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魔術師とエルフ

「んっ……」


 優しく髪をなでられる感覚にレオナは小さく声をあげた。ローズマリーの香りのする柔らかな枕に顔をうずめて、ふわふわと浅い眠りに包まれたまま、頭をなでられる心地よい感触に身を預ける。


「かあさま……ルネがね……」


 つぶやいて薄く目を開けた。焦点がぼんやりとしたまま視線が空中をさまよう。


「良かった、気がついて」


 優しい声にレオナの意識が現実に引き戻された。違う、ここは自分の屋敷じゃない……けだるい感覚のまま、重いまぶたを開ける。

 淡い緑の塗料で野ばらの装飾が描かれた、漆喰塗りのドーム天井が目に入る。


「ここは……どこ?」


 そう言いながら、声の主を探して視線を移す。ベッドの傍らに一人のエルフの女性が座っていた。ハーフアップにまとめた銀色の髪に翡翠色の瞳、透き通るような白い肌。

 なんだか子供の頃に買ってもらったお人形みたい……。そう思いながら、レオナはもう一度質問を繰り返そうと口を開きかける。


「ここは私のお家です、だから心配しなくても大丈夫」


 彼女の視線を受けて、エルフが小首を傾げてそういうと微笑む。


「あの……」

「シルフ達にお願いして屋根を守ってもらっていたら、爆弾じゃなく女の子が降ってくるんですもの」

「わたしは……」

「飛行船から落ちてきたのでしょ?」


 知っててどうして……人懐こい笑顔で笑うエルフに、言葉を継ごうと身体をおこす。


「つっ!」


 力を入れた途端、背中に痛みが走って思わず悲鳴をあげた。


「ほら、ちゃんと横になっていないとダメ」


 そっと肩を抑えられて、レオナはおとなしくベッドに身体を横たえる。


「起きていいというまでは、いい子にしてないとダメですからね?」


 ちょこん、と人さし指でレオナの鼻の頭をつついて、エルフの翡翠の目がレオナの顔を覗きこむ。なんだか気恥ずかしくなって、ブランケットを口元まで引き上げるとレオナは小さく頷いた。


「私は、レオナ……あなたは?」


 両手でブランケットのフチを握りしめ、上目遣いにエルフを見つめる。


「私はローラ、よろしくねレオナ」


 ローラと名乗ったエルフがさし出した手を握り返して、レオナは安堵のため息をついた。


「戦争はバカな男の子たちに任せておけばいいの。さあ、夕食までもう少しおやすみなさい」


 レオナの頬にかかった髪を整えてローラが立ち上がる。


「おやすみなさい」

 部屋を出て行くローラにレオナは小さく返事をして目を閉じた。


     §


 カラーン・ゴーン


 レオナが鐘の音で目を開けると、ドーム型の天井は夕日で綺麗なオレンジ色に染め上げられていた。開いた窓から澄んだ鐘の音が響いてくる。


「いたっ……」


 痛みに顔をしかめながら、レオナは身体を転がすようにしてベットからおりた。飛行船で着ていたウールの軍服とタートルネックのセーターの代わりに、レースの利いた生成りの夜着を着せられているのに気がつく。


 ブーツはベッドのそばに揃えておいてあり、杖もサイドテーブルに立てかけられている。


「ほんとに、助けてくれただけなんだ」


 魔法の使えるエルフなら、杖の宝玉が何かくらいは、見れば判るはずだ。ましてやこんな大きな赤水晶なんて普通の人間の持ち物ではありえない。

 拳ほどの大きな赤水晶の中で、白い渦が不定形にうごめくのを見ながら、レオナはため息をついた。

 

 カラーン・ゴーン

 

 窓の外からまた鐘の音が響く。鹿や鳥をモチーフにした寄木細工の床を裸足で歩いて、レオナは開いていた窓から外を眺めた。夕暮れの涼しい風といっしょに、荘厳な、だが澄み切った鐘の音が入ってくる。


「銀の塔……わたし、あれを壊そうとしてたんだ」


 六百年ほど前に建てられたテルミア王国の象徴。その姿から『裁きの剣』とも言われる尖塔は、光の女神テルミアの寝所とされ、北の大陸の人口の七割が信者にもつテルミア教の総本山である。


 宗教が形骸化しつつある今、神官たちですら奇跡を起こせるものはまれと言われるこの時代に、レオナたちは触れてはいけないものに触れ、神の裁きを受けたのだ。


「っく……」


 ペタリと冷たい床に座り込んで、レオナは両手で顔を覆った。


「なんで……こんな」 


 燃えあがるブリッジがフラッシュバックする。 投影板の破片が胸に刺さり崩折れる召喚術士、「レディが通るぞ」という航海長の声に、さっと脇に避けると、敬礼する血まみれの水兵。


 自分に力がもっとあれば……彼らを守ってあげられたのだろうか……。


 蒼く鈍色に光るドラゴンが天にむかって咆哮すると同時に、まるで生きているような雷に巻きつかれ、爆散する『ルウス・ウヌス』の姿を思い出す。


「無理よ……」


 こんなところまで来て、わたしはなにをしているんだろう……。

 

