9.金環食をご一緒に
無限に長い夜が明け、空が白み始める。
ゆっくりと街並みの切れ間から、太陽は顔を出した。昇る太陽を、こんなに感慨深く眺めるのは何時頃ぶりだろうか。
奇跡は既に、始まっているように思えた。空は、この季節には珍しい雲一つない快晴で、どこまでも高く、澄み切っている。
「シノブ、おはよう」
「おはようございます」
当たり前のような会話が、今日ほど新鮮に感じられた事は無い。
今日、この空こそが、永かった全てを決す、僕の永遠の一瞬になるのだろう。
日が昇って、それが少し見上げるようになった頃、リーンシェラさん、セシリアさん、リョウコさんが起きてきた。三人は部屋にやってきて挨拶したあと、朝御飯を作ると言い、キッチンへと向かった。
日が、顔を上げなければ見えない位になると、リーシェラさんのお兄さんである、ロウさんがやって来た。
どうやら、リーンシェラさんを迎えに来たらしい。まず、それは声として聞こえ、一頻り何かしらのやり取りの後に、リーンシェラさんと一緒になって、部屋に来た。
あらかじめ、何か聞いていたのだろう。
ロウさんは僕を見ると、至って普通に挨拶し、『リーンシェラが世話になった』とだけ告げた。
日が、中天にさしかかる頃、アーリーさん、ベンさん、カロンさん、シゲサトさんがやって来た。
アーリーさん曰く、
「気分悪いのが来たから」
こっちにやって来たのだそうだ。なるほど、ディーガンさんの事だろう。
後の三人は、今日の朝までゴロツキと一緒になって牢屋に入っていたそうだ。本当に申し訳ない。順々に礼を述べる。それにしてもサンニィロックさんはどうしたのだろう。
「じゃあ……行こうか」
僕は未だ何も言わないミランに、そう声をかけた。それから、アーリーさんに無言で肯く。それだけで十分だった。
既に、日は中天近くにさしかかっていた。機械時計を見れば、11時45分。
僕は、ミランを慎重に抱きかかえると、カロンさんに扉を開けて貰って、廊下に出た。
「あ、シノブさん……もう、時間ですか?」
「なんだ。時間がわかるのか?」
ええ。
現れたセシリアさんと、シゲサトさんに、声にならない声で、そう告げる。
そのまま、不思議そうな顔をしているリョウコさんの隣をすり抜け、地に付かないような足取りでラウンジに出る。
「お、シノブ、もう、そうか?」
「ようやくなんだな。シノブ」
片言のように喋る巨人族の男に笑みで答え、エルフの兄妹に一礼すると、外へと続く扉を開き、バルコニーへと出た。
そこには、黒衣の男が無言で立っていた。男は無表情を装ってはいたが、何かを悟ったように笑うと、小さく拍手をする。
幸せだった。或いは、僕は夢見ていたのかも知れない。
たった二人きりで、祝う者もいなかったあの日の僕たちの誓い。
だけど、今はこんなにも多くの人たちが、祝ってくれている。それは本当に幸せなことだった。きっと、彼女も同様に違いない。
どちらにしても、感謝しなければならない。今日、この日を迎える事を許してくれた、僕の中のもう一つの意識に。こんなにもたくさんの人たちに心からの祝いを貰う、僕という人に。
空を振り仰ぐ。その瞬間が、迫っている。
わかっていた。その位置こそが、僕たちがあの日誓った奇跡の発現を得た場所なのだから。
そのまま、バルコニーから地に降りる。通りには人通りはない。
僕は通りの中程まで歩み出ると、そこで立ち止まり、振り返った。
店の前に、列ぶ人たち。嬉しそうな顔。幸せを、改めて感ずる。
そして”僕”は言った。
「ありがとう―――みなさん。どうぞ、金環食をご一緒に」
そして、それは始まった。
第二星振航路から、南東へ巡る三番目の月。それが、74番回廊を渡るこの季節の太陽と、ゆっくりと交わっていく。
初めは、眩いそれによって、その様ははっきりとはわからない。
だけど、辛抱強く待てば、確かに大いなるその光源が、少しずつ欠けていくのがわかる。
