猟犬と家族
「ようフミ、どうした、難しい顔して?」
待機所の片隅、ダークエルフ達が陣取る一角で文洋が新聞を読んでいると、いつもの調子でブライアンがやってきた。
先日行われた再編成の際に、生き残りの中では最先任ということで、ブライアンも中尉に昇進している。
「いや、何でも無い」
「ほら、コーヒー」
「ああ、すまん」
湯気の立つコーヒーを受け取り、文洋は一口飲んで新聞に目を戻す。『巨人』はテルミアと扶桑の式典に嫌がらせに出てきて以来その姿を潜め、ときおり輸送船を襲っては、なぜかその中の数隻だけを沈めるという行動を繰り返していた。
「ウォルズ中尉」
「俺達だけの時はブライアンで構わんよ、フェアリード少尉」
「じゃあ、あたしもラディアでいいよブライアン。ユウキが辛気臭いの、カビが生えちゃいそうだから何とかして」
ラディアがそう言って肩をすくめる。
「だとよ、フミ」
「そうか、そいつは悪かった」
新聞から目を話さず、文洋は生返事をする。
「ああ、もう!」
くしゃくしゃと頭を掻くラディアに、ブライアンが声を上げて笑うと文洋に大判の分厚い封筒を差し出した。
「ほれ、ソールベルの叔母さんからだ」
「ん?」
「あとは、いいか? 何かやるときは俺も混ぜろ」
ひょい、と文洋から新聞を取り上げ、ブライアンが立ち上がる。
「仲間はずれはなしだぞ?」
親指を上げ、笑って立ち上がるブライアンを見送って、文洋は渡された封筒を覗きこみ、言葉を失った。
「ユウキ、なにそれ?」
「内緒だ」
後ろから覗きこもうとするラディアに、軽くデコピンを入れる。
「あいた、もう、中尉のいじわる」
その様子に、ダークエルフたちからドッと笑い声が上がり、ラディアが膨れ面でそっぽを向いた。
「ユウキ中尉、ロバルト中佐がお呼びです」
少年兵の声に、渡された封筒を手に文洋は立ち上がり、拳を握りしめた。……少なくとも一歩前進だ、そう思いながら。
§
「さて、ユウキ中尉、私の元に魔術師協会を経由してこういうものが届けられた」
ロバルト中佐が金属製の筒から羊皮紙の束を取り出して机の上に広げた。
「巨人の図面……ですか」
「そうだ」
手元の封筒の中身はこれの写しか……と、文洋は双方に同時に届けられた意味を考え、覚悟を決めた。
「私にもこれが」
がさり、と図面の写しを掴むと、文洋はマホガニーのテーブルの上に図面を広げた。
「ほう」
思案するように中佐が眉を顰める、サイドテーブルからシガーを取り上げて指を鳴らした。ポッと指先に灯った鬼火でシガーに火を付け、紫煙をゆっくりと吐き出し目を閉じる。
「誰かが我々をダンスに誘っているようだな」
「ええ」
「心当たりがあるのだろう、中尉?」
「……」
文洋は黙ってロバルト中佐を見つめる。
「まあいい。それで、この招待状の主が君に求める者はなんだと思うね?」
文洋は目を閉じて考える。だれが何処まで信用できるのか、そして何をするべきなのかを。
「ルネ・エル・セプテントリオンの救出」
目を見開き文洋は中佐を見据えて答えた。
「なるほど、それでアテはあるのかね?」
「前回のようには行きませんが、移乗戦闘ならばあるいは」
「あの鉄壁の魔法防御をかいくぐってか?」
文洋は小さく頷いた。
「三人、わたしを含めて三人であれば」
「その非常に分が悪い賭けには、空軍の運命はのせられんな」
当然だ……と文洋は思う。一人の少年の命と一国の空軍では釣り合うはずもない。
「中佐、我々が取り付くまで、三都連合の戦闘機から守って頂ければ、あとは撤退して頂いても結構です」
「そこまでする価値が?」
「家族を取り戻すのに、価値や理由など意味がないでしょう」
文洋の言葉に中佐が笑って頷いた。灰皿の上にシガーを置くと、クリスタルのボトルを取り上げ、二つのグラスにウィスキーを注ぐ。
「巨人艦載機の漸減、私の権限でここまでなら協力してやろう」
「ありがとうございます」
ずい、と突き出されたグラスを受け取って、文洋は一息に煽った。
「あの防御魔法陣がある限り、手が出せないのも事実だからな」
「ただ問題は……」
