群青の竜騎士(前編)
「きゃあっ」
横殴りにされたような衝撃と共に、機体が一気に右に傾く。
流れ弾にしろなんにしろ、直撃弾を貰った、それしかない。
台座から吹き飛ばされた魔法推進器がくるくると回りながら海へとおちてゆく。
「くそっ」
右のペダルを蹴とばして、傾いた機体を下に向ける。
小刻みな振動とともに、スレイプニールが急降下。
三〇〇フィート、二〇〇フィート
用済みになったスロットルから手を離し、文洋は両手で操縦桿を握りしめた。
「姉様! おちる!」
後席でルネの悲鳴が響く。
推進器がもがれた分、重心が後ろに移動しているのだろう、文洋はやたらと機首をあげたがる『スレイプニール』をを力任せに押さえつけて降下する。
「フミ!」
「祈ってろ」
高度五十フィートで機首をあげようとする『スレイプニール』に逆らわず、水平飛行に戻す。
今度は右に傾こうとする機体に操縦桿を倒してあて舵、ペダルで横滑りを押さえ込んだ。
「全員つかまれ!!」
後席に聞こえるように叫んで、文洋はゆっくりと操縦桿を引きつける。
機首を軽く上げる、速度が急激に失われた。
右下を覗きこむ、高度十フィート。
集中した文洋の視界がスローモーションになる。
ドンッ!
右の翼に海面を叩かせまいと、着水した瞬間に左に操縦桿を軽く倒す。
ドッ、ドッ、ドッ
リズミカルな音を立てて『スレイプニール』が水面を跳ねる。
ザバリ、と大きな波を上げて期待が叩きつけられ、水しぶきが収まった。
一瞬の静寂の後、この時期にしては静かな水面で機体が波に揺れる。
「私達……生きてるの?」
「ああ、多分な。大丈夫か?」
「だいじょうぶ……だと思う」
大きく息を吐いて、文洋は座席にもたれかかった。
「クラウス? 無事か?」
ベルトを外して文洋が振り返る。
「ナントカ」
ルネを守ろうとしたのだろう、獣人化したクラウスがゾロリと牙を見せて笑う。
その左右の腕には推進器の部品が突き刺さり、血が流れていた。
「クラウス、だいじょうぶ? 痛くない?」
「イタイノハ、イキテイル、アカシデス、ボッチャマ」
§
「召喚術氏は視界の回復を、魔導技術者は浮揚回路の修理を急いで下さい」
切り落とされた指に包帯を巻き、顎をおさえながら、ルデウスは瀕死の巨艦の指揮を取り続けていた。
半壊した固定具で押さえられた赤水晶と台座の間に、厚さ三インチのオークのテーブルがねじ込まれている。あの人狼の仕業にちがいないと、ルデウスは歯噛みした。
テーブルで回路を遮断されたせいで、浮上用の魔具との回路を失った、『巨人』は無様に海へと叩き落とさたのだ。
「何でもいい、長い棒をを持ってこい、赤水晶を持ち上げろ」
「いや、この板をロープで引いたほうが早いぞ」
赤水晶の前で汗を書きながら魔導技術者達が言いあっている。
「口ではなく、手を動かしたらどうだ!」
そんな技術者たちに苛立って、ルデウスは大声で叱咤した。着水した『巨人』は今のところ、ハリネズミのような対空火器でテルミア空軍と互角に渡り合っている。どちらにしても、航空機銃程度の攻撃は『巨人』にとって蚊にさされるようなものだ。
「小妖精召喚、視界、もどります」
戦闘で半分以下に減ってしまった召喚術師が小妖精を呼び出し、水晶宮に光が戻る。視界の後ろ半分が消えているのは魔術師の数が足りないからに他ならない。
「死にたくなければ、十五分でその板をどけなさい」
感情を押し殺した柔和な声で技術者たちにそう言って、ルデウスは外の景色を眺めた。敵の主力艦隊はトライアス沖で戦闘中、少数の旧式艦がレシチア沖で支援砲撃をしているとの報告を受けている。
だとすれば、港にいるのはせいぜい駆逐艦が数隻程度だろう、空中に浮かびさえすればこちらの敵ではない。
「体制を立て直します、通常推進で進路を南へ、よろしいか? 執政官殿」
伝声管から艦長の声が響く。発電と海上移動用の蒸気機関を使い、巨人が南へゆっくりと回頭を開始した。
「わかりました、南へ向かいましょう、一度脱出します」
