1.そこは地獄の777丁目
『―――約束を、闇の金環を―――』
「うわっ!」
僕は突き上げられるような衝動と共に、ベッドから飛び起きた。そのまま荒い息を付く
「また……だ」
外はまだ暗い。壁に掛けられた振り子時計を見ると……二時ちょっと。夜も丑三つ草木も眠る。実際、隣のベッドで寝ている巨人族の冒険者、カロンさんは、僕がこんなに思いっきり起きたというのに、スゴイいびきを発しつつ、ぐっすりと眠っている……うらやましい。
それでも僕は、もはや寝ることも、あくびをつくことすら無く、布団をはね除けると、ベッドの横に腰掛けた。
「はあーぁ……」
大きくため息をつく。
身体は汗でベトベトで、キモチ悪いこと夥しい。それになんだかドキドキと動悸が激しい。何なのだろう、一体。この、衝動、興奮、期待、は? しかたなく僕は部屋に一つある窓に近づくと、窓越しにちょっと外を見てから、それを開いた。それ自体は全く無意識的な行動で、多分、夜風に当たりたかったからなのだろうと思う。
「うわ」
途端、むっとからみつくような熱風が部屋の中に侵入してきた。強いが、それでも身体に浮いた汗が消えることもない。そんな風。それでも僕は開いた窓を閉めることなく、代わりに半身を乗り出し、右手で大きく風を払った。
そこから見える街並みは、全く幻想的だった。
星降る夜の街。あちこちの酒場から漏れる喧噪。街灯が灯し出す、光と影のコントラスト。
―――ウィル。
この巨大な石造の街は、昼と夜とでは全く違う顔を見せる。東方の小国、サンで生まれ、サンで育った僕にとっては、その情景は間違いのない現実にありながら、童話の中にある挿絵のように虚ろに見える。
夢にあり―――そう、そんな感じだ。
「夢にあり、か」
ようやく落ち着いてきた胸の高鳴り。それでも何か胸の奥底に熱い何かがある。
「……時間がない、闇の金環をさがさなきゃ……」
ゆっくりと空を見上げる、そこには大きな満月が、煌々と辺りを照らしている。多分に幻想的な光景。
だが、これは、違う。闇の金環。それは……
「約束」
口に出してから、そのわけのわからなさに気付く。それでも、僕は気にしなかった。口元に意味不明の笑みが浮かぶ。
夢は夢。でも何かきっと始まる。そんな確信が、その時確かに僕の中に有ったから。
「おはよーございます!」
元気良く挨拶しながら、階段を下りる。と言っても、一風変わった冒険者が集う事で有名な酒場、ここ『地獄の777丁目』では、そんなに早くから起きて、この一階部分に姿を見せる者は少ない。大抵挨拶は空回りだけど、そこは習慣。言わなければ、朝を実感できない。僕は螺旋の階段をぐるぐる回りながら、勢い良くラウンジに続く扉を開く。
「ああ、シノブか。おはよう。早いね」
誰も居ないと思っていたのに、空振りのハズの挨拶には返答が付いた。少し驚いて、カウンターを見ると、いつもなら店主であるアーリーさんの居るハズのそのなかに、客である上に、某国の騎士団長でもあるレオンさんがエプロンを着て何故か立っている。
とてもシュールだ。ただ、それは知っているからこそ。知らないのであれば、普通に喫茶店の若店主にしか、今は見えない。
「あ、レオンさん。おはよーございます」
改めて挨拶する。すると、レオンさんはにっこり笑って、手に持ったモノを掲げた。右手にサイフォン。左手にポット。
「コーヒー飲むかい?」
「いただきます」
素直に言うと、にこにこ笑いながらメーカーを組みはじめるレオンさん。その手つき、物腰は喫茶店のマスターのようにソツがない。朝日差し込むラウンジに、カチャカチャというガラスの奏でる涼しい音楽が響く。全く健全な朝の風景。僕はカウンター席に腰を下ろして……と、なんでレオンさんがカウンターに?アーリーさんは?
