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艦長と王女

「おやっさん、俺の機体、治りそうか?」


 雨の中、子供のようにラディアと戯れた文洋は、格納庫に戻ると自分の機体に駆けつけた。


「護衛で飛ぼうってんなら諦めな」


 長さ二〇インチはあろうかという大きなスパナで、肩をトントンと叩きながら、フリント整備中尉はそう言ってボロボロになった翼端をさす。


「翼端がケタごと持ってかれてる、右の補助翼エルロンはワイヤーが半分切れかかってた」


 つっ……と文洋は言葉を失った。戦闘が終わって冷静になると、恐怖というのはまとめてやってくるものだ。


「飛べないか」

「ああ」

「ちなみにあいつは?」


 そう言って文洋はラディアの機体を指さす、白黒のチェック模様の機体が派手にオイルで汚れている。


「エンジンブロックにニ、三発くらってる」


 渋い顔をするフリントに、とぼけた顔でラディアが逃げ出そうとするのを捕まえて、文洋はコツンとゲンコツを食らわせた。


「あいたっ、おやっさん、中尉がいじめるの」

「馬鹿野郎、泣きたいのはこっちだ、お前らのせいで届いたばかりの予備部品総ざらいじゃねえか」


 鳴り物入りの王女殿下直属の部隊ということで、文洋たちも叙勲式とパーティに招かれている。出ないわけにも行かないので護衛は部下たちに任せ、結局文洋とラディアは巴山大使一行のエスコートという名目で民間飛行船に同乗することとなった。


     §


 エスコートと言っても、ボーイから護衛の陸軍の兵士まで一揃いしている大型の民間飛行船だ、二等船室でくつろいでいる扶桑の兵士達に混ざり、文洋達はこれといってすることもなく窓の外を眺めていた。


「敬礼」


 不意に扶桑語で号令がかかると、全員が立ち上がる。釣られて立ち上がり敬礼する文洋とラディアに、真っ白な海軍の礼装を着た照文がつかつかと歩み寄る。


「レディ、少し、中尉をお借りしてよろしいですか?」

「え……、あ、はい」


 異国の将官に声をかけられ、ラディアが固まる。


「山中、結城中尉が戻るまで、そちらのお嬢さんの話し相手をしてさしあげろ」

「か、艦長?」


 無茶振りされて慌てる山中少尉の肩をポンとたたいて、文洋は兄の後をついて行く。一等船室の扉の前で立ち止まり、照文が扉をノックした。


「どうぞ」

 

 と扶桑語で返答が来るのを待って、照文が扉を開けると、そこにはロバルト中佐と恰幅のいい扶桑の紳士前とした男が立っていた。


「こちらは巴山大使だ」


 仕立ての良い黒の礼装に身を包んだ大使を紹介され、文洋は右手を差し出す。


「光栄です、大使閣下」

「やあ、君が結城中佐の弟君だね、随分と活躍しているそうじゃないか」

「偶然です」

「ふむ、ならばそれは君の引き寄せた運命だろう」


 ビロード張りのソファーにマホガニーの調度品という贅沢な一等船室、巴山大使と握手を交わした文洋はロバルト中佐に勧められ、椅子の一つに腰掛けた。


「報告を聞く時間がなかったのでな、今日の戦闘報告を聞かせてもらおう」

「は、我々が遭遇、撃退したのは双発の爆撃機が二機、戦闘機が四機、いずれも同盟の物で間違いありません」

「それで、『巨人アルビオン』は?」

「アルビオンには遭遇しませんでした」


 そこで文洋は言葉を切り、左右を見回した。


「敵の目的をどう見る?中尉」


 文洋の視線を捉え、兄がそう口を開く。


「式典に対する嫌がらせなのは間違いないでしょう」

「そこまでするほどの価値があると思うか?」


 兄の言うことはもっともだと文洋も思った。離間工作なのは間違いないが、そこまでする価値があるかと言われれば、疑問ではある。


「よろしいですかな?」


 巴山大使がそう言ってウィスキーのグラスを掲げる。皆の視線が恰幅の良い大使に集まった。


「我が艦隊が壊滅的打撃を受けてから、『巨人アルビオン』の動向は沈静化、時折輸送船を襲うことはあっても、テルミア王国と三国同盟の艦隊戦に積極的に出撃する気配はない」


