第3話 思い返してみると…
ご覧いただき、ありがとうございます。
二年前のベルナール公爵家の誕生会。
あの時は確か、ルイ様の妹君のカトリーヌ様の十五歳の誕生日の宴会だった。
お父様とお母様、まだ婚前だった二番目のお姉様であるサラお姉様と一緒に、豪華絢爛たる広間を恐る恐る進んだのを覚えているわ。
「サラ、リリス。ベルナール公爵家は格式が高いですから、くれぐれも粗相の無いようにね」
「はい、お母様。心得ております」
「……はい」
サラお姉様は淑女の鑑の様な笑顔を浮かべて返事をするから、つい気圧されるのよね……。
昨日から散々諭されていたことを、再び念を押されて正直緊張が高まっていたのもあったし。
確かお母様はシルバーを基調にしたスレンダーラインのドレスを、サラお姉様はベージュを基調としたエンパイアラインのドレスを身につけていた。
お二方とも亜麻色の髪に映えて綺麗だったな。
そうそう私は、サラお姉様に選んでいただいたグリーンを基調としたエンパイアラインのドレスを身につけていたけれど、正直、既に社交会の華と名高いサラお姉様の引き立て役にもなってなかったと思う……。
来場してすぐに主催者であるベルナール公爵と公爵夫人の姿を見つけると、お母様方と一緒にご挨拶に向かった。
「この度はご招待をいただきまして、ありがとうございます。加えてカトリーヌ様、お誕生日おめでとうございます」
「これはアデール伯爵ご夫妻とお嬢様方。遠路はるばるよくお越しくださいました」
「本日は晴天に恵まれ……」
お父様とお母様が常套句から世間話をし始めたのを側で見守っていると、不意にカトリーヌ様がお声をかけて来た。
「リリスさん、よろしければ少しお話し出来ないかしら?」
カトリーヌ様とは以前に出席したお茶会で数度顔を合わせた程度だけれど、私の名前を覚えていてくれた上に誘ってくださるなんて……。凄く嬉しかったな。
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「あの後まさか、あのお部屋に案内されるとは思っても見なかったけれど……」
二年前のことを、庭のカフェテラスで昼食のバゲットを食べながら思い出していると、突然何か強い引っかかりを感じた。
「そういえばあの話って、結局どうなったのかしら……」
もう一度思い返してみることにしよう。
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「リリスさんも、スワ語を習っていらっしゃるのよね」
「はい。……カトリーヌ様もサリー先生に教わってると伺いました」
「ええ、そうよ」
カトリーヌ様は私よりも一つ年上で、あの頃は十五歳になられたばかりだったけれど、ブロンドの髪が上品な印象の彼女と良く合っていてずっと大人びて見えたわ。
私たちは確かあの後、お屋敷の渡り廊下を晴天の下を歩いて渡って、別館の個室に入った。
……パーティの主役のカトリーヌ様がどうして会場を自ら離れるんだろうって疑問を抱いたし、思ったよりも遠くに行く様だったので不思議にも思ったけれど。
ともかく、渡り廊下を抜けたすぐ先の個室にカトリーヌ様に促されて続けて入るとサリー先生が立ったまま待ち受けていて、奥には……。
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混乱して来て、きっと寄ってしまっている眉間の皺を指先でほぐしながら、糖分の摂取のために目前のミルクティーに角砂糖を一つ入れて口にする。
すると、身体に糖分が行き渡ったからか、あの日の光景が再び浮かんで来た……。
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「わざわざ足を運んでもらってすまない。……君とは何度か顔を合わせているけど改めて名乗っておくね。僕はルイ・ベルナール。カトリーヌの五歳上の兄で、現在は家督を継ぐため父上の事業を手伝っているんだ」
あまりのことで、身体はともかく硬直してしまったし、声も出なかった。
カトリーヌ様は私を案内するとすぐに会場に戻ってしまったけれど、幸い室内にはサリー先生もいらっしゃったので二人きりにならずに済んだ。
それにしても、ルイ様は公爵家のご嫡男だと言うのに、かなり砕けた言葉遣いだなって思った。
カトリーヌ様と同様美しいブロンドの髪が印象的で、不覚にも少しときめいてしまったのは内緒だ。
加えて、きっとここで何も言わずに逃げ出したらお母様の言う「粗相の無い様に」という言いつけを破ってしまうから、ともかく何か喋らなければと思い咄嗟にお辞儀をした。
「ごきげんよう、ルイ様。私はリリス・アデールです。本日はカトリーヌ様の宴席にお招きいただきありがとうございます」
ルイ様は柔かに微笑んで会釈すると、そっと手を差し伸べて私を室内のソファに腰掛ける様に促した。
「リリス嬢。……良かったら書類に目を通した上で記入をお願い出来ないかな」
「書類……ですか?」
案内された個室はどうやら応接間の様で、来客用のソファとローテーブルが置かれていた。
ソファに身を強張らせながら浅く腰かけて、目前の書類に目を通してみる。
えっと、あの書類には何が書かれていたんだっけ……。
そう、確か文章自体がスワ語で書かれていて、あなたの名前をスワ語で書いてくださいとか、趣味は何ですかとか、現在の世界の情勢について意見を述べよとか、そうそう簡単な数学の問題も解かされたっけ……。
書類を書き終えると、サリー先生がその書類を採点して再び彼に手渡し、ルイ様は小さく頷いて対面のソファに腰掛けた。
「サリー先生から事前に、リリス嬢はスワ語に堪能でいて聡明な方だと聞いていたけれど、実際にその様だね」
思わず、顔が真っ赤になったのを覚えてる。
「い、いえ! 私などまだまだ若輩者です。ルイ様に決してそのように評していただけるなど畏れ多いでです……」
「謙遜も上手なんだ。ますます興味深いな」
ルイ様はソファに座り直し、姿勢をより正してまっすぐに私の目を見た。
「リリス嬢。一般的には貴族の女性はあまり学が無い方が好ましいとされているが、僕はそうは思わないんだ。これからは陸路整備によりスワ国との交流も増えるだろうし、女性も隣国の客人を積極的にもてなさなければならないだろう」
「……そうですね」
あの時の私は、急にルイ様が公爵家の仕事のことを語りだしたから仕事の話か……と思って割と話半分に聞いていたわ……。
ん? そっか。もしかして先程思い返したあの「筆記試験」は、そのことと関わりがあるのかも。
「だから僕は、自分のパートナーには是非リリス嬢のような聡明な女性をと思っているんだ」
「左様ですか」
お仕事のパートナーを探してらっしゃった……のよね?
