新しい世界 Ⅱ
腰を少し落とし、構え、ゆっくりと深呼吸をしてから、突く。叩く。払う。基本動作を一通り確認してから、今度は腰を上げ、ステップを踏みながら、基本動作を繰り返す。
腕より若干長いくらいの木の棒に持ち手をつけた2本1対のそれは、前世からの相棒の武器だった。
この武器は、衝撃を相手の内に通すものだ。だから、相手の身体の構造、呼吸のタイミング、筋肉の凝固の隙間などをよく観察して振るいなさいと、前世のときに師匠から厳しく教わっていたが、まさかこの異世界その知識が役に立つとは思っていなかった。
基本的に、武器は、閉鎖空間を除いて、リーチが長い方が有利だ。ナイフよりは剣が、剣よりは槍が、槍よりは弓が、弓よりは魔法の方が相手より早く攻撃をすることができる。それを理解した上で、トンファーを使っているのは俺も師匠も、この目に適していたからだ。
瞳を閉じ、意識を集中し、脳内の景色と現実の世界をリンクさせる。目の奥が焼き切れそうな痛みを堪えながら、その目を開く。
世界が、赤く染まっていた。空が、木が、鳥が、森が、全てが赤い色に染まっている。いや、よく見ると、鳥の体に白い細い線が張り巡らされている。それは、鳥だけではなかった。遠くにいる鹿や、川を泳ぐ魚を始めとして、すべての生き物に例外なくその線はあった。
―――毎度、慣れない不気味な世界。それでもこの異世界でもこの目なのは、幸福なのか?
目をゆっくりと閉じ脳内の景色と現実世界のリンクを外す。
師匠曰はく、その線は血管ではなく、生き物の生命力が流れているものらしい。その性質は、水のようなもので、切っても切れるものではない。だからこそ、断ち切るのではなく、内部破壊に適したトンファーを選んだ。もっとも、生前は使う機会なんてなかったのだが。
もう一度構え、今度はステップをしながら腰の回転を利用して、突く。叩く。払う。この動作を繰り返し何度も何度も行う。すべては、安全な生活のためだ。自分の中のイメージと自分の体の動きが一致したのを確認してから、構えを解く。
―――ふう。今日はこれくらいでいいか
最近は、弓の鍛錬よりもこちらの方に重きを置いている。前世の師匠に習っていた、トンファーだ。この世界にそんな武器は無いらしく、木を切って、削って作成した。身の丈に合わせて作ったため、前世のものより一回り小さい。
―――さて、今日何の果物を採取して、帰ろうか
目を覚ましてから4年。春を感じる暖かい風を感じる今日この頃。焦燥感だけが、大きくなっていた。
□
「学校?」
「ああ。私の友人からの推薦でね。才能の原石を見過ごすのは惜しいそうだ」
「随分急な話ね。まあ、話自体は以前聞いていたけど…。アウはどうしたい?」
「学校って何をする場所?」
「貴族と平民が関係なく様々な勉強をするところかな。魔法や魔物、歴史を始めとした知識を学ぶ座学はもちろん、対人戦や組織としての戦い方も学ぶことができる。最短で3年で卒業することができて、卒業生の殆どが人を守る仕事に就くことができる」
―――それは凄いな。それに、魔法や歴史について滅茶苦茶興味ある!美女はいるかな!?
