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猟犬と子供達

「フミ、軍服の上着、持っていくからね?」


 そろそろ朝晩は肌寒くなる季節なのに、相変わらず窓を開け放したまま、ベッドに伸びている文洋にレオナは声をかけた。


「んー?」


 昨日もしこたま飲んだらしい文洋が、祖父の飼っていたアリシア狼のように、間の抜けた声で返事をしながら、ベッドの中で伸びをする。


「んーじゃなくて、夏服! お洗濯にだすの! シェラーナ、クローゼットの中をお願い」


 一緒についてきたシェラーナにそう言って、レオナは椅子にかけられた水色の制服を手に取った。ポケットから紙巻たばこの入ったシガレットケースと札入れを取り出し、机の上に並べる。


「シェラーナ、ポケット、ちゃんと見てね?」


 ……弟も何時もポケットの中に沢山物を入れっぱなしだったな。そう思いながらコインをズボンのポケットから取り出し、机の上に重ねる。「あら?」と後ろで小さな声がして、シェラーナが一枚の紙切れを上着の内ポケットから取り出すのが見えた。


「どうしたの?」

「いえ……これ……」

「……っつ……」


 チラリと見えた写真に、レオナは血の気が引くのを感じた。シェラーナの手から写真をひったくるようにして取り上げると、レオナは食い入るように写真を見つめる。


「フミ!」


 鋭い声に、驚いてベッドの上で半身を起こした文洋に駆け寄り、レオナは手にした写真を突きつけた。


「これ……、新聞に出ていた、同盟の?」

「……」


 レオナの勢いに押されるように、文洋が黙って頷く。


「ルネ……そんな……」


 なんてこと……まだ八つの子供に……一体なんてこと……。炎上する扶桑艦隊と、先月、新聞を賑わせた三都同盟の新兵器。引き伸ばされ、ピンぼけになってはいるが、扶桑艦隊の砲撃を受け止めているその魔法陣は、間違いなく自分の魔術式と寸分違わず同じものだった。


 クシャリと音を立て、右手のなかで写真を握りつぶす。怒りと絶望に目の前が暗くなる……。


「私の……私のせい……」


 倒れるように文洋の胸にもたれて、レオナは声を上げ泣きじゃくった。


     §


 ローラ、レオナ、クラウスにシェラーナ、しわくちゃになった写真を中心に、アパートメントの食堂に一同が介していた。


「レオナ? 少しは落ち着いた?」


 椅子に座ったレオナをローラが後ろから抱きしめて髪を撫でている。


「フミ……私、私のせいで……水兵さんたち……皆、あんなに優しくしてくれたのに」


 机の上に置かれた新聞に目をやり、レオナが泣き崩れそうになる。


「レオナ」


 文洋はテーブルの上に置かれた写真に手を伸ばすと、魔法陣を指さしてレオナの目を覗きこむ。


「君の弟がコレに乗っているのは間違いないんだね?」


 レオナを除いた、その場に居る三名の、責めるような視線が文洋に突き刺さる。文洋はそれを気にせず、まっすぐにレオナの瞳を見つめた。


「……間違いないわ、その魔術式は、私がルネに教えたものだから……。ルネは……じゃあこれで皆を守ってあげられるね……って、いつもコレばかり練習して……」


 紫色の瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ちる。


「文洋殿、同胞が殺されたお怒りはよく判ります。ですが……」

「フミ……レオナは何も……」


 ローラとクラウスが抗議の声を上げようとするのを、片手で押しとどめ、文洋はポケットからオイルライターを取り出すと、テーブルの空き皿の上で写真に火を着ける。


「……」

「フミ?」

「文洋殿?」


 白い皿の上で灰になってゆく写真をしばらく見つめてから、文洋は微笑んで口を開いた。


「なら……この鈍色の巨人アルビオンから、ルネを助けなきゃな」

「……」


 一瞬の静寂。


「ローラ」

「良かったわね、レオナ」


 抱きついてきたレオナを、ローラが胸に抱きしめる。その光景に文洋は文洋も微笑んだ。偽善だと自己満足だと、言いたい奴には言わせておけばいい。

 少年だったあの日、冬空の下、だんだん小さくなってゆく乳母のハルと、不安そうに振り返るその娘のユキの姿が不意に脳裏に浮かぶ。せめて今、両手の届く範囲の幸せくらい守ってやってもいいじゃないか……。文洋はそう思った。


