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猟犬と赤竜

「さて、どうしたものかしらね?」


 ポットから紅茶を注ぐ執事に、ローズは手紙の束を投げ出してつぶやいた。


「どうなさいました? 奥様」

「どこまで関わっていいかしらと、ちょっとね」


 紅茶を一口飲んで、ローズは、頬杖をつく。


「戦争が続いたほうが、船会社は儲かるし、ソールベル伯爵家として嬉しいんだけれど」

「なにかお気に召さないことが?」


 クッキーの小皿を優雅な手つきでテーブルに置く、執事のジェームスの瞳を見つめてローズはニコリと微笑んだ。


「フィクサー気取りの、若造・・が気に入らないってところかしら」

「アリシアの執政官ですか?」

「そうね、ルデウス・ベリーニ、あの、笑わない道化師ピエロ


 アリシア王国の執政官、ルデウスのスカした顔を脳裏に浮かべ、顔をしかめる。


「しかし、今回は珍しく、若者に肩入れなさいますな?」

「いいじゃない? みんな可愛らしいんだもの」


 仕方のない人だという顔をする老執事に、ローズは羊皮紙を一枚渡し、部屋の隅の小さなハヤブサの置物を指さした。


「ガリウス伯に、そろそろ潮時だと教えて差し上げましょうか、もちろん、見返りはいただくけど」

「わかりました」


 受け取った執事が、手の中で文字通り羊皮紙を圧縮する。漆黒のモヤに包まれて、手紙が黒い小さな円柱へと姿を変る。


「いつもながら、大したものね、また新しい魔術式?」

「なにせ、時間だけは余るほどありますからな」

「良ければ今度教えて頂戴」

「お望みなら、我が女卿」


 ジェームスがハヤブサの置物を手に取ると、台座に取り付けられたツマミをパチリとひねった。ブロンズ色の彫像がグイと翼を広げ、束縛から解かれたように頭を振る。


「ゆけ、ソナタの魂はこれを届ければ自由だ」


 細身の執事のどこからそんな声が出るのか、奈落の底から這い上がるような冷たい声が響く。ぶるり、と彫像が怯えたように身震いして、金属棒を片足に掴むと羽ばたいた。

 開け放たれた窓から、矢のように飛び立つハヤブサの彫像を見てローズはため息をつく。


「すこしやり過ぎましたかな?」    

「ええ、脅し過ぎよ、愛しの暗黒卿」


     §


 お披露目のパーティが終わり、夜もとっぷりと更けた頃、文洋は銀の塔を出て家路についた。飲み歩く気満々の『黒兎隊ブラックラビッツ』の面々に、普段着に着替えてから飲みにゆけと指示して、文洋は財布の中から札を取り出すと、奢ってやれとラディアに押し付ける。


「大丈夫かい?」

「ん? 何がだ?」

「いや、中尉が何でも無いならいいんだけれど」


 『銀の塔』からエルフ居住区までは、三十分ほどだ。貴族たちの車と馬車でごった返す王宮前を、文洋はふらりふらりと家路へとついた。冷たい秋風に目を細め、中天に輝く月を見上げる。


 顔なじみのエルフ居住区の衛兵が、近衛旅団の制服を見て直立不動で敬礼する。そう言えばこの制服でここを通るのは初めてだったかと思いながら、文洋はおざなりに答礼して居住区へと入った。

 