「明後日、遺跡の調査の帰りにオリバーがこの村に寄る。それまでに、行くかどうか決めなさい」
夕食の最中に、父さんから突然が告げられた学校の話。そりゃ、興味がないといえば嘘になるが正直、この村や家族のことを置いて遠くに行くことに躊躇いがある。それに、明後日とは何とも急な話だ。
「オリバーさん?懐かしいわね。元気だったのかしら。まあ、あの人だから、問題なさそうよね。以前来たのは、4年前…」
母さんがスープの口に運びつつ、視線を上にし、記憶を辿る。今日の夕食は、濃厚なトマトスープに焼き立てのパンだ。
「いえ、3年前だったかしら?」
「…うん。3年前だね。そのときは直ぐに立ち去ってしまったから、アウは今回が初めてだね」
「オリバーさんって、どんな人?」
父さんは口に入れていたパンをゆっくり咀嚼し、飲み込んでから答える。
「魔法使い、かな」
「魔法使い…」
「以前、貴族しか魔法を使えないと教えたけど、実は正確に言えば違う。魔法は、感応石を使えば、ある程度は使えるんだ。けど、感応石が希少で高価なことと、その危険性から、一般の流通には流してはいけないことになっている。そんな感応石の調査をしつつ、魔法の研究をしているのがオリバーという男かな」
「感応石が危険…?」
「うん。魔法とはエネルギーを使って発動するものなんだけど、それが何のエネルギー分かっていないんだ。1つ分かっているのは、魔法を、感応石を使用していると心身に悪影響を及ぼすとうことだけ。だから、魔法は貴族しか使わないし、使えない」
「それじゃあ何で僕を学校に?」
「魔法が全てではないからね。何より、アウは弓が上手で力も強い。それを、人を守ることに使う道も私はあると思う。何より、外の世界に触れる良い機会だから」
まあ、よく考えて決めなさいと、父さんは会話を打ち切った。相談はしても良いが、決断は自分1人でしなさいという、幼い頃からの教えは今も継続されている。
□
「外の世界、かあ」
丘の上でゴロンと寝転がりながら空を眺める。白い雲が、競うように流れていく。
村の方から誰かが、走ってくるのが分かる。この足音はミーちゃんのものだろう。
ミーちゃんは、僕の傍にたどり着くと、呼吸を整えながら口を開いた。
「ロー君、どこか行っちゃうの?」
「…どうだろう。けど、どこか行ったとしても、何時か絶対に此処に戻ってくるよ」
「い、嫌!行かないで…!ずっと一緒にいようよ…」
瞳に涙をいっぱい貯めて叫ぶミーちゃん。大方、誰かから学校に行くかもしれないという話を聞いたのだろう。それで急いで俺の元に走ってきたのだ。俺は立ち上がり、ミーちゃんを抱きしめ、頭を撫でながら説得を開始する。
「ごめんね、ミーちゃん。俺、弱いから。強くならなきゃいけないから。みんなを、守りたいから。学校行って、強くなるよ。大丈夫、直ぐに戻ってくるからさ」
「弱くていいよ…。強くならなくてもいいよ…。だから、一緒にいて…」
「ごめんね。ミーちゃん」
小さくしゃっくりを上げるミーちゃんのことを黙って抱きしめることしかできなかった。
□
「その選択に、後悔はないかな?」
「うん。大丈夫」
「そっか」
俺が、学校に行く旨を伝えると、お父さんは優しく微笑んだ。母さんは、「頑張りなさい」と寂しさを隠し切れない表情をしながらも、応援する意思を示してくれた。
「それじゃあ、これを持っていきなさい」
そういいながら、タンスの奥から取り出してきたのは、青い勾玉のネックレスだった。暖炉の光を浴びて、鈍く光っているように見える。
「これは、肌身離さず身に付けていなさい」
言われるがまま、ネックレスを身に付ける。アクセサリーをつける習慣がなかったため、少しこそばゆい。お父さんは、アクセサリーをつけた俺を見て、満足そうに一度頷いてから、俺を優しく抱きしめた。
「アウ。君は愛されて生まれてきたことを忘れてはいけないよ。勿論、私もアウを愛している。どんなときも、独りではない」
「…ありがとう」
そう返し、俺もお父さんを抱きしめる。母さんは鼻をすすりながら少し泣いていた。普段、涙を意地でもみせようとしないが、涙もろく心配症であることを俺は知っている。
―――絶対に。絶対に俺が、家族を、村のみんなを守る。
そして、出発の時刻が迫る。