魔術師と子猫
「鋼鉄の飛行戦艦、友邦の艦隊を撃滅」
「三都同盟の新兵器か?」
「英雄、山形少将は、艦と運命を共にす」
扶桑艦隊壊滅から一週間、商船員たちへの緘口令は長くは持たず、テルミアの新聞は商船員からの伝聞を元に記事を書き始めた。
扶桑に同情的な記事が多いのは、商船に一人の死者もでなかったこと、そして最後まで戦い続けた彼らの奮戦ぶりを、商船の水夫達が尾ひれを付けて新聞記者たちに語ったところが大きい。
「ユウキ中尉、本当に裏口でよかったんですか?」
「ああ、あまり目立ちたくないんでな、少し待っててくれバーニー」
派手な見出しの踊るテルミア・タイムスを後部座席に放り投げ、文洋は助手席のドアを開いた。裏口を守る衛兵が文洋を見て敬礼する。
「三十分で戻る」
「了解です」
五階建ての海軍病院の最上階、フロアの半分ほどを仕切って、扶桑海軍の負傷兵達が収容されていた。
傷の程度にかかわらず一箇所に集められているのは、情報統制の意味もあるのだろう……そう思いながら廊下を歩いていた文洋は山中少尉がを見かけて声を掛ける。
「山中少尉」
「はっ」
返事をしながら振り返った拍子に転びそうになる少尉を、慌てて支えた。
「大丈夫か?」
「声が艦長と似ておられるので、びっくりしました」
「驚かせてすまなかった。それで、兄はどこに?」
「その先の突き当り、左側です」
軽傷者達が退屈そうに廊下にたむろする先を、山中少尉が指差す。
「ありがとう、足の具合は?」
「大したことはないですが、ここまで大げさに手当されると、なんだか本当に重傷者の気分です」
山中少尉の強がりに手を上げ笑うと、文洋は負傷者の群れをかき分け、病室へと向かった。
「どうぞ」
病室のドアをノックすると、中から兄の声が帰ってくる。
「失礼します」
明るい陽射しの差し込む病室の中、あちこち包帯に巻かれて横たわる兄に、文洋は敬礼する。
「このままで失礼する」
背に丸めた毛布を押し込んで、半身を起こした照文が答礼した。公式にアポイントを取ってから訪れた文洋は、兄弟ではなく情報収集に訪れたテルミア軍士官という訳だ。相変わらず生真面目だな……思いながら文洋は仕事にとりかかった。
「結城少佐、いくつかお話を聞かせていただきたい」
「了解した」
数枚の写真、商船員からの聞き取り内容、それらを確認するように文洋は話をすすめる。武装、速度、装備。得られた情報の中で、文洋の興味を引いたのは、飛行戦艦に推進用のプロペラがついていた事だった。
戦闘速度で距離を詰めに来た際も、四〇ノット程度の速度しかでないという話が本当ならば、『シームルグ』のように魔法で自由自在に飛べるというわけではなさそうだ。
「少佐、扶桑艦隊は相当数命中弾を与えたようですが、直撃弾は?」
文洋の言葉に、兄は魔法陣の写った写真を手に取り、目をつぶった。
「双葉が主砲を命中させた際に結界を前方に集中させたからだろう。敵の後部側面に直撃弾を二発与えた」
「それで?」
「十三ポンド砲の直撃では、敵の装甲には焦げ目がついた程度だった」
「では、相手はガスで浮揚する飛行船ではなく、得体のしれない力で飛ぶ巡洋艦……といったところですか……」
「……」
風景を思い出したのだろう、ギリと奥歯を噛みしめて頷く兄の姿に文洋は同情した。巡洋艦が空を飛ぶのは科学の力では不可能だ。そういう結論に到って、文洋はため息をつく。
「最後に一つ」
「どうぞ」
「その砲弾を弾いた結界は何色か覚えていますか?」
「緑、薄い緑だ春先の桜の若葉のような。砲弾が当たった時に弾けて舞い散る燐光は美しくすらあった」
自分がレオナの乗る飛行船と戦闘になった時に、感じた事をそのまま兄が言う。
