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本日3話目。
今日は一旦ここまでです。
「もしもーし!もしかして起きてますかー?」
ぱちぱちと瞬きをすると、ひょこりと視界の端でオレンジ色の頭が揺れた。
そちらへ頭を向けると、オレンジ色の髪を団子にしたメイド姿の少女がこちらをじっと見ていた。中学生くらいかな。
困惑しながらも頷けは、にっこり微笑んで「すぐに先生と旦那様を呼んできますね!」と部屋を飛び出してしまった。なんというか、エネルギッシュだ。
どうやらどこかの建物内のベッドに寝かされているらしい。最後に覚えているのは森の中なので、誰か…ほぼ間違いなくあの銀髪の男性が運んでくれたのだろうな。
だとすれば、ここは彼の家か何かなのだろうか。迷惑をかけてしまったようで申し訳ない限りだが、人の居住地にいる安心感が凄い。
「ふむ、まあ意識もしっかりしておるし、大きな傷もない。多少体が弱っておるが、きちんと水分と食事をとれば大丈夫じゃろ」
「あ、ありがとうございます」
ベッドから上体を起こしてきょろきょろと部屋を見回していると、もじゃもじゃとサンタクロースのように真っ白な髭を生やした老人がやって来た。
さっきのメイド少女はもう来ないのかな。顔に出ていたのか「アニカならお前さんを連れてきた男を呼びに行っとるよ」とくつくつ笑われた。あの少女はアニカというらしい。
しばらくあちこちの傷を診ると、医師は「もし何かあればこの屋敷の人間に言いなさい」と言って部屋を去ろうとした。
「あの、ここは…」
「その辺は彼に聞くといい。ほれ、ちょうど来たようじゃ」
医師の言うとおり、開けたままになっていたドアのところに森で見た男性が立っていた。その後ろにはお盆を持ったアニカさんの姿も見える。
アニカさんの持つお盆にはグラスとピッチャーが乗っていて、彼女は水を注いだグラスを渡してくれた。お礼を言って受け取ると、想像以上に喉が渇いていたらしい。ごくごくと勢いよく飲み干してしまい、追加でもう一杯注いでもらった。
水を飲んでいる間に、医師は仮面の男性といくらか話すと部屋を出て行った。すると男性が目配せし、グラスを回収したアニカさんも退室する。
「あの…」
「心配せずとも扉は開けたままにしておく。お前の名誉が傷つくことはない」
何のことだろう、と首を傾げて、はっと固まった。もしかすると、密室に男女が2人きりにならないように、とかそういう気遣いだろうか。
そんな心配は今までしたこともされたこともない。しかし、私は良くても男性側には問題がある可能性を考えて、とりあえずこくりと頷いておいた。
「森で会ったことは覚えているか?」
「はい…あの、助けてくださってありがとうございます!」
「いい、町に近づく三つ目狼はもともと討伐対象だ」
謝礼をさらりと流されたが、やはりあの氷はこの男性によるものだったのだと確信する。それ以外に考えられなかったが、それでも現実離れしていた。
魔法…魔法かぁ。
「ここは俺の屋敷だ。あの後気絶したお前を連れてきた。…怪我の治療もあったからな」
「それで」じろり、と睨まれる。正確には、表情は先程から全く動いていないのだが、どことなく咎めるような雰囲気を感じる。
「名は?」
「椎名葵です。椎名が家名で、葵が名前になります」
「…やはり異国の人間か。こちらでは家名は最後になる。シーナ・…アーウィ?」
何度か復唱していたが、どうしても「葵」の発音が上手く行かないため「シーナ」と呼ぶことになった。そういえば前に、母音が連続する名前は外国人には発音しにくいと聞いたような。
また、この国で家名を持っているのはほとんどが貴族か大商人のため、要らぬ誤解を避けるためにもシーナで通した方がいいらしい。
「なぜあんな時間にあそこにいた?異国の人間でも、夜の森が危ないことくらいわかるだろう」
なぜ、と言われれば、事故に遭って気づいたらとしか言えない。だがそれをそのまま話せるかと言われればそういうわけにもいかない。自分で言うのもなんだけど、怪しすぎる。トリップなんて、実体験した人じゃないと信じないだろう。
結局「遠い国からやって来て、気づいたら森の中にいたので出ようとしたが迷った」という嘘ではないが真実をぼやかした表現をした。
「もしかして、枝に赤い布を結んだのはお前か?」
「あ、はい、そうです」
「森に入ってすぐに目についたからな、気になってその方向に進むとお前が三つ目狼に襲われていた」
どうやら、私は森を奥へ奥へと進んでいたらしい。そういえばどんどん道が険しくなっていたような…と呟くと、男性が呆れたようなため息を吐いた。
「あなたが気づいてくれて良かったです。えっと…」
「…ルートヴィヒ」
「ルートヴィヒさんにはご迷惑をおかけすることになってしまいましたが、本当にありがとうございました」
本当に、ルートヴィヒさんには感謝してもしきれない。狼もどき、もとい三つ目狼から助けてくれたこともそうだが、こうして連れ帰り医師まで呼んでくれた。
そういえば、医師に診てもらうにはお金がかかる。日本は保険が充実していたので医療費が安く済んだけど、ここではそうもいかない。
すぐに返したいところではあるが、私はもちろん無一文である。
「あの…ルートヴィヒさん」
「なんだ」
「お医者様にかかった費用をお返したいのは山々なのですが、実は今無一文で…あの、でも絶対に働いて返しますので、少しだけ待っていただけますか!?」
ルートヴィヒさんはきょとりと一瞬目を丸くした。この十分ほどの会話の中で、初めての表情の変化である。
しかしそれも瞬き一つで元の無表情へと戻った。
「どこで働く気だ?」
「それは、その、町で求人している店を探して…」
「その間の住む場所はどうする」
「す、住み込みで働けるところを探します!」
「住み込みとなると大抵は紹介状が必要になる。アニカに着替えさせたとき、お前の持ち物は一通り見せてもらったが…紹介状どころか身分証らしきものすら無かったぞ」
「うぐっ」
まったくもってその通りだった。
確かに日本でも、身分証も持たない外国人を雇用するところなんてまず無いだろう。あったとしてもまともな職か怪しい。
こうして指摘されると、いかに自分の考えが足りないかを思い知らされる。
「…事情は知らないが。悪いことは言わないから、大人しく国に帰った方がいいんじゃないか。ここまで来たら路銀くらい持たせてやる」
「……帰れそうにないんです」
「だから、ここで頑張らないと」にこりと笑ったつもりだったが、ルートヴィヒさんは黙り込んでしまった。上手く笑えていなかったかな。
「はー…」と彼は深いため息を吐き、「乗りかかった舟だ」と呟いた。
「え?」
「俺が雇おう。ちょうど王都の屋敷の侍女が一人、高齢で辞めたばかりで空きがある」
「えっそんな!ご迷惑では…!」
「迷惑ならもうかかってる」
「うぐっ!」
至極正論だった。
だがこれは、私にとってはチャンスだ。無一文で住む場所もないので、住み込みで働ける職場が望ましい。しかし先に指摘された通り、紹介状どころかこの世界での身分すらない。そんな私が都合よく住み込みで働ける場所など、娼館くらいしかないだろう。さすがに初恋もまだの身でそれは避けたい。
その点、ルートヴィヒさんは紹介状も身分証も持っていないことは承知で雇うと言っている。その上、まだ少ししか話していないが彼が悪人でないことは確かだ。
一分にも満たない葛藤の末、私はルートヴィヒさんの屋敷の侍女になることが決定した。