「だからリリス嬢。まずは仮契約という形にはなるが、この書類に署名をいただけないだろうか」
「署名ですか? パートナーをお探しと言うことであれば、まだ私も婚前の身ですし喜んで立候補をさせていただきたいと思います」
うん、婚前に位の高い貴族の屋敷に行儀見習いと言う名の奉公に出ることは珍しいことでは無いし、むしろ良い経験になるから両親も喜ぶと思ったのよね。
実際に、帰路についてから報告したら喜んでくれたけれど、まだ先の話だということでその時はそれで終わったのよね。
ルイ様のご両親から正式にお話を受けたわけでも無かったし……。
そうして私が署名をした書類を確認すると、ルイ様は満足そうに頷いた。
ちなみに、アウル王国では仮契約であれば未成年者のみで契約を行うことはわりと一般的なことなので、特に抵抗もなく署名をしていたわ……。
もちろんそのことに関しては、お父様に報告をしているわ。ただ、ましてや婚約のことでは無くて、奉公の仮契約をしたと伝えたのだけれど……。
「まだ正式な契約ではないし、僕も来週からスワ国に一年ほど仕事で滞在しなくてはならないから、……そうだな、また一年後のカトリーヌの誕生会に来て欲しい。その時改めて話をしよう」
「はい、結構です」
またお辞儀をし、退室して会場に戻ったけれど……。
「……あれって……まさか……」
途端に、背筋が冷たく感じて冷や汗が出てきた。
「ま、まさかあれって、あの契約書って……」
思わず立ち上がって、気がついてしまった事実の大きさに立ち尽くす。
「あれは……婚約の仮契約の様なものだったのかしら……。仮契約って言っていたし……」
呟いたら力が抜けて、椅子に崩れる様に座った。
「と、ともかく落ち着かなければ……」
深呼吸をして現状を把握するために巡らせる。
そう、確か件の一年前の誕生会にはもちろん出席をして、ルイ様とも会場でお会いした際にお話をしたわ。
……だけど、そうだ。私は奉公のお話はどうなったのかと思いながらも、近況の報告をしたんだ。
『そろそろ婚約者を探すためにデビュタントの準備をしようと思っておりますが、去年のお話はどうなっておりますでしょうか』
わぁぁぁあああああ。
てっきり奉公のお話だと思っていて、まさか婚約のお話だと思っていなかったから……。あんな風に婚約者を選別するなんて、聞いたこともなかったし……。
そ、そうよ。あの婚約の仮契約? の書類自体に、一体どれだけの効力があるのかも分からないわよね。
それで婚約を破棄させて欲しいというのも無理があるし、お父様へお話を通さないのもおかしいし。
ただ、……そうだ。その書類はてっきり奉公の契約の書類だと思っていたから、要項を流し読みしてしまったかも……。
それにしても、私は何故今までこんな大事なことを忘れていたんだろう……。
思い返せば、奉公の話は書類も書いたしかなり張り切っていたのだけど、何の音沙汰も無いし一年前の会場でルイ様に訊ねても言葉を濁して立ち去ってしまったから、てっきりその話自体流れたものだと思い込んでいたんだわ。
……そういえばあの時、ルイ様は何か大切なことを仰っていたような……。
『それでは僕の方からアデール伯爵にご挨拶をしたいから、これから会場に同行願えるかな。あの書類は仮契約のもので一定期間の効力しか無いんだ。正式な契約は来年結ぼう』
……そうだわ。あの時ルイ様はそう仰っていたのだけど、てっきり奉公の話だと思っていた私は……。
『そうですね。ですが、ルイ様のお手を煩わせることではありませんので、父には私から話を通しておきますので』
よ、余計なことを言ってしまっていた……。
そもそも、奉公の話だったらルイ様から説明していただいた方が良かったと思うけど、あの時の私は、流石に突然娘の奉公先が決まったらお父様もお母様も驚きになられると思ったから、一旦持ち帰ってから説明したかったのよね……。
『承知した。では、時折手紙を送るよ。……これからお互いのことを交流していこう』
お手紙……。そうだわ。お手紙でのご交流もご提案いただいたのだけど……。
『いいえ、ルイ様はこれからお仕事でお忙しいでしょうし、お手間を取らせるわけにはまいりません』
……ああ、思い込みでルイ様の言葉の意味を履き違えてしまったのね……。
私はしばらくテラスから見える庭園を眺めながら小鳥のさえずりを聞き、心を落ち着かせようと努めた。
「……確か招待状が届いていたわ」
思い当たると、すぐに自室へと戻るためにテラスを後にした。
ご覧いただき、ありがとうございました。
次回で最終回となります。お付き合いいただけたら嬉しいです。
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