表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/57

群青の竜騎士(後編)

「クラウスあとは頼む」


 大きく頷いた銀狼に後を託し、文洋はスレイプニールの翼づたいに、青竜フルメンの首によじのぼった。


「フミ! まって私も」


 レオナの声が追いかけてくる。『相良』から降ろされた短艇がこちらへ向かってくるのを確認して、文洋はレオナに小さく敬礼した。


「準備は良いか、人間よ」


 空気を震わすフルメンの声に、文洋はスカーフを顔にまき、ゴーグルを下ろして応える。


「ああ、終わりにしよう」


 首を高くあげ、紫の飛行艇から十分に離れたところで、水中から大きな翼があらわれる。


「後戻りはできぬぞ」

「そうだな、だが、ここから先は戦士の仕事だ、そうだろう?」

「違いあるまい、そして、幼き者が見ずに済むならそれがよかろう」


 大きな顎を薄く開いて、フルメンが笑う。


「公女殿下も見ておいでだが、彼女は例外でいいだろう」


 スカーレットと視界の繋がっている紅玉の瞳を指さして文洋も笑った。


「ゆくぞ、人間よ」

「ああ」


 差し渡し三〇ヤードはあろうかという巨大な翼が、轟々と風を巻いて羽ばたいた。

 振り落とされないよう、目の前の大きなトゲを操縦桿のように掴む。

 飛行機とは違う浮遊感に文洋は思わず歓声を上げそうになった。

 

 ドドゥドウ!


 空中の諸元をどう計算したのか、それでも距離が開いたことで、砲が当たると判断した『相良』の主砲が『巨人』(アルビオン)に最後の一斉射を加える。砲弾に道案内されるように、雷の青竜フルメンが手負いの|『巨人』アルビオンを追って冬空に羽ばたいた。


     §


 間一髪ではあったが、なんとか脱出に成功した巨人(アルビオン)の艦内では、総出で鎮火作業に追われていた。


 ―― アリシアの貴族院を黙らせる方法を考えなければなりませんね。


 鎮火作業に駆り出されたのは『水晶宮』の召喚魔術師たちも例外ではなく、人の気配が無くなった『水晶宮』で、ルデウスは一人物思いにふけっていた。

 船の中心部奥深く、分厚い装甲に守られた『水晶宮』に輝く巨大な赤水晶、その台座の根本に据えられたガラスの棺を見ながら、ルデウスは眉をひそめる。


 ―― まず戻ったら、北壁の騎士には姉弟共々死んでもらうことにしましょう。


 姉がどこに匿われていたのかは謎だが、敵に回せばあの姉弟の能力は厄介だ、それに何より政治的な面で致命傷になる可能性がある。だからこそ、速やかに死んでもらう必要があった。

 

 ―― 後は扶桑とテルミアの離間工作も進めなければ。


 巨人(アルビオン)に痛烈な一撃を与えた扶桑の船は、一度壊滅させた扶桑艦隊の生き残りで編成されている。にも関わらず、あの練度と士気は異様だ。今後のことを考えると政治的に離間工作を進めなければ厄介なことになりかねない。


 ―― しかし、酷い一日だった。


 慣れない魔法を使ったことで押し寄せる疲労感に、ルデウスは司令席の横のキャビネットからブランデーを取り出しグラスに注いだ。琥珀色の液体がクリスタルグラスに注がれてゆく。甘い香りを漂わせるそれを、手に取ろうとしたその時。


 ズムン!


 と衝撃が走り、グラスがテーブルから滑り落ちた。


「執政官殿、ブリッジへ!」

 