「なんで、レオンさん、カウンターに?」
考えそのままに聞いた。すると、珈琲豆を挽いていたレオンさんの手が、一瞬、ホンの一瞬だけ、止まった。どうやらマズイ事聞いちゃったようだ。
朝のさわやかなラウンジの空気は、見た目そのままに少しだけ重くなった。
いたたまれなくなった僕は、それでもレオンさんに声をかけてみる。
「……レオンさん?」
「ああ、シノブ。きっと為になる話だから聞いておいてくれ」
変わらずニコニコな顔なのに、妙な威圧感を出しつつ、レオンさんは有無を言わせぬ静かな口調で言った。僕は、うんうんと頷く。
「酒は、飲んでも飲まれるな」
苦いクスリを10本まとめて飲み込むような苦い口調で、レオンさんは強く言った。眉間に深い立て皺が寄っている。それは時間が止まる程に重苦しい、断腸の、魂の叫びのようにも聞こえた。
ただ、それすらも一瞬の事、レオンさんは再びニコニコ顔になると背中を見せてカップやその他色々と取り出しはじめた。その背中は、明らかに「なにも聞くな」と語っていたので、深く追求するコトはしなかった。
……もしかしたら、いや多分、昨日か一昨日飲み過ぎちゃったレオンさんはアーリーさんに何かしたか、あるいは何か壊しちゃったかして、喫茶店計画朝マスターの罰にされちゃったとか……どうだろう、ちょっとドキドキだ。
「はい、エスプレッソ。砂糖はそこだから、適当に」
目の前に置かれた小さなカップに目を落とす。あれ?
確か、サイフォンを持っていたハズなのに、なんでエスプレッソが出てくるんだろう。
「ああ、変えたんだ。機材は母国から持ってきたんだけどね」
と、指さす先には円筒形のエスプレッソ・マシン。なるほど。
「シノブがコレを知ってるなんて驚きだな……コーヒーそのものだって、どうかな?て思ってたんだが」
「そりゃ、ここも長いですし。トコロで、なんでわざわざエスプレッソに?」
「うん?ほら、俺が『コーヒーどうだ?』って聞いたら、お前さん、すぐに答えただろう?だから、少なくともコーヒーの味は知ってるんだなって思ったのが、一つ」
つまり、レオンさんはランから持ってきた、このエスプレッソマシンを使いたくて仕方なかったのだろう。
レオンさんは、続ける。
「二つ目は、シノブ。お前さんの顔に書いてある」
「え?」
言われて、反射的に顔に手をやる。アーリーさん辺りが、またイタズラを……じゃなくって。
「疲れてる、だろう?不眠症か?」
慌てる僕を見て笑うレオンさん。確かに昨日は眠れなかった。でも、そんな、顔に出るほど寝てないかなあ……どうだろう?
「しょうがない。若い身空にゃ、色々あるものだから。シノブ、お前さん、歳は?」
「18です」
「じゃあ、なおさらだ。早いところ、彼女見つけて結婚するんだね。まあ、結婚したら結婚したで、ぐっすり寝られるかというと、そうじゃないんだが……それにし」
「ちょちょちょ、ちょっと待って下さいよ」
なんだかよくわからないけど、おかしい方向に話が進んでいる。僕は妙に盛り上がってきてるレオンさんの言葉を慌てて止めた。
「どうした?」
少し不満げなレオンさん。それでも僕は続けて言う。
「どうした、じゃなくって、僕が寝不足なのは、その、なんだか最近夢見が悪いからで……そのぅ」
「なんだ、そうなんだ」
なんだかつまらなそうな顔で、僕を見る。一体、なんなんだろう。
「んで、夢見、が、悪い、か……どんな夢なんだ?それ?」
一転して興味深そうな顔をして、レオンさんはカウンターの向こうでアーリーさん専用椅子に腰掛ける。そして、自分に入れた珈琲に口を付けた。
それを見て僕も珈琲に口をつける……苦い。
「実は……変な夢、なんです」
話しながら、砂糖壺を引き寄せて、砂糖をスプーン一杯カップに注ぐ。
「夢っていえば、大抵変なものだが」
「それが、その……そうですね」
「具体的には?」
「え……っと。そうですね、まず、僕は見たこともない丘の上、それも一本だけ大きな木が生えてる草原の小高い丘で、誰かを待ってるんです」
珈琲に口をつける……こんなモノかも。
「で、僕はもの凄く焦ってるんですね。時間に相手が間に合わないのでは……って」
「時間?」
「ええ、僕も良くわかんないんですけど……とにかく何かの時間に間に合わないかどうかで凄く焦ってるんです。それで、しばらくすると、その人が来るんです。その人……は女の人ですけど、僕の知らない人です。ですけど、夢の僕はその人を良く知っていて、それで、僕は時間に間に合ったことをひどく安堵するんです」
