片翼の赤竜と雷の青竜
到着から丸一日、休息を与えられた文洋達は、翌々日の午後、スカーレットに呼び出された。
「どうじゃった? 我が城下町は」
「石造りの荘厳な街ですね、あとは街の人たちが明るい」
「じゃろ? 古くは我が祖父が、新市街は我が父の代の作でな、建築のセンスの無い妾では、ああはいかん」
そう言って、スカーレットが胸を張る。この童女でさえ、五百年ほど前の書物に名があるというのに、それの祖父の時代となると、もはや文洋の国では神代の時代だ。
「あと、ドワーフをやたらと見かけましたが?」
「うむ、父の時代からの付き合いじゃからな」
……昨夜、酒場でラディアが尻を撫でられ、巻き込まれた自分と二人でドワーフを五人程ぶっ飛ばしたのは黙っておこう。そう思いながら、文洋はラディアに目をやる。
「ああ、どうりで素敵な金属細工が多いと……」
澄ました顔でお茶を一口すすり、ラディアがウィンクを一つ返してきた。
「さて、そろそろ、そなたらが竜の巣に来た理由を知りたいじゃろ?」
「そうですね、私の妻が何をお願いしたのか、聞かせて頂ければ」
文洋の問いに、スカーレットは、かじっていた焼き菓子をウクン、と飲み込んで八重歯を見せて笑う。
「それは、女同士の秘密じゃ、まあ、奥方にはこれで、貸し借りなしじゃと伝えるが良いぞ」
秘密については聞かないほうが良さそうだと、文洋はニカリと笑う童女に黙って頷いた。
§
再び、黒塗りの大型車に揺られ文洋達は空港を訪れた。建てられたばかりといった風情の格納庫に、昨日持ち込んだ機体が二機、並んで格納されている。
「どうじゃ?」
スカーレットが、自分のドレスと同じ紅に塗り変えられた機体の前で胸を張る。プロペラをはじめ、木製部分に象嵌が施された機体は空飛ぶ工芸品といった風情だ。
「これはまた……、バーニー、機体のチェックを」
「了解っす」
文洋の命令に、動作に不具合の出るようなところに塗装されていないか、バーニーがチェックに走った。
「なんじゃ、急に」
「とても綺麗ですが、間違ったところに塗装すると、壊れてしまうのですよ殿下」
「ああ、そんなことか、安心せい」
文洋に、スカーレットが、呵々《かか》と笑い声をあげる。
「ダークエルフの娘、えーと」
「ラディアでございます殿下」
「おお、そうじゃったそうじゃった、ラディアよ主なら判るじゃろ?」
格納庫に並ぶ真紅の機体の前で、そう言ってスカーレットが無邪気にクルリと回ってみせる。ツインテールの金髪に結んだ紅のリボンと、同じく紅のドレスがふわりと広がる。小さな薔薇の花のようだと思いながら、文洋はその姿を眺めていた。
「金属部分に象嵌、塗り目も見えない丁寧な塗装。ドワーフの職人に?」
「あたりじゃ、あのヒゲモジャ達のすることじゃ、機械と細工にかけては間違いはなかろう」
「そうですね、そう思います」
ときおり、陸軍の工兵や海軍の整備部で見かけるドワーフ達が、あのハンマーを振るう無骨な手でこれほどの細工を作るのかと、文洋はしげしげと象嵌の施されたプロペラを眺める。
「中尉、全く問題ないです。見事なもんですよ、動翼の内側にまで装飾してあります」
「そうか、ならいい」
ひと通り機体を点検してきたらしいバーニー伍長が文洋にそう言って肩をすくめる。
