猟犬と子栗鼠
「……くっ」
文洋は鈍痛に顔をしかめた。横倒しになったコックピットの壁に身を預け、一息ついて深呼吸する。風防の向こうから興味深そうにのぞき込んでいたリスが、てててっと身をひるがえし逃げてゆく。
「何時だ……」
左腕にはめた時計を見る。十四時半、離陸してから約二時間ほどだ、どうやら小一時間ばかり気を失っていたらしい。
体を動かしてみる。左肩がひどく痛むのと、計器盤にぶつけた額から出血している以外は大きな怪我はないようだ。
ベルトを外そうとして金具を引くが、体重が妙な角度にかかっているせいかびくともしない。
「いつっ……」
ブーツからナイフを抜いて、文洋はベルトを切り離しにかかった。何度か試みて左肩にかかっていたベルトを切り離す。痛む肩をかばいながら、コックピットから身を乗り出して下を覗きこんだ。
機体は地上から二〇フィートほどの高さで、大きなヴァレンウッドの枝に引っかかっているようだ。
「降りられるのかコレ」
さらに身を乗り出したところで、下から見上げていた子供たちと目が合う。
「わっ!」
声をあげて蜘蛛の子を散らすように子供達が逃げてゆく。近所の子供たちだろうかと思いながら、コックピットの縁に手を掛けて身体を引き抜こうと力を入れる。
「だいじょうぶ?」
いきなり真後ろから声をかけられ、文洋は腰のホルスターに手を延ばしながら振り返る。左肩が引っ張られて激痛に顔をしかめる。
「うわ、おっかない顔」
振り返った文洋の前で、言葉とは裏腹に、ショートカットの髪に何枚か木の葉をくっつけた少女が八重歯を見せてニカリと笑った。
「ひどいなー、みんなあたしのこと置いて逃げちゃうんだもん」
器用に枝をつたって木を降りる少女に導かれ、やっとのことで地面に降り立つ。油まみれのゴーグルを外して飛行帽を脱ごうとした時、バリッと音がすると鈍い痛みが走り、生ぬるい液体が額をつたって頬を濡らした。
「わぁ! 血がでてる! それ、ちょっとそれ貸して、あと座って」
スカーフを指さして少女が声をあげる。文洋は素直に座ると紺染めのスカーフ襟元から引っ張り出して、少女に手渡した。
「ちょっと! これ絹じゃない。もったいないでしょっ! もう! ちょっとあっち向いてて」
背を向けると、ごそごそと衣擦れの後、布を裂く高い音がする。
「いいよこっちむいて」
裂いた布を少女が文洋の額に器用に巻きつけてゆく。
「ありがとう」
「あたしのシュミーズのスソだけど、ちゃんと洗濯はしてあるから、きれいだからねっ」
スカーフをさし出して、そっぽを向いて照れ隠しをする少女の頭に、ポン、と文洋は手を置いた。黒目がちな瞳が見上げる。どんぐりのような赤茶の髪と相まって、リスのようだなと文洋は思った。
「それは君にあげるよ」
少女がさし出したスカーフを押しやって、文洋はニコリと笑ってみせる。
「いいの?」
「ああ、助けてくれたお礼だ」
白だと汚れが目立つと、自分で紺色に染めた物にローラが刺繍を入れてくれたスカーフだが、こんな時だ、許してくれるだろう。
「うわあ、ありがとう」
三フィート幅で、自分の背丈より長いスカーフを広げ、ためつすがめつ眺めると、綺麗に折りたたんでポーチに仕舞いこみ、少女はご機嫌な様子で歩き出す。
「とりあえず村までいけば、神官様が怪我をなおしてくださるわ、ついてきて」
「待った待った。僕はフミヒロ、フミヒロ・ユウキ、君は?」
小走りに小道を走る少女がクルリと振り返って子供っぽい笑顔でニカリと笑った。
「フミヒロ?変な名前。あたしはアニス・ベイカー」
「よろしくアニス」
森を抜けて十五分ほど歩いただろうか、アニスに連れられて文洋は小さな村にたどり着いた。ざっと二十件ほどの家と小さな教会が見える。
「あ、おじいちゃんだ! おじーちゃーん!」
村の入り口に男性の姿を見つけて、アニスが声を上げて走りだした。飛びついたアニスを抱き上げ、老人が文洋の方をいぶかしげに見つめる。
