邂逅
時を遡ること九年前、森の地下深い洞窟の中で、スライムは生まれた。
思ったより小さい身体ではあるが、生命維持に困難な様子はない。
暗く静かな闇の空間は、大魔王様の加護による魔力で満たされ、洞窟の地面には魔水の水溜まりが広がっている。
ただ周りを見渡しても、仲間のスライムの姿が見当たらない事にスライムは少し疑問に思ったが、洞窟内を満たす大魔王様の魔力から、いずれ仲間は増えるだろうと思い至り、その後は何も考えずに快適な洞窟ライフを満喫していた。
それから五年、スライムは再び思う。
仲間が増えない。
地下深い洞窟にいるスライムに、地上の様子は皆目検討がつかない。
洞窟内に変化はない。
スライム独り、何事もなく過ごせる。
ひんやりとした魔力を帯びた空気は、熱を苦手とするスライムにはとても心地よく、体力が減れば魔水をひとすすりするだけでいい。
洞窟のあちこちにへばりついて移動し、天井に登っては地面に広がる魔水の水溜まりへダイブ。
スライムお気に入りの遊びであった。
単細胞魔法生物であるスライムに、複雑な思考回路は存在しないので、危機感に対する感情も薄い。
そもそも『何か』あったのであれば、洞窟内に大量のスライムが発生するのだ。
スライムが独りである事、言い換えればそれは、何事も無いという証なのである。
しかし一体のスライムしか誕生しないというのも稀な事。
スライムは群でこそ真価が発揮される。
それを考慮すると、ひとつの場所に一体のスライムしかいないということは、確かに異例と言えた。
スライムの増殖手段には、大魔王様の魔力から以外に単細胞分裂があるのだが、スライムは生まれつき身体が小さく、これ以上の分裂は生命危機となるため、それは問題外となる。
スライムとして誕生した以上、役目以外で消滅をする事は大魔王様への背信行為。
いくら人類に小弱魔物のレッテルを貼られているスライムとはいえ、それだけはできない。
大魔王様からの緊急招集もかからない以上、持ち場である生まれたこの洞窟を離れる事も勿論できない。
スライムは地上を目指すべきか迷った。
こっそり地上に出て、何も無ければまた地下に潜ればいいだけである。
でも、呼ばれてもいないのに、持ち場を離れると叱られる……
地上にはスライムより、上位の魔物がたくさんいるのである。
それをスライムが案じるなど、不敬もいいところ。
結局スライムは、地下の洞窟で大人しくすることを選んだのであった。
更に四年の月日が過ぎた頃に、異変は起きた。
いつも通りスライムが天井にへばりつくと、その天井に異常な熱量を感じたのである。
あまりの熱さにスライムは、天井から慌てて身を離し魔水へと飛び込んだ。
スライムには何が起きたのかさっぱりわからない。
つい先程まで、いつも通りだったのに。
スライムが天井に意識を向けると、恐ろしいまでの熱源を持った光の粒子が迫ってくる。
最大級の生命危機。
光の粒子は瞬く間に洞窟内を侵食し、大魔王様の加護を打ち消していく。
幸い魔水への光の粒子の進行は遅いが、それも時間の問題である。
スライムが誕生してより九年、異常事態なんてものでない。
魔水に浸かっているとはいえ全身ではない。光の粒子が蔓延する空間に身を晒している部分は、その熱にジリジリと焼かれるのである。
そして焼かれた身を修復すべく、魔水を体内へと摂取する。
しかし大魔王様の加護が、なんの抵抗もせずに光の粒子に呑まれて消え去るなど、本来なら到底起きるようなことでは無い。
ずっと後回しにしてきた疑問がある。
既に九年前からこの異常事態は発生していたのでは?
だからここに居るのはスライム独りなのでは?