「ありがとうございました、少佐」
書類をアタッシュケースに詰めなおし、文洋は兄に握手を求めた。
「どういたしまして」
そこで兄が初めて笑顔を見せ、文洋の手を握る。握手して踵を返し、ドアノブに手をかけた所で、後ろから呼び止められる。
「文洋」
「ん?」
「中尉になったのか」
「ああ」
振り返り文洋は笑顔で応える。
「そうか、おめでとう……あと、これ、忘れ物だ」
「ありがとう。兄貴……早まるなよ?」
「ああ、大丈夫だ」
燃える『双葉』と砲弾を弾く魔法陣の写真を受け取り、その写真を上着の内ポケットに入れると、文洋は手を上げて病室を後にした。
§
「こら、クリオだめ」
扉を開けた途端、子猫が首にまかれたブルーのリボンを揺らし、バスケットから飛び出した。トトトッと小さな足音を立てて階段を駆け登り、真ん中あたりでレオナの方を振り向いてニャアと鳴く。
「まちなさいクリオ」
グレーの毛並みの子猫を追いかけ、レオナも階段を駆け上った。
「お待ちくださいお嬢様、危のうございます」
大きな衣装ケースを二つ抱えたクラウスが、そう言ってレオナの後を追う。
「……お転婆さんが二人になっちゃったわね」
家族は一緒に住むべきだ……と文洋の後を追いかけて、レブログのアパートメントに戻ってきたローラは、階段を駆け上ってゆく一匹と二人を微笑みながら見つめていた。
§
その日の夕刻、レオナがいつもの顔ぶれで食卓を囲んでいると、フラリと文洋が帰ってきた。
「レオナ、いいニュースが一つ」
「なに?」
フォークを置いて、レオナは後ろに立つ文洋を見上げる。
「スレイプニールが直ったぞ」
「ほんと?」
レオナの声に驚いたのか、膝の上で丸くなっていた子猫がビクリと飛び起きて逃げてゆく。
「あらあら、びっくりしたのね」
ぴょん、と膝に飛び乗る子猫を優しく抱き上げて、ローラが微笑んだ。
「ごめんね、クリオ」
「うにゃう」
謝るレオナに、返事をするように鳴くクリオに文洋が声を上げて笑った。いつもならそこで、拗ねてフミに抗議するところだが、今のレオナは喜びのほうが大きく、それどころではない。
「それで、それで?」
「明日の午後、『スレイプニール』をおやっさん達が、基地の北側の外れにある湖に持ってきてくれるそうだ」
フミは嘘をつかない。そんな彼が、真面目な顔をして自分に言うのだ。
「すごい! ローラ! 直ったんですって!」
一度は全てを投げ出す覚悟をした。最後に残された思い出の詰まった飛行機さえも……。代わりに新しい家族を得たけれど、思い出の物が何一つないのは、心のカケラを何処かに置き忘れた気がしていたのも事実だ。
「よかったわね、レオナ」
文洋に夕食のミートパイを切り分けながら、ローラがそういって笑う。
「尾翼の紋章はさすがに、塗りつぶしたそうだが、それは許してやってくれ」
「仕方ないわフミ」
杖と剣とサーペンとの紋章。それはレオナの家の証そのものであり、誇り高きセプテントリオン家の印だ。
だが、もう家はない、捨てると決断したのは自分だ……。悔しいけれども、今の喜びに比べれば些細なことだと、レオナは自分に言い聞かせた。
「でも……フミ……私……みんなに何もお返しできない……」
祖父の代から、さまざまな物を切り売りしてでも、セプテントリオン家は王家の求めに応えてきた。城下の貧民に可能な限り仕事を与え、高貴なる者の義務を体現し続けた。
先般、行き倒れの少女に扮した間者に付け入られたのも、それを体現してきたセプテントリオン家ゆえの事だ。
だから、国を出てから出会う人たちが皆、見返りもなく自分を助けてくれる事に、レオナは罪悪感にも似た居心地の悪さを感じていた。
「なあレオナ」
