執行者の片鱗-2
ほぼほぼライズのターン。アリス様の活躍はたぶん次話。
執行者の特殊権限である委任者によって受諾者を介し、アリス様から力を借りた私は奔走していた。
委任者は本来一定時間聖気を譲渡するための権限だが、受諾者と接続することで本来の効果ではない――権限を貸し与えるという――ものに変えることができる。
アリス様の許可を持って発動でき、アリス様の権限を借りることで初めて意味を持つ力。
完璧に執行者に依存した権限だ。
執行者代行とも言えるこの力は、使徒となって一番に練習した。まさかこんなに早く使う機会が回ってくるとは思っていなかったけど。
周囲を見回しながら、私が治療できそうな軽傷な者を探す。
昨日のライズさんの負傷は相当なものだったけど、アリス様でもあれ程の傷は何度も直せないと言っていた。
勿論権限の封印を解除されれば、その制限はなくなるのだけど。
宣告者の強制行使は大量の聖気を使用する。それは私も例外ではない。
アリス様より聖気量の少ない私は、治療する者を間違えばすぐに聖気切れを起こしてしまうだろう。
そのために比較的軽傷な、それでいて傷を治せば動けそうな者を探す。
私一人では手が足りな過ぎる。せめて治療までの間に止血をしてもらおうと考えたからだ。
それだけで出血死は防ぐことができるし、怪我人を纏めておけばあちこち走り回るよりも効率が良く、治療しやすい。
巻き込む形にはなるが、私たちが一人でも多くの命を救うために協力してもらおう。
そうして私はまた一人と助け起こしながら、この場に何かが迫って来ているのを感じ取った。
「アリス様……」
私の瞳に映ったのは、ライズさんの背で静かに目を閉じるアリス様の姿だった。
なんでこんなことになったんだろうか。
迫る同族の気配を感じながら、俺は考えていた。
元々は執行者を排除してこいって言われただけだった。命令された以上従わなくてはならず、突貫した結果がアレだ。
正直あのときのアリス様は化け物にしか見えなかった。思い出すだけで膝が震えるほどだ。
だったらどうして俺は、俺を殺しかけた相手を守っているんだろうか。
「てめぇ、裏切りやがったなッ!」
怒声と共に剣の刃が迫る。
聖気の身体強化によって振り抜かれたその斬撃は、触れただけでもその箇所を切り飛ばすだろう。
「危ないなぁ。相変わらず気性が荒いね君は。少しは頭を冷やしたらどうだい? それでは当たるものも当たらないよ」
俺はその場から動かずにナイフを取り出して剣を弾く。
さすがに長剣相手では分が悪い。左右一本ずつ握り両手で防ぐ。
お互いが全力の、つばぜり合いになる。何度か打ち合っていると怒りに染まった瞳が目に入った。
「お前も、神を憎んでいたッ!。教祖様に拾われる前の自分を忘れたのか!」
その言葉に、幼かった昔の自分の姿が浮かんだ。
俺の生まれ育った故郷は、既に存在しない。
その日は突然やってきた。
一枚の紙きれを持った王国兵士が告げる。
「この土地は神に捧げることになった。速やかに退去せよ」
まだ小さかった俺には、それがどういう意味なのか理解できなかった。
ただはっきりと覚えている。
怒りを必死に抑え込もうとしている父と、諦めたように微笑む悲しそうな母の姿を。
その後家から追い出されて目に入ったのは、近隣の見知った家が一つまた一つと潰されていく瞬間だった。
罪人がただ死ぬ場所を作る。それが敗奴と定めれてしまった土地の末路。
泣き崩れる者。
うなだれる者。
歯を食いしばる者
固く握った拳を地面にぶつける者。
いつもは様々な喧騒で、ときにやかましくも賑やかだった棲み処が、壊される様をただ見ていることしかできない。
その事実に怒りと悲しみが、一面に広がっていく。
そして遂に、事態は動いた。
周辺で遊んでいたのだろう。一人の少年が森の方から現れた。
楽しそうに歩みを進める少年は、一つの残骸の前で立ち止まる。
少年の中でそこに当たり前にあるはずの帰る場所は、もうどこにもない。
それだけは俺にも理解できた。
「うわぁあああああ!!」
わけが分からないと、不安を乗せた悲鳴が木霊する。
その騒がしい状態を、兵士たちが見逃すはずがなかった。
「うるさいぞ! 保護者はなにしてるんだっ。早く黙らせろ!」
