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猟犬と道化師(中編)

 帆船時代からの伝統で、士官の命令が無い限り海軍の兵士は武装していない。ましてや、この鉄壁の防御をかいくぐり侵入されるとは思っていないのだろう、『巨人』(アルビオン)の中は手薄そのものだった。

 その上、素手の人間など人狼の敵ではない。時折出くわす伝令らしい兵士をクラウスが殴り倒し、難なく道を切り開いてゆく。


「フミ、どっち?」

「その先の階段を降りて右」


 慣れない人間にとって船の中は鋼鉄の迷路だ、特に軍艦は同じ風景にしか見えない。テルミアに留学するときに乗った貨客船で、それが身に沁みて判っていた文洋は、前もって巨人(アルビオン)の図面を頭に叩き込んでいた。


「次の角を左だ!」


 文洋の指示でクラウスが丁字路を曲がる。

 ドスンと鈍い音がして、出会い頭にぶつかった男が弾き飛ばされた。


「うぉっ! じ、人狼!?」


 男の声にレオナの足が止まる。

 狭い通路でレオナの肩を掴んで体を入れ替え、文洋は四十五口径の自動拳銃オートマチックを構えて前に出た。

 姿勢を低くして、クラウスの後ろで片膝を立た姿勢で銃を構える。

 紺色の海兵の制服が二人、白の制服の将校が三人。


「何者だ!」


 言いながら紺色の制服を着た海兵が遊底ボルトを引く。

 撃つ隙を与えず、クラウスが足元の将校を片手で掴み上げて盾にした。


「や、やめろ、こんなことをして」

「モンドウ ムヨウ!」

「うわぁ」


 クラウスが吠え、白服の将校を放り投げる。

 発砲をためらった海兵を巻き込んで、三人が通路に折り重なって倒れた。


「何をしている撃て!」


 一番後ろの将校がクラウスを指さして叫ぶ。

 ひとかたまりで倒れている三人を一足で飛び越え、銀狼が雄叫びを上げて海兵に襲いかかった。


「ひっ!」


 クラウスの雄叫びに、怯えた顔で銃を構え海兵が発砲する。

 リン、と鈴の鳴るような音がしてクラウスの直前で緑の燐光が飛び散り、風の盾が弾丸を受け止めた。


「ガアッ」


 唸り声と共に血風が舞い、盾にした銃ごとへし折られて海兵が壁にたたきつけられる。


「バケモノがっ!」


 先ほど投げられた将校の下敷きになっていた海兵が半身を起こし、クラウスに拳銃を向けた。


 ダン、ダン!


 重い銃声をのこして、文洋の放った銃弾が紺色の制服の背中に吸い込まれる。

 弾かれるように前にくずおれる海兵の姿と、右手に残る重い反動に文洋は小さく祈りを上げた。


     §


「悪いことは言わん降伏したまえ、そんな子供連れで何をするつもりだ」

「その子供を戦争に利用しているのは、あなたたちでは無いですか」


 文洋に銃をつきつけられ、両手を上げる将校にレオナが言い放つ。


「……あれは……」


 まるでゴミでも見るような冷たいレオナの眼光に、大佐の階級章を着けた将校が言葉をつまらせた。


「あなた達がいくら殺しあおうと私にはどうでも良いことです。でも、私の弟は返してもらいます」


 そう言ってグイ、とレオナが赤水晶の杖を握りしめる。


「弟? 栗色の髪の少年のことかね?」

「そうだ、先ほどの海兵には気の毒なことをしたが、我々は少年を返してもらえれば、それでいい」


 そう言って大佐に銃を突きつけ、文洋が列の先頭に立つ。レオナの背後を守るようにクラウスが最後尾にいた。ざとなればこの男を盾にする、そう肚をくくって文洋は水晶宮へと歩みを進める。


「ここだ、間違いない」

「ずいぶんと詳しいものだ」

「無駄話をする気はない、少年を返してもらえればそれでいい」


 後頭部に銃身を押し当て、文洋は大佐にゆっくりと、だが決意を込めて口調で言い放つ。無言でうなずく将校に目配せして文洋は扉を開けさせた。


「おや、艦長、何か忘れ物ですか?」


 一人がやっと通れる小さな扉を将校が開けると、中から男の声がする。緊迫感あふれる戦場にそぐわない柔和な声に文洋は違和感を覚えた。


「いえ、執政官殿、実は」


 そこまで言った所で、文洋は艦長と呼ばれた男の襟首を掴んで部屋へと踏み込こんだ。


「全員動くな!」


 大声で怒鳴り天井に向けて引鉄を引く。思わぬ闖入者の出現で『水晶宮』に悲鳴が上がった。


「……」 


 艦長を盾にして、あっけにとられた表情の執政官に銃を向け、文洋は『巨人』(アルビオン)の司令室である『水晶宮』へ二歩、三歩と足を踏み入れる。


「何者です?」


 人を食った柔和な声に、この男が『笑わない道化師』ルデウスだと文洋は確信した。その男の背後、一段高い場に直径三フィートはある赤水晶が設置されている。

 よほどの魔力なのだろう、意識しなくても文洋の左目に赤水晶からあふれた魔力が光の滝となって、台座下のガラスの棺に流れ込んでいるのが見える。


「あなたは何者です?」


 沈黙して睨みつける文洋に男がもう一度問いかけてくる、長い黒髪に神経質そうな整った顔立ち、眉根にシワを寄せながらも、柔和な声を変えないルデウスの様子に、これは己を隠す芝居だと文洋は直感した。


