魔術師と白狐
「バカみたい、こんな事が出来るならさっさと作っておけばいいのに」
レオナ・エラ・セプテントリオンが呟いた。肩まである亜麻色の髪に切れ長の目、濃い紫の瞳。少女といってさし支えない年齢の彼女だったが、どこか張りつめた雰囲気を身にまとっている。
三都同盟の基地から海峡を超えてテルミア王都まで一六〇〇マイル弱、主力戦闘機の航続距離は片道一〇〇マイル前後。
物理限界を超えて、飛行船団に護衛戦闘機をつけるという軍部の要求に、同盟の技術者が出した答えは強引だが単純なものだった。
八番艦『ルウス・オクト』、九番艦『ルウス・ノウェム』の二隻をトラスで結合した双胴式の飛行船に、一〇機の戦闘機を文字通り『吊り下げる』というものだ。
出撃時にはエンジンを掛け、自由落下して出撃、回収時は上翼に取り付けられた可動式の回収環を展開してフックに引っ掛けて回収する。
疑問の声も多かった『ヒュードラ』と命名された空中母艦だが、テルミアの監視施設と通信施設を戦闘機部隊で奇襲した結果、今回は期待以上の戦果をあげていた。
「科学は魔法のように一足飛びにはいかないのですよ、騎士殿」
つかつかと歩み寄った飛行服の士官が、彼女の隣で投影板を覗きこむ。
召喚魔術師の呼び出したピクシーの視界を映し出す『水晶宮』と呼ばれる、全方位を見渡せる特別席で、無精髭の空軍士官がレオナにニコリと微笑んだ。
飛行船は『船』だと言う理由で海軍士官ばかりのブリッジでは、空軍の飛行服に身を包んだ偉丈夫は、否が応でも悪目立ちしていた。
「水晶宮にようこそ、クロード少佐。あと騎士殿はやめていただけるとありがたいのですけれど」
笑顔を向けるクロードにレオナは眉をひそめる。好きでこんな場所にいる訳じゃない、そう言い返してやりたかった。
「失礼、麗しの防空士官殿」
「クロード少佐……」
文句の一つでもと口を開きかけたその時、彼の部下の一機が火を吹いて墜ちてゆくのが映る。
「ドッグファイトは厳禁と言っておいたんだが……」
不意に厳しい口調に戻ったクロードに、レオナは口をつぐんで投影板に視線を戻した。この大男が部下の一人ひとりに気にかけていたことはよく知っている。
「あの蒼いの、こないだの」
船団の真下を、紅い機体と蒼い機体、二機のテルミア機がジリジリと高度を上げて追ってくる。
「そろそろ『ヒュードラ』へ戻さんと部下たちの燃料が切れますな。あの二機は私が追い払いましょう」
ゴーグルをおろし手袋をはめると、踵を鳴らしてクロード・エル・ツバイアスがレオナに敬礼した。
「ご武運をレオナ殿」
「少佐もお気をつけて」
数分後、ゴン、という衝撃とともにクロード少佐の機体が空中艦隊二番艦『ルウス・ドゥオ』から切り離された。
少佐に上から被られた蒼い機体がヒラリとかわすと、二機が蝶のようにヒラヒラと舞いながら投影板の中で小さくなってゆく。
「艦載機切り離しよし、前部バラスト切り離し、トリムゼロ」
「了解、前部バラスト切り離し、トリムゼロ」
「僚艦に信号、五ノット増速」
「復唱、増速五ノット」
軽くなった巨体を唸らせて、船団は一路、王都を目指した。
§
程なくして、テルミアの王都がレオナ達の視界に入ってきた。
円形の城壁、紺色の屋根を連ねた民家、中心部に小さな森があるのはエルフ居住区だろうか、そして街の中央には女神テルミアを祀る王宮兼、大聖堂の尖塔。
「今回は完勝ですな、ゆるりと観戦下さって結構ですよレオナ殿」
壮年の艦長がのんびりとした声でレオナに声を掛ける。
「そうだと良いのですが……」
あの街にも人が居て、子どもたちが遊んでいるのだろうか?
