猟犬とエルフ
「フミ、フミ、おきる、はやく!」
「ローラ……?開いてるよ」
片言の母国語で起こされ、文洋は寝返りを打ちながら片目を開けた。少佐にこってり絞られた後、ブライアンに引っ張られて行った酒場で、安酒をしこたま飲まされて、ほうほうの体でアパートメントに戻ったのは覚えている。
「まあ、お酒臭い……。もうお昼ですよ、ほんとにだらしないんですから……」
大陸語で言いながら、エルフの女性がドアを開けて現れた。流れるような銀髪に尖った耳、翡翠色の瞳。
ベッドに投げっぱなしの上着を拾うと、ローラは上着のしわを伸ばしてハンガーに掛け、部屋の窓を開け放った。爽やかな初夏の風が吹き込んでくる。
「ほら、せっかくのお休みなんだから、寝ていたらもったいないでしょう?」
「わかった、降参。起きるよ、起きる」
毛穴からウィスキーの匂いがしそうな気がして、シャワーを浴びようとクローゼットを開く。無精がたたってシャツが洗濯屋に出したままなのに気づき文洋は舌打ちした。
「フミ、シャツならお父様のお古を出してあげますから、はやくシャワーを浴びていらっしゃい」
甲斐甲斐しく世話を焼く大家に苦笑いしながら乳母のハルみたいだな……と文洋は思った。見た目で言えばローラのほうが若いが、彼女はエルフだ年齢は聞くまい。ハルか……いい思い出のない実家で、優しくしてくれた乳母のことを、ふと思い出して苦笑いする。
「あれ、ハンナさんは?」
「ハンナなら娘さんが出産するというので、ひと月ほど暇を出しました」
ローラが家政婦に休暇を出していたおかげで、文洋がいつもより贅沢な……オムレツにサラダ、小麦のパンにジャガイモのポタージュと、いたれりつくせりのブランチのご相伴に預かっていると、ローラがニコニコしながら口を開いた。
「フミ、それを食べたらお芝居を見に行きましょう」
「俺みたいなのを連れてると、ご近所に色々いわれますよ?」
口に入れたパンを飲み込んで、文洋はローラをまっすぐに見つめる。軍の中と違い、テルミアの町中では極東人は珍獣もかくやとばかりの扱いだ。
ましてや中心街から外れているとはいえ、ここはエルフ居住区だ。元来のテルミア人ですら一段下にみる傾向のあるエルフ達からすれば文洋の扱いなどホブゴブリンに毛が生えた程度に違いない。
「フミはテルミア軍人でパイロット。故郷に帰れば伯爵閣下の子息なのでしょう?胸を張っていればいいのです」
極東人の島国出身の、少尉で閣下の子息……か、なんだかなあと思いながら、彼女の素敵な笑顔に押し負けて、文洋は今日一日、ローラと過ごすことにした。
§
「お休みなのにフミはまた、そんな格好で」
胸元と裾に豪華なレースのあしらわれたドレスに身を包んだローラが、エルフづくりのシャツの上に無骨な軍服の上着を羽織った文洋をみて、仕方ない人だという顔する。
気楽で良いからと、いつも軍服を着ている文洋に、ツカツカとヒールの音をさせながら近づいて、ローラが文洋の胸元に手を伸ばした。
「あ、いや、うんごめん」
ネッカチーフを整える彼女の、バラ油の香りがする髪にドキりとして、文洋は借りてきたネコのようにされるがままだ。
「はい、できましたよ。フミはちゃんとしてればブライアンにだって負けないんですから」
ポンポン、とレースの手袋で胸を叩かれ、自分の頬が熱くなるのを感じる。
伊達男を絵に書いたようなブライアンが聞いたら吹き出すに違いない。
「イエス・マム、気をつけます」
ごまかすように斜め上を向いて文洋が返事をする。ちょっと拗ねた表情でローラが俯いた。
「次にそんな口を聞いたら、晩御飯ぬきですからね『閣下』?」
「ごめん、ローラ、悪かったよ、ごめん」
ああ、なんだか失敗した……、文洋は冷や汗をかく。エルフ元老会議長の三男坊の娘、そういう意味では文洋と同じく名家の末席の彼女だ、色々と思う所もあるのだろう。
「最初に会った時にいいましたよね?私達はお友達です」
「ええ、ローラ……とても大事なお友達です」
返した一言に目に見えて表情を明るくして、レースの手袋に包まれた右手をさし出すとローラはニコリと微笑んだ。
「ではフミ、紳士なんですからちゃんとエスコートしてくださいね?」
§
テルミアで流行りの、花売り娘が貴族と結婚するまでの喜劇は文洋にとっては少々退屈だったが、ローラは実に満足したようで終始、上機嫌だった。
ガス灯に火がともる頃、広場には大道芸人とアンティークの小物を売る露天商があちこちに店を開いていた。夜の街を、特に居住区の外は一人で出歩くことのないローラはそれが珍しいらしく、イチイチ店を覗いてははしゃいでいる。
