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4.詩を詠えば

 結局、リュウさんは大量のチョココロネを買って帰った。彼の奥さんであり、魔族でもあるヴァレリさんもきっとびっくりするだろう。大量のチョココロネを前に困惑するヴァレリさんの顔が想像できて、可笑しい。

 もちろん、その辺りについて誰もアドバイスしなかったのが悪い、といえば悪いが、それはアーリーさんがソレを阻んだからで、アーリーさん以外の誰も悪くない、と思う。

 で、そのアーリーさんはそれで満足したのか、「広場に行って来る」と言って消えてしまった。一体何しに来たのだか。

 残ったのは、リョウコさんと、僕たち二人。例によって客は少ないので、バルコニーでの茶会は続く。


 「吟遊詩人、なんですか」


 ミランの言葉に、テーブルに腰掛けたリョウコさんは小さく頷いた。それを見て、ミランはイキナリ感激したような顔になる。目には「凄い」とか「尊敬」とか、そういう文字が列んでいるのが即、わかる。いつもながらわかりやすい。

 僕などは、そういやそうだったなー、と思っただけで特に感慨はないというのに。女の子っていうのは、なるほどそういうものなのかも知れない。


 「私、子供の頃は吟遊詩人に凄く憧れてたんですよーっ。詩を詠って、旅して……ロマンティックですよね。ホント、カッコイイです」

 「えへへ。そうですか?」


 持ち上げられたリョウコさんはくすぐったそうに笑った。

 とはいうものの突き詰めて見ると、「もちろんそれだけじゃないんですよ」という諧謔が含まれているようにも感じられる。実際そうなのだろうが、口にするほど野暮ではないということなのだろう。


 「リョウコさん……詩、詠ってみて下さいよー」


 キラキラしたままの目で、リョウコさんに詰め寄る。この目で頼まれると、非常に断るのが難しい。案の定、困った顔をするリョウコさん。他人事ながらにリョウコさんに同情する。

 が、よく考えたら僕はリョウコさんの詩を聞いたことがない。まず滅多に詠わないのだ。それは酒場である777にあってすらそうなのだから、もしかしたら、なにか理由があるのかも知れない、が……せっかくなので、僕も頼んでみることにする。


 「……そうですね。それじゃ、せっかくですし……」


 思いは裏腹、あっさりリョウコさんは承知した。

 そのまま軽く咳払いをして、大きく息を吸い込む。伴奏はない。しかしかまわずリョウコさんは朗々と詠い始めた。


 「―――古より語り伝えし勇士の話を始めよう。時は剣の代。この世に大いなる神々の従僕として降り立つ者有り。その者、神々の守護を受け神々の子供達を邪悪なる者の牙より守れり―――」


 ああ、これは。

 僕はすぐに気付いた。それほどに有名な詩だ。『エッダ』という名で、酒場で吟ずるならば必ず一度は聞ける詩。ただ、だからこそ、この詩を詠うにはその技量を問われやすいと、僕は聞いている。


 「―――その者こそ退魔の剣士。竜退治の勇士なり。光り輝く者、その者を助けん…………今、勇者は甦る―――」


 歌声は、時に強く、弱く、鋭くも緩やかに、秋の空へと舞う。息が詰まりそうなほどに、それは、心へと響く。何度も聞いたはずの僕ですら、そうなのだから、リョウコさんの吟遊の技量が知れるというものだ。


 「―――やがて、風が吹き………………狼が訪れよう―――」


 静かに、歌声は終息した。お見事。思わずため息をつく。

 その瞬間、その場をたくさんの拍手が包み込んだ。はっとして辺りを見ると、それまで何事もなかったように流れていた人の波が知らずのウチに止まり、そして一様にして、こちらを見ながら拍手を送っている。


 「あ……」


 呆然とするリョウコさん。そりゃそうだろう。にも関わらず、見るとミランも一生懸命になって拍手している。


 「すごい……感動しました。ね、ね、シノブさん!」

 「うん。ほんとうに凄い。僕が聞いた『エッダ』の中でも、最高だったと思うよ」


 世辞ではなく、本当にそう思う。だからこそ、歩を進める群衆の足をも止め、今、拍手をさせているのだから。


 「久しぶりでしたから……上手く詠えるかどうか不安だったのですけど」


 自分を取り巻く状況を横目で見つつ、恥ずかしそうに語る。今にもアンコールが出そうな雰囲気ではあったが、さすがにウィルの大通り、そんな暇のある人は少ない。別に催促するわけでもなく、リョウコさんが再び詠い出さないのを感ずると、名残惜しそうにも一人、また一人と、もとの流れに戻っていった。


