接触
確かに何かが天高く霧を切って、昇って行った。
幼いながらもしっかり者と評判の少女ラヴィは、その軌道から目当ての物を探り荒れるべく、空を見上げ頭を細い首でしっかり固定し、視界の悪い白い霧に目を凝らした。
キラリと小さな赤い光が現れる。
「あっ!!」
思わず笑みがこぼれる。
右へととと、左へととと。
上を見ながらの足取りは覚束無いが、ラヴィの黒い瞳は小さな赤い光を逃さない。
ラヴィはその小さな手を受け皿にしようとして、ふと思い留まると、身に付けている白いエプロンの裾の両端を掴み、自分の身体の前に持ち上げる。
これなら掌よりも、ずっと受ける面積が広い。
見上げていると小さな赤い光が消えた。
「え!? うそ!!」
目印が無くなりラヴィは慌てた。
だが再び小さな赤い光が現れる。
ラヴィは心底ホッとした。
すぽん。
ピンと張った白いエプロンが沈む。
ラヴィは沈んだ場所を覗き込んだ。
ゆらりと揺れて小さな赤い光が浮いている。
「ナイスキャあッチ!!」
その声に反射的にラヴィが顔を上げると、美しい黄金の瞳が満面の笑みを伴って出迎えた。
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ナイスキャッチじゃねーよ。
オグルは内心ボヤきながら、目の前にある光景に目を細める。
そこにはオグルより背の高い、一本の氷柱が立っていた。
中には大きく口を開けその牙を武器に、獲物目がけて今にも飛びかからんという勢いの野犬の姿がある。
そこに生命の有無を感じる事は、オグルにはでき無かった。
いやもう、どこからどう突っ込んだらいいか分からない……と言った方が正しいだろう。
オグル自身、心配の必要性などないと思っていたし、だからこそ自分は自分がしたい事を全うできたのだから。
だが、しかし……である。
「魔法っていうやつで、いいのか?」
魔法という存在がある事は、例え辺境の村の人間だとしても、常識の範囲として知れ渡っている。
だが、実際に見るなんてことはまず無い。
いや、勇者が大魔王を倒すより以前だったなら、もしかしたら目にすることが出来たかもしれないが、それも十年前の話で、当時オルグは四歳だったし、ラヴィに至っては影も形もない過去の話である。
それでも魔法の一言で片付けていいのかさえ、疑問に思える。
確かにあの時、藍色のフードローブを纏う存在は野犬に背を向けており、今ではラヴィのもとへと歩み寄っている。
野犬と対峙した事実など無かったかのように……
目の前の敵に背を向けても、魔法というのは効果を発揮するのだろうか?
武器を手にして戦う事しかできないオグルには答えが出ない。
「必死で戦った自分が馬鹿みてーだ」
勿論、本気で言っている訳では無い。
だが現実的に考えればそうなるのである。
オグルの身体は傷だらけで服もボロボロ、自分の血と野犬の返り血で異臭を放っていた。
だが、いつの間にか出血は止まり、痛みもなくなっている。
傷が治ったわけではないが……
戦いの最中は痛みを感じない事がある、という話は聞いたことがあるが、多分違うのだろうとオグルは結論付けた。
「格好悪ぃ……」
生きているだけでも儲けものなのに、生きていたら生きていたで文句が湧いて出てくるのだから、人間という物はどこまでも欲深い生き物である。
全く不純物を含まない氷柱の中にいる野犬の方が、ずっと価値があるような気がして腹が立つ。
オグルは氷柱に近寄ると、八つ当たり混じりに刃を失い鍬の柄だけになった棒の先で小突いた。
バキン……と音を立てたかと思うと氷柱は粉々に崩れ、空に消えていく。
その中にあった野犬の欠片ひとつ残さずに……
灰すら残さず焼き尽くす……なんて言葉の冷気系ヴァージョンと言った所か……綺麗サッパリあとかたもなく、である。
「あ、潰れた」
「えっ!? いや、壊すつもりはなかったんだ!! すまん!!」
藍色のフードローブを纏う存在のその声に、オグルは焦って謝罪した。
振り向いた藍色のフードローブを纏う存在の黄金の瞳と、オグルの黄土色の瞳がぶつかる。
「え?」
「え?」
「え?」
しばらくの沈黙。
「あ、いや……その……氷が……」
「ソレは潰れても構わないというか、潰れろ?」
「あー、うん。ですよねー……」
首を傾げてクスクスと笑う藍色のフードローブを纏うの存在に、オグルは赤茶色の短い髪をガシガシと無造作に掻いた。
「改めて、ありがとな。俺はオグルで、そっちがラヴィ」
「ラヴィです。助けてくれてありがとうございました」
気を取り直して、オグルは藍色のフードローブを纏った存在に頭を下げ、ラヴィもまたそんな従兄であるオグルに習って深々とお辞儀をした。
「別に礼はいらないというか、そもそも僕が一昨晩に逃がした犬共だから、今回の件は僕の方に非がある」
済まなかった……と、藍色のフードローブが頭を下げる。
どう考えても自分より格上であろう存在からの謝罪に、オグルは焦った。
「え、あ……えー……じゃ、じゃぁ、お相子って事で!!」
はっきり言ってそれもどうかと思うけど……というのがオグルの本音である。
例え今回現れたのが藍色のフードローブを纏う存在が逃した野犬だとして、それが失態になるのか? と聞かれれば「ならない」が答えである。
藍色のフードローブを纏う存在が逃がした野犬が、自分達を襲う事を誰が知っていたと言うのだ?