「ふ……ん」
「……それから、時間が来て……で」
「で?」
そこで僕は言葉を切った。レオンさんの顔を見る。顔には、『もったいぶるなよ』と書いてある。僕は笑って言った。
「実は、それ以上覚えてないんです」
「なんだ、それは」
当然も当然と言えるけども、不満げな顔をするレオンさん。席を立って、ドリッパーから珈琲を取り出す。
「ただ……一つだけ、覚えてるんですけど……その、”闇の金環”って言葉です」
「闇の金環?」
湯気立つカップを持って、レオンさんは改めて席に座った。妙にその位置が似合ってる。
「ええ、そうです。僕は、それを探さなきゃいけないらしいんですけど」
「夢だろ?」
「そうです。けど、何度も何度も起きてそう思うのは、おかしくないですか?」
「確かに、そりゃ、変だな」
そう言いつつ、一気に珈琲を飲み干す。よく朝から、こんな珈琲二杯も飲めるもんだ。
「……それは、もしかしたらなにか魔法的な作用かもしれないな。俺にはよくわからないが、何度も見るというのはおかしい。リョウコやセシリアか、あの……呪い屋に聞いてみた方がいいかも知れないぞ」
リョウコさん、セシリアさん。共に、魔法に関してのエキスパートで、この店の常連だ。確かに、彼女たちならとも思う。
あと、呪い屋。こっちはアーリーさんの知り合いだ。僕も一度会ったことがある。一瞬だけ、あの長身の怖い顔した姿が頭をよぎる……相談したとしても、まずリョウコさんとセシリアさんからにしよう。
「はい。そうしてみます。……ありがとうございます。朝からこんな話に付き合わせてしまいまして」
「そうだな。まったくだ。じゃあ、今度は俺の用事に付き合ってくれるかな?」
そういいながらレオンさんは、カウンターをくぐって壁にかけてある木剣を手に取った。
「朝は何時も稽古してるんでね。一人でもいいが、やっぱり相手が居る方が張り合いがあるってもんだ」
木剣を握りなおしながらニヤリと笑う。
「はい、お願いします……って、ここは良いんですか?」
聞くと、レオンさんは手で”呆れ”をゼスチュアしつつ、辺りを見回した。
「……わかりました」
なるほど、人なんか来ないのにカウンターを守っても仕方ないって事だろう。僕は、席を立つと愛用の木刀を手に取った。
「負けませんよ!」
事実、疲れてるはずの僕は、それでもこの勝負、負けるという気持ちでは無かった。
「……強くなった、な」
複雑な表情をしながら、レオンさんは言った。斜に構えた木剣を肩にかけ、背を伸ばす。それを見て、僕も木刀を下げ、一礼した。
勝負は、三本。一本を僕が、二本をレオンさんが取った。総合的には負けてはいるが、或いは、これだけでも信じられないような結果だとも思う。
「ありがとうございます。僕は……」
さすがに、言いよどんだ。
僕は、逆に、レオンさんが弱くなったように感じた。以前はまずもって敵わない、と思えるほど、レオンさんの技量は凄まじいものだった。とても勝つとか負けるとか、そういう事を考えるような次元ではなかった。
でも、今は違った。レオンさんの動きが読めたし、取り立て早くも無かった。振るう剣は受けられるし、反撃の余裕も十分にあった。密かに「手加減してるのでは?」と思ったが、どうやらそうでもないらしく、レオンさんから放たれる気迫は全く変わらない。
かといって、『弱くなりましたね?』と聞くわけにもいかないので、僕は曖昧な返事でお茶を濁す。
「いや、実際強くなった。知らないうちにこんなに腕を上げてるとはね」
言いよどんだ先を制すように、レオンさんは手ぬぐいで汗を拭いながら言った。確かに、もしかしたらそうなのかも知れない。以前は、レオンさんに汗をかかせることすら出来なかったのだから。
僕は自分の手を見た。なにも変わってないような、それでいて決定的な何かが変わってしまったような気持ちを覚えた。確かに、毎日練習はしている。だけど、いきなりこんなに強くなるものなのだろうか。正直、不気味ですらあった。
「……」
どうしたんだろう、僕は。
「シノブ?どうした?」
思わず呆然としてしまった僕に、レオンさんが心配そうな顔を向ける。
「え……い、いえ、なんでもな」
「ああッ!サボってるッ!」
言いかけた途端、例の声が辺りに響きわたった。思わず首をすくめ、恐る恐る声の方に視線を向ける……アーリーさん、だぁ。その表情は明らかに怒っている。
