達の事を感づいている。

チクチクする気持ちを抑え、ただ苦笑するしかなかった。


でも、この問題はそろそろ本腰を入れて考えなくてはならない事だ。


まず帰ったら侍医に自分の身体を見て貰おう。

それを知らなければならない。



ソルシアは気を取り直し、話題を変えミリアンナと昼食を食べながら雑談に花を咲かせる。


昼食を食べ終わった後、侍女が薬を持ってきてミリアンナに渡した。


「ミリアンナ…どこか悪いの?」


「…これの事?、ただの滋養薬よ。最近よく領地を視察にまわるから疲れちゃうことが多いの。ロニーの子育てだって、侍女達に任せっきりじゃ母として駄目だしね?」


そう言ってミリアンナは薬を口に含み水で流した。


「まあ、まるでお爺様みたいね?」


「そんなに歳をとってません!…でも、最近体力が無くて直ぐに疲れてしまうわ。領主として手を抜くわけにもいかないし、ハルも昼間はいないから頑張らなきゃって…でも、どうする事も出来ないじゃない?そんな時、お義兄様がこの薬を持ってきてくれたの。飲んだら少しづつだけど、一日が元気でいられるわ。」


アルソンが薬を?


どうしてだろう?そう思ったら、何故か少し体がゾクッとした。


「…あ…あまり…そういうのに頼っては駄目よ?」


分からないけど、あまりいいものではない。

滋養薬なんて若いミリアンナには必要ないのだから。


「?…まあ、疲れた時ぐらいしか飲んでいないけど…うん。出来るだけ頼らない様にする…。」


「それがいいわ。ミアは若いもの、もし大変なら使用人を増やしなさい。」


ソルシアの表情にミリアンナもおずおずと頷いた。


いくら義理の兄が持ってきたものでも、医者でもない人から薬を貰うなんて良くない。

ミリアンナは義兄を信用しているから何も疑うようなことをしないけど…。


それからソルシアはササライ家に帰宅する為、妹やその子供、そして使用人たちに挨拶し馬車に乗った。


「お姉様、今度はお姉様の所にいってもいい?」


「勿論よ?」


「お義兄様と仲良くね?」


微笑むミリアンナにソルシアは優しく微笑む。


「またね?」


そう言ってソルシアはフェニス家を後にした。


揺れる馬車の中でソルシアはあることを考える。


アルソンは毎度の子作りを求める自分に対して家に帰らなくなった。

でも、後継者の事は今後の侯爵家にとって避けられない事だ。


「…確かに帰る度に責めていた事は悪かったわよ?でも、こればかりは仕方ないじゃない。」


義理の母はアルソンの子を求めていた。

だから望みを叶えようと必死だったのに、仕事で帰ってこないアルソンに苛立ってしまう。


…でも、帰ってこればちゃんと愛してくれる。ということは自分に問題がある?


身体がゾクっとした。


…出来ない理由が自分にあるとしたら?

もしそうならば…私は離縁されてしまう?


…どうしよう…


ふと馬車の窓の外を見た。


目に映るのは少し離れたフェニス伯爵家。


あの家にはもう既に後継ぎが生まれている。


ミリアンナはロバートという息子を産み、フェニス伯爵家は安泰だろう。


それなのに自分はと言うと…


…子供が欲しい…


ソルシアは窓の外を見ながらため息をついた。

ぼんやりと見ていると、見覚えのある馬車がフェニス家に停まり、乗っている人がちょうど降りていく。


…こんな時間にハロルドが帰ってくるのね?


ハロルドは毎日帰ってくると言っていた。


…羨ましい。

アルは中々私の元に帰ってこないのに、ハロルドは毎日ちゃんとミリアンナの元に帰ってくる。


責任の立場が違うのは仕方ないけど、忙しくても妻と子供の元に帰って来てくれるなんてソルシアにとっては羨ましい限りだ。


ソルシアはそんな現実に目を背けるように窓から目を逸らしカーテンを閉めた。


嫌な気持ちになるのなら、見ない方が良い。


ソルシアは家に着くまで目を閉じた。


でも、この時ソルシアが目を背けなければ、アルソンの暴走を止められたのかもしれない。

少なくともソルシアは別の人生を歩めたかもしれないのだ。


フェニス家に停まった馬車にアルソンがいた事をソルシアは気付かずそのまま帰宅してしまった。




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