 紫の瞳からあふれた涙が、頬を伝う。床に落ちた自分の涙を見て、レオナのなかで何かが崩れ落ち、子供のように声をあげて泣きじゃくった。


「……大丈夫、どこか痛むの?」


 どれくらいそうしていたのだろう、陽が落ちて闇に包まれた部屋でしゃくりあげるレオナの肩に、フワリとショールがかけられた。

 フルフルと首を振って、レオナが手の甲で涙をぬぐう。ローラに肩を抱かれて立ち上がると、ベッドに腰を掛けた。


「怖かったのね」


 そう言いながら隣に座ったローラに抱きしめられる。フワリと香るバラ油の香りと、冷えた身体に染みこむ心地よい暖かさに、レオナはそのままローラの胸に身体を預けた。


「ごめんなさい」


 息が落ち着くのを待って、小さな声でやっとのことで言葉を紡ぐ。


「いいの、悲しい時はうんと泣いていいのよ」


 髪をなでるローラの細い指を感じながらレオナは目を閉じた。


「ごめんなさい」


 小さく息をついて謝るレオナのまつ毛をローラの人さし指が拭う。 


「温かいスープを作ったの、それを飲んだら背中にお薬を塗ってあげるから。あとね、今日は一緒に寝ましょう……怖い夢も二人でいれば怖くないから……ね?」


 いつも自分がルネにするように、頬をなでてローラが自分の目を覗きこむ。優しい深い緑の瞳に見つめられて、レオナはコクリと頷いた。

 今日は疲れた……少しだけでいい、少しだけでいいからこの人に甘えてしまおう。そう思って目を閉じる。開けっ放しの窓から、月の光と肌寒い風がスルリと入り込んで、レオナの亜麻色の髪を揺らした。


     §


 それから二日ほどは、何事もなく過ぎて行った。ローラが薬草を煎じて作る薬のおかげか、ぶつけた背中も殆ど痛みを感じなくなっている。

 だが、身体が動かせるようになると、どうすれば帰国する事が出来るかという事がレオナの脳裏に浮かんでは消えた。


 現状、レオナの置かれた立場は微妙なところだ。 母国では西壁の騎士クエステ家と共に、秘密裏に三都連合に協力している事になっている。

 だが、東西南北、四名の騎士のうち執政官に表立って反抗している西壁の騎士と、実質的に力の失った北壁の騎士、つまりレオナの家を、あわよくば取り潰してやろうという目論見あっての事だ。


「いいですかお嬢様、もはやセプテントリオンの家よりも、お嬢様と坊っちゃまの命を第一にお考えください」


 出発の日、執事のクラウスに言われたことを思い出す。自分と同じ事をルネにさせてはいけない。だが、国に戻る手段がない


「わたしも何か手伝わせてください」


 そんな思いを少しでも忘れようと、レオナはローラに家事の手伝いを申しでた。難しいことは出来ないが、掃除や料理の手伝い位なら自分にも出来る。

 そんな思いを察してか、ローラもできることから順番に彼女に任せてくれるようになった。


「レオナ、今日はお菓子を作りましょう」


 一緒に暮らし始めてから三日、ローラがそう言って戸棚からお菓子の材料を取り出し始めた。


「あの……ローラ、わたし、今日はわたしに任せてもらってもいい?」

「ええ、何か居るものがあるなら言ってね」

「えーと、お砂糖とアーモンドの粉と、あと卵と……」


 必要な材料を言うレオナの前に、どこから出てくるのか次々に材料が並んでゆく。


「あと、あんずの種のリキュールが少し」

「ええと、これかしら……って空っぽね……」


 ちいさな瓶を棚からだすと、ローラが振ってみせた。


「きっとブライアンとフミの仕業ね、あの人たちお酒と見るとなんでも飲んじゃうんだから」

「お友達?」

「ええ、大事なお友達」


 ショールを止めたブローチをなでながら、彼女がニコリと笑った。赤水晶にグリフォンのブローチ、名前まで、おとぎ話のお姫様と同じなんて少しずるい……、なんだかよくわからない嫉妬にかられて、レオナはローラを見つめた。いいな、綺麗だな……。


「どうしたの?」

「お、お酒は無くてもだいじょうぶだから……」

「いいのよ、すぐ角に雑貨屋さんがあるの、買ってくるわね」

 

 羽飾りの付いた帽子をかぶって、バッグを手に取るとローラが手を振って階段をおりてゆく。レオナも手を振ると、アーモンドの粉をふるいにかけようと袋を手に取った。

 どっちに行くのかな……と気になって、二階のキッチンからローラを見送ろうとしたレオナはぎょっとして身をすくめた。

 門の前で軍服を着た男とローラが、話をしているのが見える。窓から見えないように小さくなって、レオナは窓の影からそっと様子をうかがった。


 いつもは優しい彼女が大きな身振りで何か怒っているようだ。

 片手をあげて、押しとどめるような仕草をすると、兵士がアパートメントの扉をあけて中に入ってくる。

 レオナはキッチンのテーブルに立てかけた杖に駆け寄った。

 近づく軍靴の重い音にレオナは杖を抱いて目を閉じる。

 階下から兵士を呼び止めるローラの声が聞こえる。

 ここで揉め事を起こせばローラに迷惑がかかる。でもここで捕まったら……。

 兵士の後からローラが階段を駆け上ってくる音がする。


 レオナはぎゅっとこぶしを握った。


 ガチャリとドアが開く、目の前にテルミアの軍服を着た男が現れた。

 できれば殺したくない、レオナは杖を握りしめる

 杖の先に大きな風のハンマーをイメージして杖を振り上げる。

 殺さないように、ゆっくりと力強く。


「レオナ! だめ!」


 廊下の向こうからローラの悲鳴が部屋に響いた。

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