スラッとした長身を、薄手のシャツとハーフパンツで無造作に包むこの美女を、初見で巨人族であることを見抜ける者が、幾人居るだろう。
スレンダー体型ではあるが、だからこそ健康的で、それでいて艶麗と形容されるような、相反する二つを兼ね備える超美人。
彼女こそが、この酒場『地獄の777丁目』のマスターにしてオーナーだった。
それほどの美人なのだから、そんな酒場も大盛況なのかと言えば、然にあらず。なにしろそのアーリーさん自身の苛烈な性格が災いして、客の寄りつきはいいとは言いがたかった。最終的には、僕も含んでしまうのだろうか、変な客ばかりが残ってしまい、それが常連となってさらに一般的な客足を遠ざけるという、悪循環だった。
玄関先に現れたアーリーさんは、もの凄いスピードでこっちに歩いてくると、僕じゃなくってレオンさんの前に敢然と立ちはだかった。同時に腰に一瞬両手を当てて、それからレオンさんの顔に人差し指を突き付けた。
「もーっ!わかってンの!?アンタが言い出したことでしょーが!」
どうやら怒りの矛先はレオンさんに向いてるようだった。思わず内心胸をなで下ろす。が、もちろん正面からくらってしまったレオンさんはそれどころではないようで、一転して引きつった笑いを浮かべて、変な汗を流している。
「いや、しかし、お客も来ないですから……」
「あったりまえでしょーよ!そんな店前でチャンチャンバラバラやってちゃあサ!来るモンも来ないって!マスター自ら営業妨害してどうすンのよッ!」
烈火の如く怒りまくるアーリーさん。見た目、服装とか髪型とかが、明らかに寝起きなのに、よくもまあこんなにテンション上がるもんだと感心する。
「ほらほら、仕事、仕事。戻る戻る」
手をひらひらさせながら、レオンさんを店に追いやるアーリーさん。僕はさっきまで強くなったと思ってたけど、やはり敵いそうにないヒトっているもんだなあと、その光景を見つつ、何となくそう考えた。
レオンさんは深いため息を付いて、僕を見ると『んじゃ、今日の稽古はココまでにしようか』と言って、重い足取りで店の中に帰っていった。
「働かざるモノ食うべからず」
「な、なにかやったですか?レオンさん?」
せいせいしたという表情をするアーリーさん。僕はとうとう耐えきれなくなって、そこのトコ、事情を聞いてみることにした。
「ああ、一昨日サ、レオン、酒呑んで暴れたのよ」
「え……?レオンさんが?」
珍しい話だ。あのレオンさんがそんな前後不覚になるほど呑むなんて。
「なんだか、奥さんがどうこう言ってたから、なんかあったかも知れないけどサ。まあ、それはそれにしろ、色々壊しちゃったからさァ。ああやって朝喫茶で弁償するって言ったばかりなのにあのヤロー!」
「……」
言ってるウチにどうやらまた怒りがぶり返してしまったようだ。怖い。こういうときは何も言わないに限る。ヘタにツッこんで矛先がこっちに向いてしまっては堪らない。
「ま、そりゃイイんだけども。それよりサ、少年」
「な、なんですか?」
いきなり振られた僕は、答える言葉がすこし上擦る。だけど、そんなことはお構いなしにアーリーさんは黙って僕に銀貨を三枚、握らせた。
「ちょっとお使い、頼まれるカナ?大通りのカドの『トレンティア・ベーカリ』に行って、パンを買ってきて欲しいのよ」
そういうことか。僕は朝から何度目かの胸をなで下ろし、『わかりました』と答えた。
「向こうには、『アーリーから頼まれて』って言えばわかるから。んじゃ、たのむわね」
歩く石張りの通り。列ぶ石は道の高配にあわせてその配列を変える。
来たときは気付くことはなかったが、なるほど今見ると、その配列が水はけのために形作られていることがわかる。
石張りの通りだなんて、サンではまずもって神社等にしか無い。こうしてみればウィルの持つ文化レベルが知れるというものだ。
もちろん、かといって、憂国な気分になるワケでもなく、僕は通りの両脇の建物から張り巡らされた洗濯紐の下をくぐりながら歩いた。今日は曇っていてどう見ても洗濯日和というカンジじゃないけど、それでもポツポツと白いその姿を見ることが出来る。偶に、それを干している人の影を見、そして目が合う度に、僕は小さく会釈した。
良くあることだった。おそらくサン人である、僕の黒髪と、黒い目が、人々の好奇をさそうのだろう。さすがに今ではウィルに準じたな格好をしているけど、それでもそうなのだから。注目を浴びるのは、あまり好きじゃない。同郷の常連客、リュウさんや、シゲサトさんはどうなのだろう?