そんな彼女に振り回されながら、文洋はふとアンティークの露天の前で足を止めた。
「どうしたんですか、フミ?」
古い飾り気のない指輪と、地味な赤色の石。だが、じっと見ていると宝石の中で白い渦が動いているように見える。不思議な光景が妙に気になって、文洋はその古びた指輪を取り上げて光に透かしてみた。
「アリシアの赤水晶です、古代都市アリサリア魔法王国の遺跡から発掘される魔力の結晶」
その言葉で、飛行船の魔術師が、赤水晶のあしらわれた金属製の杖を手にしていたのを思い出す。赤水晶が魔力の結晶だというなら、あの大きな赤水晶と神がかった防御魔法には、なにか仕掛けがあるに違いないと文洋は思う。
「むかし、赤水晶の力でアリシアは魔法使いを作っていたと聞きます。五千人の魔法戦士を抱えていたと言われていますが……さすがに大げさな話だと思いますよ?」
明日、調べてみるか……。なんとはなしに気になって、文洋は飾り気のない指輪と、隣に置かれたグリフォンのブローチを一緒に買い求める。
「ローラ、これを」
「まあ、私に?」
少女のように眼を輝かせ、ローラがブローチを受け取った。魔導工学でそれなりの量を作り出せる今となっては、銀と同じ程の価値しかないミスリル製の、だが手彫りで丁寧に作られた古びたブローチ。精緻な縁模様の真ん中では、翼を広げたグリフォンが赤水晶をつかんでいた。
「ありがとう。フミはロマンチストなんですね」
彼女が何をこれほど喜んでいるのかは文洋には判らなかったが、ここでそれを言うほどヤボでもない。 大喜びする彼女に微笑んで、文洋は音もなく揺らめくガス灯の火を見上げた。
こんなに幸せだと、どこかで罰でもあたるんじゃないかなあ……と思いながら。
§
翌朝、テルミア王立図書館に足を運んだ文洋は、怪訝な顔をする司書に『アリシアの赤水晶』と『アリシア魔法王国』に関する本を集めてもらった。
おとぎ話がやたらと出てくる中、魔法史の文献を文洋は読み漁る。『中つ海の群狼』と呼ばれたアリシア魔法戦士団については曖昧な物が多かったが、どの書物にも共通した記述が散見された。
『アリシアの地下から採掘される赤水晶を媒介に、魔法戦士団は無詠唱で魔法を発動した、炎と風に特化したそれは海上貿易でアリシア王国に莫大な富をもたらした』と。
航海術が未発達だった五〇〇年程前に隆盛を誇ったアリシア王国だが、航海術の発達と火器の発展とともに衰退期を迎え、今ではアリシア王国の宮殿の大広間にあるソーラ・セカレと呼ばれる直径八フィートほどの巨大な赤水晶が当時の隆盛の面影を残すのみだ。
「風と炎、無詠唱……」
昨日の戦闘で出会った亜麻色の髪の少女を思い出す。とんでも無い反応速度で展開される防御魔法と、射程外だと踏んだ文洋が危うく吹き飛ばされそうになった火球。偶然とは思えないつながりを文洋は感じた。
明日、隊長に話をしてみるか……。ペンを置いて伸びをする。今日はこれくらいで良いだろう。
折角なので、おとぎ話を一冊借りて、文洋はアパートメントに戻った。昨日からなんだかご機嫌のローラと早めの夕食を取ると、部屋に戻ってベッドに潜り込み、借りてきた本を開く。
書かれているのはシルヴェリア王国の建国譚だ。テルミア歴二一八年に建国されたシルヴェリア王国は北大陸最大の領土を誇り、テルミア教団発祥の地であるテルミア王国を除けば現存する最古の王国の一つだ。
時折、隣国の建国譚が芝居になっているのを見て不思議に思っていたので、文洋はこれも良い機会だと読み進める。初代の女王となるハーフエルフの娘とアリシアの魔法使いの恋愛物語。
……かくして、ラルフの娘、ローラ・シルヴェリアは愛する魔法使いの腕の中、紅玉輝くグリフォンのペンダントを握りしめ……。
クライマックスまで読み進めて文洋は赤面した、姫君と同じ名前のローラにプレゼントしたのはまさしく赤水晶で飾られたグリフォン。
『ありがとう。フミはロマンチストなんですね』
昨夜のローラのセリフが頭の中でグルグル回る。文洋はこのやり場のない恥ずかしさをごまかすのに大声を上げたくなった。
無知とは罪という賢人の言葉があるが、さすがにこれは恥ずかしい。むう……と呻いてサイドテーブルに本を置き、ボトルからウィスキーを一口飲む。
明日、ローラに話をしてプレゼントの事はブライアンには内緒にしてもらおうと思った。あの子爵にしれたら一生ネタにされかねない。
ランプを消してお日様の匂いのするシーツに横になる。開け放した窓から、虫の音と涼しい風が入ってくる。
……じつにいい休暇だったな……そう思いながら文洋は目を閉じた。