執行者の日常-3
※★パート、視点が切り替わります。
修練用の動きやすい服装に着替えたイリスが、口を尖らせて言った。
「もう、酷いですよアリス様。突然あんなことして」
「悪ふざけが過ぎましたね。すみませんでした」
顔を真っ赤に抗議する姿に申し訳なさが募り、思わず視線を逸らす。
確かに、あれはやりすぎた。なぜあんなことをしてしまったのか、普段の私であれば考えられない行為だ。
言い訳をすれば、イリスの陽気さに中てられてしまった、という感じだろうか。私もまだまだ未熟だ。気を付けなければ。
「…………私にも心の準備があるのに」
「? 何か言いましたか?」
「何でもありません! さぁ着きましたよ。修練お願いします!」
私の問に返ってきたのは、鋭い睨むような視線だった。丁寧な言葉なのに感情と噛み合ってなく、まるで私にぶつけるかのようだった。
よく聞き取れなかったので聞き返しただけなのに、なぜここまで怒っているのか。
私には分からなかった。
「何を怒っているのですか? ……まぁ良いでしょう。始めますよ」
分からないが、今は気にすることではない。ここは神聖な修練場だ。私は意識を切り替えた。
修練場の端へと移動する途中、私はチラっとイリスに視線を向けた。その顔からは先程までの笑顔はなく、真剣そのものだ。彼女に至っては心配はしていなかったが。確認したのはあくまで念のためだ。
こんなところで彼女を亡くしてしまうのは、あまりにも惜しい。故の行いだった。
――修練場。
それは信徒が執行者の補佐として生きていくための訓練場。
この世で唯一の、裁きを下す者。神の代理人たる執行者。
執行者は代理人であって神ではない。神との途方もない隙間を埋めるのが補佐として存在する信徒の役目。
その存在を見つけ出し共に歩むことこそが、私が神に告げられた唯一の啓示だ。内容を知り合いに話した一週間後に神殿ができていた時は、流石に相談相手を間違えたと後悔したが。
できてしまったものは仕方がない。有効活用だ。
しかし、その信徒を本物の信徒たる者、使徒に昇華する。それもまた執行者の役目となる。
そして、使徒と認められる第一条件が、『死なないこと』だった。
修練場の中心からお互いが端から端へと移動した。修練場は50メートル×50メートルの正方形。一般人であればこれだけ離れれば相手の元へたどり着くにも時間がかかるだろう。
だが、執行者、信徒は共に並の人間を超えていた。
「すぅぅぅう、はぁぁあああーー……。行きます」
イリスの深呼吸が場に響く。数秒の沈黙の後に発せられた最後の一言に、アリスは臨戦態勢を取った。
――刹那、イリスが立っていた場が弾け飛んだ。
★★★★★
「はぁっ!」
足にめいいっぱいの力を込めて、わたしは跳んだ。前へ。
凄まじい勢いに体のバランスが崩れそうになるが、気合で持ち直す。自滅だなんて笑えない。
最初から全力で行くと、始めからそう決めていた。
処刑場から戻ったアリス様は疲れていないとおっしゃっていたけれど、それは嘘だ。
確かに今日の裁きは数的には少なかった方だろう。それは間違いない。だから疲れていないというのも表面的には正しい。
でも、心は、アリス様の心は――壊れかかっている。
気付いているのはきっと私だけじゃない。他の信徒の子の中にも、数人だけど勘の良い子がいる。わたしが見ただけで確信はないけれど、その子たちはまず間違いなく気付いている。気付いてはいるけれど、どうすればいいか分からない。普段接している中でそんな印象を私は持っていた。
実際のところ、わたしにもどうすればアリス様を助けられるのか分からない。
でも、だからこそわたしはアリス様の負担を減らせるように、一日も早く使徒へと成ることを望んでいた。アリス様のお傍で常に支えてあげられるように。
加速した思考に動かされ、寸分の狂いもなく肉体が付随する。
目の前に、アリス様が迫る。力を抜いた一見隙だらけのような直立。
でも実際は、あれがアリス様の戦闘態勢。
何度もお相手をしてもらううちに何となくだけど分かるようになってきた。分かるようになってきたお蔭で、わたしにはどこを撃っても弾かれる未来しか見えないのだけれど。
それでも、やるしかない。これ以上傷つくアリス様を見ていられない。
力を、証明しないと!
超低空の跳躍の勢いをそのままに、体を捻って渾身の蹴りを繰り出す。
振り抜かれた左足が空気の圧を裂き、わたしの耳に周りの悲鳴が、唸る音が届く。それだけの勢いを乗せた蹴撃がアリス様へと向かっていく。
狙いは、右肩っ!
「うぉぉおおお!!」
アリス様は動かない。わたしの渾身の蹴りは、そのまま狙い通り、アリス様の右肩に吸い込まれていき――掴まれた。アリス様の右手に。
突如攻撃を中断させられたわたしは、激しい力を急に止められた反動で体が後ろに引っ張られる。慣性によって身動きできないわたしは、今この瞬間なされるがまま。
死んだ。
経験上、いや本能的にそう思った。
けれどアリス様は何事もなかったかのように、攻撃の勢いを圧倒的な力で押さえつけて、わたしの足を掴んだまま右腕を宙へと上げる。
反撃が来ると思っていたわたしは突然のことに頭がついてこない。
結果、片足を掴まれ宙ぶらりんとなったわたしのスカートは重力に逆らえるはずもなく。
「ふむ、今日は白ですか? 素敵ですね」
そんなお言葉を頂戴した。
わたしは今凄い顔をしているだろう。どんな顔をしているかはさすがに分からないけれど、でも今起こったことへの衝撃は到底隠せない。
アリス様に放った蹴撃はわたしの全力だった。前に修練してもらってから2週間は経っている。その間に鍛え直したつもりだった。実際自分では強くなったと思う。今の蹴りは試し蹴りでは大岩でさえ砕いた一撃だからだ。
それを、たった片腕でただ掴むだなんて。
でも、それよりももっと、もっともっと、反応すべく対応すべき事案があった。
「ありがとうございます。でも、やっぱり恥ずかしいので降ろしてください!」
白のパンツ履いてきて良かった。
★★★★★★