兵士の怒鳴り声に、慌てて少年の両親が駆けだしていく。
二人がかりで必死に宥めようとするが、少年は泣き止まない。
「騒々しい……。何事ですか?」
騒ぎに気付いたのか、家を潰していた兵士の一人が戻ってきた。
周りの兵士に比べるとその男は、身なりが良かった。
「ハッ。住民の子供が泣きだしてしまいまして。申し訳ありません、すぐに静かにさせますので」
階級でも違うのか、男の問に兵士は姿勢を正して答えた。
「ふむ。いえ、いいでしょう。こうした方が早い」
その言葉と共に、少年は泣き止んだ。
永遠に。
「……覚えてるさ。あの地獄のような日々の始まりを、忘れるものか」
あの少年は死んだ。首をはねられて。
少年の両親も、あまりのことに抗議しようとした大人たちも、皆死んだ。
正義感の強かった俺の父は一番初めに飛び出して、一番最初に死んでいった。
母と、まだなにもできなかった俺を残して。
「だったら……どうしてだッ! お前の怒りは、悲しみは、その程度だったのか!」
最後の言葉に、懸命に抑えていた感情が爆発した。
「その程度…………? そんなはずがないだろう!? 今だってその気持ちは変わらない。そうだよ。元を正せば全部神が悪い。神が呪いを刻まなければ、俺の故郷は、家族は、失うことはなかったはずだ! ……だけど」
一旦言葉を区切る。
俺自身ちゃんとした理由は分からなかったが、つまりこういうことなんだと思う。
「それを他へぶつけるのは違うって気づいたんだ。そこの執行者様のお蔭でね」
「なんだと?」
相手が攻撃の手を緩め、俺から離れた。
「アリス様はね、いつもどこか悲しそうなんだ。昨日と今日の短い時間だけだけど、それでもアリス様が心の底から笑えていると思える瞬間は、俺にはなかった。強さ、戦闘力だけだったら化け物級だけど、根はか弱い少女だよ。隣にイリスちゃんがいなかったら、既に壊れてただろうね」
「お前は、なにを言っているんだ?」
困惑しているのが伝わってくる。
「それにね、どこか似ているんだ。受け入れたような、諦めたかのような。あの悲しい瞳は、あのときの母に」
「…………」
なんの返答も返ってこない。
沈黙がしばらく続き、相手が口を開く。
「俺らは同じような境遇だし、お前の言いたいことは分かった。でもな、俺は教祖様の恩義に報いなけりゃならねぇ。後ろの執行者には手を出さねぇ。だから、本気で来い」
相手は言いながら剣を構え直した。目に見えて聖気の余波が大きくなる。
この斬り合いで決める気だろう。
「そうかい、残念だよ。俺も自分の信じるものを押し付けるつもりはない」
俺も意図を汲んでナイフを構え直す。
聖気を身体全体ではなく、脚部中心に纏わせる。
「……俺らに名前は必要ない。遅かれ早かれ死ぬ運命だ。だから地獄に持ってけ。――グレイ・ラース」
「ライズ・シャルト。持っていくのはそっちだよ」
言い終わると同時に全力で地を蹴った。
周りの景色が急速に流れる。
俺はそのまま勢いを殺さずに前方に跳躍する。宙で体を捻りながら両手のナイフを投擲し、蹴りの姿勢に入る。
目の前で一投目が剣の腹によって弾かれる。
二投目も同様に弾かれる。
甲高い音が立て続けに響き、消え去っていく。
瞬間的にグレイとの距離が縮まる。
上段に構えられた剣が振り下ろされ、迫る。
――衝撃。力と力がぶつかり合った。
渾身の威力を込めた蹴りが、グレイの剣によって受け止められる。すかさず反動を利用して飛び退り、ナイフを投擲。
そのナイフを弾いている間に接近。もう一度蹴りを、回し蹴りを繰り出す。
弾かれる。
蹴りを放った方ではない足を軸に、反動で逆回転。もう一度回し蹴り。
「どうしたッ! それで終わりか!」
変わらず俺の蹴りを弾いたグレイが、啖呵を飛ばしてくる。
後方に下がる。
俺は最後の一つとなったナイフを取り出した。
足はもう使い物にならない。ナイフを構え、ただ走る。
振り下されるグレイの剣に合わせ、全聖気を込めてナイフを薙いだ。
今までよりも一際大きな音が響く。拮抗する剣とナイフ。その状態のまま睨み合い、やがて――グレイの剣が小さなナイフに両断された。
「……グレイ・ラース。覚えておくよ」
俺は噴き出した血を浴びながら、説明を要求されるだろう未来を見て、空を見上げた。