雄牛《ミノタウロス》と衛生兵《メディック》
テルミア王国と三都同盟、その紛争の発端となったラダル炭鉱を巡って、地上では一進一退の攻防が繰り広げられていた。 時折、海軍の支援でどちらかにバランスが傾くものの、島の中央部では、散発的な突撃と塹壕戦が行われている。
§
「着剣!」
歩兵少尉の号令がとどろき、ラッパが響き渡った。一斉に兵士たちがライフルの先に一フィートはあろうかという銃剣を取り付ける。
「突撃」
「とつげーき」
槍のように長い小銃の穂先を、夏の太陽に閃かせ、兵士たちが塹壕から飛び出してゆく。途中に張られた有刺鉄線をワイヤーカッターで断ち切り、黙々と銃弾の雨の中を突撃してゆく。
タタタッ タタタタタタッ
キツツキのような乾いた音が響き、敵の塹壕手前の蛸壺から機関銃が火を吹いた。鉄条網に取り付いた兵士がが次々と打ち倒されてゆく。
「衛生兵!」
「撃たれた! 助けて、助けてくれ!」
機銃になぎ倒され、鉄条網に絡め取られ、あちこちで悲鳴と、救護を求める声が上がった。
「バカな事を、俺達に任せておけば機銃座の一つや二つ、明後日の夜には吹き飛ばしてやるってのに」
ヘルメットを斜めにかぶったドワーフの隊長が、タバコを咥えてボソリとつぶやく。難しいことはわからないが、隊長が言うならそうなんだろう、アレフはそう思いながら、ウンウンと相槌をうつ。
「衛生兵! 行け!」
「行くぞ、みんな」
少尉の号令に、黄色と白の派手な腕章を付けた人間達が立ち上がる。腕に黄色いのを巻いている奴は怪我人を助ける。だから、敵でも殺してはいけない、それが掟だとアレフは隊長に教わった。
掟は守らなければいけない、だからアレフは黄色いのを巻いているのは、敵でも殺さないようにしていた。だがグズだ、ウスノロだと、アレフに偉そうに言う人間たちは、その掟を守らないものも多かった。
掟は守らなければならない、アレフたちの一族なら、どんな小さな子供でも知っていることだ。
「隊長、アレフ、人間守る」
「……お前も、めでたいやつだな」
「あいつ、俺に優しかった」
「衛生兵は撃たれない、そういう決まりだ」
「でも、人間、掟を守らない、アレフ、アイツに助けられた。」
『衛生兵』、あの日、怪我をしたアレフを助けてくれた人間をそう呼ぶのか……。塹壕に蓋をするように置かれていた鋼鉄の大盾を持ち上げ、アレフは隊長に向き直る。
「仕方ないやつだな、いいか、お前が行っていいのは、あの木のところまでだ、そこから向こうへは行くな」
敵と味方の丁度中間あたりに、奇跡のように残った一本の松の木を指して、隊長が言う。
「アレフ、あの木までしか行かない」
「よし、俺が行けといったら走れ」
「わかった」
隊長は人間よりずっと小さいが、アレフの一族のように力が強く、人間のようにアレフをバカにしない、とても良いドワーフだ。
「工兵隊、迫撃砲用意、煙幕弾!」
「了解、迫撃砲用意、煙幕弾」
後ろで、ドワーフ達が、鉄の筒を並べ始める。
「一番、方位一六○、二番、一九〇、三番、二二○。各砲、三〇ミル右へ修正しつつ、三斉射!」
シュポン!、シュポン、シュポン!