「ただいま」


 鍵を開ける、ふと、口をついて出た扶桑語でそう言って、アパートメントの扉を開く。


「おかえりなさい、フミ」

「……?」


 階段に一歩足をかけた所で、二階から声がする。


「今日は一人なんですね」


 薄い緑の夜着と、ショールをまとったローラが、燭台を片手に降りてくる。


「ローラどうして?」

「明日、王女殿下に晩餐会にご招待されたの、招待状、フミにも来てたでしょ?」


 晩餐会……そんな話をした覚えがあるなと、文洋は『シームルグ』でラティーシャ王女と交わした会話を思い出した。

 招待状……、そういえば三日前にレブログのアパートメントでえらく立派な封筒をデスクの上で見た気がする……。


「王女殿下の招待状をほったらかしなんて、ほんとに大した近衛中尉さん」

「ああ、ほんとだな」


 文洋はポリポリと頭を掻いて苦笑いする。


「レオナは?」

「ちゃんと、皆一緒よ。今のあの子危なっかしいから」


 ああ、ローラは何時だって正しい。


「でも、勝手なことをして、貴方を困らせたりしないわ、あの子も貴族。義務と責任はよく判っているもの」

「まだ、子供なのにな」


 それが、辛いのだ……と言いかけ、文洋は小さくため息をついて言葉を飲み込んだ。


「パーティーは楽しめた?」

「いいや、さっぱりだ」

「だと思った、少し食べるものを用意しておいたの、食べる?」

「ありがたい」


 ローラが文洋の手を引いてキッチンへと連れてゆく、灯の落とされた食堂で、テーブルに立てた燭台の火がゆらゆらと揺らめいた。


「夜遅いから少しだけですよ? 残りは明日の朝に」


 そう言って、目の前にほうれん草のキッシュとローストビーフが目の前に出されると、文洋は急に空腹感をおぼえた。


「うまい!」

「そんなに急いで食べなくても、ご飯は逃げたりしませんよ」


 がっついてむせる文洋に、ローラが笑いながらマグに入った水を差し出す。


「あと、今日は特別ですからね?」


 ローラが立ち上がり、ガラスのボトルと木製のゴブレットを二つ持って、テーブルに戻ってくる。トン、と置かれたボトルの中には、どうやって入れたものか、リンゴがまるごと入っていた。


「私、お酒のことあまりわからないから、クラウスさんのオススメ。美味しいんですって」

「そっか」

「特別ですからね?」


 文洋の隣に腰を下ろし、注いで? と目で促されて、文洋はコルクの栓を開けた。キュッっという音と共に、甘い、だがキリリとした香りが広がる。

 新しいボトル独特の、トクトクという音を立てるアップル・ブランデーをゴブレットに三分の一ほど注いで、文洋はローラに手渡した。


「ありがとう」

「ん? ああ」


 小さくゴブレットを掲げて、文洋は琥珀色の液体を流し込む。甘い香りが鼻を抜け、熱い感覚が喉元を駆け下りてゆく。文句なしにいい酒だ。


「んっ」


 止めるまもなく、文洋の真似をして、ゴブレットを傾けたローラが、ケホケホとむせる。慌てて文洋が水の入ったマグを差し出すと、ローラは涙目で流し込んだ。


「無理をするから」

「だって、フミが美味しそうに飲むんですもの」


 立ち上がり、咳き込むローラの背をさすってやる。


「大丈夫?」


 涙目のローラが頷く。 


「強い酒だから、こうやって飲むといい」


 そう言って文洋は水差を取って薄めてやる。恐る恐るといった体で水割りにされたアップル・ブランデーに口を付け、ローラが今度はニコリと笑う。


「美味しいですね」

「そうか、よかった」


 しばらく無言で並んで酒を飲む。ローラはちびりちびりと、文洋は煽るように……。三杯ほど飲んだだろうか、ローラがふと立ち上がった。

 文洋の後ろに回り込み、ローラが背中に身体を預けるようにしてもたれかかる。ぐっと抱きしめられた文洋の頬を長い髪がくすぐり、薔薇油の香りがふわりと漂った。


「ねえ、フミ」


 柔らかな感覚と、アップル・ブランデーの酔いに身を任せ文洋は目を閉じた。背中に伝わるローラの体温で、心の中から黒く、尖ったものが抜けてゆく感覚が心地よかった。


「うん?」

「いいんですよ? 一人で頑張らなくても、大丈夫です」

「ローラ……」


 スルリと文洋の首に腕を掛け、クルリと回って猫のようにローラが膝の上に座る。


「疲れた時は、弱音を吐いてもいいんです」


 窓から差す月明かりに照らされた翡翠の瞳が、文洋の心の底を見透かすように覗きこむ。


「俺は……」

 