 「でも、そんなに上手なのに、なんで酒場じゃあまり詠わないんですか?」


 何事もなかったように再び流れ始めた大通りの人々を見ながら、僕はふと素朴な疑問を覚え、聞いてみる。ミランはそれを聞いて「そうなんですか」と表情で語った。


 「うーん。まずですね。あそこに居ると、忙しくて詠っている暇がないというのが、まず一つ」


 確かに。僕は苦笑する。


 「二つ目は、まだ私も未熟だって事です。自分の詩がないんですよね……なんだか恥ずかしくって」

 「それは、未だ詩を吟じ得ない、ということですか?」


 聞いたことがある。吟遊詩人というのは、詩を詠えて、ただそれだけでは半人前だと。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌で感ずるもの、それら全てを詩として昇華できなければ、真なる段階に至れない、のだそうだ。


 それはまさに至難だという。


 真なる段階、というのが、いったい何なのか、吟遊詩人有らざる僕にはよくわからない。だが、聞くだけには聞いた話によると、もの凄く高尚な哲学である、ということだけは何となく理解できた。

 つまり、詩を詠っているだけでは半人前なのである。


 「……そうなんです。良く知ってますね」


 頷く。僕は、よくわかっていないミランにそう、説明した。あやふやながらにリョウコさんからの注釈が入らなかったところを見ると、概ね当たっているらしい。


 「そうなんですか……難しいんですね」

 「ううん。難しく考えない方がいいんですよ。ただ、ありのままに詠め、と私の師匠は言ってましたし」


 聞いてミランは少し、考える顔になった。そうかと思うと、それも一瞬のこと、突然ミランは両手を打って、思い出したように話し始めた。


 「実は、その、リョウコさん。私も、その、一つ、知ってるんですけど……」


 すこし、しどろもどろに、言う。何を知っていると言うのだろう。主語が抜けている。


 「詩を、ですか?それは、ぜひ聞かせてもらいたいですね」


 リョウコさんはそれを察したようだ。ああ、そうか、と思う。


 「でも、その、私、上手でないかも知れませんし」

 「大丈夫ですよぅ。私としては是非、聞かせて貰いたいですね。できるだけ色んな詩を聞きたいですし、知りたいですから」


 優しいその言葉に、ミランは決心したようだ。それでも恥ずかしそうな顔で、「それじゃあ」と前置くと、小さく深呼吸して、詠い始めた。


 「―――忘れ得ぬかな、この光景。ああ、愛しきその姿。悠久なる奇跡の元に現れて、世界は夢幻の闇に包まれる―――」


 初めて聞く詩だ。とはいえ、よくある恋の詩で、取り立て珍しいものはない。情熱的な詩ではあるが、こういう詩特有の滑稽さも含まれている。

 ただ、詠うミランが一生懸命なせいもあるのだが、どうもその詩には心を引き込む何かがあった。ミラン自体の詠うそれは、正直シロウトにしては―――というレベルに過ぎないのだが、それでも思わず聞き入ってしまう自分を知り、妙な気分になった。


 それはゆっくりと頭に霞がかかっていくような―――


 「―――いま再び、巡り会い。戦い向かう世界の果てより、生きて三度を約束す。大いなるかな奇跡の元に―――」


 ――――――彼女は言ったんだ。『はい』と、ハッキリと。僕は本当に嬉しかった。次の遠征は遠い。正直、生きて帰れるとは思えないほどに、無謀な遠征。でも、だからこそ、僕は確約が欲しかった。


 ????????????

 ……なんなんだ、これは?


 「―――ああ、今まさに誓う。天空に現れし、偉大なる金環に―――」


 ああ、僕は必ず帰る、と誓った。そして信じた。全ては此処に集約する一瞬のために、僕は、再び、ここに、帰ってててててててててててててて


 な、ん、だ、こ、れ、は?


 何か頭の中に、次々とおかしな記憶が浮かんでくる。決してそれは僕のものではない。夢、そうだ、あの夢の記憶だ。


 「―――そしてあなたは帰り得ぬ。遠い戦地のその果てに。そして、私は待ち続ける、約束を、闇の金環に託して。今も、なお―――」


 そうだったのか……そうか、彼女は今も、僕を待ち続けているんだ。嬉しく、そして悲しい。僕は、キミにもう一度会いたい。会いたい、僕は、愛しいリオねねねねねねね


 夢じゃない。何かが、僕の中に居る。何か。何だ。誰だ。お前は、誰だ?