考えている間にもスライムのその身は焼けただれ、その修復に魔水は減り続ける。
こうしている訳にはいかない。
大魔王様に何かあったのならば、今こそスライムは役目を果たさなければならない。
行かなければ。
大魔王様の加護とそれを打ち消す光の粒子の境界線へ。
スライムは普段何もすることは無い。
大魔王様の加護の魔力と、スライムより上位の魔物に護られて、生まれた場所から離れることも無く、のんべんだらりと好き勝手に生きている。
それを咎める魔物はいない。
なぜならそれが魔物にとって平和の証だからだ。
だがその魔物にとっての平和が崩壊する時、スライムは役目を果たす為に生まれた場所を離れる。
そして多くのスライムが大魔王様と敵対する害的要素にその身をぶつけて魔力障壁という名の盾となり、消滅する際にその身に宿していた魔力が仲間の糧となり剣になるのである。
スライムは人類にとっては最弱の魔物。
だが仲間である魔物にとってスライムは、最終防衛ラインを任せられる最強の盾であり剣なのである。
スライムは自身に取り込められるだけの魔水を取り込み、身体を大きくふくらませた。
そして魔水の水溜まりを飛び出て、光の粒子が渦巻く空間へと飛び込む。
行かなければならない。
後戻りなど考えない。
仲間を守るのだ。
だがスライムの移動速度は遅い。
いくら魔水で身体を大きくしても、身体機能が向上する訳では無いのだ。
地上を目指す程に高熱を帯びる光の粒子が、スライムの身を焼いて溶かしていく。
修復に使える魔力の余分などない。
魔水で大きく膨らませた身体は、刻々と磨り減り縮んていく。
自身を焼き尽くさんとばかりの高熱に、少しでも抵抗しながら少しづつ前へ前へと進んでいく。
いったいどれほどの時をそうして費やしたのかは定かでは無いが、スライムはなんとか地上に辿り着くことができた。
幸い地上の時間帯は夜で、陽の光を考慮することも無い。
スライムの身体は、生まれた時より更に小さくなっていたが、消滅には至らない。
ならそれでいい。
スライムは大魔王様の加護と、害的要因の境界線を目指そうと意識を向ける。
見つからない
境界線が
大魔王様の加護が
どこ?
大魔王様?
どこ?
魔物は?
どこ?
皆は?
どこ?
スライムはどこに行けばいい?
草を分け大地を蹴る音がする。
近づくその音にスライムが意識を向ける。
犬。
十数匹の野犬群れである。
スライムは震え上がった。
こんな所で消滅する訳には行かない。
仲間の盾となり剣となるまでは、消える事は許されない。
スライムは慌ててその身を周囲に溶け込ませた。
スライムの身体は無色半透明、そこに魔力を用いる事で純透明化し周囲に同化する事ができるのである。
だが野犬はその瞬間を見逃さなかった。
空腹と苛立ちが狂犬度を底上げし、野犬達は久々の玩具にその異常とも取れる嗅覚をもって、草の根を分けて探し始める。
スライムはゆっくり、ゆっくりと移動する。
野犬から離れなければならない。
もう体力も魔力もギリギリなのである。
それでも役目は絶対果たす。
それだけがスライムの存在意義なのだから。
だが世は無常である。
魔力が生命維持を割りかけ、スライムの身体が周囲との同化から解け不透明にもどりぼやける。
一匹の野犬が勢いよくスライムに向かて駆け出した。
絶体絶命の状況に、スライムの身体が紫色に変色する。
「僕の仲間に何しやがる!!」
突然頭上から降ってくる声と、闇に溶けそうな藍色のフードローブ。
スライムにはわからなかった。
自分に襲いかかってきた野犬の頭を踏み潰し、そして次々と残りの野犬の頭を吹き飛ばして森を血の海に変えていく、その後ろ姿の行動が。
藍色のフードローブからは魔力が感じられない。
魔物ならば魔力を感じて当然である。
野犬は魔物では無いから魔力は感じない。
藍色のフードローブからも魔力を感じないから魔物ではない。
なら藍色のフードローブのいう仲間は野犬であるはずなのに、その野犬達は無くした頭の根元から、血の噴水を上げて地に伏していく。
でも魔力が感じられないのだから魔物では無いので、藍色のフードローブは魔物であるスライムの仲間ではない……
はずである
スライムに群がっていた、生きた野犬の姿はもうない。
「なんだ、根性ない奴らだな」
藍色のフードローブはその裾を翻してしゃがみ込むと、スライムを見た。
「しっかし、小さいなお前。標準の半分以下じゃないか?色もなんか変だし……」
金色の美しい瞳が笑う。
スライムは紫色に変色したまま身体が上手く動かないうえ、思考は停止寸前である。
ふわりとスライムの身体に浮遊感が訪れる。
近づく藍色のフードローブの小さな愛らしい唇。
ぽよん
スライムの柔らかい身体と、藍色のフードローブの白く柔らかいほっぺたが接触する。
「大魔王城を出てから、初めて新しい仲間に逢えたぁ~!!」
その言葉を聞くか聞かないかの間で、スライムの意識は暗転し……潰れた。
3話更新できました。
2話に繋がるスライム側の話です。
正直これを書くか飛ばして話を進めるかでかなり迷いました。
この手の話は嫌われる事もあるので……
自分も毎度毎度されると嫌いですのでその気持ちは嫌という程共感できます。
まぁ善し悪しは測れませんが、書き終えて良かったとは思っている次第です。