ドラゴンがこれ以上手を出してこないなら、空に浮かんでしまえばこちらのものだ。そう思いながらルデウスは投影板を睨みつける。
小型の爆弾を持っている敵がいるのか、艦の左右に水柱があがり一発が甲板に命中して爆炎を上げた。
「修理がおわり次第、離水してトライアスに戻ります」
―― 絶対的な盾は失ったが、あの坊やのおかげで、自分にもこれくらいは出来るようになった。
柔和な笑みを浮かべ、ルデウスは、はしごを登ると台座に腰掛け、右手を赤水晶に、左手を台座へと触れた。
§
猟犬隊と、ドラグーン隊に援護され、黒塗りの偵察機が一機、爆弾を落としていった。
一発が甲板に命中すると、甲板に爆炎があがる。
「ヤリマシタナ!」
後部座席にみっしりと詰まった銀狼が、胸にルネを抱いて歓声をあげる。
「ラディアたちか」
目を細め、北の空を見つめる、紅玉の左目に黒塗りの偵察機が五機、その上空に派手なチェック模様の黒兎隊が四機、こちらへ向かってくるのが見えた。
「フミ、『巨人』が!」
レオナの声に、文洋は海へ落ちた『巨人』に目をやった。艦橋後部の煙突から煙をあげ、丸く太った巡洋艦のような船体がこちらへ向って回頭してくるのが見える。
「こっちに、くるよ」
ルネが怯えた声をあげた、『巨人』の南側に着水した文洋達に向って、鈍色の艦がゆっくりと艦首をむけてくる。酷くゆっくりな挙動が、逆に不気味さをましていた。
「大丈夫だ、まだ一マイルはある」
そう言って文洋は降下してゆく偵察機と、黒兎隊をじっと見つめる。一ダース以上の爆弾、その上、ダークエルフたちのことだ、甲板にサラマンダーをばらまくことくらいやりかねない。ルネの盾が無い今なら、十分なダメージをあたえられるにちがいない。
偵察機の編隊が一斉に降下を開始する。
胴体下から三発づつ、爆弾が切り離されるのが見えた。
放物線を描き、南へ向って回頭する巨人めがけて吸い込まれてゆく。
「よし」
七割は当たる、そう思って小さくつぶやいた刹那。半数ほどの爆弾が緑の燐光をあげ、手前で爆発した。
「っ……」
空中に現れた魔方陣に、レオナが言葉を失う。
「そんな……、ぼくのせいだ……ルデウスにすごく褒められて、教えてほしいって……だから」
ルネの言葉に、文洋は艦内でルデウスが銃弾を止めたのを思い出した。
「レオナ、むこうが撃ってきたら止められるか?」
愕然とするルネの様子に、文洋は膝の上のレオナをぎゅっと抱きしめる。
「……やってみる、皆を守れるのは、私だけだもの」
§
「半分ほどは防げましたか」
魔術の才が無い自分にしては上出来だ、そう思ってルデウスは笑みを浮かべた。何度攻撃してきても、この程度であれば『巨人』が沈むことはない。
「視界を可能な限り全方位に」
『水晶宮』に湧き上がる賞賛のどよめきに、高揚感を覚えつつルデウスは召喚士たちに命じる。思わぬ盾の出現に、一斉にテルミア空軍機が距離を取るのみてルデウスはほくそ笑んだ。
「見張り員から報告、前方に着水した機体、逃亡した北壁の騎士一行と思われます、捕まえますか?」
伝声管から砲雷長の声が響いた。
「……撃ち殺しなさい、無理ならそのままぶつけてやりなさい、反逆者です」
「りょ、了解しました」
砲雷長の狼狽した声に、ルデウスは微笑んだ。
良心が咎めるから、海の男だから、相手が子供だから、躊躇する。
―― それでいいのだ、人間はそうでなくてはいけない。私はそれを踏み台にして上りつめてきた。
艦首の高射砲が火を吹き、海面に揺れる小さな飛行艇のまわりに水柱が上がる。
命中する度に緑色の燐光が舞い散り、対空砲弾を弾き返す。
いくら砲弾を弾いた所で、この船ごとぶつけられれば防げるはずもない。
テルミア空軍機が魔法で、機銃で、そして精霊を呼び出して立ちはだかる。
だが、この巨艦にとっては蚊に刺されたようなものだ。
小さな飛行艇との距離が縮まる、残り六〇〇ヤード。
―― 反逆者にはお似合いの最期です。さようなら、お伽話に帰りなさい、北壁の騎士、セプテントリオン。
ルデウスが微笑んだその時。
「左舷雷跡! 四! いや、六!」