 僕は会いたいんだ、もう、時間がなななななななななな


 時間がない?何の時間が?


 空にある、あの太陽が、また、あの日のように合わさるその瞬間が、もう、じかんんんんんんんがががががががががななななななななななななななななななな


 お前は、誰だ?






 「いや、全くすばらしい」


 唐突の声と、散発的な拍手に、僕は我に返った。ぼぅっとする頭を振って、急速に現実を取り込む。今のは何だったのだろう。白昼夢?いや、それよりも。

 僕は声のしたほうに振り向いた。一瞬だけリョウコさんと目が合う。リョウコさんの顔はなにか、僕を観察しているようなそれだった。

 とはいうものの、それは一瞬のこと、疑問に思ったものの次の瞬間目にしたそれらに、僕の考えは固定された。

 そこに居たのは、小綺麗なスーツを着た、中年の小男。そして、忘れるべくもない大男の、その取り巻き達。とはいえ、そこに大男自身の顔はない。

 僕は直感した。なるほど、この小男がベルマイルだ。人の良さそうな顔はしているが、その目には隠すことの出来ない業が見え隠れする。

 その男は、小馬鹿にしたようないい加減な拍手をしつつ、僕たちを見た。


 「素晴らしい詩でしたよ。ミランさん。その技量だったらその道でも十分食べていけるのではないですか?」

 「……!」


 真っ赤な顔で下唇を噛むミラン。それを見て僕は言葉を継ぐ。


 「……お前は誰だ?!」


 わかりきってはいるが、一応聞いてみる。


 「ふーむ。ミランさん、あなたの友人は礼儀を知らないようで困りますね。ま、良いでしょう。まずは自分の名前を名乗るべきところは看過して、名乗らせていただきます」


 そのまま男は被っていた帽子をとって顔をさらした。右の眉、上辺りに刀傷。そして視線は油断無く、こちらを向いている。


 タダの中年の小男ではないようだった。受けて僕も、身体を強張らせる。


 「ベルマイル・ウェラントと申します。ケチな両替商を営んでましてね。どうぞ、お見知り置きを」


 やはり、そうか……。嬉しくもなんともないが、予感的中。

 とはいえ、相手は礼を守った。ならば、こちらも受けねばなるまい。


 「シノブ・ゴトー。サムライ。ここの用心棒をやっている」


 そしてそのまま、リョウコさんが何かを言い出そうとしているのを、露骨に手で制した。ここは、僕の問題であって、リョウコさん自信は関係ない。


 「ああ、あなたがそうですか。聞けば随分ウチの者が世話になったとか」


 大男の事だろう。もちろん心当たり大有りだ。


 「かわいそうに、彼は今、病院のベッドの上で今も寝ていますよ。どうやら首の骨を折ったようで……、医師の話によると、回復しても半身不随は免れないそうです」


 言いつつ、大げさな身振りで嘆息してみせる。イライラさせるのが目的とわかっていても、やはりイライラしてしまう。


 「何が言いたい?」

 「いいえ、別に責任云々について話したい訳ではないのです。つまり戦場でないこの町中で見える暴力を振るうことがいかな事か、それを知って欲しかっただけで」


 くつくつと笑う。

 つまりは、法の下にあり、その中では自分の方が上である事を言いたいのだろう。確かにその通りだった。見えない暴力について、ヤツらは熟知している。


 「直接的にしろ、間接的にしろ、居る場所については、僕も貴方も変わらないと思うけど」


 そう言うと、ベルマイルは心から楽しそうに笑った。


 「勿論そうでしょう。しかし場所は変わらないにしても、昼と夜では必然的にその形を変えざる得ない事は確かなのでは」

 「もし変えなければ?」

 「光に熔けるか、闇に飲まれる」


 遂に笑いは哄笑へと変化した。逆に僕の顔は苦くなる。


 「くく、私は貴方のような人は嫌いじゃないですね」

 「僕は嫌いだ」


 すぐに否定した。諧謔もここまでくるなら、悪趣味も極まる。


 「それは、ともかく―――」


 言うが早いか、ベルマイルはすぐに笑いを納めて、改まった口調でミランに向き直った。


 「一応、今回が最後の話になります。ぜひ真剣に考えていただきたい。1000金貨準備しましょう。これで、立ち退いていただきたい」


 1000金貨。正直、すごい金額だ。逆に言えば、それ以上の価値がここには有る、ということなのだろう。

 恐らく、ベルマイル本人が来て、そしてこれだけの提示を行うのだ。おそらくは言うとおり、これが最後通告と言うことなのだろう。つまり、これ以降は、直接的な行動に出てくることを覚悟しなければならない。日の下で行われる戦いは終わり、夜へと移る。その分岐だ。