「と、と」
大通り。通り過ぎるところだった。
ウィルの表通りと称されるここは、まさにその名にふさわしく道幅が恐ろしく広い。かといって、それで十分なのかと言えばそうでもなく、この朝の時間帯にもかかわらず、凄い量の人が往来している。もちろん人だけではない。馬車、馬、人力車。何でも、何でも。
道の向こうを賺して見ると、直線上から少しずれたところに王城が見える。こういうのは万国共通のようで、外からイキナリ直線で城に直結するような道は造られることはない。防衛上不利だからだ。
それはともかくアーリーさんに言われたパン屋を目指す。大通りのカド。
……ハタと気付いた。この大きな道のカド。それは、もしかして……いや、もしかしなくても王城通りの端っこか、それとも街の外壁衛門側のどちらかでしかない。つまりもの凄く遠い。しかも、両者はそれぞれ正反対で、現地点は、その中間にある。しかもどちらかわからないのだ。
「はー……もっと詳しく聞いておけば良かったかなぁ……」
とはいうものの後の祭り。太陽の位置から見るに午前9時。昼までに帰れるか否か、僕はため息をついた。
こんなコトなら暇そうな誰かに付いてきて貰えば良かった……。
からんからん
扉を開けると、そこに取り付けられた鐘が涼しい音を立てた。
大通り、城門側のカド。トレンティア・ベーカリ。結局、はじめに行った王城通りの端っこはハズレで、ここに来たときには既に太陽は中天に昇っていた。必然的に挨拶は「こんにちわ」になる。
「こんにちわー」
入ると、意外にも客は一人も居なかった。昼の子の時間のパン屋。昼食時にも関わらず客が居ないのは、パン屋だからなのだろうか。
ただ、小綺麗で小さくまとまった店内、カウンターにすら誰も居ない。僕は少し首を傾げながら、もう一度挨拶を繰り返す。
「あ、あ、あ、い、いらっしゃいませ」
程なくして、トレイを持っていた店員らしい女の子が驚いたような顔をして、カウンターの奥から現れた。少し慌てたような足取りでカウンターを越えると、そのまま上擦った声で挨拶を返してくる。
そして女の子は、そのまま、ぼぅっとした顔で僕の顔を見つめた。
なにか付いてるんだろうか。思わず店の窓ガラスに顔を向ける……そこに映る顔は、特に何か変わったところのない僕の顔だ。
改めて、女の子を見る。年は16……ぐらいだろうか?多分僕よりも若い。背は低く、なにか妙にこぢんまりしてる、という印象がある。そして、顔は、驚いた表情のママ止まっていた。
ああ、そうか。サン人だから驚いてるんだな。
僕はそう思って、とりあえず用件を言うことで自分の素性を話すことにした。
「実はアー……」
「シノブさんですねっ。お待ちしておりました!」
先手を打たれた僕は「あ」の口のまま、呆然と立ちつくす。僕の名前、なんで、知ってるんだろう。
「キミは僕の名……」
「実は、昨日アーリーさんに聞いてたんです。『ウチのを取りに来させるから、お願いね』って」
またも先手を取られる。そんなに僕の表情は読まれやすいのだろうか。
「ああっ、ゴメンナサイ……。わたし、その、何時もせっかちなんですよね。この間もアーリーさんに言われたばっかりなのに。ホント、ゴメンナサイ」
目の前の女の子は真っ赤な顔でそう言って、ぺこぺこと謝った。急な展開過ぎて何が何だかわかんないけど、そこまでぺこぺこされると、凄く申し訳ないような気分になってくる。
「そんな、気にし……」
「あ、パン。パンですね!ああ、ゴメンナサイ、すっかり忘れてました。えへっ。すぐ取って来ますからっ!待ってて下さいねっ!」
「いやあの」
言う間もなく、アッという間に女の子はカウンターの奥に消えた。
…………
「え、えーと?」
僕は回りに人が居ないかどうか、見回した。あいにく客は僕だけで、誰も居ない。僕はゼヒ、この事態について人に意見を聞きたくて仕方なかった。
