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猟犬と白狐

『ロバルト・E・バーリング』


 真鍮のネームプレートの付けられた隊長室のドアの前で、文洋はノックしようかどうか迷っていた。入隊から二ヶ月、ロバルト中佐と親しく話したことはなかったし、なにより三日ほど前にこってりと絞られたばかりだ。


「何か用かね、ユウキ少尉」


 背後でドアが開いて、後ろから声を掛けられて文洋は飛び上がった。チェック・シックス、隊長室の向かいにある通信室からの不意打ちだ。


「はい、いえ、まあ」


 慌てて敬礼。口ごもる文洋の肩をポンと叩いて、入れと首を傾けると、中佐が自室のドアを開け、振り返りもせずに入ってゆく。


「失礼します」


 完全に機を逸して、文洋はあとに続いて隊長室に入った。


「飲むかね」


 ロバルト中佐がサイドボードからウィスキーのボトルを取り上げて、グラスに注ぐと文洋に手渡した。


「ありがとうございます」


 受け取ったグラスからは、ブライアンたちと飲む安酒と違う芳醇な香りが立ち昇る。


「まあ、かけたまえ」


 勧められて、文洋はマホガニーの椅子に腰掛けた。


「タバコは?」


 純銀に金象嵌の細工の効いたシガレットケースを、中佐が文洋にケースをさし出した。


「いえ、ありがとうございます」


 断って文洋は本題を切り出す。


「三日前の件で、ひとつ気になることを思い出しましたのでお話にまいりました」


 パチン、と指を鳴らすと指先に灯った鬼火で中佐がシガリロに火をつける。


「君が氷をぶつけられた少女の件かね?」


 肩をすくめ、文洋はポケットから昨日買った指輪を取り出し中佐の前に置いた。


「アリシアの赤水晶か、久しぶりに見みるな」


 ひょいとつまみ上げ中佐が指輪を光にかざす。ミスリルの指輪に飾られた赤い石の中で、白い渦がグルグルと不定形にうごめいている。


「あの日、少女が持っていた杖はミスリルと拳ほどの赤水晶でできていました」


 ピタリと中佐が手を止める。


「それは誰かに話したかね?」


 右の眉を上げて静かに、だが明らかに厳しい声に文洋は少し怯んだ。


「いえ、まだ誰にも」


 甘い香りのする紫煙を吐いて、中佐がトレードマークの口髭ををひねる。


「私がいいと言うまで黙っていたまえ、他になにか?」


 言うか、言うまいか躊躇して、文洋は一呼吸おいて真剣な眼さしで中佐に問いかけた。


「この指輪、私にも使えないでしょうか?」


 ふむ、と視線を外して中佐が思案する。


「素養にもよるとしか言えんな……、その昔、アリシアの魔法戦士は赤水晶にイメージを送ることでそれを具現化したというが……二〇〇年以上前に衰退した技だ、知るものはもう殆どいないだろう」


 もっともな話だと文洋は思った。苦労して赤水晶の力を開放するより、五ポンド砲で三倍遠い距離から吹き飛ばす方が手軽には違いない。飛行機に五ポンド砲が積めれば……だが。


「私の友人に詳しいのが居るから、紹介状を書いておこう。次の休暇にでもたずね

るといい」


 指輪をさし出して中佐が優しげにニコリと笑う。


「ありがとうございます」


 こんな顔もできる人なんだなと思いながら、文洋が礼を言って立ち上がったその時。


 ウゥゥゥウウウ ウゥゥウウウウウ


 基地にサイレンが鳴り響いた。

 空襲警報?

 訓練以外では聞いたことのないサイレンに基地全体に緊張が走る。

 海岸線から一〇〇マイルはある。

 基地の対空監視所に見つかるまで、まったくのノーマークなどありえない話だ。


 慌てて立ち上がって中佐に敬礼、文洋はきびすを返そうとする。


「少尉、待ちたまえ」


 そんな文洋に、中佐はシガリロをクリスタルの灰皿に押し付け、答礼しながら声を掛けてきた。


「はっ?」


 呼び止められて敬礼の姿勢のまま、文洋が固まる。


「士官が動揺すると、兵が混乱する。ついてきたまえ」


 通信室の扉を開け、中佐が王都の司令部に、対空警戒の打電を命令する。待機所への階段を中佐は落ち着いて、だが大股で歩きながら、待機所で右往左往するパイロット達に、よく通るバリトンで命令を飛ばした。