そういって、文洋は机に広げた図面を集めて封筒に戻し始める。
「ああ、巨人が出てこない限り、捕まえようがない。それが一番の問題だな」
文洋の言葉を継ぐように中佐がそう言ってウィスキーを煽った。
§
冷たい夜風に吹かれながら、文洋はレブログの小高い丘の上に建つアパートメントに戻ってきた。
「おかえりなさいませ、フミヒロ様」
「ああ、ただいまシェラーナ」
呼び鈴を鳴らし、出てきたメイド姿のシェラーナにコートを渡し、文洋がダイニングへと向かう。
「おかえりなさい、早かったのねフミ」
「ただいま、ローラ」
テーブルでお茶を飲んでいたローラの向かいに、文洋はそう言って腰掛けた。
「シェラーナ、シチューを温めなおしてくれる? 食べるでしょう? フミ」
「うん」
クラウスの大きな手が手際よく皿を並べてゆく。茹でた秋野菜に鴨のソテー、チーズ入りなのだろう、甘いの香りのするシチュー。見覚えのあるラベルの赤ワインには『ウォルズ』の銘が入ったラベルが貼られていた。
「レオナは?」
ローラが首を横に振る。『巨人』の写真を見て以来、ふさぎ込みがちなのは文洋も知っていた。
「そうか」
文洋は黙々と料理を食べる。料理の暖かさが身体を駆け巡るのと裏腹に、なぜか美味しいと思えなかった。
「フミ……?」
そんな文洋を、何も言わずに見つめていたローラが、最後の一欠片を赤ワインで流し込んだ所で口を開いた。
ああ、どうしてローラには隠し事が出来ないのだろう……。ローラに見据えられ、文洋は覚悟を決める。
「ごちそうさま」
扶桑に居る時から癖になってしまっている食後の挨拶をして、文洋はカバンがから封筒を取り出した。
「クラウス、ちょっと来てくれ」
シェラーナが空いた皿を片付け、コトンとコーヒーカップを置いて立ち去ると、入れ替わりに前掛けを畳みながら、クラウスがテーブルにやってくる。
「これは……?」
数枚の写真と、『巨人』の通路図面、縦六層からなる甲板と通路図面にクラウスが目を丸くした。
「見ての通り、ルネが囚われているアリシアの空中戦艦だ」
「どこからこのような物を?」
コーヒーを一口飲んでから、文洋はクラウスの質問に黙って首を横に振る。知らない方がいい事もあるのだ。と、目で訴えた。
「これを何とか、手の届くところにおびき出して、乗り込みたい、知恵を貸してくれないか」
文洋はそう言って、ローラとクラウスを見る。
「フミ……この戦争は貴方にとって何ですか?」
両手で包みこむようにカップを持ったローラが、文洋をそう言ってまっすぐに見つめてくる。透き通った翡翠色の瞳が、心の奥底まで見透かすように、静かに。
「最初は、空を飛ぶための口実だった」
ウソは言うまい、そう思って文洋はローラを見つめ返す。
「次に仲間が出来た、だから彼らと共に飛んだ」
ぬるくなったコーヒーを一息に流し込む、カップを置くと同時に、クラウスがおかわりを注いでくれた。
「ありがとう」
いいながら、文洋はローラ、クラウス、そしてキッチンで食器を洗うシェラーナと順番に目をやりながら文洋は答える。
「そのうち、こうして家族ができた。チグハグで寄せ集めで、それでも俺にとって家族と思えるものが出来た」
「ユウキ殿……」
目をうるませる髭面の大男にニコリと笑って、文洋はローラに目を戻す。
「だから、この戦争は、俺の家族を守るための戦争だ」
じっと何も言わずに、自分を見つめるローラを、文洋もじっと見つめ返した。カチャカチャとキッチンからシェラーナが皿を洗う小さな音だけが聞こえてくる。
トンッ、カリカリカリ
会話が途切れるのを待っていたように、廊下で小さな音がした。
「入っていらっしゃい、レオナ」
カチャリ、扉が開く。トテトテトテ、軽い足音を立てて灰色の毛並みの子猫が部屋に駆け込むと、ローラの膝の上に飛び乗って、得意げな顔で「にゃう」と鳴いた。
「そうね、クリオも家族ね」
顎の下を撫でられて、目を細める子猫の表情とは裏腹に、浮かない顔のレオナが裸足で入ってくる。
「フミ……」
「こっちにおいでレオナ」
隣の椅子を指して、文洋はレオナを呼び寄せた。
