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2話目から地の文を主人公の一人称に変更しました。内容はそのままです。



働き口が見つかったからといって、今すぐに業務開始とはいかない。


「一週間後に王都に戻る。シーナもその時に同行してもらうが、それまではこの屋敷で基本的な業務を習うといい」


と言われ、教育係としてアニカさんをつけてもらった。

改めて自己紹介をした後、アニカさんの「ところで、着替えはあるんですか?」の一言で翌日の予定が買い物に決定した。確かに、私の持ち物といえばヒビだらけのスマホと血塗れのセーラー服くらいしかない。服以外にも買うものはあるだろう。

今日はもう日が暮れていて、服などを売っている店は閉まっている。ひとまずはアニカさんから借りることになった。


濡らした布で体を清め、アニカさんが持ってきてくれた食事を食べる。するともうやることが無くなってしまい、ぼすりとベッドに横になった。

完全にお客様待遇だ。いや、私も何か手伝えることはないかと申し出はした。しかし「飛び入りで初心者のシーナが手伝おうとしたところで邪魔にしかならない」とルートヴィヒさんにたしなめられ、大人しくベッドに入った。ぐうの音も出ない。


部屋の中に明かりはなく、窓からの月明かりがぼうっと家具のシルエットを映している。暗い部屋で一人になると、あえて考えないようにしていたことが次々と頭をよぎる。


「…私、死んだのかな」


森の中ではパニックを起こしそうになったけれど、今はすんなりとその結論を出すことができた。きっと、今後の保障をしてもらえたことが大きい。

あの瞬間、確かにトラックに轢かれ、痛みの中で意識を失った。体の右側のどくどくとした焼けるような痛みも覚えている。

だとすれば今ここにある肉体は何なのかという話になるけれど、それについては考えてもわかりそうにない。ただ、制服やスマホは事故に遭った当時のままだったので、私の体だけがすっかり元に戻ったということになる。


あまりそういった本を読むほうではなかったけど、これが俗に言う「異世界トリップ」と言われるような現象であることはわかる。

自分の体が戻っていることも、あの三つ目狼という動物もルートヴィヒさんが使った魔法も、とてもじゃないけどありえないようなことばかりで。それがここは元の世界じゃないという証明になっている。

理屈は全くわからないが、トラックに轢かれて死に、体のみが事故前に戻った状態でトリップした。そういうことだと思う。


幸運なことに働き口を紹介してもらうことができた。どうにか生活の基盤を作ることは可能だ。

ルートヴィヒさんには多大な迷惑をかけてしまったけれど、侍女として働く中で少しずつでも恩返しができればいいな。もしルートヴィヒさんに解雇されたとしても生きていけるように、この世界の仕事と生活をしっかり身につけなければ…。