「当たり前だ、人間よ、しかし公女殿下に献上するのに、農機具のような仕上げで、恥ずかしげもなく持ってきたものだ」
その背後、格納庫の隅から野太い声が響き、背が低く、それこそ樽のようなシルエットの男が現れた。
「なんじゃ、スタンリー、おったのか」
「仕上げが気になりまして、公女殿下」
機体の影で恭しく胸に手を当て、頭を垂れる年若いドワーフを、スカーレットが手招きして呼び寄せる。
「ふむ、調度良い、そっちのバーニーとやらが、今日からお主の先生じゃ、こやつの仕組みと整備の方法、しっかり教えてもらうがよいぞ」
「え?ええっ?」
ギロリと睨まれて、バーニー伍長が素っ頓狂な声をあげる。
「ああ、バーニー、いい忘れたが、俺達が居られるのは、あと二日ほどだ、その後はお前が、この国で飛行機の飛ばし方を教える事になってる」
「え? ちゅ、中尉」
「うむ、妾が再び空を駆ける術をな、よろしく教えてたもれ?」
「で、殿下にですかっ?」
目をまんまるにして驚くバーニーの慌てように、たまらずラディアが吹き出すと、呆けた顔のバーニーを囲んで一同が声を上げて笑い出した。
§
「さて、とりあえずは妾を乗せて飛んでもらおうかの」
着替えるといって、侍女とラディアを伴って車に戻ったスカーレットが、えへんと胸を張って『スコル』の横に立つ。
「殿下、二人で乗るならこちらのほうが……」
「ふむ、じゃが、あの二人乗りは舞うようには飛ばんのじゃろ?」
「舞うように……ですか?」
「ああ、空の上で、輪舞曲を踊るように」
練習機なだけあって、安定性はピカイチだが、その分確かに小回りは効かない。だが、民間用にゆったりと作られた『スレイプニール』とは違い、『スコル』ではスカーレットほどの童女でも、膝の上に乗せると、ろくに操縦も出来ないだろう。
どこか寂しげに、飛行機と空を交互に見つめる瞳をみて、文洋はため息をつく。
「殿下、輪舞曲を踊るように、空を舞って差し上げます、だから今日はコイツで我慢してください」
二人乗りの練習機を指さして、文洋は手袋を外すと小指を立ててスカーレットに差し出す。
「なんじゃ?」
「扶桑で、約束するときの契約です。うそをつくと針を千本飲まされる」
「ほう」
すぅっと、赤い瞳を細くして、スカーレットが小指を立て、文洋の小指に絡ませる。
「約束じゃぞ? 満足せねば針を千本、飲ませて良いのじゃな?」
「ええ、約束です。 バーニー、殿下を前席に座らせてやってくれ、座面にクッションを入れて、しっかりベルトをしめろ、殿下、乗ったら操縦席の縁に捕まって、中の機械には絶対に触れないこと。約束してください」
「うむ、約束じゃ」
ニカリ、と八重歯をみせて、差し出された可愛らしい小指に自分の指をからませ、指切りをしてから、文洋は後席のタラップをよじ登った。
ベルトを締める、操縦桿を倒す。補助翼、昇降翼を目視確認、ペダルを踏んで方向舵を動かす。
格納庫から押し出される機体を、スカーレットが「爺」と呼ぶ執事服の老人が見つめている。
「爺、空にあがったらの、こやつがひさしぶりに、輪舞曲を踊らせてくれるそうじゃ、上で待っておるぞ?」
興奮して叫ぶスカーレットの声を、文洋はなんの気無しに聞き流す。
「回わーせー」
文洋の号令に、バーニーがプロペラを回す。
タスン!、タスン、タスン! ゴウ!
