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5.闇にのまれて

 夜の闇は、日の光のもとの生活に適応した、全ての生物の行動を阻害する。


 普段で有れば、それはそれで常態だ。そのようになっているという、身も蓋も無い意見によって肯定される。

 ただ、それも相互の干渉が無いとした場合のみに適応される条件だ。普段相容れないそれぞれが、時に、偶然にしろ必然にしろ、相手の領域に踏み込む場合がある。


 今がそうだ。


 僕は一人、明かりを煌々と灯したここ、トレンティア・ベーカリのフロアから、外を眺めながらぼんやりと考えた。外は、今のところ変化はない。

 昼間にあり、絶えざる人の流れを形成していた大通りには、今や人の影はない。それどころか、動く物さえ皆無に近い。わずかに風によって通り向こうの立木の月影が揺れるのみだ。

 今日は幸運にも夜空が高く、澄んでいる。

 古今東西に置いてこの様な夜には襲撃を控えるものだ。勿論それがいかにささやかな期待であるかということについては、よく熟知しているつもりだけど、それでも一切合切が闇に包まれるよりも遥かにマシだといえる。


 ああ、それにしても。


 僕は少しだけ後悔していた。リョウコさんに頼んで777から応援を出して貰うべきだったのに。

 今、仮にベルマイルの襲撃を受けたとして、果たして一人でこの店を守れるか。正直、無理だと考えている。当然むこうは数を頼んで来るだろうし、例えばそれらが店を焼き討ちにする作戦を採ってきた場合、その結果はまず間違いない敗北だ。

 ただ、相手の狙いがどうもはっきりしない。もしかすると相手の欲するのは土地ではなく、店そのものなのかも知れない―――いや、それはないか。即座に否定する。

 この店に1000金貨もの価値があるとは、ミランには悪いが、どうしても思えない。相手が狙いとしているのは、まず間違いなくこの場所だ。ならば、焼き討ちという可能性も十分すぎるほどに考え得る。

 ならば、月夜の晩である今日の夜、その細い可能性にもすがりたくもなる。今日の襲撃は無い、と。神にも仏にもすがりたい気分だ。

 だめだ。頭を振る。どうしても一人でこの夜の静寂の中にいては、考えはどうしても否定的になりがちだ。しかし、仕方ない。事実なのだから。


 正直、いま現在の状況下から推測して、敵に勝てる、あるいはそうでなくても、明るい材料など何一つとして考え得ない。戦う前から負けている。これで勝つには、幸運や僥倖と呼ばれるそれらが幾つ必要か、わかったもんじゃない。そしてそれは、努力ではいかんともし難い。それこそ神仏の領域で、出来得るなら今この瞬間に降臨して授けて欲しいぐらいだ。


 僕は、座ったテーブルに有るポットを引き寄せて、中身をカップに注いだ。中にはミランが作ってくれた珈琲が詰まっていた。過去形なのはたった今、空になったからだ。

 僕はそのどうしようも無い現実に少し腹を立てながら、カップに口をつけ……ぬるい。それに正直、あまり美味しくもなかった。

 ただ、それは味云々の話ではなく、さっきから珈琲ばかり飲んでいたせいでもある。美味しい御馳走も毎日食べていれば飽きるというその類で、決してミランが入れた珈琲が不味い、というわけでは………………何を弁解しているのだろう、僕は。


 当のミランはというと、夕食からこっち、しばらく僕に付き合って此処に居たのだけど、10時を越えた辺りで僕が寝室に追いやった。

 本当は此処に居て欲しかったのだけれど、それでもいずれ戦いの場になるであろうこの場所に居て貰っては困るし、危険でもある。ミランは渋っていたようだが、僕は自分の気が変わらない内に、アレコレと理由を付けて寝るように説得した。

 実際の話、それがどういう行動原理に基づくものか、僕にすらわからなかった。冷静に考えてみると、僕から離れてしまう事は、それはそれなりに危険なような気がしなくもない。言ってしまえば、どっちが果たして正解なのか、わからなかった。ただ、その時はその方がいいと思ったし、今は多分寝ているはずだ。それが現実。


 ミラン。


 考えるに、どうも僕は迷っている。

 会ってたった5日程度でしかないのに、いつの間にか大きく、僕の心の中を占めるようになった。それが一体どういうことか、僕には……わからない。いや、本当はわかっている。だけど、それを認めることが怖いだけ。