「困ったな」
言うのだが、具体的に何に困ったのか、自分なりにさっぱりわからない。大したことのない話に他ならないのに、妙に混乱している。不思議だ。
「……えーと、22、48、88、108、150……ああ、だめね。うーん……22……」
妙な気分のまま突っ立っていると、カウンターの奥から小さな紙を見ながら、女の子が戻ってきた。もの凄く難しい顔をしつつ、数字を呪文のように唱えながら。
「107、149……うーん、おかしいわねー。えーと……きゃああっ」
「わあ!」
なんなんだろうと、僕が彼女をぼんやり見ていると、カウンターを通り抜けるとき、突如、何かに躓いて転んだ。予測しなかった行動に、僕の方が驚く。
「あいたたた」
「だ、大丈夫?」
僕は、はっと我に返り、女の子を助け起こそうとした。すると、一瞬早く、女の子は飛び上がるように立ち上がって、「大丈夫です」を連発しながら、照れくさそうに付けているエプロンの膝辺りをパンパンと払った。
「そ、そう?」
戸惑いながらも、様子を伺っていると、落ちている何かが視界に入る。紙。さっきこの女の子が、熱心に眺めていた紙だ。僕は何の気無しにソレを拾うと、ふ、と目を通す。
食パンA22、食パンB26、クロワッサン20×2……つまり。
「2銀貨24銅貨」
「ああっ、そうです!」
照れくさそうに笑っていた女の子は、それを聞くとイキナリ僕の手からその伝票をひったくって一生懸命計算し始めた。計算の時、声が出るのは性格なのだろう。きっと。
「アタリです!すごいですねぇ」
にこーっと笑う。それはスゴイんだろうか。スゴイのかも知れない。何だかそんなキモチになってくる。
「そ、そうかな?」
「そーですよ。絶対スゴイですね!」
断言。まさにそう。ウソ吐いてるワケでもなく、持ち上げてるワケでもない。その大きな目を見ればわかる。
そして判るだけに何だか困った。
「……えーと、それで、パンは……」
「パン?…………ああっゴメンナサイ。忘れてましたーっ!いえあの違うんです。違うんです。別にそんな勘定先に数えてるからってガメツイってワケじゃなくって……」
「ただ単に忘れたんだね。わかってるよ」
あんまりなんで、努めて優しい声で女の子の言葉を遮った。
「そうです。ハイ」
真っ赤になってうつむく。妙にその仕草が可愛い。妙に判りやすい彼女。誰かに似ているという気がしなくもない……誰だろう……。
「……ととと、取ってきますね」
「特に急いでないから、慌てなくていいよ」
「はい」
と、先ほどまでの勢いは何処へ行ったのか、妙に抑揚を付けた調子で彼女がそう言ったその時、背後でカランと涼しい音がした。
「いらっしゃ……!」
振り向く直前、挨拶しかけた彼女の顔が凍り付くのが判った。なんだろう、と思う間もなく、それに気付く。
「こんにちわ」
入り口に立っていたその男は、低いゆっくりとした調子でそう言った。
背が高い、そして筋肉質の大男。額に刀傷。口には笑み。全身から発せられる雰囲気は、「演出された威圧」。
―――つまりは、サンにも、いや、多分何処にでもいる類の人間だ。曇りとはいえ、こんな昼間から見るのが全くはばかられる、そういう人種。
僕はなるだけ顔に出さないように努めながらも、警戒する……とはいえ、まだわからないし、部外者である僕が口を出すコトじゃない。
「この間のこと、考えてくれたかい?」
男は僕を無視して、女の子に話しかけた。それだけで既に気に入らない事なのだが、部外者を決め込んだ矢先の事でもあり、黙ってゆっくりと壁際に移動した。もちろんそれでも男から警戒の目を離さない。同時に話しかけられた女の子にも観察の視線を送る。
「あの、その、こ、この間も言ったと思います。店をやめるつもりは全然ありません!」