「取舵一杯、回避!」
悲鳴に似た声が艦橋と繋がれた伝声管から聞こえてきた。
§
こちらへまっすぐ向かってくる『巨人』の姿に、クラウスが東を指さした。
「アノシママデ、オヨギマショウ」
一マイルほど先にある東の島を指差し、クラウスが言う。
「だめよ、クラウス、水の中で風の盾が使えないのは、知っているでしょう?」
何としても守ってみせる、決意のこもった瞳で、レオナが反論する。
「魔法はともかく、真冬の海に飛び込んで生きてられるのはお前くらいだクラウス」
こうなっては一蓮托生だ。コンソールから外した赤水晶をぎゅっと握りしめ、風の盾をはり続けるレオナの左手に自分の左手を重ね、文洋は北の海を睨みつけた。
「ごめんね、フミ、巻き込んじゃって」
「いいんだ」
北から迫り来る『巨人』を紫の瞳がまっすぐに見つめている。
文洋は気丈に戦い続ける少女の、だが、小さく震える身体を右腕で抱きしめた。
二発、三発、近づくにつれ、命中弾が増えてゆく。
緑の燐光に包まれながら、揺れる飛行艇の中で文洋は祈る。
―― 誰でもいい、俺の家族を、大事な人たちを守ってくれ。
大口径高射砲の直撃弾。
今までにない大きな衝撃に『スレイプニール』が揺れる。
脳裏に浮かんだのは、銀色の髪、翡翠の瞳、焼きつくような胸の痛み。
「ごめん、ローラ」
文洋は小さくつぶやいたその時……、距離六〇〇ヤードほどまで近づいてきた『巨人』が、大きく傾きながら文洋たちから進路をそらした、まるで何かから逃れるように東へと進路を変える。
「フミ、あれ!」
レオナが指さした東の島影から一隻の軍艦が飛び出してきた。
艦影にしては大きな砲声が響き、一斉射撃を『巨人』に叩き込む。
何発かが緑の燐光に阻まれたが、砲弾が『巨人』の横腹を貫き、炸裂した。
「相良《さがら》!」
トップマストに扶桑の軍艦旗を掲げた軽巡洋艦が『巨人』《アルビオン》に砲も灼けよとばかりに砲弾を叩き込む。
旋回する『巨人』の艦首側の高射砲が応戦しようと火を吹いたその時、
ド! ドムン!
『スレイプニール』の機体越しに腹に響く低くい音が伝わり、二本の水柱が『巨人』の左舷に上がった。
「ウォーン!」
感極まったクラウスが遠吠えをあげる。
「助かった……の?」
クタリ、と膝の上でレオナがへたり込む。
「まだだ、レオナ、奴が沈むまでは油断するな」
小さくつぶやいて、文洋はレオナを後ろから抱きしめる。
コクリと頷いて、レオナが『巨人』に視線を戻した。
『相良』の主砲が二度目の咆哮を上げる。
再び半数ほどが緑の燐光に阻まれたが、艦首と艦尾に直撃し、爆炎を上げた。
―― 勝った……、俺達の勝ちだ。
文洋が思ったその時。
「フミ、『巨人』が!」
「くそっ、なんでここで」
炎をあげ、満身創痍の巨艦が水しぶきを上げながら離水を始める。
『相良』の主砲がさらに二発の追い打ちをかける。
魚雷の破孔から大量の水が流れ落ち、一気に『巨人』が高度をあげた。
主砲の仰角が足りなくなった『相良』の対空砲が、巨人を追って火を吹く。
鈍色の巨人が黒煙を引きながら、そんな努力をあざ笑うかのように高度をあげてゆく。
―― ここで、ここまできて……。
安堵の吐息をついて文洋が背もたれに身を預ける。
南に向って『巨人』が小さくなってゆく。
赤い信号弾があちこちで上がり、空軍機も引き上げを開始する。
『相良』からカッターが降ろされるのが見えた。
これで助かる、それは間違いない。
―― だが……、だが、このわき起こる黒い気持ちは、
「つっ!」
『スレイプニール』が大きく揺れる、海を割って目の前に巨大な首が持ち上がった。
雷の青竜、テルミアの守護者。
「定命の者よ、これはうぬら人間共の始めた戦、我々竜族には関係ない」
「……」
文洋がまっすぐに見つめると、金色の瞳の縦長の瞳孔が、すっと細くなる。
「だが、我は問う、殿下はうぬに助力せよと仰せになった、戦う意思はあるか? 戦士よ」
青竜の金色の瞳を見つめたまま、コクリ、と文洋はうなずいた。
もうすこし、つづくのです。