「森の外でみんなでラーシュカの実を取ってたら、ハネとシッポに領主様と同じ模様のついた飛行機が落ちてきたんだよ! お洋服も一緒だし、怪我してるし……」
もどかしいとばかりに、アニスがまくしたてる。
「そうかそうか、そりゃよくやった」
抱き上げていたアニスをおろして、老人が文洋に歩み寄った。
「テルミア空軍の方とお見受けしますが?」
「第一航空隊所属、フミヒロ・ユウキ少尉です」
敬礼しようとして、相手が民間人だと気が付き文洋が右手をさし出す。
「ようこそ、少尉、ウォルズ村へ。わたしはグレン・ベイカー、領主様のご同輩とあらば、歓迎しないわけにはいきませんな」
文洋がさし出した手を老人が握り返し笑顔を浮かべる。だが柔和な笑顔と裏腹に彼の背で鈍く光る、古びたライフル銃を文洋は複雑な思いで見つめていた。
「ねえねえ、なんでやられちゃったの?」「飛行機ってなんで空飛べるの?」「領主様とお友達なの?お兄ちゃんも貴族なの」
村の教会で治療を待つ間、文洋は子供たちに質問攻めにあっていた。質素な教会の石段に腰掛けて、身振り手振りを交え、子供たちに空戦の話をしてやる。
「じゃあお兄ちゃん魔法使いにやられちゃったの?そんなのズルイや」
羽の下で火球が爆発したところまで話すと、子供たちが一斉に声をあげる。
ズルイ……か、
そうとも言えなくはないかと苦笑いをする。
「おまたせしました」
そうこうするうちに、白地に銀糸の刺繍が入ったローブを着た女性神官が、貼り付けたような笑顔を浮かべて現れた。
異教徒の外国人兵士……まあ扱いとしてはこんなもんだろうと、文洋も愛想笑いを浮かべて会釈する。
教会内に招き入れられ、聖水で傷口を洗いながら女性神官が額の傷に手をかざして祈りの言葉をつぶやいた。温かい光があふれ、額の傷が固まり薄皮がはり始める。
あらかたふさがった傷口に絆創膏を貼り付けると、神官は文洋の肩に軽く触れ、「鎖骨にヒビが入っていますが、これはちょっとうちでは」と首を横に振った。
礼を言い、ポケットに入っていた小銭を寄附した文洋に、今度は比較的にこやかな笑みを浮かべた神官が去ると、文洋は再び子供たちに囲まれながら教会を後にした。
「「「ねえねえ、兄ちゃんったら」」」
「だめっ、フミヒロは怪我してるんだから、いい加減にしなさいっ!」
見かねたアニスが文洋の手をひいて、ツカツカと早足で歩く。「えー」「アニスずるーい」と言いながらも、少女の剣幕に押され、それ以上まとわりつくのをやめた子供たちを置きざりに、アニスは村外れの小さな屋敷へ文洋を引っ張っていった。
「ここが領主様のお屋敷」
「領主の屋敷?」
航空隊に居るなら彼も留守だろう、なぜ連れてきたのかと文洋は首をひねる。
「そう。お屋敷なら電話っていうのがあるから、きっとフミヒロの助けになると思って」
「電話があるのか」
「村ではお医者様を呼ぶときに、お願いして貸してもらうの」
「いい人なんだな、領主は」
微笑みかけたフミヒロにアニスが八重歯を見せて笑う。
「そうよ、それに、とってもカッコイイんだから」
「その人もパイロットなのかい?」
「ええ、時々飛行機で村の上を飛んでお菓子を落としてくれるの」
「そうか」
奇特な領主も居たものだ。どこかの父に聞かせてやりたいと文洋は思った。
アニスが無施錠の門を通り抜けて、ドアを叩く。
「あら、アニスどうしたんだい?」
白髪交じりのメイドがドアから顔を出し、血で汚れた文洋の制服を見てぎょっとする。
「ああ、びっくりした、旦那様がお怪我されたのかと思ったよ」
「ヘレン、この人、領主様の友達なの、森に飛行機が落ちたから電話を貸してあげて」
電話に出た交換手に、基地へつなぐように頼むと通信兵が電話口にでた。文洋は自分の無事と愛機の状況を連絡して迎えの車と機体回収の工兵を要請する。しかし、未帰還機の多さに基地も大混乱している様子だった。
「どうだった?」
「迎えに来てくれるけど、いつになるかは、わからないそうだ」