「弟を返してもらいに来ました、ルデウス執政官」


 背後から入ってきたレオナが、その問いに答えながら文洋の隣に並び立つ。


「……おや、ご無事でしたか、北壁の騎士レオナ・エラ・セプテントリオン」

「家も領地もあなたに取られましたが、家族は返してもらいますルデウス」


 紫の瞳に決意を宿し、冷たい鋼のような言葉がレオナの口からこぼれた。


「ですがルネ君はこの艦の要、はい、そうですかと渡すわけにも行きません、それに反逆者の言うことなど」


 ルデウスの言葉の途中でチリリと首の後ろに電気が走り、文洋はあたりを見回す。

 ルデウスの手前に、左右に別れて三人ずつ並んで座っているローブの男が何かつぶやいているのが見えた。躊躇せず文洋は引き金を引く。


 ダ、ダン!


 二発目が命中して胸を撃たれた男が後ろに吹き飛んだ。

 それが合図となって、一斉にローブを着た魔術師達が呪文を唱え始める。


「クラウス、行きなさい!」

「オマカセアレ」


 レオナのめいに、クラウスの鬨の声(ウォークライ)が響く。

 水晶宮の投影板を震わせ、魂を凍らせる叫びに、半数の魔術師がビクリと身を震わせて固まった。

 刹那、銀色の疾風が文洋の左隣を飛び抜けてゆく。

 踏み台にされた『水晶宮』の機材が、派手な音をたて、ひしゃげ、はじけ飛ぶ。

 左の列をクラウスに任せて、文洋は右の列の魔術師を狙い撃った、一発、二発。

 三発目で魔術師が肩を抑えてクルリと回ると、もんどりをうつ。


「ガァッ」


 同時に、銀狼の叫びと、骨のひしゃげる音がして、左端の魔術師が壁にたたきつけられた。


 ―― あと一人


 クラウスが飛びかかるより撃つほうが早い。そう判断して文洋は魔術師を狙う。


 ドン!


 左にそれて魔術師をかすめ、壁にあたって火花を上げる。

 文洋の目前に魔力の渦が現れる。


 ―― 間に合え。


 左手を添えて大きく息を吸う。踏み出した左足に体重をのせ、ゆっくりと吐きながら絞りこむように力を入れる。


 ドン!


 手応えとともに放たれた銃弾が魔術師の額を貫き、血煙をあげて後ろに倒れた。


「フミ!」


 レオナの悲鳴と魔力の渦から何かが飛び出してくる気配に、文洋は飛びすさった。

 轟と風を巻いて、胸元ぎりぎりを固いものがないでゆく。


「アラクネ!?」


 レオナの悲鳴を聞きながら、二撃目を左手で抜いた短刀で受け流す。

 赤い目に蒼い肌、そしてテーブルほどはあろうかという胴体をもつ蜘蛛女。

 死んだ魔術師の置土産というわけだ。

 美しくはあるが、いい趣味とは言えない。


「レオナ、下がれ」


 障壁をはろうと身がまえるレオナに言いながら、文洋は蜘蛛の前足を短刀で受け流し続けた。

 一撃一撃の重さが人間相手とは段違いだ。だが、引くわけには行かない。

 半歩ずつ下がりながら四撃目を受け流し、反撃の機会をうかがう。


 ジリと距離をつめ、アラクネが動く。

 途端、ズシンと振動がして蜘蛛女が衝撃音と共に大きく沈みこみ、キイと悲鳴を上げた。

 細い首に、背後から銀狼のたくましい腕が伸びる。

 グキリと骨の砕ける音がして、美しい顔があらぬ方向にねじ曲げられた。

 出てきた時と同じように、忽然と黒い霧となって蜘蛛女(アラクネ)が渦の中へと姿を消した。


   §


「まったく、無能ですね困ったものです」


 血にまみれて倒れた者たちと、部屋の隅に集まり恐怖に震える生き残りを一瞥して、ルデウスがそう言って微笑む。


「ルデウス、ここまでです」


 怒りを込めた紫の瞳で執政官を睨みつけるレオナに、肩をすくめたルデウスが杖を持ち司令席から立ち上がった。


 チリリと文洋の首の後ろに再び電気が走る。

 嫌な予感がして、文洋はルデウスを撃つ。

 ズン、と重い銃声。カチンと音がしてオープンホールド。弾切れだ。

 手応えはあった。だが、文洋の放った銃弾はルデウスの手前で緑の燐光を放ち、遮られる。


「弟さんに教わった魔術に救われましたよ、エラ・セプテントリオン。では死んで下さい」


 トン、とルデウスが床に杖をつく。

 刹那、『水晶宮』は、真っ暗な、まるで空気自体に色がついたような濃密な闇へと包まれた。

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