第2話 手がかりは…
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翌日の朝。
乳母のアンはいつものように入室すると、部屋のカーテンを開き洗面器に人肌のお湯を張ってくれた。私はベッドから身を起こして軽く伸びをする。
「おはよう、アン」
「おはようございます、リリスお嬢様」
アンは私が産まれる前からこのアデール伯爵家の屋敷で女中として働いていたらしい。
だけど私が産まれた一年前に、アンも子供を産んでいたのもあって、お母様の勧めで乳母になってくれたと聞いた。
元々アンは王都の商家の出で、今はフットマンの男性と結婚して屋敷の近くに住居を構えて通いで来てくれてる。
「お嬢様。本日は午前中にスワ語の教師サリー先生がいらっしゃる予定ですよ」
「そうか、今日は月曜日なのね。サリー先生の授業はとても分かりやすいから好きなの」
洗面器で顔を洗って布で拭き取り、アンが既に用意してくれた衣服に着替えるためにまずコルセットを身につける。
この作業はアンが手際良く行ってくれるからか、最近ではあまり苦に思わなくなった。
「……そういえば、サリーさんはルイ様のお宅の家庭教師もされていらっしゃいましたよね。お嬢様、この際サリー先生にお伺いをしてみてはいかがですか?」
「サリー先生に? なんて訊けば良いのかしら」
「それはもちろん、ルイ様のご婚約者に関してです」
アンの用意してくれた紫色のドレスを身につけながら、思い巡らせてみる。
うーん、サリー先生か。彼女は口が軽くはないんだけど、授業中にあまり余計なことは言えないタイプなんだよね……。
この間スワ語で「好きな食べ物は何ですか」って聞いたら「私のことはどうでも良いのです」ってスワ語で言い返されちゃったし……。
ちなみにスワ語は主に隣国のスワ国で使われてる言語で、アウル国の母国語アウル語とは単語や発音は違うけど文法はほぼ同じなので、この国の貴族から人気が高く子息や子女は皆習っている。
「ともかく、あまり手がかりも無いことですし、数少ない伝を頼るしかないのではないですか?」
「そうね……。うん、聞いてみるわ!」
ともかく一念発起しなくちゃ。
案の定あまり寝付けなかったし、一晩明けても晴れてくれないこの胸のモヤモヤをなんとかする為にも……。
「それにしても、お嬢様の髪は亜麻色で美しいですね。……こんなにも愛らしいお嬢様を侮辱するようなルイ様は、私はあまり好きではありません」
「アン……」
私の髪にブラシでかけるアンの優しい手つきに、思わず涙が滲みそうになる。
……そうだ。私は今までルイ様がどうしてあんなことを言ってきたのかその意向が分からなくてその真相ばかりが気にかかっていたけど、そもそも私、昨日生まれて初めて振られたんだ。
……全く身に覚えがないのに、心を傷つけられたんだ。
そう思うと、なんだか怒りが込み上げてきた。
「これはもう、必ず真相を究明して抗議の手紙の一通二通、ううん、直接赴いて文句の一つや二つ言わないと気が済まないわ!」
「そうですよお嬢様。その意気です!」
アンに鼓舞してもらってますますやる気がみなぎって来た。
うん、今まで受け身でばかりいたけれど、これからは自分から積極的に動こう。
誓いながら、朝食のフレンチトーストを口にした。
□□□□□
午前十一時半頃。
私の私室でスワ語の講師のサリー先生が、教科書を開いて授業を続けている。
九時から始まったから、もうかれこれ二時間近く続いているし、いつもと変わりない時間設定ではあるのだけれど、今日は気がかりな案件があるだけに長く感じた。
「……それでは、ここで本日の授業は終了しますが……、何かご質問はありますか?」
この時を待っていたの! そう、毎回授業の終了間近に設けられているこの質問タイムを!
「……サリー先生。……質問があるのですが……」
「……なんでしょうか?」
「あの、その……」
いざ聞こうと思うと身体が震えて来て、口が上手く開いてくれない。
でも今聞かないとサリー先生の授業はあと一週間待たないといかないし、そんなに待てそうに無い。うん、勇気を出さなくちゃ。
「……サリー先生は、その、……ベルナール公爵家の家庭教師でもいらっしゃいますよね?」
先生は口元に手を当てて、鋭い視線を向ける。
「……それは授業とは全く関係の無いことです。他にご質問が無いようでしたら、私はこれで失礼致します」
テキストをまとめて帰り支度をし始めたので、内心ため息をついた。
ううん、確かに個人的なことだし、先生も「個人情報」を守らなければいけないだろうから下手に教えられないんだ。
だったらせめて、何か一つで良いから情報が得られないかな……。
「その……婚約のことなんですけど……」
気がついたら何も包み隠さず前触れもなく、要件を口に出してた。
「……婚約?」
流石のサリー先生も、この流れでまさかそんな単語が飛び出すとも思わなかったみたいで、不意をつかれたような表情で私を見てる。
よし、きっとチャンスは今しかない。サリー先生は口が固くご自身できちんとご判断をされる方だから、甘えてるかもしれないけれど、うん、打ち明けよう。
「……実は、昨日ベルナール公爵家のご嫡男のルイ様がこのお屋敷をお訪ねになられて、私との婚約を破棄されると仰ったんです」
「リリスお嬢様が、ルイ様にご婚約を破棄されたのですか?」
「……はい。……でも私、ルイ様と婚約してた事実も覚えも無いんです」
サリー先生は眉間に皺を寄せながら額に手を当てて何かを考え始めたけど、やがて何かに思い当たったのか、顔を上げて真っ直ぐに視線を合わせる。
この視線がまた射抜かれるんじゃないかと思うほど鋭くて……。
「お話は分かりました。ですが私は外部の人間ですので、それぞれの家に関わる様なことに対して、口を挟む様な行いは出来ません」
尤もだった……。
「ですよね。ごめんなさい、こんなことを聞いてしまって」
サリー先生は、教科書を自身の鞄に入れて眼鏡の位置を直すと、少しだけ表情を和らげた。
「……ですが、良く思い出していただければ、自ずと答えは見つかるのではないでしょうか」
「……………え?」
「手がかりは誕生会です。二年前にベルナール公爵家で開かれた誕生会にお嬢様も私も出席したでしょう? その時のことを思い返してみてください」
そして、形式的なお辞儀をしてから退室して行った。
「誕生会……?」
私は深い靄が少しずつ晴れて来るのを感じながら、件のルイ様のお誕生日会のことを思い返すことにした。
ご覧いただき、ありがとうございました。
次話も、お読みいただけると幸いです。
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