彼女のその声は悲鳴にも似た、それでもきっぱりとしたものだった。予想通り、男はやれやれという大げさな身振りをする。店をやめる?ああ、僕はそれだけで何となくその事情について推測した。もちろんまだまだ情報は少ない。確定はしないが。
「せっかくのベルマイルさんの申し出なんだ。俺は、素直に聞いておいたほうが良いと言ったと思ったがな……」
さらに状況について推測する。
『男はベルマイルとか言う者の回し者で、ベルマイルは地上げ屋である』
僕は断定した。単純な構図だけど、こういうモノは常にそうだ。
そして、この場所。外れにあたるが、大通りの表になる。きっと土地も高いに違いない。まったくもってわかりやすい構図。サンですら変わらない。
「アンタ初めての客だね」
部外者を装っていた僕に、男は突然話しかけてきた。話しかけられて改めて気付くが嫌な口調だ。
「そうだ」
僕は努めて感情を込めず、短く答えた。まずもって失礼な質問だと思う。マトモに答える必要など何処にもない。
「そうかい、兄さん。俺は重要な話がしたいんだ。悪ィが席ハズしてくれねえか?」
圧力のかかった声で喋りつつ、僕を睨め付ける男。すこし、顔が引きつっている。こういう輩は意外な話だけど様式美を好む。予想外の答えをした僕に、不機嫌になったに違いない。
「僕も、用事が済んでない。悪いけど、出ていかない」
相手の目を見てハッキリと言う。隣で彼女が明らかにオロオロしてるけど、ここはそれ、努めて無視する。
同時に、なるほど、とも思う。昼から客が居ないのは、パン屋だから、とかじゃなくて、この男がこうして営業妨害をしているからに違いない。きっと客が来る度にそうしているのだろう。話しながらも偶に向ける女の子の視線がそう、物語っていた。
「ほう……イイ根性してるじゃねえか……ええ?」
凄んでみせる大男。それでも、僕が動かないのを見ると、男は額に青筋を立てて、僕の襟首を掴んだ。全く持って辛抱がない。小物。雑魚。色々な侮蔑の言葉が頭をよぎる。
「ひっ」
女の子が小さい悲鳴を上げるのが判った。もう、良いか。
「邪魔なんだよ、テメエはよっ!」
男が怒鳴った瞬間、僕は相手の足を払って、手を掴み捻り上げながら床にたたき落とした。もちろん店のモノに被害を与えないようにも、注意した。
「ぐあっ!」
暴れないように、間髪入れず背後に回って裸締めをかける。その間、まさに数瞬。大男は何を言う間もなく、そのままあっけなく失神する。
無刀。刀を失してなお戦闘能力を失うことのないよう、サムライである戦士達に伝わる戦闘体系だ。基本的にそれは戦場の技であるが故、一瞬で相手の戦闘能力を奪うことを目的に構成されている。
僕は相手が気を失っていることを確認すると、ゆっくりと手を離した。男はそれと同時に人形のようにその場に倒れた。あっけない、本当にあっけないものだ。小さくため息をつく。
「こ……ころ」
「殺してはいない」
言う前に、それを制して断言する。国外に置けるこのケースは良くある話で、サン内部ですら語りぐさとなっている。曰く、落とした相手を見誤って、殺したと誤解される話だ。だから、僕は即座にそれを否定した。
「気絶させただけだよ……でも、どうしよう」
ただそれでも、この状況……困った。
思わず激情に任せてノックアウトしてしまったけど、どうしたものか。床にのびる大男を見て、僕は心底困ったように顔を歪める。憲兵につきだしてしまおうか。いや、でも、色々と面倒なことになりそうな気がするし。
……なんだかさっきから困ってばかりだ。
「外に出しちゃいましょう」
その声に、僕は振り返った。目が合う。女の子は随分気負った表情でにこっと笑った。
全9話+付記の予定です。
一日二話ずつ更新。計5日間の集中投稿になります。
今回の作品は「すわんぷ」との関連性は無く、別世界のお話です。
(外伝を期待されている方はごめんなさい。そちらはもう少しお待ち下さい)
よろしければ、お付き合い願えれば幸いです。