だいたい一昨夜に逃した野犬と今日の野犬が同一であるなど、どこにその証拠がある?
勿論、過去を覗く道具や魔法があればできない事もないだろうが、現時点でそんなものは用意出来ない。
野犬と因縁が有るとは言っていたが、その内情など告げなければオグルには知り得ようも無い事なのである。
それなのに藍色のフードローブを纏う存在は、わざわざ自分が不利になる証言をした。
なぜそんなことをする必要がある?
「でも助けてくれたよ」
オグルの疑問を他所に、ラヴィが藍色のフードローブの裾をキュッと握ってそう告げた。
「腕も痛くない」
ラヴィが凍り付いた傷口を嬉しそうに見せる。
「そう、良かった」
藍色のフードから覗く表情が柔らかく微笑んだ。
「お名前、なんていうの?」
ラヴィが無邪気に訪ねる。
「お、おい。駄目だラヴィ! 済まない、言いたくなければ言わなくていい」
「え? どうして? 駄目なの?」
オグルは藍色のフードローブを纏う存在からラヴィを引き離し、自分の腕の中に引き入れる。
ラヴィはオグルの言っている意味が分からずに、キョトンとなった。
「オグルの言う通り……かな」
「え――――」
ラヴィは不服そうに頬を膨らませた。
そんなラヴィの言動に藍色のフードローブを纏う存在は、何かを思い出したかのように喉を鳴らして笑う。
「「?」」
オグルとラヴィが不思議そうな表情をする。
「いや、済まない。あまりにも僕の仲間と同じ反応をするから」
その表情はとても優しい。
「それはまた大変だな」
「そうでもないよ」
日々ラヴィのお転婆振りに振り回されるオグルの同情とも取れる感想に、藍色のフードローブを纏う存在は首を横に振る。
「……凄く嬉しい」
その言葉にオグルとラヴィは顔を見合わせた。
「じゃぁ、傷を治してくれたお礼に、家で朝ごはんくらいは用意させて! いいでしょ!!」
「もうすぐ霧が晴れる。そうすれば多くの人間がここへ来るだろから、その前に僕は姿を消したい」
ラヴィの懇願を余所に、藍色のフードローブを纏う存在はそう告げた。
その言葉にオグルは未だ誰一人、ここへと姿を見せていないことに気が付いた。
いくら霧が深いからと言って遅すぎる。
戦いに必死になり、その事がオグルの頭から抜け落ちていたのだ。
もうすぐ霧が晴れる?
確かに夜明けは近い、日が昇れば霧は晴れるかもしれない。
だが霧は晴れない可能性もある。
自然現象として、今朝ほど深い霧ならば……
それでも霧が晴れると断定できる理由は?
この霧は本当にただの霧なのか?
「お前は『何』だ?」
「魔物だよ」
顔色一つ変えずにあっさり返ってきた答えに、オグルは歯を食いしばった。
「人間とか喰ったりする?」
「食べないよ」
「じゃぁ好きな食べ物は?」
「天津炒飯」
「なにそれ?」
「僕が作るわけじゃないから詳しくは知らないけど、味付けして炒めたご飯に、ふわっふわの卵を乗せて、トロトロのあんがかけられた一品さ」
「今日の朝飯、溶き卵とワカメのとろみスープなんだけど、喰ってかない?」
「え? いいの? 食べる!!」
「言質取った」
「あ……」
不味った……と藍色のフードローブを纏う存在が、整ったその表情をあからさまに崩す。
「魔物に……」
「二言は無い……よ」
オグルの言葉に藍色のフードローブを纏う存在が、その先を続ける。
やれやれと視線を泳がす藍色のフードローブを纏う存在に対し、オグルは白い歯を見せて笑った。
「あと、あの頭が陥没した野犬の説明を、頭の固い連中にして欲しい。人間の俺には逆立ちしてもできない芸当なんで」
「……」
「野犬逃したの、悪いと思ってんだよな?」
「……あー、分かったよ、証言する」
観念、とばかりに藍色のフードローブを纏う存在は両手を挙げた。
七話です。
サブタイトルと文章構成に四苦八苦。
とはいえ、趣味ダダ漏れな内容はいつもの如く楽しく書けたので良しとする。
次話投稿予定は未定です。