マヌケな音がして弾が飛び出すと、爆発の代わりに煙が上がり、松の木の向こう側に白煙の壁ができる。
「行け、アレフ、可哀相なチビ共を助けてやれ」
「わかった、アレフにまかせろ」
高さ六フィートはあろうかという、壁のような盾を掲げ、アレフは腕に黄色い布を巻いた人間を追って塹壕から走り出た。怪我人を助けている人間を見つけては、その前で盾を掲げ、弾を避けてやる。煙が薄くなり始める頃、松の木のたもと、一番敵に近い場所にいる人間のところまでアレフはたどり着いた。
「やあ、アレフ」
「衛生兵、アレフ、お前を助けに来た」
「ありがとう、腕はもういいのかい?」
「アレフ、強い、問題ない」
鉄条網に引っかかってもがく歩兵を、黄色い布を腕に巻いた人間が、引き剥がそうと苦労している。
「アレフに任せろ」
大盾を地面に立てて片手で支えると、アレフは素手で鉄条網を掻き分け、紺色の服を着た歩兵を片手で持ち上げた。
「よし、こっちだ、戻ろうアレフ」
負傷兵を肩に担いで、衛生兵が立ち上がる。一歩、二歩、歩いたところで、衛生兵がもんどり打って倒れた。
「衛生兵!」
すっかり晴れてしまった煙の向こう、二〇〇ヤードほど先で、一人の敵がニヤリと笑っているのを、アレフは確かに見た。それを合図にしたように、アレフの掲げる鋼鉄の盾に、集中砲火が襲いかかる。
「衛生兵?」
倒れこんだ名も知らぬ衛生兵の隣に、アレフはしゃがみこんで、背を揺する。
動かない衛生兵の背を揺するアレフの掲げた盾を、甲高い音を立てて銃弾の雨が叩き続ける。
「うるさい……」
つぶやいて、アレフは敵に向き直った。
「うるさい……うるさい!」
一歩、二歩と敵陣へと向かう。 右手で松の木を揺さぶると、力任せに引き抜いた。
「うるるるるるるるらああああああああああああああああ!」
太さ一フィートほどの松の木を小脇に、アレフは盾を構えると、頭の角を振りかざし、雄叫びを上げて敵陣へと突き進む、背後で突撃ラッパがひびき、喊声が上がる。
盾が銃弾を弾く音がドラムのようにリズムを刻む。味方の砲弾がアレフを追い抜いて、敵の塹壕へと降り注いだ。目の前に迫る敵の機銃座を、松の木のひとふりでなぎ倒し、アレフは衛生兵を撃った敵を探して塹壕へ踊りこんだ。
『ミノタウロスの戦士は泣かない』父からはそう教わってきた……。だが自分に優しくしてくれた人間の敵を取ってから、友のために泣くのは許してもらえるだろうか。
腰から斧を引き抜くと、ミノタウロスのアレフは、敵を探して、斧を振るった。
§
「これにより、双方の艦隊に実力差は無いものと思われる。以上が周辺海域における情勢である」
今回のテルミア遠征艦隊の司令官、山形少将が、パチン、と音を立て、手に持った扇子を閉じた。
「何か質問は?」
それを受け、重巡『双葉』艦長の伊藤大佐が士官室を見回す。黒板に貼り付けられた海図を睨みながら、照文は手をあげる。
「任務は補給線団の護衛ですが、交戦の可能性はどの程度でしょうか?」
「テルミア主力は島の南西部を包囲、敵主力との決戦に望むつもりのようだ、よって北側の輸送船団が襲われる可能性は、ほぼ無いと言っていいだろう」
……結局は後進国のお客様扱い、といったところか……、と照文は小さくため息をついた。
「結城少佐、少なくとも、何かを任されるのは、名誉なことではないかね?」
扶桑海軍の設立の礎を築いた功労者の一人、祖先は有名な海賊から成り上がった歴史上の人物。そんな少将が、仕方がないやつだという顔で、照文を見てそういって、ニカリと笑った。
「はっ、申し訳ありません」
「血気盛んなのは、この老人にとっては羨ましいことだが」
パチンと扇を鳴らして少将が、はっはっは、と大声で笑う。
「他に質問がないようなら、巴山大使より、大皇陛下からのお言葉を伝えていただく」
「全員起立」
居並ぶ士官達が、直立不動の姿勢を取る。グレーのスーツを着た大男が進み出ると、一礼してから懐から紙を取り出し、読み上げ始める。
「本作戦に参加する、全ての将兵諸君。我が扶桑は世界からすれば、小さく、歩み始めたばかりの小国である、そのような小国と、対等な同盟を締結してくれた、テルミア王国に、扶桑は感謝の念を込め、義を持って事にあたることとした」
大使がそこで言葉を切り、士官室の中を見回した。装甲板を通して、船腹を叩く波音がシンとした部屋に響く。
「扶桑の未来は、将兵諸君らの双肩にかかっている、義をもってそれを信頼の礎とせよ」
士官達が一斉に敬礼、それに一礼して、大使が士官室から出ていった。
……義を持って信頼の証、その言葉に、なぜだか照文は『ラダー・アンド・ハッチ』の赤髪の女主人を思い出していた。陸に居る間は毎日来いと言われて通ってはいるものの、とうに財布に金はなくツケで飲まされては、時折、ベッドに引っ張り込まれるような、ジリ貧の戦況になっている。
彼女に言わせると、彼女にとっての収支はあっているというのだが、照文にとっては、なにか居心地の悪いものが少々なきにしもあらずといったところだ。
「出港は三日後、各員、必要な物資を確認後、リストにして本日十七時までに提出せよ、以上、解散」
大佐の言葉で解散となり、照文は山中少尉を連れて、駆逐艦『樹雨』へと足を向けた。『双葉』と違い、小さな二等駆逐艦だ、主計科に聞かなくても補給物資のリスト程度なら、小一時間で出来てしまう。
「山中少尉、主計士官と、掌帆長、砲雷長、機関長を一時間後に招集してくれ」
「了解しました」
少尉が小走りに駈け出してゆく。
細いラッタルを登りながら、照文は扶桑で見るのと違い、どこまでも突き抜けるような青い空を見上げた。一話のミサゴがクルリ、クルリと円を描いて飛んでいる。
空を飛ぶ鳥を見上げて、文洋はどうしているだろうか?と、ふと弟の事を思い出していた。