そこまで考えて、ぞっとした。


「私、戻りたいって一度も考えてない…」


寡黙な叔父さんと、少し天然なところがある叔母さんの姿を思い出す。思い出す、だなんて、私本当に二人のことを考えてなかったんだな。


生活に不自由を感じさせることなく育ててくれたし、愛してくれた。

それでも息苦しさを感じて、同じものを返せず、異世界に来てどこかほっとしてしまった私には。

あの人たちの家族になる資格なんてなかったのだ。





◇◆◇◆





「おはようございます、シーナさん!」

「おはようございます、アニカさん。今日はよろしくお願いします」

「ええ、任せてください!」


朝から元気に満ち溢れたアニカさんに連れられて、私は初めて自分の足でルートヴィヒさんの屋敷の扉をくぐった。

入った時はね。たぶん気絶した私をルートヴィヒさんに抱えられてたわけだからね。



「すみません、アニカさん。せっかくのお休みに」

「良いんですよー、とくにやることもありませんから!それに、旦那様が休日手当を出すと仰ってましたし、むしろラッキーです!」


ニコニコと笑顔のアニカさんは楽しげで、本当にラッキーだと思っているように見える。

私みたいな得体の知れない人間に、嫌な顔ひとつせずに案内したり服を貸してくれるなんて。ルートヴィヒさんしかり、あの屋敷の人たちはとても優しい。


「それよりも敬語!気を使わなくていいんですよ?私の方が年下でしょうし。あ、私のこれは癖みたいなものなので気にしないでください」


「さん付けだと私のほうが緊張しちゃいます」と笑う彼女は14歳だそうで、確かに私のほうが2歳年上になる。

とはいえ侍女としての教育係でもある先輩にタメ口は躊躇われる。それに、絶対アニカさんのほうがしっかりしてそう…。

最終的には私が折れた。「アニカちゃん」と呼ぶと嬉しそうに笑ってくれた。良い子だ。


「うふふ、今まで王都のお屋敷でもこちらでも、私が一番新米でしたからね。素敵な後輩さんが来てくださって嬉しいです。私が教えられることなら、何でも教えますからね!」

「ええと、それじゃあ早速一つ質問が」


私が聞きたかったのは、ルートヴィヒさんのことだ。よく考えると、彼について名前の他には王都とこの町に屋敷がある、ということしか知らない。彼は誇張なしに命の恩人であり、これからは雇い主となる人だ。少しはルートヴィヒさんのことを知っておきたい。

屋敷に住んで、侍女を雇うくらいなのだから、裕福なことは確かだ。しかしいったい何をしている人なのかはさっぱりわからない。

そう素直に告げると、アニカちゃんにびっくりされた。


「ええっ、旦那様をご存知ないんですか!?…あ、でもシーナさんは異国の方でしたね。なら仕方ないんでしょうか…?」

「ルートヴィヒさんって有名なの?」

「それはもう!8年前の戦争の英雄にして、若き侯爵さまですから!」


戦争の英雄。そうか、この世界では戦争が当たり前にあるのか。しかも英雄だなんて、ルートヴィヒさんはとても強いらしい。

それにしても、裕福そうだと思っていれば侯爵だったとは。

侯爵………


「……侯爵!!?それってあの、貴族の!?」

「はい。それ以外に侯爵があるんですか?」


てっきり商会の会長とか、なにかの事業主とか、そういうのだと思ってたのに!でもよく考えれば、商人ならもう少し愛想笑いとかしそう!

確かにどことなく中世のヨーロッパ風の国であるし、貴族がいたとしても何もおかしくない。日本ではとっくに貴族制がなくなっていたし、ルートヴィヒさんも偉そうな態度を取らなかったので、少しもその可能性を考えてなかった。

しかも、侯爵。たしか爵位は高い順に公・侯・伯・子・男だったはず。とんでもない上位貴族だ。ひえ。


「ど、どうしよう、すごい失礼な態度取っちゃった…」


貴族という存在に馴染みがない私でも、庶民がさん付けで呼ぶのはまずいだろうということはわかる。さすがにわかる。その上、不可抗力とはいえ意識を失った私を屋敷に運ばせてしまった。

そもそも、侯爵家の侍女に自分のような身元のわからない人間がなっていいのだろうか。

青い顔で慌てていると、アニカちゃんがくすくすと笑って「確かに旦那様はいつも無表情で全然何を考えてるのかわかりませんが、そんなことでお怒りになる方ではありませんよ」とフォローになっていないフォローを入れた。


「それよりもほら!今はお買い物を楽しみましょう!私おすすめのお店、案内しますね!」



やけにハイテンションなアニカちゃんがあれもこれもと勧めてくるのをやんわりとかわしつつ、当面の間必要になるものを揃えた。できる限り無駄遣いをしないように心掛けたけれど、やはりそれなりの量と金額になってしまった。心と腕にずっしりとくる。

今回の出費もきちんと返さなければ、と胸に刻みながら、お金の計算方法が日本と似ていて良かった、と安堵する。


トーンヴェルクというらしいこの国では、ルカという通貨が使われている。これはこの大陸のほとんどの国々の共通通貨らしい。

最小の通貨が鉄貨で、これが1ルカ。鉄貨10枚、つまり10ルカで小銅貨、50ルカで大銅貨、100ルカで小銀貨、1000ルカで大銀貨、5000ルカで金貨となる。金貨の上にも10万ルカの白金貨というものがあるらしいが、日々の生活で使うことはほぼないためあまり気にしなくてもいいそうだ。