 結論を出して認めてしまえば楽になるのかもしれない。迷わなくなるのかも。それでも認めてしまうことに絶対的な不安がある。怖い、と言ってもいい。


 ……


 何を考えているんだ僕は。

 僕はつまらない考えを追い出すように、再び頭を振って、それから強く自分の両頬を叩いた。こんな事を考えていては襲撃者に勝てようはずもない。如何に状況が悪かろうが、負けることがあってはならないのだ。今は、それだけを考えよう。

 カップに残った、珈琲を飲み干し、脇差しを手元に引き寄せた。飲み込む珈琲が口腔を、次いで胃を焼いた。あきらかに飲み過ぎだ。自分でもわかっているのだけど、どうしても喉が乾く。接敵前というのは何時も同じ。ああ、それにしても……

 焦れる。機械時計を見ると、まだ午前一時。日の出まであと五時間……三百分……一万八千秒。それは今の僕にとって、無限に等しい。進む秒針を見ながら、とりとめがないとわかっていながらも、考え―――!!


 「きゃあっ!」


 かちゃんというかすかな音に、体は無意識に反応した。逆手に持った脇差しに手が伸び、居合いに似た要領で刃を滑らせる。

 が、その必殺の抜刀は、相手の首を切り飛ばす前に、辛うじて寸での所で止まった。


 「………………ミラン?」


 当たり前だけど、突然閃いた白刃に目を丸くして驚いている。それでも、手に持ったランタンを落とさなかったのは、大したものだと思った。


 「し、シノブさん……!」

 「っ…………ごめん……」


 直ぐに抜いた刃を鞘に収める。


 「……寝ててくれって、言ったと思うけど?」


 ばつが悪いので、顔を合わせないようにしながら、何事も無かったように聞いてみる。が、興奮醒めやらぬその胸中が出たのか、語尾が自分でも驚くほどに強くなった。


 「……ご」


 しばらくの気まずい沈黙の中、顔を合わせることも出来ず、かといってどうすることもできないでいた僕の耳に、ミランの声が小さく届いた。思わず振り返る。

 ミランはうつむき加減に、僕を見ていた。その瞳には、涙がいっぱいに溜まっていた。


 しまった……!


 何が『しまった』なのか、思う間を待たずしてミランは堰を切ったように喋り始めた。


 「ご、ご、ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。ゴメンナサイっ!でも、でも、怖かったんですーっ!凄く、怖かったんですっ!暗い部屋のなか、寝よう寝ようって、思って……っ!でもダメなんです。暗がりに何かいつの間にか居るんじゃないかって、今、聞こえた小さな音は、誰かの足音じゃないかって。ホントに、怖くて……私!」


 僕は慌てて、ミランを正面から抱きしめた。

 理由が有ったわけじゃない。そうしなければ、という意識に従った結果だった。そうせざるを得なかった。


 「あ……」

 「ごめん。僕も気付くべきだったんだ。戦うのは、僕だけじゃない。キミも、そうだったんだね……ごめん」


 手を、腕を、胸を通してミランの震えが伝わってくる。僕はそれを感じて、本当にすまない気分になった。戦うのは僕だけでいいなんて、そんな事は相手次第なのだ。本当に重要なことは、戦う事じゃなくって、ミランを守ること。

 それすらも忘れていた。ミランは怖かったのだ。僕は、彼女を脅かす全てから、守ってやらなければならない。それなのに、闇に震え、怯えていたのは、僕の方ではないか。その上、その彼女に刃を突き付けるだなんて!恥を知れ、シノブ・ゴトー!


 「もう……大丈夫。僕がキミを守るから……安心してくれ」


 安心してくれ。繰り返し言う。

 ただそれで信じてくれるかどうか、わからない。それでも、その時の僕はそれ以外の行動の取りようがなかった。心の奥底から、僕は情けない気分になる。


 「シノブさん……」


 俯いたミランが不意に頭を上げた。窺う顔には笑みを。ただ、頬に涙の流れた跡がある。その瞳にも、未だ涙を溜めて。


 「……えへへ。ゴメンナサイ。もう、だいじょうぶですよー」


 かすれるような声で言葉を繋いでいく。それは無理をして、というそれではなく、素直な気持ちの発露だった。少しだけ安心する。

 ただ、少し言いよどんだ後で、一言、付け加える。『でも』

 でも?