 「……」


 さすがにミランもわかっているようで、直ぐには答えを出さない。ここまでは、意地で何とかなった。しかし、これからはそれのみでは、やっていけない。

 僕は何も言わない。これはミランの問題で、僕はただの用心棒に過ぎない。もし、ミランが降りるならば、それもまた、仕方ない事だ。

 ミランを見る。


 「私は……」


 言いよどんで、僕を見た。その目には、不安、恐れ、その他色々なものが映っている。僕は、黙って頷いた。


 「私は、ここを譲りませんっ!」


 受けてミランはきっぱりと言った。

 嬉しくなる。僕を信じてくれるというのだろう。嬉しいが、ただ、それだけ責任も感じる。

 でも、ミランは僕を信じてくれたのだ。なら、僕も信頼に応えなければならない。


 「そういう事。夜になっても負けられない」


 聞いてなお無表情なベルマイルに僕は付け加えた。嫌みったらしく相手に合わせて。

 ベルマイルは黙っていた、が、しばらくすると顔を上げ、何事もなかったか、或いはいかにも予期していたかのように無表情で静かに言った。


 「わかりました。あなた―――いえ、すでにあなた方、と言うべきでしょうね―――の決意はどうやら並々ならぬものがあるようです。ここは素直に出直すのが礼儀というモノでしょうね。しかし」


 帽子を被りながら、ベルマイルは殺意すらこもった視線で僕らを見た。


 「次はこういう形で会うこともないことを、良く知って置いて下さい。……それでは。さて、行きますよ」

 「へ、馬鹿なヤツらめ」

 「吠え面かくなよ」


 ベルマイルは振り返ると、もはやこちらを望むことなく、そのまま去っていった。取り巻き連中も口々に思い思いの言葉を吐いてこちらを睨め付けて行くが、それぞれには構いなく僕はベルマイルの後ろ姿だけを追った。

 ただ者でない。改めてそう思う。戦場であってすら、僕の有利、と言うわけでも無さそうだ。正直、冷や汗が出る。


 「……し、シノブさん」


 声に振り向くと、ミランが強張った顔でこちらを見ていた。緊張が解けて、怖くなってきたのだろう。顔が一瞥してわかるほどに青ざめている。


 「ど、どうしましょう」


 もはや賽は振られた。どうしましょうも何も無い。あとは戦うのみだ。後戻りはない。

 ただ、戦うのは彼女ではない。この、僕だ。戦わない彼女が不安になるならば。

 僕は無言でミランの手を取った。血の気の引いたその白い手は、小刻みにふるえている。


 「大丈夫。僕がついてる」


 正直、僕も不安だった。

だけど、僕も男だ。男は、それでも強がり、虚勢をはならければならない時がある。今こそそうなのだ。僕はそっとミランの手を両手で包み込んだ。


 「大丈夫。僕がついている」


 再び、繰り返す。僕の手の中で彼女の震えが小さくなっていくのがわかる。やがて落ち着き、その瞳から怯えが消えるまで、僕は何度も繰り返した。


 「はい。シノブさん」


 ようやくミランは落ち着いたようだった。頬に朱みが戻っている。もう大丈夫だろう。顔に浮かぶその表情は、安心というそれで、本当に、僕の方こそその表情に、棘だった心を落ち着かせた。


 「あの……」


 握った手の下から声がした。続いて咳払い。


 「私を挟んで、その、して欲しくないんですけど」


 リョウコさんだった。少しむくれた顔で、こちらを見上げている。


 「あ……!」


 どちらが早かったか、僕とミランは握った手を素早く離して、無意識的に背中の後ろに両手を隠した。

 リョウコさんはそれを見て、やれやれというように肩をすくめると、直ぐに悪戯っぽく笑ってその場から飛び上がった。そのままテーブルの奥へ移動すると、そこにあったバスケットに腰掛ける。