それは全く確かなことで、幻でも、魔法でも無い。まさに起こり得るべくして起こる、現世の奇跡。
「……太陽が」
彼女が、目を覚ました。僕はその顔を見る。愛おしいその声、その姿。
あの日と、何もかも変わらない。
「リオネイラ」
姿を目の前にして、その名を呼ぶ、この日が、今再び来ようとは―――
「イーリンアネル」
「ああ」
僕は肯いて、彼女を地に降ろした。彼女は確かな足取りで地に立つと、僕を見、そして空を振り仰ぐ。僕も、その視線を追った。
今や、太陽の半分以上が消えている。空は段々と青さを失し、替わりに黒がゆっくりと天を浸食していく。
「待っていたんです。この瞬間を、長い―――永い間。何度も何度も生まれ変わり、永久とも思える時の果て、あなたに、あなたにきっと会えると信じて」
震える声。太陽はゆっくりと更にその姿を隠しつつある。
「僕も、そうだ。幾度も人から人へ拠とし、いかに永劫の時を彷徨ったか―――リオネイラ。僕は―――」
太陽が、消える―――
「僕は、約束を守った」
瞬間、太陽は消失した。
あの日、あの時、誓った闇の金環。それが、今、まさに僕たちの頭上に輝く。
僕は、それを見届けた後、今こそとばかりにリオネイラに振り返る。
「―――はい」
それは、同じ、あの笑顔。
僕は静かに、リオネイラを抱きしめ、そして口づけを―――
弾けた。
それは、まさにそう形容するしか無い。
緑の丘。闇の金環。リオネイラ。約束。遠征。月道。遙か戦地。蛮族達。戦い。「僕と彼らは何が違うんですか!」。降り続く雨。流れる血。自らの胸を貫く親友の槍。「仕方なかったんだ!」。涙。死。彷徨。荒廃。人間の台頭。生活。嬉しい事。悲しい事件。人間達の戦争。かつての同胞達の凶事。人形達の行列。謀議。夢。希望。確信。祝福。闇の金環―――
そして、再会。
「ありがとう。シノブ」
「こんにちわーっ!」
「おう、シノブか。久しぶりだなあ」
久々に訪れた777。その朝の顔は、前と全く同じのレオンさんによる喫茶店だった。
それは全く変わらない。或いはここに来る前に、少しは予測していた事だった。もちろん結論的には『まさか、もうやってないよね』というものだったのだけれど。
だから、入っていきなり当たり前のようにカウンターに居るレオンさんには、とりあえずそれはそれで驚いた。
でも、本当に驚いたのは、予測したとはいえ、それでもいつもの調子で入った777のラウンジに大勢の客が居たことだった。しかも、例の調子だったものだから、扉を開いて声を上げた瞬間、そこにいた大勢の客、全員の奇異の視線を浴びる結果となってしまった。
「あー…………え、えと。その」
あまりのことに、しばらく頭が真っ白になる。頭の片隅で『反則だ』と、誰かが告げていた―――僕か。
客は、そんな僕の様子を明らかに好奇の視線で切り回し、あまつさえ連れが居る者(たいていは、そうだ)にあっては、こそこそと何事かを話し合ってはクスクスと笑うのだ。
よくよく見てみると、客のほぼ全員がリーンシェラさんぐらいの歳の女の子、だった。一体、何事が起こったのだろうか。
「おい、シノブ。そんなトコロに突っ立ってないで、中に入ったらどうだ?」
「あ、はい。お邪魔します・・・」
何だかひじょうに申し訳ないような気分になって、ぺこりと一礼してから、その場から一刻も早く逃げたい僕は小走りでカウンターまで行くと、適当に空いている席に座った。
何でこんな事に?!
ある意味、ショックだった。
そもそも、僕がこの777に来たときからこちら側、ここの店内に、こんなに客が入った事なんて一度も無かった。それどころか正直僕にとっては、店とかそういう感覚さえなく『ウィルの家』という気持ちでいたのが、今はなんと言うことか『お邪魔します』と言わなければならないなんて!
……よく考えたら『お邪魔します』はオカシイな……
とにかく!