 「…………もう少し、こうして居て下さい」


 或いは幸せそうなそれを聞いた瞬間、首筋から背筋にかけてゾクゾクと鳥肌がはしるのがわかった。

 改めて気付く。なんて僕は大胆なことをしているのだろう。

 かといって、今更手を離すわけにもいかない。さすがに僕も、そのつもりも無い。顔が紅潮するのがわかる。胸は早鐘を打ちっ放しだ。いや、このドキドキは僕の胸なのか……それとも。

 ミランの顔も、紅くなっている。だけど、顔には幸せそうな、或いは安心しきっているような表情を浮かべている。ゾクゾクとする背筋の震えは止まらない。下唇を咬んで、衝動を抑える。それでも治まらない。僕は。


 「ミラン」

 「あ……」


 胃が捩れるほどの努力を注いで、僕は優しく、ミランを包み込む腕に力を加えた。

 僕は何もかもを認めることにした。もう、否定し続けることなど出来ない。

 愛しい。身を切られるほどに。


 「僕は、ずうっと誤魔化し続けてきた。自分の気持ちを、或いはキミの気持ちを。知っていたんだ。とうの昔から。今だから言うけど」


 或いは自分に言い聞かせるように、一言一言に韻を込める。

 確かに僕は誤魔化し続けていた。アーリーさんから少年と呼ばれるように、そうであろうと演じ続けてきた。本気になるのが怖かったから。そして臆病と誹られるのが嫌だったからだ。


 「だからこそ、今は素直に言いたいんだ。はっきりとした答えを」


 言い切る。窺うミランの瞳には、期待や不安やその他色々なものが見える。混乱しているのかも知れない。きっと僕も、そうだ。


 「わ、私は……シノブさんが……」


 混乱しつつ、ミランが熱に浮かされたように喋り始める。


 「その先は、僕が先に言いたい。その後で、キミの気持ちを確認したい」


 言葉でミランの台詞を遮った。

 こういう時はきっとキスで黙らせるべきなんだろうなぁと冷静な部分が告げる。

 頭の中はロクでもない事を考えつつも、僕は最後の言葉を口にした。最早躊躇いも何も無い。破れかぶれな気分で、たった一言。


 「好きだ」


 自分の言った言葉なのに、それはまるで他の誰かが言ったかの如く、頭の中に響き、それから胸に燻る柵を全て解き放った。何故か、もう後はどうでも良いと言うような恍惚に限りなく近い満足感が心中を襲うが、危ういところで表情に出すことを堪える。まだ、終わりじゃない。終わりじゃあ、ない。

 そう考えると、今度は妙に心が逸った。ミランを見るが、その表情からは感情を読みとることが出来ない。いや、明確に一つの感情を露わにしているのに、それが何を意味しているのかがわからない。やっぱり僕は混乱している。

 息が苦しい。早く答えが欲しかった。


 「……はい」


 ダメなのだろうか、と考えが至ろうとした、その直前、短い単音節が耳朶を打った。はい。肯定の、はい。

 ……考えるほどに、繰り返すほどに、暖かいものがわき上がってくる。見えない力がさざ波のように四肢に渡っていく。

 それはまさに、幸せという、それだった。そう、僕は今更ながらに気が付いた。

 僕はミランの顔を見る。先ほどにはわからなかった、その一つの感情が、いま、この瞬間にあってはっきりと理解できた。そう、それは―――

 それは、そう。あの時。今一度、僕は思い出す。

 ゆっくりと記憶は過去に遡り、そして、僕は再び夢を見た。

 不思議なほどに、僕はそれを冷静に受け止めた。






 星の輝きの下に、木立。そして丘の上。もう、驚くことはない。振り仰ぐ空には闇の金環。それはいつもの夢であり、しかし何時に増して鮮明だった。

 ゆっくりと、静かに、僕の中にあるもう一つの意識が、心を浸食していくのを感じた。それは本当に自然に自分の意識と混ざり合い、一つとなる。

 僕はいま再び、目を閉じた。不思議な感覚が、身体を支配しているのを感じる。それが四肢指先脳天に至るまでに巡っている事を確認し、目を開いた。

 目に見えるものは全て幻。それはわかっている。だけど、今、それは重要なことではない。感じ、思う。それら全てが、たった今、見える全ての真実。


 「空が」


 ”彼女”は目の前にあり、闇に覆われた空を不思議そうなその眼で見つめている。愛しいその姿。今こそ何もかもをも賭けなければならない。そう―――僕は彼女の視線を追った―――空に浮かぶ、奇跡の環。僕は、この瞬間を待っていたのだ。ならば、恐れることは何もない。