生活用品を買う中で、アニカが通貨の種類を丁寧に説明してくれた。だいたい1ルカ=10円くらいと考えて良さそうだ。


「あっシーナさん、ちょっと寄り道してもいいですか?」

「もちろん。今日は一日私の買い物に付き合わせちゃったし」

「ありがとうございます!えへへ、好きな小説の最新刊がこの前出たんですよ〜」


アニカちゃんは「ちょっと待っててくださいね」と弾むような足取りで本屋の中へ入って行った。とてもしっかりしているが、やはり14歳の少女らしいところもあるようだ。

特に意味もなく店頭に並ぶ本を眺めている途中、あっと声をあげてしまった。


「おまたせしました!…あ、それ、この国の建国神話なんですよ。買うんですか?」

「それが…」





◇◆◇◆





「文字が読めない…?」

「はい…」

「それなのにここを出て働くつもりだったのか…」


ルートヴィヒさんから呆れのこもった視線を感じる。昨日からこれで呆れさせるのは何度目だろうか。

ルートヴィヒさんたちからすれば、私はスピーキングとヒアリングは完璧なのに、ライティングとリーディングは全くできないという、よくわからない状態だ。もし日本でそんな人がいれば、私だって妙に思う。


文字が読めない、と気づいて、改めて自分が話している言葉に意識を向けた。注意して自分の言葉を聞くと日本語とは全く異なる音の羅列であったことに驚愕する。

まるで日本語を話しているような気になっていたが、異世界なんだからそんなはずはなく。トリップ特典とでもいうべきか、私がこの国の言葉を聞き取り話していたのだ。


「トーンヴェルクは大陸共用語を使っているが…読めないとは本当にどこから来たんだ」

「……ずっと遠いところです」


このことに関しては、これ以上のことは言えない。

困ったように笑っていると、「…無理に聞くつもりはない」とルートヴィヒさんが視線を逸らした。わかりづらいが、優しい人だ。


「だが、そうだな…侍女の仕事以前に、文字が読めないのは不便だろう。何か教材を手配しておく」

「何から何まで本当にありがとうございます」


ルートヴィヒさんに迷惑をかけてまで学ぶのだ。しっかり勉強して、早くこちらの文字をマスターしなければならない。

日本にいたときも、叔母さんたちに迷惑をかけないように勉強に励んでいたが、特に苦にはならなかった。たぶん、勉強が嫌いではないのだと思う。


文字の問題が一旦片付いたところで、私は改めて頭を下げた。


「…?」

「すみませんでした!私、貴族の方だとは思わず…これからは何とお呼びすればいいでしょうか?」


そろりと顔を上げると、ルートヴィヒさんは何となく困惑していた。数秒後、何かに気づいたのか「アニカに聞いたのか」と頷く。


「別に、呼び方にこだわりはない。好きに呼べばいい」

「ええと、それでは…私も「旦那様」と呼びますね」

「…ああ」


とはいえ、内心で呼ぶときはすっかり「ルートヴィヒさん」で定着してしまったので、そこは許してもらおう。

その後、側に控えていた年配の侍女長から明日の勤務時間などを伝えられた。かなり早起きをしなくてはならないので、今日は早く眠ることにする。


アニカちゃんが言っていた通り、ルートヴィヒさんは全く怒っていなかった。むしろ、なんだそんなことか、とでも言いたげなくらいだった。


(ああでも、何考えてるかわからない、ってことはないと思うんだけどな)


確かにいつも無表情で、目を丸くするくらいの変化しか見たことはない。でも、結構オーラというか纏う空気で感情を伝えてくれる人だと思うんだよね。

動物みたいだな…という感想は、あまりに失礼なのですぐに思考から追い出した。

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