 それが怖くて、文洋は目を閉じた。


「いいんです、フミ」


 暖かな手のひらに頬をなでられ、文洋は目を開けた。優しい笑顔に不意に目頭が熱くなる。ごまかそうとして上を向きかけた所で、ぐいと、ローラに抱きしめられ唇を奪われる。


 コトン、カラカラカラ


 ゴブレットが文洋の手を離れ、テーブルを転がった。一瞬……そして永遠の数秒が過ぎ去り静寂が訪れる……。蒼い月の光の中、虫の音が響き始めていた。


     §


「どうぞ、こちらへ、お久しゅうございますローラ様」

「お久しぶり、ヘンドリクス、調子はどう?」

「この通り、まだ鎧を着るくらいには」


 顔見知りなのだろう、ローラがにこやかに尋ねると、時代がかった胸甲の老騎士が相好をくずしてそう言った。


「こちらは、フミヒロ、フミヒロ・ユウキ中尉」

「存じ上げております、姫様が大変お気に入りのご様子」

「駄目よ、私の旦那様なんですから、あげませんからね?」

「ハハハ、お伝えしましょう」


 呵々《かか》と笑いながら、老騎士が先を歩く。着慣れない正装にホワイトタイの文洋は、ぎこちなくローラをエスコートして後に続いた。


「時間までこちらでご歓談を」

「ありがとう、ヘンドリクス」


 通された広間にはすでに、何人かが先に来ており、それぞれ挨拶を交わしていた。雰囲気から察するに全員がそれなりに知り合いのようだ。

 ローラの紹介で幾人かの貴族に挨拶しながら、文洋はなんだか実家の正月の寄り合いを思い出していた。


「ローラ」


 奥の扉が開くと、トトっと軽い足音がして、ラティーシャ王女がローラのところに駆け寄ってきた。


「まあ、殿下、大きくなられて」

「ちっとも来てくださらないんだもの、大きくもなってしまいます」


 今日はプライベートということなのだろう、神官服ではなく女の子らしい水色のドレスを着たラティーシャがそう言って笑った。


「中尉、ローラったら酷いのよ? 何度ご招待しても来てくださらないの」


 そう言えばローラのアパートメントに下宿して三年になるが、一度も正装で出かけたのは見たことがないなと、文洋は怪訝に思う。


「でもいいわ、次からはユウキ中尉と一緒にご招待しましょう、そうしたら来てくださるのよね?」


 ローラもあまりこういう場所が得意ではないのだろう、どちらかといえば一人静かに暮らしている印象しか無い。なら、今回は自分の為に来てくれた……という事なのだろうか。


「私は何時でも、妻は時々。それではいけませんか?殿下」


 むぅ、と子供のように膨れ面をしてから、年齢相応の少女らしい笑顔をみせて、ラティーシャ王女がニコリと笑う。


「いいわ、中尉、主賓は貴方なんですから、今日のところはそれで許してあげます。さ、ローラ、お祖母様とお祖父様が、ずっとお待ちよ? 中尉、奥様をお借りしますからね?」


 文洋が頷くのを見て、ローラが王女に手を引かれ去ってゆく。自分のための機会だというなら、なるほど、無駄にしてはいけないだろう。背筋をのばして文洋はあたりを見回した。コネはあっても邪魔にはならない。


「ふむ、九頭蛇ヒュードラ殺しの英雄が来るというので、残っておったが、昨晩の『飴玉の君』とはな」


 聞き覚えのある声と共に、ツンと後ろから裾を引かれて文洋が振り返った。真紅のサテンのドレスに紅玉の瞳、セミロングの金髪は今日は左右で結ばれている。


「こんばんは、えーと、スカーレット」

「今日は少々、晴れ晴れとした顔をしておるな、『飴玉の君』」

「そうかな?」

 

 『飴玉の君』というのは、名誉なのか不名誉なのか、と思いながら文洋はとぼけてみせる。 


「昨夜なぞ、思いつめた幽霊レイスのような面じゃったが、良いことでもあったか?」

「すこしばかり」

「そうか、それでもまだ悩みがあるようじゃがの、言うてみるがよい、わらわが力になってやろうぞ」


 不思議な少女だと思いながら、文洋は射抜くような瞳を見つめ返す。首の後ろにチリリと電気が走った。やられたと判っていながらも、視線が外せなくなる。


「あらあら、フミ、赤竜城塞ドラゴン・ネストの公女殿下に何かご無礼を?」


 その時、いつの間に戻ってきたのか、後ろからローラに声をかけられた。不意に身体が自由になり、文洋は我に返って振り向く。


「おお、スェルシ・ハーラの次女か、大きくなって、親父殿は息災か?」

「ええ、殿下、つつがなく」

「そうか、なに、今日の主賓がなんぞ悩み事がありそうな顔をしていたのでな」


 翡翠の瞳を細め、ローラが公女に冷たい笑顔を向けて言い放つ。


「では、ご助力頂きたいときにはご連絡をいたします。その時はお力添えを」

「おお、怖い怖い。安心せい、取って食いはせぬよ、少々恩があるでな」


 後でな、『飴玉の君』と無邪気に手を振って、スカーレットが去ってゆく。ローラにぎゅっと、尻をつねられて、文洋は飛び上がった。


「っつ!」

「だめですよ?フミは私の旦那様なんですから」

「いまのは?」

「誰だか知らずに話してたんですか? 片翼の赤竜、スカーレット公女殿下」


 呆れたようにローラが文洋を見上げる。


「あんな小さな子に、ずいぶんと物騒な二つ名だな」

「いえ、小さい子のフリをした、大きな古代竜ですよ?」


 あまりのデタラメさに、文洋は息を呑んだ、王都に出てきた青竜と並んで、片翼の赤竜といえば、テルミアのお伽話に出てくる有名な古代竜だ。


「なあ、ローラ『飴玉の君』は名誉なのか?」

「そうですねえ、確か、シルヴェリアの英雄王は、『揚げパンの君』だったはずです」


 英雄王の『揚げパンの君』より、『飴玉の君』の方がちょっと良いかと思っている自分が可笑しくなって、文洋は微笑みながらローラの手を取ると、晩餐会場へと歩みを進めた。

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