プロローグ
日外は激怒した。必ず、性欲に塗れた上司の欲望を取り除かなければならぬと決意した。日外には正しいことがわからぬ。はっきり言って学力は低い。高校生のとき、勉強なんぞ役に立たん、と高らかに叫んだ。テストでは、いつも赤点スレスレだ。歴史の資料集は変顔コレクションと化した。
けれども悲しみに対しては、人一倍に敏感であった。
朝食に納豆に白飯を食べ、ゆっくりと出社したメロスは自分のデスクにやってきた。日外には父も、母もいない。内気な妹とも、日外が16歳の時に家を飛び出してから会っておらず、今は1人暮らしだ。
それでも、日外には気が合う後輩がいた。田中である。同じ釜の飯を食べ、同じ数だけ頭を下げ、そしてそれに負けないくらい共に笑った友だ。
そんな田中に元気がないと気づいたのはつい先日。あからさまに元気がなく、心なしか目の下にクマができている。どうしたのかと尋ねても、何でもないです、の一点張りであった。
しかし、原因は直ぐに判明した。噂好きの40代後半のOLから聞きだすことに成功したのだ。
「上司は、セクハラをします」
「何故セクハラをするのだ」
「向こうが誘っている、というのですが、誰もあんなのに好意をもってはおりませぬ」
「たくさんの人にセクハラをしたのか。」
「いえ、ハアハア言いながら凝視するだけです。控えめにいって気持ちが悪い」
「おどろいた。上司は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。ただの拗らせおじさんです」
聞いて、日外は激怒した。
「呆れた上司だ。遊ぶ…。天誅を下さねばならぬ」
日外は何事も楽しくしたかった。できるなら、みんなと笑っていたいのだ。そんな子ども染みた感覚を捨てきれずに、いつの間にか大人になっていた。
日外はまず、サバイバルゲームに上司を誘った。元々銃に興味をもっているのは、自分のデスクに置いてある銃の模型を凝視していた姿から確認していたのだ。
そして、上司はⅯ4を手に。日外は弓を手に戦場を駆け抜けた。
ある日は上司を銃弾から庇い。ある日は後ろから上司を射抜き。またある日は協力して敵を倒し、勝利した。
上司の顔は、明るく輝いていた。
□
「最近、上司の顔が穏やかになりましたね」
「そう?気のせいじゃない?」
「気のせいな訳ないじゃないですか。ついこの前までは、何ていうかこう、目をぎらぎらさせていたのに、今では穏やかなおじいちゃんって感じで」
「穏やかなおじいちゃんねぇ」
田中と、安い速いの牛丼で昼食を済ませ、近くの公園で一休み。雑談をする田中の顔は明るい。
返答をしながら、昨日のサバイバルゲ―ムの内容を思い出す。裏取りがバレた瞬間に、「うおおおおおおお!!」と叫びながらミニガンをぶっぱなして、怒りのランボーしていた上司の姿。
あれだけ気迫を込めてプレイしていたら、そりゃあ穏やかにもなるかなと苦笑する。上司はこちらの想定を遥かに超えるほど、サバイバルゲームにハマった。一応、大豆めぐりの旅という第2プランも用意していたのだが、そんな必要はなかったらしい。
「それにしても、よかったですよ。僕の彼女、上司の視線が怖いって前まで悩んでいたんですけど、今は全くそんな視線はなくなったって。やっと安心して仕事できます」
「それ、初耳だぞ」
勿論、嘘だ。
「そりゃそうですよ。先輩にこんな話したら、ラリアットでもしかねないじゃないですか」
「俺のことを何だと思っているんだよ!」
「自分の胸に手を当てて振り返ってください。元パワハラ上司のパソコンにドッキリのウイルス流し込んだり、取引先にさよならケーキ顔面にたたきつけたり。挙句の果てに、先日上司をサバイバルゲームの中で射抜いたらしいじゃないですか」
「何のことか分からないなあ」
勿論、すべて理由があってやったことだ。反省も後悔もない。…多分。
元パワハラ上司、言葉で通じなかったため、一週間「お前を見ている」という文字が起動時にランダムで画面に出るようにした他、めちゃくちゃ動作を重くした。その結果業績はみるみる落ち、同僚にへこへこ頭を下げなければいけなくなった。勿論その後はみんなでフォローを上手く行い、パソコンも元に戻した。今では良い上司である。
取引先は吐き気を催す邪悪だった。こちらの企業の情報を抜き取り、利用するだけ利用しようとしたのだ。証拠をしっかりと掴み、今後このような事があったら直訴すると伝えた上で、ケーキを顔面にたたきつけてきた。ケーキに罪はない。ごめんよ。
今の上司を何故射抜いたのかって?そんなの理由なんてあるわけないじゃないか。何となくさ。大丈夫、当たっても痛くは無いように加工しているからね!