「進路そのまま、目標敵王宮」
「進路そのまま、ヨーソロー」
粛々と、精密機械のように街と人々の生活を破壊しようとする軍人たちに、そして不本意とはいえ、それに加担している自分にレオナは恐怖した。
おとぎ話に出てくる女神様、その神殿を自分はいま壊そうとしているのだ……汗で額前髪がへばりつく。呼吸が早くなる。
「レオナ殿?大丈夫ですかな?」
「ええ、大丈夫、少し緊張しているだけです」
深呼吸して、レオナはいささか大きすぎる革張りのシートに身を預けた。
「敵機直上、機数、三!」
見張員の声にレオナは我に返った、反射的に投影板を見上げる。
三機の戦闘機が船団めがけて急降下してくる。
炎と風を操る自分の魔法では彼らの『雷の槍』は無効化はできないが、空中に火の玉を具現化することで、飛行の邪魔をするぐらいは出来るだろうと、杖を握りしめる。
「押し通るぞ!最大戦速」艦長が号令
「了解、最大戦速」
だが、そのたった三機の攻撃は熾烈を極めた。
レオナの反撃をことごとくかわし、徹底的に舵を狙って雷撃魔法を浴びせてくる。
フェイント混じりの空戦機動に翻弄されて、火の玉は明後日の方向に具現化して爆発した。
だが、こちらも彼らの魔法攻撃を防ぐため、今回は国内にあるだけの防護符を投入しているのだ、いつものように簡単に破られはしない。
魔法が効かないとなると、信じられないことに彼らは自らの機体をぶつけてまで街へ近づかせまいとした。北壁の騎士だと言われ育ったレオナだが、その勇気を見ると自分の不甲斐なさを恥じるばかりだ。
三機同時に肉薄されて防ぎきれず、 チョコレートブラウンの機体が後部に突っ込んだ三番艦『ルウス・トレース』は後部ガス嚢を破損、爆弾を投棄して反転せざるを得なかった。
「敵ながら大したものだ。実に天晴ですが、今回は我らの勝ちですな」
投影板に映る三つの白いパラシュートを見ながら、艦長がレオナに話しかける。
一隻が欠けたものの、二隻は無傷に近い状態で王都テルミア上空に侵入を果たした。
散発的に打ち上げられる高射砲弾が、時折船を揺らすが、レオナの防御魔法の前に脅威になるほどの密度ではない。
「爆弾槽開け、投下準備」
ゴウン、ゴウンと機械音がして、キャビン後方の爆弾槽の蓋が開く。
戦闘機搭載の試験艦として改造を受けた『ルウス・ドゥオ』の爆弾搭載量はは他の船の三分一程だが、それでも街をワンブロック吹き飛ばすには十二分だ。
「準備よし、照準手へコントロール渡せ」
全ての準備を終え、城壁を超えてエルフ居住区の上空を通過したその時、猛烈な突風が船団を襲った。
「きゃあっ」
思わず悲鳴を上げて、レオナが座席の肘掛けにしがみつく。ミシミシと音を立て飛行船がかき回された。
水晶宮の投影板が一斉に消え、ブリッジが暗闇に包まれる。あちこちで物が割れる音と悲鳴があがり、士官達も何が起こったか判らず怒号が飛び交う。
「前部装甲板下げ、損害報告」艦長が一喝。
ブリッジ前方の装甲板が下がりガラス越しに外の風景が直接目に入る。
そして、皆が言葉を失った。
そこに居たのは、もう数百年来誰も見たことが無いドラゴンの威容だったからだ……。
「定命の者よ、汝らが殺しあうのは人の運命ゆえ大目にみよう」
沈黙の中、ブリッジ全体を振動させ、古代語で大音声が響き渡る。
「だが女神の寝所を冒涜するのであれば、我は古の盟約において鉄槌を下そうぞ」
レオナを含め、古代語が理解できる魔術師たちは、その大音声にポカンと口を開く。
いや、正確にいうと、言葉が判るかどうかはあまり関係なく、皆が自分の目を信じられずに居た。
「我が名はフルメン、女神の寝所を守りし雷の龍。小さき者よ、恐怖とともに我が名を心に刻むがよい」
尖塔の上でドラゴンが翼を広げて咆哮した。
空中に稲妻が走り、圧倒的な破壊力で先頭をゆく一番艦に襲いかかる。
それは、絶望的で理不尽な殺戮の合図だった。
§
「総員退艦!」
「退艦!」
燃え盛るブリッジで自失呆然としていたレオナは、航海長に抱きあげられ、後部デッキに連れだされた。
バランスが取れず大きく左に傾いた『ルウス・ドゥオ』から次々とパラシュートを付けた乗組員が飛び降りてゆくのが見える。
「さあ、レオナさんもこれを」
「航海長、お怪我を」
額から血を流してパラシュートを手渡す航海長に、そう言ってハンカチをさし出してから、レオナはなんてバカな事をしているのだろうと思った。
「ありがとう。さあ、早く」
ハンカチを受け取り、ニコリと笑って再びパラシュートをさし出す航海長にレオナは首を振る。
「それは航海長が、私は魔法でなんとかします」
パラシュートを両手でぐい、と航海長に押し付けて、レオナも笑った。
そう……、私はレオナ・エラ・セプテントリオン。アリシア北壁の騎士。
そして、ここにはアリシアの騎士など居ない事になっているのだ。
「どうかご無事で、航海長」
クルリと背を向けてレオナはデッキから地表を見おろした。一番艦『ルウス・ウヌス』は町の広場で燃える残骸と化している。
大きく息を吸い込んで、レオナは虚空に身を踊らせた。
ゴウゴウと耳元で風がなる。
見る見る地面が近づく。
風を操り速度を緩める。
ボウッと握りこぶしほどの赤水晶が光を放つ。
もう少し。
地面に背を向ける。
風が自分をフワリと抱き上げるイメージを思い描いた。
綿のように、羽毛のようにヒラヒラと舞うイメージを作る。
耳を打つ風の音が弱まる。
そう、フワリと……。
ドスン!
「くはっ!」
空中一〇〇フィートほどでレオナは何かに背中を叩きつけて、息が詰まった。
「な……に……」
息が吸えない。
背中が……痛い……。
遠のく意識の中でレオナは城に残してきた弟の名をつぶやいた。
「ルネ……」