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猟犬と巨人(中編)

「間に合わなかったか」


 眼下で哨戒飛行船が火の手をあげて落ちてゆくのを見て、ブライアンは毒づいた。神様は信用していないが、今回ばかりは彼らが落とされる前に警報を発信していることを祈るばかりだ。


 その上、思ったより敵の数が多い、『巨人』(アルビオン)の艦載機は十機程度のはずだが、二十やそこいらはいるだろう。


 ラッキーなのはこっちのほうが二〇〇〇フィートは高い上、装備が旧式の『スコル』から新型の『ハティ』に切り替わっていることだ。


 それにしても数に差がありすぎる……待つか……いや……。


 翼を振ってブライアンは機体をひねり、僚機がついてくるのを見届けてスプリット機動で反転すると同盟軍の黄色い編隊に向けて急降下させる。


「いくぜ、黄色い狐共、後ろ足に噛み付いてやる」


 きらめく海上を雁行する敵編隊めがけ、ブライアンの真紅の翼が矢のように急降下。

 黄色い翼の敵編隊めがけ、二機の『ハティ』が唸り声をあげた。

 気付いた敵が編隊を解き、三々五々回避を始める。


 無謀にも機首を上げ、正対(ヘッドオン)しようとする敵の二機にブライアンは狙いを定めた。


 空を征く騎士の槍試合。


 降下、降下、距離が縮まる。

 射程距離まであと一息。


 そこでブライアンは、操縦桿を力いっぱい引き上げた。

 ギシリと機体がきしむ。

 降下で稼いだ速度を高度に変えて、『ハティ』が蒼空へ駆け昇る。


「あいにく、こちとら、生活にも困る貧乏貴族でな……」


 慌てて軌道を修正しながらフラフラと上昇し、機銃を撃ちかける敵機をブライアンは釣り上げた。


「馬鹿正直に、殴りあうほど清廉潔白フェアじゃないのさ……」


 高度をあげて引き離しながら、後ろの敵機をじっと見続ける。

 敵の速度がみるみる落ちてゆく。


「残念だったな」


 ペダルをグイと蹴飛ばして、ハンマーヘッドターン。

 速度を失い、ヨタヨタと機首を下げる敵の頭上にブライアンは襲いかかった。

 照準環の中、こちらをパイロットが見上げている。


「あばよ、兄弟」


 呟いて、ブライアンは発射レバーを引いた。

 二丁の三十口径機銃が短く唸り声を上げる。

 血の花が咲き、敵のパイロットがもんどり打つ。


 そのまま、降下してスロットル全開で速度を稼ぐと、ブライアンは僚機をつれて敵編隊の真ん中を射抜くように突っ切った。


     §


―― ひどいものだ、これでは奇襲どころか強襲もいいところだ。


 幸先良く哨戒飛行船を落としたのもつかの間、上から降ってきたテルミア空軍の紅い機体にかき回された編隊を立て直すべく、クロードは緑の信号弾を打ち上げる。


 信号弾に反応して集まった直属の部下八機を率いて、クロードはその場で旋回しながら編隊を整えると高度をとりなおした。

 アリシアの空中戦艦がどうなろうと知ったことではないが、優秀な部下を無駄に失うのは御免だ。


 五分ほどその場で緩やかに弧を描いて八〇〇〇フィートまで高度を上げ、クロードは再度進路を北へと向けた。

 先行した隊がすでに戦闘に入っているのだろう、どちらの機体ともつかないが、前下方に炎と煙がたなびくのが見える。

 それを無視してクロードは北上を続けた。こうなった以上、必ずアリシア空軍の増援がくるに違いない。ならば高度を落として乱戦に巻き込まれるのは愚の骨頂だ。


―― 来た……何機だ、五……いや、六機か。


 正面からやってくるアリシア空軍の機影を睨みつける。真っ黒に塗られたエンジンカウルと翼。胴体は恐らく、派手なチェック模様。

 以前、自分に真正面から撃ちかかり、鮮やかに逃げ去った連中と同じカラーリング。九頭蛇ヒュードラを鹵獲した褒美に、王女直属になったというダークエルフ達の機体だろう。


―― 隊長機はどこだ?