 一口ウィスキーを飲んで大使が続ける。


「あくまで推測ですが、『巨人』は同盟とはまた違う意思で動いてる気がしてならんのです」

「と、いいますと?」


 ロバルト中佐が大使にシガリロを差し出し、そう尋ねる。


「失った重巡一隻に駆逐艦二隻、本日受領した一隻、来年完成予定の戦艦二隻を加えると、扶桑がこの海域に投入できる戦力はそれなりの物になる予定だった。だから彼らは先手を打って我々を襲った」

「だが、その後、『巨人アルビオン』は動かない……」

「そう、動かない。戦争の勝敗がどちらかに傾かないように調整するように」


 ぐい、とグラスを開けて巴山大使がシガリロを咥えた。マッチで火を付け紫煙を吐き出す。


「勝敗の天秤がテルミアに傾くような事があれば、またぞろ出てくるかもしれませんな」


 一同が沈黙する。……文洋は知っていた。だれがその『調整者』なのかを、そしてその調整者を気取る者から、自分の家族を取り戻さないとならない事を。

   

     §


 翌朝、『銀の塔』と呼ばれるテルミア教の総本山、六百年ほど昔に建てられてという大聖堂に照文は居た。扶桑のどの建物よりも高い石造りの塔の中、ズラリと並ぶ神官と貴族、そして騎士たち。

 死した兵達ならばともかく、自分にここへ来るだけの価値があるのか……? と直立不動のまま照文は思う。


「扶桑海軍中佐、結城照文殿、前へ」


 時代がかった胸甲を付けた老騎士の声が響く。照文は事前に教えられたとおり、王女の座る玉座の前へ進み出て片膝をついた。


「中佐、顔をあげてください」


 サラリ、と衣擦れの音がして壇上から軽い足音が近づく。同時に場内にどよめきが巻き起こった。


「……?」


 顔を上げた照文に、壇上から少女が降りてくるのが目に入る。豪奢な金糸で縁取られた神官服に、エメラルドの散りばめられた王冠をかぶった少女、閲兵式では遠目に見ただけだが、間違いなく、ラティーシャ王女その人だ。


「姫殿下……」


 何か言いかけた老騎士を片手で押しとどめ、王女は海軍提督に勲章を渡すように手を差し伸べる。


「殿下?」


 勲章を手渡しながら、不思議そうな顔をする提督の様子に、なにか問題が起きているのは照文にも理解はできた。


「皆さん、良くお聞きなさい」


 どよめきを消し飛ばすように、凛とした少女の声が大聖堂に響き渡る。


「ここに居る勇敢な戦士は、遥か四万海里彼方から来訪し、我々の為に血を流し、死んでいった異国のつわもの達の代表です」


 その一言で、議場が静まり返った。


「我らが友邦の扶桑国は、多大な犠牲を払った上で、さらにテルミアの困難に共に立ち向かうと約束をして下さいました」


 線の細い少女のどこから出るのか……石造りの大聖堂に切々とラティーシャ王女の声が響く。


「その勇気と誠実さに私ができることは、手ずから勲章を授ける事だけです」


 立ちなさい、と目で促され照文は立ち上がった。自分の胸ほどしかない小さな王女、彼女がテルミア教の巫女であり、テルミアの最高責任者だというのだ。


「貴方の失ったものの対価として、ふさわしいとは思いません、ですがこれが私にできる精一杯です」


 すこし寂しそうに笑って、王女が、金の七芒星と銀の十字、中央にサファイアの嵌められた勲章を照文の胸ポケットにピンで止める。


「光栄です、殿下」


 王女にポンと胸を小さく叩かれて、照文はそう答えると踵を揃え敬礼する。


「死んでいった戦士たちの為に、そして戦い続ける戦士たちのために、祈りを」


 壇上に戻ったラティーシャ王女が祭壇に向かってひざまづくと、大広間に集まった人々が一斉にそれに続く。信仰という名の圧倒的な空気に気圧されるように照文も見様見真似で跪き、見知らぬ神に祈った。