 静かに告げる。


 「僕はこの大いなる金環を、誓いの指輪としたい…………結婚してくれ」


 自分ながらに、詩的に過ぎるか、とも思う。それでもそうした演出に依らなければ、口に出来ることじゃない。それは、僕の限界だ。すまないとすら思う。

 無限に長い一瞬。ただ、見うる金環はそこに有り、僕に勇気を与えてくれる。きっと、彼女は認めてくれる。根拠はない。だが、確信はあった。


 「……はい」


 はにかむように、しかしそれでも信じられない、という顔で、小さく震える声で彼女は言い、そして小さく首肯した。僕は確信が有ったながらも、心の底から安堵する。


 「……リオネイラ」


 彼女の名を呼び、ゆっくりと僕は抱き寄せた。顔を、その瞳を、見る。彼女はその瞳を閉じた。僕は定められたかのように、彼女のその唇に―――







 「よーっす」


 がちゃん。ちりりん。

 その鈴の音と声に、過去の彼方から僕の意識は一瞬にして浮上した。

 さらに、何がそうなのか考える前に、『マズイ』と脳のどこかが激しく警鐘を鳴らす。それに従う前に身体が勝手に動き、瞬間的にミランから離れた。ミランも同様だったらしく、二人で微妙な距離を保ったまま、不思議なポーズで静止する。


 「……なにやってんだ?二人で?」


 店の戸口に現れたのは、リーンシェラさんだった。当然のように、怪訝な表情を浮かべている。

 僕は―――僕たちは、ぎこちなく顔をあわせると、妙に引きつった顔で固まった。脳みその中では、どうしよう、どうしようと、そればかりが空回っている。暑くもないのに、額から鼻筋へ汗が流れるのがわかった。


 「……じ、実は、シノブさんに護身を教えて貰ってたんですよーっ」


 上手い。何にでもすがりたかった僕はミランのその言葉に、即座に合わせる。


 「そ、そうそう、相手がこうカタナで斬ってきたら……って」


 言いながら、不自然な動きで、手を組み合わせて振り上げると、そのまま斬り降ろすポーズを取る。それをミランはやはり変な動きで、かわすマネをした。バカみたいだが、心底必死で笑えない。


 「…………ふーんん」


 怪訝な顔をしつつも、リーンシェラさんはそれ以上突っ込んだ質問をしてこなかった。何事か考えながら、店内に入ってくるリーンシェラさんに、僕は切っ先を逸らすかのように慌てて聞き返す。


 「そ、それにしても、なんでこんな夜中に?」


 聞くと、リーンシェラさんは三白眼で僕をジロリと睨め付けた。なんだか居心地が悪い。一体、なんなのだろう、と、自分を誤魔化してみる。


 「……姉貴が……」


 と言った瞬間、次発がどやどやと店内に入ってきた。

 心底眠そうなカロンさん。ベンさん、そしてサンニィロックさん。777常連の冒険者チーム。筋骨隆々、まさに巨人族たる巨人族の二人と、あと……人間?何時も思うが、サンニィロックさんは何なんだろう。人族なのだろうが、こう、人間離れしている見た目と思考体系が、僕をしてもそれが人族であるという即答を躊躇わせる。


 それにしても、ホントに一体何なのだろう。


 「うげえええ……眠てぇ……」

 「おう、シノブ。来たぞ。久しぶりだなあ」

 「食い物はドコぢゃ?」

 「一体どうしたんですか?皆さん」


 なんだか三者三様で、疑問もわくが、それ以前に妙な脱力感が僕を襲った。


 「どうしたもこうしたも……女将がよ……くあああ、眠てえ!」

 「ん?姉さんが『行って来い』って言うから」

 「アーリーがココに来たらウマイもんが食えるって言ったんぢゃ」


 なんだかよくわからないが、アーリーさんがらみらしい。


 「あのな……シノブが困ってる、ハズ、だから、助けに行けって」


 相変わらず三白眼のリーンシェラさんが腕組みしながら言う。そう言われれば、全員一応の戦闘体勢になっている。なるほど。リョウコさんがアーリーさんに伝えてくれたに違いない。ありがたいことだ。


