第百話 ワタリガニ
名倉憲也が海での投げ釣りに没頭するようになったのは、当時の職場の先輩に誘われて、知多半島先端近くにある中州漁港に行ったのがきっかけだった。
「昔はビール瓶サイズのアイナメがよく釣れたもんだ」
と自慢する先輩が指差す方向の所々に、竹竿が海面から突き出ている。
「あの竹竿は何ですか?」
「あの下辺りにワタリガニの捕獲カゴがあるもんで、釣り針をロープに引っかけんように気をつけてな」
竿を何本出すのかは、その日の状況を見て決める。日曜日の日中での人気の釣り場は魚の数より人間の数の方が多いくらいなので、となりの人の釣り糸とのオマツリを避けるために竿は一本しか出さないが、夜間で人が全然いない場合は実際に八本の竿をずらりと並べたことがある。
そんなにたくさんの竿を出したら魚が次々に釣れた場合に収拾がつかなくなるではないか、とのお気遣いはまったく御不要。夜通し頑張っても一匹も釣れないことはざらにあることで、そんな日は三十分ごとにリールを巻き上げてエサを新しいエサに取り替えることになる。この作業を延々と朝まで続けるのだから、ゴルフが趣味の義弟のように「魚釣りのどこが楽しいのかまったく気が知れない」と、のたまう御心情はとてもよく理解できるのである。
さて、天高い秋、本日の狙いはアイナメ。南知多道路の豊丘インターから下りてエサ屋で高価なイワムシを奮発して千五百円分も買い、コンビニでは自分のエサと飲み物を七百五十円に抑えて七年ぶりに中州漁港に向かった。
幸いなことに灯台下の思い出のその場所にはまだ人影がない。急いで荷物を運び、釣り座を確保してから折りたたみイスに腰かけ、懐中電灯で照らしながら仕掛けを作っているうちに夜が明けてきた。
竿は三本出すことにする。最初の一本は右手に遠投で、過去に大きなカレイが釣れた実績のあるポイントだ。二本目は十メートルほど先の正面で、港に入ってきた漁船が左に向きを変える辺りの深場より少し手前のポイント。三本目は左隣りに陣取るであろう釣り人を牽制する意味も込めて左手七、八メートルほど先のかけ上がりを狙う。その範囲内でワタリガニの捕獲カゴがあるのは二箇所だけだ。
今日は大潮なので潮が動き、大いに期待がもてる。竿を三本出して落ち着いたので朝飯を食おうとオニギリを取り出したところでいきなり鈴が鳴った。見ると遠投した竿の先がクイクイ引っ張られている。ワクワクしながらリールを巻き上げ、念のためタモですくい上げて長さを測ったら三十センチちょうどのアイナメだった。
つい五分前にやって来たオッサンが
「ええ型やねえ、アイナメは夫婦でいるから同じ場所に投げたらもう一匹釣れるで」
と親切にアドバイスしてくれる。名倉は「ほんとですか」と知らないふりをして善意に応え、急いでエサをつけて同じポイント近くに投げ入れる。そして忙しくなりそうな予感がするのでオニギリとサンドイッチを喉に詰まらせながら飲み物で流し込んで次の獲物に備える。
次に鳴った鈴は正面の竿で二十センチのアイナメ、その次は遠投の竿で本当に夫婦の片割れらしきサイズが釣れてきた。美しき夫婦愛に感動する一方で、ほんのり甘い白身の刺身を思い浮かべながら舌鼓を打つ人間の残酷さ。次に鳴った鈴は左手の竿で、なんと三十五センチのマゴチが釣れた。
「へー、ここでマゴチを見たのは初めてだ。山海の貸しボートでは五十センチを釣り上げたことがあるけんどな」
と、となりのオッサンが自慢するのにも名倉は「へぇー、すごいですねー」と曖昧な笑顔を振りまいて場を和ませる努力を怠らない。
この日は、一生分のツキを全部かき集めたかのような豊漁の日となった。エサのイワムシが早々と切れてしまったので絶好の釣り座をとなりのオッサンに譲ったが、取っ手が壊れるのではないかと心配しながら、大きな氷も入っていて重い重いクーラーボックスを車まで運んだ。
車に乗ってエンジンをかけて時計を見ると十一時二十分だ。日の出は六時頃だったし大漁で忙しかったから腹が減っている。少し走って豊浜漁港にある食堂に入った。
壁に筆で書いた短冊を貼ってあるメニューを見上げて迷っているとオバサン店員が声を掛けてくれた。
「おいしいワタリガニが入ってますよ」
大漁に気を良くしている名倉は迷うことなくそれを注文すると、腹にオレンジ色の卵がびっしり詰まったワタリガニが運ばれてきた。
噛むとコリっとした食感で、これまで味わったことのないうまみが口中に広がる。確かに美味い。どこかにいるはずのオバサンを探し出して「ほんとに美味いですね」と抱き締めたくなるほどに美味かった。ついている日はどこまでもついているのだなあ。
(『あじくりげ』平成27年9月号に掲載)