 そんな苦く切ない記憶は、背後から突然に襲ってきた衝撃で途切れた。椅子ごと抱え上げるようにクラウスに後ろから抱き上げられ、文洋は逃れようと暴れる。


「ああ、暗黒神ソブラよ! ご加護を、勇者がここに居らっしゃった」

「こら、やめろクラウス、暑苦しいし気持ち悪い」

「勇者殿、誓って、坊っちゃんをお救いするまで、このクラウス、粉骨砕身お仕えいたしますぞ」


 出来の悪いコメディのような有り様をみて、ローラとレオナが声を上げて笑い出す。


「わかったから、離せクラウス、朝から暑苦しい!」

「何を言ってるんですかフミ、もうお昼です。ねぼすけさんは朝ごはん抜きです」


 真顔で言うローラに、テーブルの横で澄ました顔で立っていたメイド姿のシェラーナが、堪えきれず吹き出し、皆にとっては早めの昼食が、文洋にとっては、遅めのブランチが始まった。


     §


「あ、いたいた、中尉、中佐が呼んでたよ」

「そうか、ありがとうラディア。どうした今日はめかし込んで」


 翌朝、待機所でコーヒーを飲んでいた文洋を呼びに来たラディアの服装を見て、文洋は言った。


「レブログの初等学校の生徒が、見学にくるっていうから、その引率」


 以前、近衛旅団で女官たちが腕をふるって誂えた制服を来たラディアが、クルリと回ってみせる。

 褐色の肌に白地に銀糸の刺繍が入った近衛旅団の上着、女性神官達が寄ってたかって縫い上げた裾に豪奢なレースを奢ったスカート、顔が映るほどピカピカのブーツ。黙っていれば異国のお姫様に見えるんだがなと、文洋は笑う。


「可愛い?」

「ああ、黙ってればな、子どもたちを泣かせるなよ」

「中尉の意地悪」


 少年兵を従者よろしく引き連れ、頬を膨らますラディアに手を上げて、文洋は司令室へと向かった。 


     §

  

「失礼します中佐」

「入りたまえ、ユウキ中尉」


 勧められるままに腰掛け、文洋は差し出されたグラスを受け取る。バサリ、と写真の束が文洋の前に投げ出された。


「先日、『竜翼メリュ淑女ジーヌ』を囮にして撮影した敵の空中戦艦だ」


 一枚一枚、文洋はその写真を食い入るように見つめる。上甲板から低い流線型の艦橋が伸びている。船腹の左右に機銃座が突き出し、ざっと見ただけで片舷に六門の高射砲が並んでいた。


