執行者の日常-1
「何か言い残すことはある?」
両手を背の後ろで縛られ両膝を突き、生きる意思を失ったかのように、ただただそこにいるだけ。そんな状態の男に私は問いた。
右手に構えた剣の刃を、男の首筋に沿うようにして。
薄っすらと刃をたてた首筋から、剣の刃をつたってしたたかに、赤い液体が流れていく。
ぽつりぽつりと大地を濡らし、目前の生命が、己の踏みしめる大地へと変換されていく。
「…………」
剣の刃先を向けたまま数秒待った。
だが虚ろな目で虚空を見据える男からは、何の返答も返ってこない。
怒りも、憎しみも、悲しみも、一切感じられない。
激しさや、穏やかさ等のいわゆる感情の起伏とか、そういう話しではないのだ。最早感情が欠落している。
今から首を落とそうというのに、何一つ変わらない。いっそ精巧な人形だと言ったほうが理解できるだろう。
私には分からない。
本当にこれが、人だったと言うのだろうか?
幾重にも、幾度となく振るってきた剣を構え持ち、いつものように考える。
初めは震えていた己の右手は、今では力強く剣の柄を握り込んでいた。そうなったのはいつからだったか、時の流れに身を任せていた当時のことを、私は覚えていない。
振るう際に剣が滑らないように。
一度で命を確実に絶てるように。
そう考えたことだけは覚えているが。
迷いが無くなった訳ではない。今でも答えは出ていないのだから。
あくまでこれは慣れだ。やらねばないのだから、やっている。その時だけ何も考えていないだけ。先送りにして、また考える。当然のように答えは出ない。だからまた先送りにする。それを繰り返しているに過ぎない。
唯一確かなことは、かつて人だったモノがこの場にいる。ただそれだけ。
それでも常人は、今の状態でさえこれが人だと言うのだろう。これを人だと、そう言うのだ。
だからこそ私が存在し、私が片をつけなければいけないのだ。
彼らの行いを清算する為に。
今日も答えは出なかったが、問題はない。いつも通りだ。
「沈黙を解答として受け取る。速やかに逝きなさい。刑を、執行します」
私はゆっくりと剣を振り上げ、定めた狙いに勢いよく振り下ろした。
使っている剣は良く切れる業物だ。数えきれない無数の命を啜った刀身は、漆黒に近い光沢を放っている。
私と、この剣に切れないものはないのだろう。
その嫌な信頼を証明するかのように、何の引っ掛かりもなく男の首と胴体はわかれた。切断面から噴き出した血が、私を汚していく。
はっきり言って気持ちが悪い。
今まで目の前にいた、生きていた相手の血を浴びるという行為は、身の毛がよだつ程の嫌悪感がある。浴びる血の生暖かさが、その人が生きていたと、生きたかったのだと訴えているようで――。
人の血を浴びることに躊躇いがなくなった時、私は何を感じるのだろうか。はたまた何も感じないのだろうか。
答えの出ない問いがまた増えた。
いや、出したくもない問いと共に、私は背を向けてその場を後にした。
数分程歩き、長考していたせいか未だに抜剣したままだったことに気付く。剣を納めようと腕を動かせば、先程の肉を切り裂いた感触が蘇り私は思わず眉をしかめた。そのしかめっ面のまま、中断した思考を再開する。
私はこの世界で唯一の、ただ一人の存在。
イニティム王国、アリアル公国、ユニフィス帝国、カランド共和国連邦。
世界を統べる主要四国の、どこにも定住圏を持たない人間から外れしモノ。
神に裁きの代理人と定められた、執行者の刻印を持つ者。
『お前は特別なんだ』と幼い頃に言われ、その意味を歳を重ねて理解した。
私は人を殺せるんだと。私以外には殺せないのだと。
先代は――古代大戦時に神の声を届け、戦争を終結させた者――神の声を聴く中で刻印が浮かび上がったそうだが、私は生まれたときから執行者の刻印を持っていた。そのせいもあり幼い頃、物心つく前から 日常的に私は人を殺してきた。
王国は千年ぶりに現れた執行者に喜んだのだろう。
千年前の古代戦争終結時に神と先代執行者は、人が人を殺めることを禁止した。
これは魂に強制的に植え付けられた、呪いのようなものだ。当然その時から生まれる子供たちにもこの呪いは引き継がれた。
その結果、地上は人で溢れに溢れてしまった。
人が人を殺める。戦争することで保たれていた世界人口のバランスは崩れ、それまで豊かだった国々の、食料が足りなくなる程に。