 夏に一度落として以来、なんの因果か幾度と無くやりあった蒼い機体を目を凝らして探す。数はほぼ同数、腕なら間違いなくこちらが上だ。


 だが、前回のように上からかぶられてはたまらない。見える範囲に奴は居ない、だが何処かに居るはずだ……。

 僚機を振り返り大きく手を振ると、クロードは戦闘開始を告げる赤い信号弾を打ち上げた。

 

 自分の部下たちが腕で負けることはない、ならばいつも通り、上から見守ってやればいいだけだ。

 作戦に無理があったの判っていたことだ。だからこそ、こんな所で部下を死なせるつもりはクロードにはサラサラなかった。


     §


「ラディア、正面、空中戦が見えるか?」


 南へ十分ほど飛んだ所で、文洋の紅玉の瞳が前方の空中戦をとらえた。敵味方合わせて、一ダースほどの機体がきらめく海を背景に輪を描いて踊っている。


 黄色は敵機、黒い翼は『竜翼の乙女(メリュ・ジーヌ)』の直掩につけた『黒兎隊』(ブラックラビッツ)だろう。黄色と黒の機体が踊る輪の中に、一機だけ、紅い翼に派手な白十字を描いたブライアンの機体が混ざっている。


「なんにも見えないよ中尉」

「こっちだ、ついてこい」


 翼を振って編隊に合図すると、文洋はスロットルを押し上げ前に出た。エルフですら見えない距離から機種と色まで判別出来るというのは、空中戦では絶対のアドバンテージだ。


「ああ、やっと見えた、わたしも欲しいなその紅い目玉」


 四〇秒ほど飛んだところで、ラディアが感嘆の声をあげる。その時、文洋の紅い瞳は機体に描かれた識別マークを読むことすらできていた。


「押されてるな……、俺達はこのまま突っ切る、ラディア、残って仲間を助けてやれ」

「でも中尉……」


 ラディアの言いたいことはわかる、『巨人』(アルビオン)は、『スレイプニール』一機で立ち向かうには大きすぎる敵だ。


「いいんだ、隊を頼むぞ」

「……わかった」


 すねたような声が返ってくる。


「白い狐がどこにも居ない。背中と頭上に気をつけろ」

「……ユウキも、帰ってこなかったら許さないんだからね」

「ああ、帰ったら皆で祝杯だ」


 横にならんでゴーグルをあげ、ラディアがこちらを見つめる。


「約束、したから」


 手をあげる文洋にそう言い残し、アカンベェをしてラディアが機体を降下させる。引き連れてきた『黒兎』(ブラックラビッツ)が彼女を追って次々と降下してゆくのを見ながら、文洋は高度をとって戦場を避けようと、軽く操縦桿を引いた。


 晴れた空を見上げる。一つ、二つ、切れ切れに小さな雲が浮かんでいた。後ろと上に何も居ないのを確認するのは、もう癖のようなものだ。

 そのうえ、赤竜公女スカーレットからもらった左目は、集中すれば雲の向こうさえぼんやりと透かして見える。

 

「くそっ!」


 雲を見上げて目を細め、文洋は毒づいた。


「きゃあっ! なに!?」

「掴まってろ」


 透かして見えた影に、文洋は『スレイプニール』を急降下させる。一瞬遅れて、雲の中から黄色い機体が飛び出してきた。


     §


―― 気がついていた?