「これは……飛行甲板……ですかね?」


 船体中央に伸びる木製の大型甲板を見て、文洋は中佐に尋ねる。


「恐らくはな。本作戦中、収容間際に偵察機が一機、敵の戦闘機にやられた。見事な手際の送り狼だ。識別マークは白狐だ」


 むぅ、と唸って文洋が目を閉じた。大きなスピナーのついた空冷エンジンの機首、派手な黄色の機体に染めぬかれた跳ねる白狐。

 少しばかり離れた場所から撮られた写真が数枚、続く。どれも円形の魔法陣が、火花を散らして戦闘機からの攻撃を弾いていた。


「魔法陣展開の素早さはなかなかに見事なものだ」

「私の娘より……ですか?」

「そうだな、早さと正確さでいば、彼女より格段に上だろう」

「……そうですか……」


 二杯目をグラスについて、ロバルト中佐が一息に飲み下す。


「重巡洋艦の主砲を止めたというのだ、まずはあの魔法を何とかしなくては、勝ち目はないだろう」


 どうだ?とボトルを掲げる中佐に、文洋はグラスを差し出した。この人は、ルネの事について、もう知っているに違いない……と文洋はグラスを差し出し、ため息をついた。


「中佐、レオナは高射砲弾の破片を止めるのが、自分の力ではやっとだと言っていました。自分の術式と手持ちの赤水晶の魔力では、そこまでが限界だと」

「だろうな、戦争において魔法が廃れつつあるのは主に二点に集約する、資質が無い者には使えない特殊性と、兵器の物量が古き良き時代とはケタ違いである事だ」


 文洋の国にも、半世紀ほど前、『文化繚乱』と呼ばれる解放路線に舵を取る際、、大皇を擁する派閥と、現状維持を唱える派閥の争いがあった。

 現状維持を唱える派閥の一角に、式神使いを擁する一大派閥があったが、彼らは壮絶な戦闘の後、新政府軍の鉄と鉛の暴威の前に、あえなく敗れ去った。


「中佐、レオナと同じ術式で、二〇インチ砲が止められるものでしょうか?」

「あの鈍色の巨人アルビオンを浮かべるだけの魔力供給があれば、あるいはな、もし赤水晶の力だとすれば巨大なものになるだろう」


 ―― レオナ、魔法でゆっくりおろせないか?

 ―― ルネなら魔法で下ろせたかもしれない、でも私にはこんなに大きくて重たいものは無理


 ローラが怪我をした時のレオナとの会話を思い出す。ならば……ならば、なおの事、ルネを奪還しなければならないということだ。


「さて、話は変わるが中尉、明朝、テルミア海軍工廠で扶桑へ巡洋艦の受け渡し式が開催される」

「は、新聞で読みました」

「その後、扶桑の巴山大使と結城照文海軍中佐は、当飛行場より離陸、飛行船『エクソ・ヴォランテ』にて王都へ異動、女王陛下への謁見と叙勲式へ臨まれる」


 扶桑の英雄……か、仏頂面の兄の顔を思い浮かべ、文洋は少しおかしくなった。


「私の読みでは、間違いなく現場に奴らが嫌がらせに現れる」

巨人アルビオンがですか?」

「いや、本体は来ないだろう、私が思うに、あの船は、同盟とはまた別の意図で動いてるように感じる」

「では空襲ですか?」


 なるほど、艦載機による式典への空襲なら、実に効果的な嫌がらせにはなるだろう。テルミアと扶桑の離間工作としては効果的な部類だ。


「全戦力を持って、我々は式典の安全を確保する、『黒兎隊ブラック・ラビッツ』にも準備をさせたまえ、ブリーフィングは明朝六時」

「了解しました」


 グラスを飲み干して立ち上がり、文洋が敬礼する。


「兄君の晴れの舞台だ、しっかり守ってさしあげたまえ」


 答礼してグラスを飲み干し、中佐がニコリと笑った。


     §


 司令室を出た文洋が階段を降りると、パイロットの待機室は子供達でいっぱいだった。めいめいがパイロットたちを捕まえては、質問攻めにしている。


「こんにちは」

「こんにちは、お嬢さん」


 七歳位だろうか、階段に座って文洋を見上げ、元気に挨拶してくる女の子に、文洋は挨拶を返す。


「ねえ、おじさんはパイロット?」

「ああ、あそこのお姉さんと同じだ」


 ひし形に黒い兎の刺繍が入ったワッペンを少女に見せると、文洋はラディアを指さした。子供に貰ったのだろう、野花で出来た冠をかぶったラディアと目が合う。プイとそっぽをむくラディアに苦笑いして、文洋は足元の女の子に視線を戻した。


「おじさんは、どこの人? カフェラル?」

「いや、扶桑からきたんだ」

「扶桑? しってる、船乗りのパパが、褒めてた、扶桑の水兵、あれが本物の男だって」

「そうか、皆に伝えておくよ」

「もう行かなくちゃ、お仕事頑張ってね! これあげる」

「ありがとう」


 差し出された小さな紙包みを受け取って、文洋は駆けてゆく女の子に手を振った。


「姐さん、ああ見えて子供好きなんですよ」

「みたいだな」


 フェデロの声を聞きながら紙包みを開くと、文洋は包まれていたドロップを口に放り込んだ。人間の子どもたちに囲まれて、困惑するダークエルフの戦士たちを笑顔で眺める。


 イチゴ味だったらしいドロップから、甘い香りが一杯に口の中に広がり、ほろ苦いモルトの香りを塗りつぶしていった。


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