流れるその液体は
例によって書き直し+α。お久しぶりです。
うなだれる様に重苦しい雰囲気。空間が重圧に軋んでいると錯覚を起こすほどに、その室内は悲壮と絶望に満たされていた。
部屋の中央で向かい合うようにテーブルを囲み、彼らは神妙な面持ちで各々に思考を巡らせ続けている。
「もはやこれまで、か。検討していた、我ら四国の領土を削るしかあるまい」
大柄で引き締まった体から流れる、芯に響く重低音。
後ろに逆立てるように結ばれた銀髪は、透き通るような美しさと共に、野性味溢れる髪型から獰猛さをも醸し出している。
本来聞き取れる筈のない小さな呟きも、彼らが向かい合ってかれこれ2時間余り。誰一人声を発しない静寂という静けさの中では、良く響いた。
かつては広大な大陸に多種多様な人間が、動物が、はたまた異形の者たちさえも。なんてことはない日常の日々を過ごしていた。
だがそれも、今や過去の話である。
新暦985年。
人が人を殺すことが出来なくなって、今やそれだけの月日が過ぎていた。
「……やはり、そうなるのですな」
恰幅の良い、しかしそれでいて不快ではない。不思議と耳を傾けてしまうような優しい声色。額の中央で七対三の割合で分けられた黒髪の男は、心からの感情を声にのせて言う。
重苦しい雰囲気のまま、破られた静寂の中で話しが進んでいく。
「仕方がないでしょう。我が国でも未だ発見出来ず仕舞い。先程まで誰も発言しなかった。いや、できなかったという事は、皆同様という解釈でよろしいのでしょうし」
やや細身の、赤みがかった髪。小柄だが、それを感じさせないほどに存在感のある男は、片眼鏡≪モノクル≫の位置を右手で調整しつつ言い放つ。
「否定できないのが何とも。……当然、争いがしたいわけではないですがな。いやはや上手くいかないものですなぁ」
「「…………」」
口を揃えて閉じたまま、彼らは示し合わせることなく一様に黙考する。
何も珍しい事ではない。彼らが、各国の代表者たちがそろって口を閉じるとき。それは決まって一つの事を思い浮かべている。繰り返される国々の合併、吸収の末、主要四国と呼ばれるようになっても。目前の光景はそれこそ旧暦から新暦へと、暦が移り変わった当初から何度もあったできごとだ。
彼らは日々月日を、年月を重ねるごとに。何度代替わりしても答えの出ない問題に頭を悩ませている。
古代大戦と呼ばれる世界を巻き込んだ大戦争から、985年もの膨大な時が過ぎ去った。
驚くべきことは、その間戦争が、大中小関係なく一つも起きていないという事実。
旧暦では正確な年数が分からないほどに長い歴史を。戦争という馬鹿げた行いで。
時と、命と、資源を消費。無駄に、無駄に垂れ流し、浪費してきた。
争いのない平和な世界。
誰もが憧れ、誰もが羨む理想の世界。聞き覚え、耳覚えが良い言葉。
しかし逆に言えば。
所詮はその程度の言葉で、その程度の事でしかない。
平和。
確かに。道を往く10人が10人言うはずだ。
世界は平和になった。――否、平和にさせられたと。
神暦985年。
神の介入によって古代大戦が終結され、新しく刻まれてきた、争いがない世界の平和時間。
その陰には、神から人類へ――人が人を殺せなくなる――魂にかけられた、呪いのような裁きが存在した。
ふと、何かを思い出した面持ちで、銀髪の大男が沈黙によって再び下がり始めた顔をあげる。
「そういえば、帝国の王はどうした? 姿が見えないが」
振られた二人は言葉につられて周囲を見回し、困惑した視線を互いに交わす。
長い付き合いだ。言葉に出さずとも、言いたいことはだいたい通じる。
結果、数秒も経たないうちに視線は銀髪の男へと送り返される。
「私たちは何も知りませんな……。いないことに今気づくというのも変な話ではありますが。それこそハウト王は何か知らんのですか?」
「いや、特に連絡は受けていないな」
「はて? となると無断欠席ですが、あの帝国の王に限ってそれはないでしょうし……」
赤髪の細男は両肘をテーブルの上につけて両手を組み、台のようにして顎を乗せる。その状態のまま数秒黙考すると、閉じた口をゆっくりと開いた。
「……この間お会いしたときに、面白いものを見つけたと言っていました。それが何かは知りませんが、関係があるのでは?」
「面白いもの……。あのユニフィス王が、そう言ったのか?」
「面倒事でなければいいのですがな。何やら嫌な予感がしますぞ」
「確かに。返す言葉もない」
そのとき会議用に用意された部屋の扉が――音を遮断する目的で作られた分厚い合鉄製――外側から轟音を響かせ大きく開け放たれる。
「スマン、遅くなったな!」
鍵を外しているとはいえ、本来であれば大人二人がかりで開閉する分厚い扉だ。開け放たれること自体非常識だが、誰が開けたのかを考えれば特に問題はない。
音と共に部屋に入って来たのは、なぜか勝ち誇った表情で自信満々に、仁王立ちで腕を組む麗しき女性。腰まで伸びる金髪を背でひとくくりにまとめた姿からは、この場にいる各国の王にも引けをとらない、あるいはそれ以上の威圧感と存在感を醸し出している。
「扉は静かに開けろといつも……。いや、それよりもどうした? ユニフィス王が遅れるとは珍しいな」
ハウト王の問いかけに、黒髪の男と赤髪の細男が同意を示すようにユニフィス王を見つめる。
ユニフィス王だけに限らず、細かにスケジュール管理されている主要四国の代表者である王たちが、約束された時刻に間に合わない。それだけで赤髪の細男が言った、面白いものとやらの厄介さをうかがわせていた。……暗に、王でなければ処理できない案件だと言っているようなものだ。
故に、嫌な予感が緊張となって、徐々に空気が張り詰めていく。
そしてなにより、嫌な予感というものは元来当たるものだ。
「実は面白いものを見つけてな? まぁ実際に見た方が早かろう。アリス! お前も入って来い!」
ユニフィス王は重さを感じさせない程に軽く扉を引き、外にいるであろう人物に声をかけた。
「ゆか、きたなくなるよ?」
返される少女、いや、突如聞こえてきた幼女の声に、ユニフィス王を除く三国の王たちは困惑する。
「気にするな。いいから来い!」
誰の城だと……と。喉元まで出かかった言葉を飲み下し、話しを進めるためにハウト王は呼ばれた幼女を待った。
「はーい」
可愛らしい返事と共に、その幼女は入って来る。合鉄製の扉を片手で押し開いて。――ユニフィス王はあくまで幼女を呼ぶために扉を軽く引いただけであって、声かけが終わった後は手を放している――どこにそんな力があると驚く王たちは、次の瞬間その驚きを驚愕と畏怖によって塗りつぶされる。
「やっぱり“これ”たれちゃうよ?」
顔をしかめながら幼女は“これ”を彼らの目前に持ち上げて見せる。
「「「っ!?」」」
瞬間。あまりの衝撃に声も失くして、彼らは目を見開いて硬直する。
幾多の国が滅びた神暦を、今もなお生き抜く四国の王たる人物たちが。その光景の前では何も考えることができなかった。
上げられた年相応の小さな左手が持つものは、未だ赤色の液体を流し続ける、人間の生首だった。