「ってそうじゃない。そういえば、聞きましたよ。先輩が柄にもなく花束を持って街中歩いていたって。先輩、そういう浮ついた話全然聞かないですけど、やっぱり見えないとこでやることやってたんですね」
「何言っているのだか。そんなアホな話を信じるようだから、お茶にからし入れられても気付かないんだよ」
「何か辛いと思ったら、やっぱり先輩ですか!危うく噴き出すところだったんですよ!」
笑って誤魔化し、笑いごとじゃないですと田中が口を尖らせながら言うのをよそ目に立ち上がる。
「さあ。午後も気合いれていこう」
□
「先輩―!この後飲みにいきませんか?」
「唐揚げにレモンかけないならいいぞ」
「いつまで根に持っているんですかそれ…」
「冗談だ。たまには、飲みにいこうか」
退社後、今日は珍しく田中と駅に向かって歩く。普段なら田中は恋人と帰るのだが、今日は俺と残業があったため、恋人は既に帰ったそうだ。全く、傍から見ても2人ともお似合いで、何とも羨ましい限りだ。
「「「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」」」
響き渡る悲鳴に後ろを振り向くと、真っ赤な液体に濡れた刃物を手にした男の姿。
男は田中を見ると、ニタニタしながら田中に向かって走りだした。
「田中っ!」
考えるより先に身体が反応した。呆然とした田中を横から体当たりするように庇う。
ドスっとわき腹に突き刺さる感覚と同時に焼けるような痛みが走る。
「っち!」
走り去る男を尻目に、膝から崩れ落ちる。田中が何か叫びながら近寄ってくるが、上手く聞き取れない。反射的に刺された部分を手で押さえるが、血が止まる気配はない。どくどくと脈打つ度に血が溢れ出す。全身の寒気が止まらない。おぼろげな視界の中で、誰かの姿を見る。
君、なのか?迎えに来てくれた…のか?
俺は、君にずっと伝えたいことがあったんだ…。
ぼやけた視界がはっきりする。そこにいたのは、あの日から姿を消した彼女の姿ではなく、顔を真っ赤にしながら泣き叫んでいた田中だった。
「先輩っ!先輩っ!今、救急車呼んで!直ぐに来ますから!だから、だから、死なないで…!」
「なあ、田中」
遠のいていく意識。それでも、伝えなければいけないことがある。
「先輩っ!もうすぐです。もうすぐ救急車来るはずです!それまで、それまで…!」
「楽しかったよ。ありがとうな」
「何弱気なこと言っているんですか!まだまだ人生ここからですよ!
まだ京都の旅行にだって行ってないじゃないですか!楽しみにしてたでしょう!
苔寺一緒に見に行きますよ!」
「彼女を、大切に。笑顔を、絶やさないように」
「先輩っ……!」
血って暖かいんだ。知らなかったよ。いや、こんな形で知りたくなかったけどさ。
それにしても、我ながらひどい人生だったなあ。勉強さえしていれば、いつか彼女を幸せにできると妄信して。助けを求めていることに気づいたのは、君が姿を消したあとで。勉強なんか、何の役にも立たなかったじゃないか、と家を飛び出した。そんな俺を、見ず知らずの師匠が救ってくれて。いつか何処かで会えるかもしれない、何て淡い期待を胸にここまで生きてきた。
(今度こそ君を、笑わせたかった…)
その思考を最後に、意識が途切れた。
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