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エルフと魔術師

 朝六時半、隣で眠るレオナを起こさないようにそっとベッドを抜けだすと、ローラは朝食の準備を始めた。

 自分一人ならサラダとトーストで済ましてしまうところだが、育ち盛りのレオナと、いつもローラの料理を楽しみにしているフミがいれば、それだけでは物足りないだろう。

 なんだか妙な使命感に燃えている自分が可笑しくて、エプロンを付けながら苦笑いする。


「ローラ、私も手伝う」


 サラダの野菜をちぎり始めたところで、亜麻色の髪を後ろで縛ったレオナがキッチンに入ってきた。


「あら、起こしちゃった? まだ寝てていいのに」

「いいの、何か役にたちたいから」


 この子を焦らせているのはなんだろう?思いつめた表情のレオナに少し違和感を覚えながら、ローラは掛けてあったレオナのエプロンを手に取った。


「じゃあ、お手伝いしてもらおうかしら、ほら、あっちを向いて」

「じ……自分で付けられます」


 赤くなる少女の後ろに回って、ローラはエプロンの腰紐を綺麗にリボン結びにする。


「戸棚に入っている豆の缶を開けてくれる?」


 卵を割ってボールに落としながら、ローラは引き出しから缶切りを出してレオナに手渡した。椅子に乗って戸棚からベイクドビーンズの缶を取り出すレオナに、妹ができたような気がしてなんだか少し嬉しくなった。

 バターをフライパンに落とすと甘い香りがキッチンに広がる。ローラが『風の歌』を口ずさむと、開けた窓をシルフが覗きこみ、そよ風を吹かせはじめた。


「ローラ、これ意外と難しいのだけれど……」


 実をいうと、缶詰を開けるのはローラも苦手だった。どうして人間は、あんなブリキの入れ物に食べ物をしまってしまうのだろう、豆を水で戻さなくていいのは助かるけれど……。


「じゃあフミにやってもらいましょう」

「起こしてきたほうがいい?」


 テーブルに缶詰を置いて、レオナが少し不安そうにローラを見上げる。昨日の今日だ、仕方ないかな……思いながら、ローラは首を横に振った。


「いいわ、フミったら、いくら夜風は身体によくないっていっても、暑いからって窓を開けっ放しで寝ちゃうの」

「それで?」


 不思議そうな顔をするレオナにウィンクして、ローラは先程より声量をあげて『つむじ風の歌』を歌う。

 窓から覗きこんでいたシルフが古代語の歌詞にのって、空中で踊りながら、階上に向かって姿を消した。


 間髪を入れずドタドタと階上で音がする。階段を駆け下りてくるフミの足音。


「ローラ! 部屋の中で竜巻起こすのは勘弁してくれ、頼むから」


「知りません、窓を開けたまま寝るからそういうことになるんです」


 ローラはレオナと顔を見合わせて笑う。

 テーブルの上の開けかけの豆缶と缶切りに気づいて、文洋が合点がいったとした顔をすると、キコキコと器用に缶詰を開けはじめた。


「図書館に本を返してくる」

「ケガしてるんですから、今日はちゃんと帰ってくるんですよ?」


 ベーコンとベイクドビーンズのオムレツ、中庭の菜園でとれたハーブ入りのサラダとバゲットで朝食を済ませて文洋が自転車にのって出てゆくのを見送ってローラは空を見上げた。雲ひとつ無い澄んだ空に一羽の隼が円を描いて舞っている。

 今日も暑くなりそうだなと思いながら、涼しいうちに中庭の世話をしようとローラはアパートメントに引き返した。


 皿洗いをレオナにまかせて、ローラは中庭の手入れを始める。伸びすぎたローズマリーを詰んで籠に入れる。ガーベラとラベンダーを切って束にすると、ガーデニングテーブルの花瓶に活けた。

 午後からはレオナが焼いてくれたアマレットを食べながら、一緒にお茶にしようと思う。すっかり懐いてしまったシルフが花畑を揺らして、くるくると踊りながらついてまわる。風の歌を口ずさみながら、ローラはとても幸せな気分に浸っていた。

 

 ふと気がつくと、中庭の入り口にレオナが立っていた。亜麻色の髪に、紫の瞳、白のフリルのついたブラウスにレースの利いた黒のジャンパースカート、何着かとっておいた子供の頃のドレスだが、似合ってよかった思いながら、硬い表情が気になって、ローラは手を止める。