「じゃあ、フミヒロは今日はうちにくるといいよ」
§
屋敷の帰りも大勢の子供たちにまとわりつかれ、さすがに疲れ切った文洋はアニスの家に招かれてようやく一息ついた。
汚れた上着を近所のご婦人に洗濯してもらうと持って行ったり、お茶を入れてくれたりと、ぎこちないが一生懸命に歓待してくれるアニスを見て、文洋は少し懐かしい気持ちになる。
その夜、黒パンとソーセージ、塩漬け肉と玉ねぎのスープをベーカー家でごちそうになっていた文洋は、外が騒々しくなったのに気がついた。基地から迎えが来たのだろうと察しはついたが、折角の食事の席を立つのも失礼なので、そのまま食事を続ける。
「あ、領主様だ」
「これは領主様」
ドアが開くと同時に、アニスとグレンが立ち上がる。モグ、と黒パンを口に入れたまま文洋も立ち上がる。文洋を見てニヤリと笑う領主の正体を確認して、ちょっと待てと手で合図すると、口の中のパンを飲み込んだ。
「これはこれは、ブライアン卿」
芝居がかった一礼をする文洋に、ブライアンが我慢も限界と吹き出す。
「心配して来てみりゃ、ナニ伯爵様がうちの領民から晩飯を恵んでもらってんだよ」
「伯爵! フミヒロ偉い人なの?」
アニスが目を丸くする。
「しょうがないだろ、お菓子が空から降ってこなかったんだから、なあ、アニス」
「……っつ、グレン、俺もメシ貰ってもいい?」
額に手を当てて、一本とられたという顔をしてから、ブライアンが口を開いた。
「私共はかまいませんが、良いのですか? このような所で」
「いいんだよ、オヤジに怒られてメシ抜きにされる度に、屋敷ぬけだしてグレンの家でメシくってたっけ」
「わーい、領主様と晩ごはんだー」
「あ、あと外にいる運転手にも食わせてやってくれよ」
ポケットからコインを何枚か出すとグレンに押し付けて、ブライアンが一緒に食卓を囲む。運転手に駆りだされたらしいバーニー伍長が招かれ、近所の人々も少しずつ料理をもって押しかけて、結局その日はちょっとした宴会になった。
「じゃあフミ、明日迎えに来るわ」
早めに村人たちを解散させたものの、文洋に極東の話を聞きたいとダダをこねるアニスに根負けして、ブライアンがバーニーを連れて屋敷に引き上げてゆく。
「ねえねえ、極東ってどんな所?」
「そうだなあ、エルフもドワーフも居ないな」
「人間しか居ないの?」
「いや、喋るキツネやハーピーみたいな大きなカラスがいるぞ」
枕をぶら下げて文洋の寝台に潜り込んできたアニスに、極東の話をしてやりながら、ふと、文洋は乳母の娘のユキに同じように、色んな話を読んでやったことがあったなと思い出した。
ユキも昼間のアニスのようにママゴトよろしく世話をしてくれていたっけ。
昼間はしゃいぎすぎて疲れたのか、寝息を立て始めた少女にブランケットをかけてやると、文洋はランプを消して目を閉じた。
「領主さまーまたねー」
「今度はお菓子もってきてやるからなー」
翌朝、子供たちの声を背にして文洋たちは村を後にした。ブライアンがバーニー伍長の運転するクルマから身を乗り出して、見送る村人たちに手を降る。
「人気者なんだな、ブライアン」
「名ばかりの貴族の我が家に最後に残った領地だからな、みんな俺の家族みたいなもんだ」
後部座席に立ち上がり、子供たちが見えなくなるまで手を降って、ブライアンが文洋の隣に腰をおろした。
「家族か」
「ああ、家族だ。ほら、一服やれよフミ」
銀無垢のシガレットケースをさし出され、文洋は一本取り上げる。
「ありがとな」
「まあ、お互い生きててなによりだ」
ブライアンがブーツのカカトでマッチを擦ると自分のタバコに火をつける。ブライアンがさし出したタバコから貰い火をして、文洋も深く吸い込んだ。
「「まったく、酷い目にあったもんだ」」
煙を吐きながら、二人で同じグチをこぼして、文洋とブライアンは笑い声を上げた。ゴトゴトと揺れながら、田舎道を車が走る。
家族か……。
麦畑をわたる風の音を聞きながら文洋は痛む肩を抑えて目を閉じた。