あれからいくつの国が滅び、どれだけの文明が失われたのかは最早分からない。自分たちが生きることに精一杯で周りのことを気にしている余裕がなかったのだろう。その時に関する他国の文献は一つもないと、私は聞いていた。
しかし、人を殺すことができなくても悪意を持つ者は罪を犯す。軽いものであれば償わせればいい。しかし、再び世に放つには重い罪を犯した者。古代戦争前であれば死罪としていたものができなくなった。そしてこれは、あまりにも大きい変化だった。
当然の結果として、罪人たちの牢屋が足りなくなった。ふやしても増やしても、罪人は減らず、溜まっていく。
裁けない咎人たちの存在は、ただでさえ足りない食料を蝕み、大きな問題となっていた。
最終的に、罪が重い者――死罪相当――人が裁けなくなった者たちは一つの島にまとめられることになった。食料も与えず、その身一つで島流しの刑と。新たな刑が増設されたわけだ。
だがそれも、長い期間続けば問題が起きた。餓死した者たちの腐敗臭だ。
いくら離れていると言っても、何千、何万の人の死が積み重なればその匂いは相当の物だ。かなりの距離が離れているにもかかわらず、事実として本島にさえその匂いが流れ始めていたのだから。
これを重く見た国々は、島を焼き払うという結論に達した。直接人に火を着けるのではなく、森に火を放ち、文字通り島を焼いたのだ。
神の呪いで禁止されているのは、あくまで人が意思の下に、人を殺すこと。間接的にであれば問題ない。各国の政治者たちが思いついた屁理屈染みた考えだが、実際に行われていたことだ。神の呪いにも抜け穴があったというわけだ。
こうして更に新たな刑が考えられたが、結論からして良案は出なかった。
まだ他にも土地はあると、腐敗臭が酷くなるまで罪人を集め、島ごと焼く。先延ばしに過ぎないと分かっていても、主要国はその選択肢以外選ぶことができなかった。
はっきり言えば、昔は戦争で人数調整をしていた時代だったのだ。治安は悪く、環境は劣悪。考えなしに子ばかり増やし、何の感傷もなく捨てる親というのが大勢いた。しかし広大な大陸だ。食べ物はあった。親無しの子らを支えられるぐらいには。
そんなどうしようもない大人たちを戦争によって減らすことで、昔は少しずつ世界を回していた。当時の政治者たちは、切り捨てることが最善だと信じて疑わなかった。故の反動だ。
人を殺すことになれた国々は、体の大部分を浸からせたまま。一度はまってしまえば、そうそう沼からは抜けだせない。
無理もないとは言い過ぎだが、人が人を殺せない。その事実は過去の政治者たちにとって重すぎる鎖として突き刺さった。
…………いまや、千年の時が過ぎた。
長い年月と共に多くの緑が焼かれ、豊かな土地が失われた。本来住んでいた者たちすら追いやられ、それに伴って人口は減少し、皮肉ではあるが一番の問題だった食料問題は改善された。
しかし、もう焼ける土地が残っていなかった。主要四国からなる本土を残し、全ての大地を焼き尽くしてしまっていたからだ。
しかしその問題を解決したのが、次代の執行者である私だった。
だからこそ王国は、千年ぶりに現れた執行者に喜んだのだろう。
もう土地を焼かなくて済む。先住民たちを追いやらずに済む。それらは強権によってなされ、必要なことだと各国が見て見ぬ振りをして行われていたことだ。
政治者たちにとっても本意ではなかったのだ。
しかし実際に棲み処を追いやられた当事者たちに、そんな言い訳が通用するわけがない。当然不平不満も出ていたわけで。王国を含める各国の政治者たちは、現状の民の不満を静めるべく一斉に行動を起こした。
つまり私を。執行者として、神の代理人たる私を。
世界で唯一、人類の生命剥奪権を持つ私を。
大手を振って利用することにしたのだ。
その結果が、今に至る。
王国を通じて主要国の罪人たちが、次々に私の下へ送られて来る。
私は産まれてから十九年間裁き続けた。人を殺し続けた。本当は心の底から逃げ出したくても、私にしかできないことならばと。
咎人たちの血を浴び続けた。
一度だけ聞こえた神の啓示も今では聞こえず、これで良いのかと不安に押しつぶされそうになりながらも。
たった一人で戦争を終わらせた先代に恥じないようにと、その一心で剣を振り続けた。
人を殺すことが、とてつもない苦痛だということを知っているのは今、私しかいないのだから。
この苦しみは執行者として、私が背負う罪なのだと言い聞かせて。
私は、生きてきた。