「ローラ、相談が……あるのだけれど……」


 思いつめた顔でレオナが口を開いた。


「どうしたの?」


 樫の木陰に置かれたベンチに座るように促して、ローラもレオナの隣に腰掛ける。


「なんとかして国に戻りたいの、力を貸して」


 俯いて膝の上でぎゅっと拳を握るレオナを見て、ローラはただならぬ何かを感じた。


「レオナ、三都同盟の国境を超えるのは今はとても困難よ?」

「…………」

「アイナス、ツバイアス、トライアス、同盟のどこに行くにも第三国経由だし、レオナは旅券ももっていないでしょう?」

「……違うの……」


 俯いたまま、レオナが小さくつぶやいた。


「違うの?」


 こくりとレオナがうなずく


「私が帰りたいのは、アリシア。いいえ、帰りたいんじゃないわ、ルネを……弟をアリシアから連れ出したい……」


 絞りだすようにレオナが言う。


「……エレナはアリシアの貴族かなにか?」


 拳ほどの赤水晶を見た時から、不思議に思っていたことをローラは尋ねた。顔を上げて、レオナがまっすぐに見つめてくる。

 しばしの沈黙の後、レオナが覚悟を決めたように口を開いた。


「私はレオナ・エラ・セプテントリオン、アリシアの四騎士の一人です」


 魔法王国の四騎士、おとぎ話の時代からアリシアを守り続けてきた名家だ、名前だけなら世俗に疎いローラでも知っている。

 それでも、いくら名家にしたって、こんな少女まで戦争にかりだすのはどうかしてる。そう思いながらローラもレオナの目を見つめた。

 レオナの紫の瞳がまるで心を見透かすように、力強く、まっすぐに見つめ返してくる。


 嘘では無いようだ……ローラは空を仰ぐと、木漏れ日を仰いだ。


「詳しく話をきかせてくれる?」


 ……レオナの話に矛盾はなさそうだった。子供たちだけになってしまったセプテントリオン家を取り潰して、領地と権益を手に入れようというのはいかにも欲深い人間が考えそうなことだ。

 極秘裏にという名目で、身分証も旅券も、正規の軍籍すら無い状態では、捕虜になることすら難しい。スパイの汚名を着せられたら、よくて死刑だ。


 そして人間の数倍の寿命を持ち、人と似ているが人ではないエルフだからこそ、身寄りのないこうした少女がどうなるか、ローラは嫌というほど知っていた。

 ここ数十年で表向き奴隷制度は無くなったが、それに近い行為はまだ行われていることも知っている。胸が悪くなるような話に唇を噛んで、ローラはもう一度空を仰いだ。


「レオナ、いい? それ相応の覚悟が必要よ?」

「助けてくれるの?」


 すがるような目に、ローラは首を横に振る。


「いいえ、私は手伝うだけ。使えるものは何でも使って手伝ってあげる。でも、誰かを助けたいならレオナも覚悟を決めてかかりなさい、死ぬかもしれないし、それより辛い目にあうかもしれない」


 切れ長の目を伏せて、レオナがうつむいた。

 ザワリと梢を鳴らして風が吹き抜ける。


「それでも、私に残された最後の家族だから」

「領地も、財産も捨てる覚悟が必要よ?」

「領地も財産も要らないわ。執事のクラウスに言われたの、まずは生きることを考えろって」


 いい使用人を持ったようだとローラは思った。彼女らがいなくなれば使用人はたちまち失職するのだから。


「わかりました、じゃあまず旅券をなんとかしなくちゃね」

「ありがとう、ローラ、ほんとうに……ありがとう」


 門扉の開く音がして、階下で自転車を停めるガチャンガチャンという金属音がにぎやかに響く。ローラはレオナに目配せして、お茶の準備を始めた。


「フミ、お願いがあるのだけれど」


 お茶の時間に合わせて帰ってきた文洋にローラは冷たいレモネードを渡して笑顔で話しかける。


「ん? どうしたのローラ」


 外から戻ったので暑かったのだろう、レモネードを美味しそうに飲む文洋にをローラは上目遣いで見つめて言葉を継ぐ。


「私と結婚しましょう」


 ブフォッツ、と派手な音を立てて、文洋がむせた。


「な……なんて?」


 咳き込みながら、涙目で聞き直す文洋に、ローラはもう一度笑顔で繰り返す。


「だから、私と結婚しましょう。んー、しなさい」

「いやいや、ローラさん?」


 目を白黒させる文洋に、ローラは事の次第を打ち明けた。レオナがアリシア王国の騎士であること、セプテントリオン家を執政官が潰そうとしていること、レオナを養女にすれば、共和国の旅券を得ることが出来る事。


「つまり、レオナを養女にするのに、共和国の法律では独身だと無理だから俺に旦那になれと?」

「だめ?」


 小首をかしげてローラが問いかける。こめかみを抑えて、文洋が目を閉じた。


「俺が一人でアリシアいって、レオナの弟を誘拐してきちゃダメですかね?」

「執事のクラウスを相手に回してルネを誘拐するなら、一個分隊でも足りないと思います」


 その問いにレオナが答える。


「君に手紙を書いて貰っても?」

「執政官がセプトリオン家を潰すために、どんな汚い手でも使ってくるのはクラウスが一番知っていますから」

「フミ……私のこと嫌いなのですか?」


 やりとりに、ローラが小さな声で割り込んだ。


「ちょっと、いや、待ってローラ、そういう話ではなくて」


 慌てる文洋にレオナと目を合わせて、ローラはクスリと笑った。ため息をついて文洋が目を開く。


「明日から俺は所帯持ちで、その上、妹みたいな年齢の娘のパパってことで」


 多少すてばち気味に言いながらも、断らないところがフミらしい。レオナの手を握ってローラは思う。


「そうと決まれば、明日お役所にいきましょう」

「とりあえず、その救出計画、ブライアンのバカにも手伝わせますけどいいですね?」


 ……ブライアンが知ったらどんな顔をするだろう。


 思いながらローラは内心、ワクワクしている自分に驚いていた。

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