「ど、どーしたんですか、一体、これは?」
僕が座ったのを見て近寄ってきたレオンさんに、押し殺した声で問う。不思議なのはレオンさんで、このような状況になっているにも関わらず、妙に雰囲気は何時もと変わらない。
「どうしたって?シノブ、何が?」
上手く伝わらなかったらしい。もどかしい気分に、歯噛みしたくなる。
「それよりも、シノブ。コーヒー飲むかい?」
「い、いや……あのですね……」
「少年、少年、ちょっと……」
どう言うべきなのか。女の子に囲まれた中、悩んでいる僕の耳に、聞き慣れた声が聞こえてきた。縋るように首を巡らせると、カウンターの奥の部屋、即ちアーリーさんの部屋から腕だけがにゅうと延びて、ぴらぴらと手招きしている。
「あ、アーリーさん!」
「ば、バカッ!」
僕がそうだと思い、そう声をあげると、部屋の中から今度ははっきりとわかるアーリーさんの声で怒られた。
「え、アーリーさん居るんですかぁ!」
「きゃあ、アーリーさぁん!」
何で怒られるんだ、と思う間もなく突如周囲から黄色い悲鳴が上がった。
「一体どうしたんですか、これは」
アレコレあったりした後、アーリーさんの部屋で僕とアーリーさんは対面していた。何もかも変だ。そもそも三、四日前までベッドしかなかったこの部屋は、なんでこんなに狭くなっているんだろう?アーリーさんも心なしか元気がない。
「なにがあったんです?」
重ねて問うと、アーリーさんは何だか破れかぶれな感じで声を上げた。
「そりゃあ、もぅ、見ての通りだってばサ」
「は?」
「見ての通り、満員御礼。は、メデタシメデタシだわ」
なるほど。何だか気に入らないのだろう。
聞くと、アーリーさんも知らない間にこうなったのだそうだ。それで、アーリーさんが何で気に入らないのかというと―――
「あたしがあんなに頑張っても、カンコ鳥鳴きっぱなしだったのにさァ!」
「でもまあ、わかる気もしますけどね」
言った瞬間に殴られた。
「いたたた……でもまあ、ほら、結局ロウさんとか、レオンさんとか出入りしてるわけだし、女の子が集まるのもわかる気がしますよ」
常連のスーパーイケメン枠二人の名前を挙げてみる。それ以前に、今まで客が来なかったのは、店がアヤシイ酒場だったからだ、とは流石にそこまでは言わない。
「まーねー……」
「アーリーさんも随分人気っぽいじゃないですか。こんなになんかプレゼント貰ったりして」
言いつつ、部屋を狭くしている正体を眺める。大小可愛らしい包装に包まれた何かの箱が、堆く積み上がっている。
「欲しかったら、持って帰ってイイわよ」
すげなく言う。やっぱりというか、なんというか、あんまり嬉しくはなさそうだ。
「それよりも、シノブ?」
「はい?」
どれか持って帰ってイイかなあ。いやでも。とか思っていた僕は、ふと我に返る。
「アンタ、今日はどーしたのサ。それより、ミランはどうなの?」
言われて、改めて僕は当初目的を思い出した。
「ええ、ミランも殆ど良くなったみたいです。でも、まだ何だか調子良く無いみたいで・・・そんで、まだ、暫く手伝いしますから、ちょっとアレコレ取りに来たんです」
「そう……でもよかったじゃないのよ。良くなったんでしょー?」
「はい。それで……暫く向こうに居ることになりますけども」
良いですか?と聞く。いや、勿論声には出さない。
「そりゃ、そうしてあげなさいな。その方がイイでしょ?」
「ええ」
にしても何だか、もう少し残念がってくれても。
「ただいま」
アレコレあって、トレンティア・ベーカリに帰ってきたのは昼過ぎになっていた。ミランはバルコニーにこの間カロンさんに作って貰った安楽椅子に座っていた。
「ゴメン、おそくなっちゃ……」
無造作にバルコニーに上がったところで気付いた。ミランは椅子に座ったまま、すぅすぅと寝息を立てていた。は、と息を止める。
少し不安になって顔をのぞき込むと、妙に幸せそうな顔で目を閉じている。やれやれとため息を付くと、僕はまず手に持った荷物を部屋に置いてから、ミランを起こした。
「ミラン。風邪引くよ」
「あ、ふ……あ、シノブさん……」