「シェラーナ、レオナにお茶をいれてあげて」
ローラがそう言って立ち上がり、レオナの後ろに回って少女を抱きしめる。
「レオナ、私は止めないわ」
ローラの言葉にハッとしたように、レオナがローラと文洋の顔を交互に見つめる。そんなレオナに文洋は問いかけた。
「レオナ、もしあの船を守っているのがルネだったとして、『スレイプニール』で近づけると思うかい?」
「ええ、きっと」
レオナの紫色の瞳が、文洋を覗きこむ。
「どうしてそう思う?」
「私が乗った『ルウス・デュオ』と同じ『水晶宮』が付いているのなら、必ずルネは私達を見つけるもの」
テーブルの上に広げられた図面、艦橋の二層下をレオナが指さした。艦橋の二倍ほどのスペースに『水晶宮』、と整った筆記体で描かれている。
「そして、あの子が『スレイプニール』を見間違えるはずはないから」
そしてそのまま、スッ、と指をずらしたレオナが絞りだすように言葉を継いだ。
「クラウス、愚かなのは執政官だけでは無かったみたい」
「そのようですな、お嬢様」
『第二の太陽』筆記体で描かれたそれを指し、クラウスが苦々しげに吐き捨てる。
「それで、この『巨人』がやってくるのはいつなの、フミ?」
レオナを後ろから抱きしめていた腕をほどいて、ローラが文洋に問いかける。
「わからん」
「判らないって、そんな」
失望を隠せないレオナに、文洋は頭を抱えテーブルに肘をついた。
「俺が思うに、奴は戦争を長引かせようとしてるんだと思う」
「どうして?」
文洋の言葉にレオナが問いかけてくる。
「扶桑の艦隊が狙われた時、輸送船は戦況を一気に決められるほどの兵士と弾薬を運んでいた」
「それで?」
「次に現れたのは、鹵獲した飛行空母『竜翼の乙女』と、ドラグーン隊が主戦場へ配備されるという情報を流した時だ」
顔を上げ、文洋はレオナの質問に答える。
「つまり、一度目も二度目も、巨人は戦の天秤があからさまにテルミアに傾くのを防ぐ為に現れた、ユウキ殿はそうおっしゃるのですかな?」
ひげを撫で、クラウスがそう言ってむぅと唸った。
「ああ、そして、戦争が長引けば貿易で得をするのは、影で『巨人』を動かすアリシアなのは間違いない」
「そんな……、それでは執政官はお金の為だけに無為に人を殺していると?」
レオナの言葉に文洋は頷く。奪うべき領土も資源もない、自国の経済活動のための戦争への関与、この世界における新しい戦争の形だと言えるだろう。
「だから、天秤を傾けうるだけの何かを引っ張りだせば、きっとあれはまた出てくる、俺はそう思う」
「そんな大きな力など……」
むう、とクラウスが再び唸る。沈黙が続くテーブルの真ん中に、ドンと大きなアップルパイの皿が置かれた。
「ありますよ、お話を聞いてくれるかはわかりませんけど」
「え?」
サクサクサクと、パイを切り分けながら、ことも無げに言うローラに全員の視線があつまる。
「とても強い力があれば良いのでしょう? シェラーナ、小皿を、貴方もこっちにいらっしゃい」
「はい、奥様」
シェラーナが全員にお茶を注いで回る、我に帰ったようにクラウスがパイを小分けして配ってゆく。
「えーとローラ?」
文洋がローラに問いかける。
「難しいお話は後です。折角の家族会議なのですから、みんなで頂きましょう、クラウスも、そこにかけなさい」
「いえ、しかし奥様、私は」
「ク・ラ・ウ・ス?」
「はい……、奥様」
主人に怒られた犬のように、シュンとするクラウスにレオナがクスリと笑う。ローラがあるというのだ、ならば何かあるのだろう。
「すこしだけですよ?」とアップルブランデーを出してくれるローラを見ながら文洋はダイニングを見回した。
ニコニコと笑うローラに釣られたように、皆の表情が明るくなった。いつの間にきたのか、文洋の膝の上で、灰色の子猫がフンフンと鼻を鳴らしてパイの匂いをかぐと、「にゃうな」と声をあげる。
「ああ、そうだな、お前も家族だ」
そういって子猫の頭をなでる。チグハグで寄せ集めで、そんな家族だからこそ、自分がこれを守るのだと、文洋は決意を新たにした。