「ハウンドドッグ隊は高度を上げつつ飛行船団を追尾、ドラグーン隊は王都方面へ抜けて高度を稼げ」


 右往左往していたパイロットたちが、中佐の命令にかかとを合わせて敬礼。待機所から駆けだすと、整備兵達がエンジンをかけ始めた愛機に向かって、全力疾走を開始した。


 ズム、ズム、ズム


 防空隊の高射砲が一斉に天に向かって火を吹く。空に鉄と炎の嵐が吹き荒れる。


「落ち着けよフミ、どうせいつものドンガメ共だ」


 機体に向かって走る文洋の背中をバシンと叩いて、ブライアンが追い抜いてった。整備兵の肩を踏み台に一挙動でコックピットに滑り込み、またたく間に滑走路を走りだす。


「坊主、弾倉だ予備がねえから気をつけろ!」


 フリント整備中尉が投げてよこした弾倉を片手でキャッチして、文洋も自分の機体に滑り込んだ。群青色の機体に白い狛犬。

 風防右側の機銃に弾倉を取り付け、チャージングハンドルを引いて初弾を送り込む。

 フルスロットルで駐機場から滑り出し、一気に空へと舞い上がる。

 綺麗な三角形を描いて、銀色の飛行船が基地の上空を抜けてゆく。


「くそっ、レイフなら……」


 馬力に物をいわせ、すでにケシ粒ほどに小さく見えるドラグーン隊を追いながら、文洋は王都へと迫る飛行船団を追いかけた。

 基地から王都まで約三〇マイル、一万五千フィートまで上がるのに三〇分はかかるスコルでは、王都上空でやっと空戦が出来る高さにたどり着けるかどうかというところだ。


 ジリジリと上昇しつつも、位置関係が変わらないので、常に自分の真上を飛び続けるように見える飛行船団を睨みつけ、文洋はスロットルレバーを強く握りしめた。


「ん?」


 先頭をゆくブライアンの真紅の機体が、スルスルと下がって文洋の横に並ぶ。

 何かを言いながら大きな身振りで後ろを指さし、翼を振っていた。

 後ろ?

 後ろは残りのハウンドドッグ隊がいるはずだ……。

 思いながら振り向いて、文洋は息を呑んだ。


「……」


 真っ先に離陸した文洋とブライアンに遅れること四〇〇ヤード、自分たちの後ろでハウンドドッグ隊が”戦闘機”と戦っていた。

 敵の前線基地からでも、ゆうに一五〇〇マイルはある。燃費のいいスコルでもその三分の一も飛べればいいところだろう。だからこそ、今までは護衛機なしの飛行船団を、余裕をもって追い返してきたのだ。


 どこからわいて出た……?


 額にジワリと嫌な汗をかく。

 ブライアンが真紅の機体を翻し、隊の救援にむかった。

 文洋は中佐の命令を思い出し、逡巡する。

 誰も行かなければ、ドラグーン隊は単独で飛行船団に立ち向かうことになる。


「くそっ!」


 毒づきながら、遥か上空を飛ぶ飛行船団を睨みつけたその時、船団から小さな黒い点が離れるのが見えた。

 黒い点が大きくなり、翼が生え、飛行機の形になる。

 撃たれる! 

 文洋がラダーペダルを蹴飛ばして機体を横滑りさせた。


 カカカカカンッ!


 エンジンとコックピットを狙った弾丸の雨が、間一髪のところで逸れて左の翼に一列の穴を開ける。翼桁がはじけ飛び、破片が文洋の頬をかすめた。

 操縦桿を左に倒しこんでバレルロール。上空から降ってきた敵機と、一瞬の交差。

 

 派手な黄色の機体に描かれた、白い狐が目に焼きつく。 

 オーバーシュートした敵機に反射的に一連射。

 降ってきた敵機は速度を殺さず、そのまま急上昇。

 大きく弧を描くと後上方に回りこんだ。


「くっつ……」


 追わずに文洋は急降下。高度を速度に代えて、眼下の森めがけて逃げる。

 穴の開いた布張りの主翼が口笛のような音を立てた。

 敵か味方か、前方に煙を吐いて落ちてゆく機体が目に入った。 


 ……あの乱戦の中に逃げ込めば。


 文洋の思いををあざ笑うかのように、黄色の機体が距離を詰めてくる。

 時折、主脚が木の梢を叩いて、バシリ、バシリと音がする。

 空冷エンジンのスコルと違い、妙に尖った鼻先。

 極限まで研ぎ澄まされた感覚が、時間の流れを遅らせる。

 ジリジリと死の淵へと追い詰められてゆく。 


 なぜ撃たない?


 疑問に思った文洋の首の後ろに、チリリと電気が走った。

 反射的に右のペダルを蹴飛ばし、操縦桿を右に倒した瞬間。


  ドン!

 

 機体の裏で爆発音がして、機体が爆風に煽られた。

 爆風に煽られて横倒しになる。

 右の翼が木に引っかかって森に突っ込む。

 木の裂ける音、飛んでくる枝。


 ガツンと額に衝撃がきて、目の前が暗くなる。


 文洋が覚えているのはそこまでだった。

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