     §


「なんか、中尉と違って、真面目そうなお兄さんだね」


 貴族と高級軍人たちに囲まれても堂々とした振る舞いをみせる照文の様子に、ラディアがそう言って林檎酒シードルのグラスを傾ける。


 新設されたラティーシャ王女直属の部隊の代表、そういう触れ込みで呼ばれているものの、実際に参加してみれば、実に居心地が悪い場なのは間違いない。


「そうだな、俺と比べたら百倍真面目な兄貴だよ」

「中尉も大抵まじめだとおもうけど……その百倍かあ、あたしじゃ付き合いきれないな」


 おかわり! とグラスを差し出すラディアの頭にポンと手を置くと、飲み物を取りに文洋はテーブルへと向かう。人間とエルフの貴族たちでごった返す中、ボーイからグラスを受け取った所で、トン!と後ろから何かがぶつかってきた。


「おっと」

「くっ」


 かろうじて零さずにすんだグラスをボーイに戻して、文洋は振り向く。


「大丈夫かい」


 そこには真紅のドレスを着た小さな女の子が尻もちをついていた。長い金髪をアップにして燃えるような赤い瞳がいたずらっぽく輝いている。


「大丈夫じゃ、すまぬ」


 妙に時代がかったテルミア語を話す少女に手を差し伸べ、文洋は少女を助けおこした。


「ちょっと、爺から逃げておってな、そちも手伝え」

「ん?」

「ほら、行くぞ」


 有無を言わせず少女が手を引く。壁の花になっているラディアに飲み物と伝言を届けるようボーイに頼んで、文洋は少女に手を引かれ歩き始めた。


「じゃあ中庭にでも行こうか」

「うむ、それは名案じゃな」


 少女を背中で隠すようにして文洋は中庭へむかって歩き出す。


「それで、どうして逃げてるんだい?」

「ふむ、どこぞの公爵に挨拶せよだの、やれ伯爵夫人がだの、やかましくての」

「なるほど」

「いつもなら招待されても顔を出さぬのじゃが、巫女が変わってから一度も顔をだしておらぬし」


 どこかの貴族のお嬢様……という雰囲気でもない。どちらかというとソールベル伯爵夫人に近い感じを受けて、文洋は不思議に感じた。


「ラティーシャ王女の知り合い?」

「ふむ、どちらかというと、母御ははごの知り合いかの」


 中庭の繁みに隠されて、パーティー会場から見えない位置まで移動すると、少女は木製のベンチに無造作に腰掛けて、伸びをした。


「ああ、清々した。あのような狭い所に羊のように群れて、頭が痛くなる」

「隣にかけても?」

「おお、気が付かず、すまなんだ」


 ちょこん、と端にかけ直し、ポンポンと自分の隣を叩いて、ここへ座れと少女が笑う。


「僕はフミヒロ、ユウキ・フミヒロ、名前を聞いても?」

「わらわか? スカーレット、スカーレット・アドラコ・カステルーム」


 ふむ、と小首をかしげてスカーレットが文洋を覗きこむ。


「見慣れぬ顔じゃな、どこの生まれじゃ?」

「扶桑……と言ってもわからないよね?」

「バカにするな、新聞くらいは読むぞ」

「ああ、ごめん、ごめん」

地球テールスの裏側から来て、わざわざ巫女の近衛とは、また酔狂じゃな」


 文洋の近衛旅団の制服を見て、スカーレットがクスリと笑った。


「色々あってさ」

「ああ、しかしアレじゃな、パーティーは難儀じゃが、菓子はもう少し食べたかったの」


 そう言って残念がるスカーレットに文洋は微笑んだ。


「これで良ければ食べるかい?」


 ポケットから飛行船の売店で買ったキャンディの缶を取り出す。


「おお、気が利くの、うちの爺にも見習ってほしいくらいじゃ」

「誰が誰を見習うのですかな?」

「うわっ」


 少女の言葉を聞いていたかのように、ガサリと繁みを掻き分け、クラウスを思わせる精悍な老人が現れた。


「ち、違うのじゃ爺」

「さ、お戻り下さい」


 ぐいと袖を掴んだ少女の頭を撫で、文洋はキャンディの缶を手渡す。


「くれるのか?」

「あげるよ、お仕事頑張って」

「そうか、うむ、もう逃げも隠れもせぬから、そう急くな爺」


 老人に手を引かれながら、ふり返って手を振る少女に文洋は笑顔で手を振り返した。


「どうしたの?あの子」


 いつの間に来たのか、隣に立っていたラディアが不思議そうな顔で文洋を見おろす。


「ああ、俺と同じく、不真面目で不出来などこかのお姫様だよ、きっと」


 そう答えて、文洋は目を閉じた。


 漏れ聞こえる喧騒が秋風のざわめきに溶けてゆく。

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