目を覚ます。それは何故だか変に感慨深い。二、三日前を考えると、それは確かに仕方ないことなのだ、と僕は自分を解析した。
「や……だぁ。私、寝ちゃってたんですね。ゴメンナサイ。帰ってくるのを待ってたんですけど……」
顔を真っ赤にして、しどろもどろにそう言う。僕はその様に笑いながら、向かいの椅子に座った。
「気にしなくてもいいよ。いや、それよりも出来るだけ寝ていた方が良い。その方が身体にも良いんじゃないかな」
あの日から、結局ミランは目を覚ましたものの、喜ぶ間もなく倒れて寝込んでしまった。とはいうものの、それまでのように目を覚まさないという状態ではなく、意識はあるけど起きあがれない、という状態のようだった。
差し当たって十分に慌てた後、誰かがディーガンさんを呼ぶことを思い出した。すったもんだの末、結局ディーガンさんは来なかったものの、それがタダの貧血であることがわかった。曰く、
「今まであった、魔族の血が抜けたのだ。貧血になって当たり前だろう?数日安静にして、レバーでも食べてれば治る」
だそうだ。
まあ、概ねは安心したものの、結局のところ僕はそれから数日、ミランの世話をしつつ、偶に下手くそなパンを焼いたりしている。
それでもベルマイルがいなくなってから、ぼちぼちと客がやって来たりしたからだ。出来の良いパンだけ、並べる。売る。作る。掃除。結構、忙しい。
それは煩わしいようで―――いや、もう正直に言うと、楽しい日々だった。
「実は……知ってたんです」
突然、ミランは話始めた。毎日毎日レバーな為、今日の夕飯はどうしよう。とか考えている最中のことだった。
「え?何を?」
はたと考えを止めて、ミランに向き直る。ミランは何か意を決したように、神妙な顔つきで僕を見ていた。
「その……全部です」
それを聞いて、僕はクスッと笑うと『知っていたよ』と言った。
つまり、ミランは何もかも知っていたのだ。ディーガンさんが調べてくれていた事、全部。
それは、事後からよくよく考えてみると当たり前で、突然憑いてしまった僕とは違って、地下室とか色々な歴史のある彼女の方が知らないのはおかしいぐらいだ。
それでも、あのリョウコさんと僕の話の中、それを明かさなかったのは、単に自分に魔族の血が流れている、という事を知っていたからだろう。だからこそクチには出来なかった。
何しろその時は僕たちに魔族の知己が居るとは知らなかったことだし。
「……だろ?」
「はい」
全部が全部、一切合切を当てられてしまったミランは恥ずかしそうに俯く。それを見て、なるほど大当たりだったんだな、と僕も思った。
すると、あの時ミランの問いに対して、僕が「他人」と言った事に驚いたのもうなずける。なにしろ、その他人とはミランの事に他ならないのだ。
内心、複雑だっただろうと思う。
「まあ、良いじゃないか。こうして何もかも平和。全ては終わったことなのだから」
目を瞑ると思い出す。
あの金環が現れたとき、僕は意識が無いわけじゃなかった。確かに、イーリンアネルに身体を預けはしたものの、全てを感じ、なにもかもを見ることが出来た。
『約束を守った』
そう言ったイーリンアネルの心中は、今こそ僕は勇者であると胸を張れる、と語っていた。勇者。そう、彼こそ本当の勇者になった。
「僕はまだ、ダメだな」
「……何がですか?」
つぶやきの端を捕らえて、ミランが首を傾げる。
「……いや、何でもないよ」
僕は誤魔化してから、バルコニーの席を立つ。それから、不満げなミランに『夕食は何にするかな』と、問うた。
「ロールキャベツが良いですね」
僕は笑うと、ミランにすっと手を伸ばす。何も言わなくてもミランは、その手に自分の手を重ねた。そのまま、いつものように抱きかかえる。
僕の約束は、たった一つ。
『ミランを守ること』
僕が僕を勇者だと、胸を張れるのは、まだまだ遠い先の話になりそうだ。
これで、一端この話はお終いとなります。
登場人物がだだーっと出てしまうのは、シリーズの真ん中付近の話だからでして。
これは、そのうち一からシリーズものとして再構成したいなと思います。
ここまで読んで頂いた方、有り難う御座いました。
あと、おまけの補足が付きます。