 雲の影から完璧なタイミングで飛び出したはずの自分の事が、まるで見えていたかのように急降下してゆく紫の機体にクロードは違和感を覚えた。


―― 見えるわけがない、だが見えていたようだった。


 テルミア王国の機体にしては、やたらと流麗な単葉の飛行艇が、急降下してゆく。翼の上に載せたエンジンから彗星のように緑の光を振りまいている。

 クロードはその機体に見覚えがあった。夏の夜、落としそこねた機体だ。あの時、すれ違ったのは一瞬だが、特徴のあるシルエットと緑の燐光を撒き散らすエンジンのことはよく覚えている。


―― 今度は逃がさん。


 スロットルを叩きつけるように押し出すと、黄色の翼が唸りをあげて加速する。

 きらめくアメジストの単葉機の後部座席で、大柄な男がこちらを振り向いた。


―― 複座? 偵察機か?


 華奢きゃしゃなわりに、なかなかの速度で加速してゆく紫色の機体を、新型の十二気筒エンジンが咆哮をあげ、ジリジリと追い詰めてゆく。

 重量が軽いのか、急降下パワーダイブではこちらのほうが速いようだ。


 避ける気が無いかのように、乱戦状態の戦場めがけ、まっすぐに降下してゆく紫色の機体が照準環のなかで大きくなる。


 必殺の距離まで引きつけ、クロードは操縦桿についたレバーを短く握りこんだ。

 連装機銃が雄叫びをあげた。

 そして……あの夜と同じく、弾丸は魔法陣に行く手を遮られ、宝石のような燐光を空中にきらめかせた。


―― 今の魔法陣、見覚えがある。


 前回と違い、完全に後ろをとった状態だ、じっくりと観察する余裕がある。

 その上、前方をゆく紫の機体は、その防御魔法に全てを賭けるように、まっすぐに降下を続ける。

 三度引鉄を引いて、魔法陣の模様を確認する。

 そして、クロードは自分が誰を相手にしているのか思い当たった。


―― そうか、生きていたのか。


 銃撃を止めてクロードは前の機体に手を振る。

 機首を右に振って、射線から外すと、左右に翼を振った。

 パイロットの肩越しに、小さな影がこちらを振り向くのが見える。

 さらに加速して翼を並べた。

 パイロットの膝の上に窮屈そうに座った少女が、飛行帽を脱ぐ。

 ふぁさり、と亜麻色の髪が風に広がり、少女がこちらを見つめる。


―― 生きていたのか、麗しの防空士官殿。


 最後に見かけたあの日と変わらない強気な瞳で自分を見つめる少女に、えも言われえぬ感情が巻き起こった。

 頭ではなく、感情の命じるままに、南南西を指さし、クロードは大きく身振りで、「行け」と腕を振る。少女を膝の上にのせたパイロットが、小さく敬礼して、クロードが指さした方へ機首を向けた。


―― このロクでもない戦場に、取りもどしにきたのか、少女よ。


 アリシアの飛行戦艦、水晶宮と呼ばれる司令室で、 第二の太陽(ソーラ・セカレ)と呼ばれる巨大な赤水晶の下、ガラスの棺で眠る少年がクロードの脳裏に浮かぶ。

 

―― アリシアの宰相閣下には悪いが……ここまでだ。


 彼らを守ろうというのだろう、乱戦の中からチェック模様の機体が何機か、こちらめがけて突進してくる。その中に紺色の隊長機を見つけたが、クロードはそれを無視して翼を翻した。


 座席の横から信号拳銃を取り出し、敵機を交わしながら赤い信号弾を打ち上げる。再装填して二度、三度。

 テルミア王国の南にあるダークエルフ自治区、テルミアの頭痛の種と言われたダークエルフたちに守られて、紫の機体が小さくなる。


―― 戦争に正義など無い、だが、今日のこの戦いに限っていうなら、正義は彼女のものだろう。


 味方に食い下がる敵機を撃ち落とし、追い払いながら、クロードは隊を南東へと逃がす。

 この数なら、本国の飛行船にでも回収できるだろう。

 

―― まったく、ひどいものだ。


 目を細め、きらめく海に小さくなってゆく紫の機体を見ながらクロードはため息をついた。

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