 「はい。今の状況とは全く関係ないことなのですけど……少し……真面目な話なのです。さっきの今で、この話をするのも心苦しいですけど……よろしいですか?」

 「え?」


 そう言ったリョウコさんの目は、まっすぐ僕を見つめていた。






 「……数日前から気にはなっていたのですが、シノブさん……何かに憑かれてますね」


 その言葉に、僕はわからないながらも、心底驚いた。隣にいたミランも同様だったらしく、僕の背中辺りを凝視している。

 ……冗談きつい。何か見えるというのだろうか。


 「憑かれている……って」


 顔が引きつるのがわかる。


 「まあ、悪霊とか、そういう類でないようでしたから……しばらく様子を見ていたのですけど。心当たり有ります?シノブさん?」

 「……ない、わけじゃない」


 それこそ、言われた瞬間から気付いていた。つまり、あれだ。夢。闇の金環。約束。数日前から僕を苛む、別の意志。先ほども見た、あの光景。


 「……いつからそれを?」

 「ええ、と、ほら、シノブさんが珍しく街中でケンカして怪我して、777に運ばれた日ですね。まあ、毒とかどうとかは置いといて、それ以外に何か霊的な力を感じましたから」


 事も無げに言う。それどころじゃないような気がするんだけど……


 「で、起きたら色々聞こうと思ってたんですけど。シノブさん、あっという間に居なくなっちゃいましたし」


 そう言えば、僕はリョウコさんに看病された礼をするのも忘れていた。その辺り、責められたわけじゃないのに、顔が紅潮する。


 「それで、改めて来てみたんですけど……さっき、あのイヤな人が来た直前、シノブさん、”何か見て”ませんでしたか?」


 再び僕はその言葉にどきりとした。あの白昼夢とも言える不思議な意志が消える瞬間、リョウコさんが僕を見ていたことを思い出す。


 「実は―――」


 僕は全て話すことにした。別に隠してどうこうというコトはない。洗いざらい一切合切を吐露した。といっても、それはあの朝、僕がレオンさんに語った所と大差ない。

 しかし順序だてて話していき、何かが憑いているコトを前提として考えると、改めて成る程、と思えることが幾つかあった。一番気になるのは、そう、あの詩。

 ミランが詠ったあの詩が、なにか重要なキーを握っているような気がする。それを僕はリョウコさんに話した。隣でミランが困惑の表情を浮かべているが、この場合仕方ない。全部話す。


 「うーん。そうですね……ミランさん。先ほどの詩は、この辺りでは有名なんですか?」


 自分のあずかり知らぬ話で、思わぬ意見を求められたミランは表情に困惑の度合いを増す。確かに非日常的な話で、当事者である自分ですら少し混乱気味だ。当事者でないミランが混乱するのは仕方ない。

 それでも僕はそろそろこの訳の分からない自体に終止符を打ちたかった。黙ってミランを見つめる。


 「……あの……えと、あの詩は、昔、もうその顔も覚えてないんですけど、私の母が詠ってくれた詩なんです。ですから、その、有名かどうかは、よくわかんないですけど、最近よく思い出しますから……」


 何か手がかりに、と思ったのだが、あまり参考になりそうにない。


 「でも詩の意から、少しはわかりますよね。えーと、装飾的な部分を全部省いて要約すると……」


 リョウコさんは少し考えてから、その辺りを話し始めた。


 「つまり、この詩をそのまま受け止めると、とある女の人が、戦争に行かなければならなくなった男の人に再会を期して約束をした詩だって事でしょうね」

 「しかもその男は帰って来ることが出来なかった、と」


 ここに、約束、という言葉と、闇の金環という謎の名詞が出てくるが、闇の金環はよくわからないとして、多分、約束というのは、戦争に出なくてはいけなくなった男がその女の人と、交わしたものみたいで、内容は―――僕の中の意志によると、「必ず帰る」と。

 しかし、男は帰れなかった。女の人は、詩によると今も、彼を待ち続けているという。

 ……何時の話なんだろう。この話は。最近でないことは確かなのだが。ウィルはここ近年遠征と呼べる戦いは無いはずだ。


 「つまり……まあ、憑いている者の正体ははっきりしましたね」

 「……そうですね」


 リョウコさんの言葉に、不本意ながら応える。なにが、どうしてそうなったのかさっぱりわからないが、どうやら憑いている者の正体は、その女の人の恋人、或いは旦那、その人であることは間違いない。そうすると、冷静に考えてみると、僕がここ数日で突然強くなった理由も、なんとなくわかってくる。戦士だった男の意志がココでも発現しているのだろう。正直、その推測は不愉快だが、認めざるを得ない。