 「でもよー、まさか、実は来た方が困ってるってコトは無いよな?」


 探るような目で、僕を見る。なんか……バレてるんじゃないだろか。思わず顔が引きつる。


 「そ、そんなコトないですよぅ」


 否定したものの、どうも弱い。


 「それはともかく、一体なんでぃ。困ってるって言うから来てんだぜ?なんかあったんじゃねぇのか?」

 「そこまでは、聞いてないんですね……」


 言えば、サンニィロックさんを除いた全員が当然のように肯いた。さすがアーリーさんだ。殆ど何も言わずに送り出したらしい。

 僕は一瞬、どうしたものかと考えたものの、結局一から経緯を説明することにした。






 「―――まあ、そういうワケで、出来れば手を貸して欲しいと」


 差し当たって、この店に起こっている危機について一通り説明した後、僕はそう締めくくった。夢云々の部分については、話し始めると色々不都合が有りそうなうえ、当面は関係ないので黙っておいた。


 「ふむ。最近居ないと思ったら、そんな事、やってたのだな」


 独特の抑揚を付けて、ベンさんが自分の顎をごりごりと擦りながら言う。


 「最近居なかったのは、ベンの方だろ?」

 「オヤジだって、そーじゃん」


 ベンさんにカロンさんが、カロンさんにリーンシェラさんがそれぞれツッこむ。良いトリオだ。

 一人、サンニィロックさんだけは、我関せずと言わんばかりに、さっきから棚に陳列してあるパンを片っ端からむしゃむしゃと食べまくっている。きっと説明も聞いていない。当然止めたのだが、ミランが『明日、処分する分ですから』というので、これ幸いと放っておくことに決めた。


 「わい、最近、海の方で、忙し……」

 「オリゃあ、例の村の再建でよぉ。朝っぱらからトンテンカン、トンテンカンって、夜遅くまでなぁ」


 リーンシェラさんはともかく、ベンさん、カロンさんも運の悪いことだ。ちょっと同情するが、それでも帰ってもらったら困ってしまうので、曖昧に相づちを打つ。

 いや、それにしても、よくよく考えてみたら、リーンシェラさんだって、なんでまた最近777に居るのだろう。その辺、よくわからないが、もしかしたらフクザツな彼女の故郷での生活の事で色々有るのかもしれないと考えて、結局、聞くのは止めることにした。何しろ自分のことだけでいっぱいいっぱいなのだから。


 「とにかく皆さん、忙しい所、本当に申し訳ないんですが、出来たら協力願います」

 「お願いします」


 僕に続いて、それまで黙っていたミランが頭を下げる。


 「……まあ、ちょうど腕が鈍ってたトコだしな」

 「わいも、丁度暇だし」

 「せっかく来たんだから、助けてやるか」

 「ありがとうございます」


 三者三様ではあったが、それぞれ不承不承を装うようにも承知してくれた。僕は頭を下げて礼を述べた。ミランも同様に、それに追従する。


 「ワシはいいんかィ」


 サンニィロックさんだった。いつの間にか、話を聞いていたらしい。みると既に棚は空っぽ。流石と思うし、成る程とも思った。


 「勿論、サンニィロックさんもお願いします」


 取り合えず、頼む事にする。人数は多いにこしたことはない。


 「了解ぢゃ」


 説明も聞いてないはずなのに、何をどう了解したのかさっぱりわからないが、サンニィロックさんは忌憚無く―――忌憚有った試しはないが―――言うと、例の調子でニタリと笑った。僕は思わずミランを振り返るが、意外にも平気らしく、同様に礼を繰り返している。初対面のハズだけど怖くないのだろうか?


 「それでは……」


 機械時計を見る。午前二時。まだ、夜明けまでは四時間有る。


 「それでは、すいませんが今からお願いします。店周囲を四人で見回り、一人はココに残って貰います。ここは……そうですね、リーンシェラさんお願いします。後の三人は外を」

 「わかった」






 一つだけ、確実にわかった事がある。

 夢の中にありしも、かの情景は、紛れもない真実であると言うこと。おそらく、それは今まさに時を越え、確実に現世に顕現しつつある。

 それは予見でありながら、また、あるいは宿命とすら言える。

 きっと僕は近い将来、あの闇の金環を目にするのだろう。






 「よお、シノブ」

 「カロンさん……」


 店から出てベランダに出ると、いきなりカロンさんに声をかけられた。カロンさんはそのベランダに備え付けられていたベンチに座っていて、既に半分眼を閉じかけている。


 「俺はここで見張ってっから……ふあああ……他で来たら教えてくれや」


 いい加減なものだ。とはいえ、手を伸ばす所には戦斧を立てかけている。油断無い、と言えば、油断無いようなふうでも有るのだけど、逆には全くスキだらけのような気がしなくもない。