そんな気持ちを察したのか、うなだれたレオナの頭に、文洋がポンと手を載せて髪を撫でる。
「……なに? フミ」
鼓動が跳ね上がり、顔が紅潮するのをごまかすように、レオナは文洋につっけんどんに返事を返した。
「みんな君の事が好きだから、助けてくれる、それでいいじゃないか」
「そうね、レオナ、私もそれでいいと思いますよ」
「フミ……ローラ……」
本当にそれでいいんだろうか……。制服のポケットから取り出したスキットルから、グラスにウィスキーを注ごうとして、ローラに取り上げられ、しょげる文洋を見ながら、レオナは目を伏せて考えていた。
§
「中尉ー、こっちっすー」
レブログ空軍基地から北へ一マイル、『水瓶』と皆が呼ぶ、周囲五マイルほどの湖があった。元はここまで大きな湖ではなかったのだが、豊富な湧水を城塞都市で利用するため、泉は池となり、池は湖と呼ばれるほどの規模になったらしい。
「バーニー伍長、フリント中尉!」
タクシーを降りると、レオナは見知った面々に手を振って駈け出した。
「お嬢様、危のうございます」
皆のお礼にと、ローラとシェラーナも手伝ってくれた、スコーンにクッキー、サンドイッチ、豚ひき肉と玉子のフライ、それにワインボトルが詰まった大きなバスケットを二つ抱えて、クラウスが後ろから声を上げながら追いかけてくる。
「クラウス、大丈夫よ、子供じゃないんだから」
「では、レディらしいお振る舞いを……」
言いかけたクラウスに小さくアカンベェをして、くるりと回ると、レオナ再度走りだす。湖のほとりに止められたトラックの荷台に、自分の瞳と同じ色の飛行艇が、キャンバスのカバーをかけられて載せられている。
「フリント中尉、治ったの?」
「ああ、嬢ちゃんと約束したからな、バッチリだ」
機体を見上げるレオナの頭に、フリントの節くれだった大きな手がポン、と置かれた。
「直したところも全部、もとと同じ色に塗ったっす……尾翼は白塗りっすけど……」
帽子を取り申し訳無さそう言って顔を伏せるバーニーを、レオナは抱きしめた。
「でも飛べるんでしょ? ありがとう、伍長さん!」
「い、いや、みんなで治したっす」
しどろもどろになる伍長に、他の整備兵たちから、一斉にヤジが飛ぶ。
「あらあら、みなさん、ありがとうございます」
そんな彼らに礼を言いながら、文洋が押す車椅子に乗って、ローラがやってくる。
「すまんなみんな、娘たちがせめてもの礼にと作ったんだ、メシがまだならやってくれ」
文洋がそう言うと、芝生の上にクラウスがバスケットを下ろした。整備兵達が一斉に中を覗きこみ、ため息混じりに怨嗟の声をあげ、軽口を叩き始める。
「やばい、うまそう。中尉はいつもこんなの喰ってるんですか?」バーニーがボヤく、「やべえ、俺も嫁さん貰って娘つくろう」、「てめえにそっくりだったらどーすんだよ」、「そうだな、やっぱ息子でいいわ」騒ぐ整備兵たちに、レオナは一人ひとり握手して礼を言ってまわる、
「オラ てめぇら、仕事はまだ終わってねえだろ、下ろして調整すんぞ」
「了解っす」
フリント整備中尉の声に整備兵達が一斉にトラックへと走りだした。ロープが解かれ、トラックの荷台から水面へ、ままたたくまに木製のスロープが作られる。
ローラに文洋、クラウス、テルミアの整備兵達。みなに助けられ、一つ、また一つ、失ったものを取り戻した……だから、ルネ、あなたもきっと助けにゆくから……。
柔らかな陽射しの中、アメジスト色に輝く機体が水面へと降ろされる。スロープを滑り降りたスレイプニールが、湖に大きな波紋を広げてゆく。
少し高くなった雲、頬を撫でる優しい風。目を閉じて、レオナはそう自分にそう誓った。