 伝声管から航海長の声が響く。


「今の衝撃は?」

「敵艦の砲撃です!」


 テルミア空軍に推進器を削られたせいで速度が落ちているとはいえ、三十五ノットは出ているはずだ、ましてや先ほどの船は引き離して後方に……。


「まぐれ当りでしょう」

「それは、問題ではありません、執政官、ドラゴンが追ってきます!」


     §


「人というのは器用なものだな」


 道案内でもするように撃ちだされた六発の砲弾のうち、一発が巨人(アルビオン)に命中する。


「復讐の女神の加護だろう」


 感慨深げにつぶやく青竜に、風に負けじと文洋は大声で応えた。


「仲間の仇討ちか。ならば、その思い、遂げてやるのが益荒男ますらおの務めであろうな」


 楽しげにフルメンがそう言いながら、上空から距離を詰めてゆく。

 残り四〇〇ヤードを切った途端、先をゆく巨人(アルビオン)の対空砲が一斉に火を吹いた。


「無駄なことを」


 フルメンの声が響く。

 しがみつく文洋をよそに急降下。

 その巨体めがけて打ち出される対空砲弾が、前方で紫電をあげて弾き飛ばされた。

 高らかに巨竜が吠える。

 カッ!と目の前が一瞬明るく輝き、圧倒的な熱気に文洋が目を閉じた。


「……」


 高度が上がるのを感じて、文洋が目を開き、後ろを振り返った。

 そこには地獄の様相が広がっていた。

 甲板が燃え上がり、鉄の手すりが溶け落ちている。

 舷側の機銃座で人が燃え、のたうちまわっていた。


「レオナを連れてこなくて良かった」


 口の中で小さくつぶやく。

 圧倒的な破壊の前に、ブルリと背筋に震えが走る。


「奴さえ倒せば、終わる……」 


 ルデウスの姿を探して左目に意識を集中する。

 艦橋の窓からこちらを見上げる男の姿が見えた。

 見つけた。


「ルデウス!」

「敵の首魁か?」

「ああ、そうだ、艦橋に見える杖の男」


 バサリ、バサリと二度ほどはばたくと、フルメンが巨人(アルビオン)を追い抜いて前上方へと抜ける。

 飛行機ではありえない機動でクルリと身体を回し、青竜が巨人(アルビオン)に正対した。

 艦首の高射砲と機銃座が火を吹き、再びフルメンのまわりに紫電が嵐のように巻き起こる。


「再び相まみえたな、忌々しき魔法王国アリサリアの末裔どもよ」


 あたりを揺るがす大音声で見得を切り、青竜のブレスが艦首を焼いた。

 炎に焼かれた兵士が、空中へと身を踊らせる。


「降伏すれば良し、さもなくば……」


 そう言って、加減した炎が艦橋へと伸びた。

 ルデウスの仕業だろう、緑の魔方陣が炎を遮る。

 文洋の紅玉の瞳に、ルデウスと艦長が言い争っているのが見えた。

 艦長がルデウスを指差し、隣の軍人がルデウスめがけて一歩踏み出す。

 途端、艦長の白い軍服が紅に染まり、胸を押さえて倒れこんだ。

 

「バカなことを」


 文洋のつぶやきが聞こえたかのように、フルメンが巨人(アルビオン)から離れると、真正面に構えた。


「本当に、バカなことを」


 再びつぶやいた文洋が、じっと艦橋を見つめる。

 双眼鏡を覗きこむルデウスと目があった。

 主砲がこちらを向く。

 巨竜が高らかに吠えた。

 耳をつんざく轟音が響き渡る。

 巨大な稲妻が主砲塔を貫き通し、火花が砲塔を包み込んだ。

 砲身が膨らみ、炎を吹き出して裂ける。

 スローモーションのように艦首がはじけ飛ぶと、巨艦が断末魔をあげて傾いた。


「まだだ」


 まだ、奴は生きている。

 恐怖を顔に張り付かせたルデウスが、大きく目を見開いてこちらを見つている。

 この先はただの殺戮かもしれない。

 今なら降伏するかもしれない。

 だが……。

 脳裏にレオナとルネの顔が浮かぶ。


 ―― 復讐の女神に魅入られると、命を縮めます。

 

 いつか言われたラディアの言葉が脳裏に浮かぶ。

 だが、それでも。

 

「まだだ、フルメン!!」


 文洋は声の限りに叫んだ。


「良かろう、戦士よ」


 文洋の言葉に応えて、フルメンが羽ばたいた。

 青い矢となってブリッジへまっすぐに突っ込んでゆく。

 フルメンの吐き出す炎の熱気が顔をあぶり、地獄の業火(ドラゴンブレス)がブリッジへと伸びた。

 最後まで見なくてはいけない。

 そうでなければ、これは俺の戦いでなくなる。

 大きく見開いた文洋の目に緑の魔方陣が、刹那、炎を食い止めるのが映る。

 ぶつかり、そして圧倒的な力に、魔方陣が燐光をあげて焼き切られる。

 手すりが、窓が、ブリッジそのものが焼け落ちて……。

 そして、恐怖を張り付かせたまま、ルデウスが炎の中に溶けていった。


「討ち取ったり!」


 文洋を背に載せたドラゴンが高らかに勝ち名乗りを上げた。

 巨人(アルビオン)が後方に傾く。

 黒煙を引いて巨艦が冬の海へと落ち、巨大な水柱をあげた。


     §


 レブログへと戻る『相良』の露天監視所で、レオナは南の空を見つめ続けていた。

 文洋を、止めるべきではなかったのか。

 ルネが帰ってきてくれたのだから、もう、皆で暮らせればそれでよかったのだ。

 ローラになんて言えばいいんだろう。


「お嬢さん、風邪を引くといけない」


 じっと空を見つめながら、考え事をしていたレオナは、肩にぶ厚いピーコートをかけられて我に返った。


「ありがとうございます」


 横にならんだ白い服の士官を見上げる。


「艦長……さん」


 文洋とよく似た横顔に、今はなき駆逐艦『樹雨』で親切にしてくれた人たちの事を思い出して、レオナは目をそらす。

 ルデウスに使われてたとはいえ、弟の守っていた船が、この人の……フミの兄の……部下や同僚を殺したのだ。


「あらましは聞いています。我々の中にあなた方を恨むものなどいませんよ、お嬢さん」

「つっ……」


 胸にこみ上げるものを抑え、レオナは南に空を見つめる艦長をもう一度見上げた。


「でも……」

「戦争は大人の勝手で始めるもので、子どもに責任を押し付けるようなものじゃない」

「フミと同じことをいうのですね」


 レオナの言葉に、こちらを向いて艦長がニコリと笑った。


「まったく、いきなりおじさんだとか、戻ったら文洋に一言いってやらないと」


 そう言いながら、艦長がまっすぐに南の空を指さし、首からかけた双眼鏡をレオナに差し出した。

 艦長が指差す方向に、小さな黒点が現れる。

 慌てて覗き込んだ双眼鏡の中で、どんどん翼を持つ影が大きくなってゆく。


「フミ!」


 肉眼で見えるほどになったドラゴンが、急降下してくると、海面スレスレを追い抜いてゆく。

 涙でかすむ視界の中、油煙で煤けた一人と一匹が楽しそうに飛んでいた。


「ばか、フミのばか、心配したんだから」


 手を振る文洋に、千切れるほどに手を振り返してレオナは泣き笑いした。


「まるでお伽話だな、まあ、あいつらしいといえばあいつらしい」


 艦長のあきれた声に、レオナは応える。


「ええ、ほんとに……。帰ったらローラにうんと叱ってもらうんだから、竜騎士だなんて、お伽話の真似もいい加減になさいって」


 司令部からの勝利を知らせる無電に湧き上がる歓声を残して、北へと船は走る。


 群青色の影を落とし、大きな竜と一人の青年が透き通った冬の空に駆け上っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バナー画像
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