 「気にすんな。頼まれた以上は働いてるからよ」


 そんな僕の気持ちを読んだかのように、カロンさんは閉じかけていた目を薄く開けて、僕を見た。或いは、この人もただ者ではない。あの地下世界事件の時、レオンさんを唸らせた程の技巧派であるというし。

 すれば確かに、言う程には気にすることではないのかも知れない。僕は素直にカロンさんに頭を下げて、「お願いします」と言った。


 「まあ、まかせな……それにしても、だ」


 ついさっきまで眠そうにしていたカロンさんは、突然僕をジロリと睨め付けると、跳ね上がるように上体を起こした。そのまま、前屈みに俯くと、顎から首を捻って僕を横目で見る。


 「な、なんですか?」


 思わず仰け反る。すると、カロンさんは口元を歪めてニヤリと笑った。


 「シノブも隅に置けねぇなあ、と思ってよ」

 「うっ……」


 思わず絶句する。不意打ちも不意打ち。まさかカロンさんにそんな事を言われるとは思わなかったからだ。

 そう言った様子を読まれたのだろうか。カロンさんは少し不機嫌な顔を作って、苦く笑う。


 「おいおい、オレはこれでも色恋沙汰には目先が利くつもりなんだぜ。少なくとも、シノブ、お前さんよりも、な」


 僕は赤面するしかなかった。確かに僕は目先が利かない。


 「で、どうなんだ?」

 「どう……って」


 わかっていながらも、思わず聞いてしまう。カロンさんは一頻り笑った後、ズバリと核心に触れた。


 「そりゃあ、あの娘が好きかどうかってコトさ」


 あまりにその言葉はアーリーさんですらどうかと思われるほどに直接的で、僕は十分すぎるほどに動揺した。思わず誰かに聞かれてしないかと、辺りを見回す。

 大通りには相変わらず人の気は無いし、店内はリーンシェラさんと、ミランがなにやら話す声が聞こえている。それは少なくともたった今の会話を話題にしているものではないようだった。内心胸をなで下ろす。


 「くくく……わはは。わかった、もういい」


 と、思ったら本当に僕は胸をなで下ろしていたようで、カロンさんに笑われた。意地が悪いったら。冷や汗も出る。


 「ところで―――」


 僕は差し当たって、話題を変えることにした。


 「他の人はどうしたんですか?」


 誤解されかねない質問ではあるけれど、他も無し。特に気にするコトもなく、そのまま聞いてみた。強引に話題を変えたにも関わらず、カロンさんは表情を変えて少し考えてから口を開いた。


 「ああ?俺は寝たり起きたり例の村に行ったりしてたから、よくわからないが……そうだな。まず、シゲサトはやっぱり女将に声かけられてたようだったが、逃げた」


 イキナリだ。さすがシゲサトさんだと思う。


 「あと、レオンは朝忙しいみたいだったからな。リョウコは何か調べてたようだったが?例の村にも来てたな……」


 調べてくれてるんだ。しかしそれにしても、魔族の村にまで、何か……?


 「あと、他のモンは全員例の祭りの準備に出てんな。明日だったか、明後日だったか……忘れたが、まあ、そうらしい」

 「そいや、リュウさんにもちょっと聞いたですけど、祭りって何の祭りなんですか?」

 「いや……俺もよくわからんし。そもそもリュウがわからんモノを俺がわかるわけないだろ?」


 確かに―――???


 「今……」


 何か、鉄と鉄のうち合わされる音が微かに聞こえた。カロンさんに眼をやると、どうやら同様だったらしく、緊張した面もちで耳を澄ましている。


 「……きだっ!」


 微かに聞こえるベンさんの声。間違いない。きだ。敵、だ。店の裏手。


 「カロンさん!」


 顔を見合わせる。そして頷いた。カロンさんはそれで十分で、ベンチから跳ね起きると、声のした方―――店の裏手に向かって走っていった。僕は店の扉を二、三度叩いて『来たぞっ』と声をかけ、それから中の様子も窺わずにカロンさんを追った。

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