プロペラが回ると、轟々とエンジン音を響かせ、芝生の広場を機体が走り始める。
ゴトゴトゴト
「ああ、翼じゃ、妾の翼じゃぞ、ユウキ中尉」
ふわり、と浮き上がった途端、感極まった声が、エンジンの轟音に負けじと前席から聞こえた。
「片翼の赤竜……か」
泣き笑いの、感極まった表情でこちらを振り向くスカーレットに親指を立て、文洋はフルスロットルから操縦桿を引く。紅の翼が、くるり、くるりと輪を描き、地表が小さく遠ざかって行った。
§
対地高度で三千フィートほどまで高度を上げた所で、巡航に入った文洋を振り返り、スカーレットが城塞都市の西側に広がる湖を指差す。首から下がった伝声管を口に当て、文洋が大きな声を出す。
「湖にゆくんですね?」
飛行帽の耳元から聞こえた文洋の声に、きょとんとした後、首元にさげられた送話器を指差す文洋に、笑顔を見せ、スカーレットが真似をして送話器を口にあてた。
「あそこでしばらく待っておれ」
もっと高く、というのだろう、上を指差すスカーレットに頷いて、文洋は湖の上でさらに高度をあげ続ける。
六千五百フィートほどまで上げた所で、飛行場の方から鳥のようなものがこちらを目指してくるのが目に入った。
「ほれ、心配症の爺が追いかけてきおったぞ」
実に嬉しそうな声が、伝声管を通して飛行帽に響く。やがて翼を広げこちらへ向かってやってくるのが何者なのかを視界に捉え、文洋は目を丸くした。
「ドラゴン!」
「あたりまえじゃ、妾は赤竜公女スカーレットぞ?、ちなみに、あの口うるさい爺はな、女神テルミアの守護者、雷の竜『フルメン』じゃ」
開いた口が塞がらないとはこの事だ。
レオナの乗った三国同盟の空中空母二隻を、こともなく叩き落としたというドラゴンが、目の前にいる。
翼長一二〇フィートはありそうな青竜が、紅い機体を追い抜きざま、轟と吠えた。
「さあ、ユウキ、約束じゃ、輪舞曲を踊ってたもれ、爺の尻尾に噛み付いてやれ」
……まったく、無茶な、と苦笑いしながら、文洋はスロットルを全開にして竜を追いかける。
推力で飛ぶ航空機とは異質な機動で、目の前に出た『フルメン』が翼を広げ、急制動。
「フミでいいですよ殿下! あと、しゃべると舌をかみます!」
片手を開ける余裕はない。伝声管を放り出し、叫けびながら一気にスロットルを閉じ、機首を上げる。
『フルメン』を追って機体が急上昇。
ドラゴンの頭の横に並んだところで、前席のスカーレットが歓声をあげた。
楽しそうに手を振るスカーレットに、ドラゴンの黄色い目が笑い、牙を向いて吠える。
「笑ってやがる」
一旦空中で止まった『フルメン』が翼をたたんで急降下する。
ラダーを蹴ってハンマーヘッドターン、練習機は翼が大きい分動きが緩やかだが、操縦はしやすい。
天地がひっくり返り、文洋はスロットルを全開にして急降下するドラゴンの後を追った。
「ああ、フミよ! 妾は飛んでおるぞ、のう! フミよ!」
前席で伝声管を片手にスカーレットが興奮した声をあげるが、文洋はそれどころではない。
前にしか進めない飛行機で、コウモリを追いかけるようなものだ。
インメルマンターン、スプリットS、ロースピードヨーヨー、
ありとあらゆる戦闘機動で、目の前のドラゴンを追い続ける。
「ほれ、くるぞ」
翼をたたんで急降下する構えのドラゴンに、文洋はスロットルを叩きつけた。
「くそっ!」
急降下は見せかけで、誘われた事に気がついて、文洋がスロットルを戻し操縦桿を引く。
なんとか水平飛行に戻した真後ろに『フルメン』が笑うように大きく口を開けていた。
「ありゃ、やられたのぅ」
スカーレットのつまらない……といった風な声が飛行帽に響いた途端、文洋は操縦桿とペダルをチグハグに操作して、機体をフラットスピンに持ち込んだ。
「なんじゃああ!」
伝声管なしでも聞こえるほどの悲鳴を前席でスカーレットが響かせる。
文洋はコマのように回る機体を、丁寧に操り直す。
スロットルを絞り、方向舵を回転と逆に蹴飛ばす。
水平に三度回った所で主翼が空気を掴む感覚が戻る。
そのまま『フルメン』の尻尾にかじりついた。
「ははは、よい、実に良いぞ、フミ!」
手を叩いてスカーレットが笑う。
いつのまにか横にならんだ『フルメン』が楽しそうに、そして高らかに吠えた。
その昔、お伽話に出てくる赤竜は、国を守るため片翼を失ったという。
その赤竜を乗せ、機械じかけの紅の翼が晴れ渡った空を飛ぶ。
「のう、フミよ、空は自由じゃ、の?」
その問いに、文洋は無言のままバレルロールで応え空港へ向かった。
そうだ、空は自由だ。
そんな思いを乗せて、機械じかけの紅の翼が晴れ渡った空を飛ぶ。