 「でも、何で僕が?」


 それがさっぱりわからなかった。そもそも心当たりが全くない。


 「さあ……それはよくわからないですけど……憑くっていうのは、結構理由ない場合が多いですから。なんとなく、とも言えます」

 「何となく……」


 さすがに絶句する。いい迷惑だ。なんとかならな―――

 ……いや。思い直す。


 「まあ、どっちにしても怨霊の類と言えるでしょうから、落とすとしたら、その現世にしがみつく原因を取り除くのが一番いいやり方です。そうですね。この場合、原因はわかっているわけですから……」

 「…………つまり、その女の人を捜し出して会わせるのが第一なんですね」


 ミランが突然口を挟む。その顔には何か困った……いや、苦悩とも言える感情が読みとれる。それが何なのか、推測する前にリョウコさんが何事も無いかのように言葉を継いだ。


 「そうです。それにはまず、もう少しこの詩について知らなければなりませんね。その詩の主は誰なのか、闇の金環というのが何なのか」

 「でも……僕はここを離れられませんし……」


 それに、今、憑きを落とされても正直困る。今の僕の強さが、その憑きモノからきているのであれば、今、それを失うことは出来ない。情けないようだが、それが無くてはこの店を―――ミランを守れないかも知れない。


 「いいですよ。私が調べておきますね。正直、私もちょっと興味ありますから」

 「頼めますか?ありがたいです」


 リョウコさんの言葉に僕は素直に礼を述べた。


 「じゃあ、任せて下さい。すぐ……かどうかは保証できませんけど、なるたけ早めに調べておきますから」






 「もし―――もしですよ」


 リョウコさんが去り、再び二人になったバルコニー。

 先ほどまでの会話を思い出し、それについて思索していた僕は、ミランの言葉にふと、現実に立ち返った。思考を中断された僕は、内心不機嫌になったが、顔に出さぬよう自分の軽く頬を叩いて、それから応じた。


 「なに?」


 ミランを見る。ミランは真剣な目で僕を見ながらも、何かに迷うように唇を噛み、その言葉の先を言いよどんでいるように見えた。それは、先ほどミランが僕とリョウコさんの会話に口を挟んだときの雰囲気を思い出させるものだった。

 ただ、わからない。改めて推測してみるが、ミランが一体何に迷っているのか、僕にはさっぱり理解の外だ。

 言葉を待つ。


 「もし―――例えば、シノブさんが、その、憑いている男の人の恋人に逢ったとして……ですけど」

 「うん」


 もの凄く言いにくそうに、歯切れ悪く言葉をつなぐミラン。


 「その……その時、シノブさん、どう思うのかなあって」


 後半だけ、なにやら混乱したような表情で、いきなり早口になった。良く聞こえなかったが、頭の中で聞こえた部分だけつなぎ合わせて文を作る。『どう思うかなあって』

 ???僕が?


 「そりゃ、逢ってみないとわかんないよ。それにしても、相手は僕じゃなくって、その憑いている男の人の恋人なわけだし。要に他人なわけだから」

 「他人」


 びっくりしたように、ミランはその部分だけ繰り返した。なんか僕はマズイ事でも言っただろうか?


 「……と、そ、そうですよねーっ。あはは、さっきから私も変なことばっかし聞いちゃって。あ、もうこんなに日が傾いて……夕食の準備、しなきゃ。シノブさん?」

 「はい?」


 突然雰囲気を変えて早口になるミラン。よくわからないが、応える。


 「夕食は何か、食べたいもの有ります?」

 「ロールキャベツ」


 考えるより先に、言葉が出た。

 以前、レオンさんが奥さんの料理についてその話をしていて、食べたいなあと思っていたものだ。どんな食べ物か、未だ食べたことがないのだけれど。

 といっても、正直な話、ここでの食べ物というのは、僕もよくわからない。だからこそ考えるより先に答えが出たんじゃないかな、と思う。


 「わかりましたーっ。じゃあ、腕によりをかけて作りますから。待ってて下さいね」


 言いながら、ミランは店の中に引っ込んだ。バルコニーは再び僕一人になった。

 ロールキャベツなるモノが果たして夕食なものかどうか自信がなかった僕は、それを聞いて少し安心する。

 それは、それ。

 今日は本当に色々な事があった。憑いている僕の話、それから、あのベルマイルの訪問。

 そう、今日、先ほどから、ここは戦場になる。日の光当たらぬ、夜の戦いだ。

 おそらくそれは、油断ならないものになるだろう。ベルマイルの、あの怜悧そうな顔が記憶に甦る。

 今日からは、夜も眠れないかも知れない。


 「ふう……」


 きっと夢も見ないに違いない。

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