不死鳥《シームルグ》と九頭蛇《ヒュードラ》(前編)
十年に一度、儀式の時にのみ姿を見せる『シームルグ』と、その船尾楼から手を降るラティーシャ王女に熱狂する国民たちに見送られ、船は一路南へと向かった。
途中、基地から上がってきた護衛機が、三十ノットほどで巡航する『シームルグ』の上空をフライパスしては戻ってゆく。
「ユウキ少尉」
『シームルグ』の前方デッキで編隊を組んでは行き過ぎる護衛機を見上げていた文洋は、後ろから声をかけられて振り返る。
「王女殿下」
カツン、とカカトを鳴らして敬礼する文洋に、ラティーシャ王女が微笑んだ。
「二人の時はラティーシャで構いません、ユウキ卿。大叔母様の旦那様で、叔母様のお友達なんですもの、親戚みたいなものです」
「えーと……では、私のことはフミと呼んでいただけますか、殿下」
文洋はしばらく固まってから、そう返した。太古の時代からテルミア教を守護してきたテルミア王家は、宗教を通じてエルフ達と親交が深く、それは血縁に及ぶと聞いてはいたが、いきなり現れた義理の姪孫がテルミア王女となると、全く実感がわかない。
「では、フミ……。情報部にひどい目にあわされませんでしたか?」
「殿下のおかげで助かりました」
「大変だったんですよ? 大叔母様が、お祖母様に連絡してこられて」
「王家でも情報部は抑えられませんか?」
文洋の問いに、ラティーシャ王女が首を横にふり、吹き出しそうになりながら言葉を継ぐ。
「国王陛下に、政治に首を突っ込むなと言われたお祖母様が、先王陛下に泣きついたものですから……。お祖母様に首ったけの先王陛下が、馬を引け! 鎧を出せ! 妻の妹御の大事だ! ワシが自ら助けにゆく! って……お止めするのが大変でした」
「それは……大変でしたね」
「ええ、本当に。それで、大叔母様のお怪我は大丈夫なのですか?」
「ええ、あとは日にち薬といったところです」
ローラの怪我を思い出して、文洋の心の底に、もやりと黒い感情が沸き起こる。待っていろ、九頭蛇、奈落の底に叩き落としてやる。
「フミ……、無事に戻ってらしてください、大叔母様と一緒に、晩餐会にご招待いたしますから」
そんな文洋の心を、見透かしたように、ラティーシャ王女が文洋の手をそっと握りしめる。
「そうですね、ありがとう御座います。殿下……いえ、ラティーシャ」
そうだ、皆のもとに生きて帰らなければ、空を見上げて、深呼吸すると、文洋はラティーシャに笑顔を向けた。
§
その日の夕刻に、レブログ軍港へ着水した『シームルグ』は、翌朝、扶桑海軍の閲兵式を行ったラティーシャ王女を乗せ、護衛の小型飛行船二隻とともに、市民たちの大歓声に見送られてレブログを後にした。
もっとも、護衛の警備艇に守られたランチから『シームルグ』へ乗り込んだのは、彼女の影武者だったが……。
「ラディア、対空警戒、四点鐘(二時間)ごとに交代だ」
「まかせな! フェデロ、一人連れて後ろへ、最初に敵を見つけた奴には、少尉が好きなだけ奢ってくれるとさ」
「ああ、支払いならまかせとけ」
見張りをラディア達に任せ、文洋は航空地図を見せてもらいに船首へと向かった。ガラス張りのブリッジには、時代がかった舵輪が据え付けられ、操舵手の後ろに青みがかった大きな玉石が据え付けられ、輝いている。
「航空地図を見せていただけますか?」
航海士に言って、文洋は広げられた大きな地図にコンパスを当てた。最終目的地、『ヴァストカ』は、紛争の原因となった炭鉱のあるラダル炭鉱のあるレシチア諸島に近い貿易都市だ。
護衛の飛行船にあわせて、三十五ノットで東南東に向かうこの船を、自分ならどこで襲うか、時計とコンパスを片手に地図に印を付けてゆく。
「日の出は何時ですか?」
「○五三○《まるごさんまる》時です、少尉」
日の出まで八時間、この時期ならその三○分前には明るくなる。コンパスで七時間半の距離を刻んで、文洋は地図に×を打つ。レブログから三二〇マイル、ウィリデ湾上空、おそらくここだろう。
「マイヤーズ艦長、敵飛行船発見後の操舵について意見具申を」
「いいでしょう、艦長室へ」
緊張した面持ちのマイヤーズ中佐がブリッジ中央の椅子から立ち上がり、先導して歩く。……みなが緊張しているのだ。無意識に文洋は腰の後ろに吊った短刀を確かめる。カチャリと漆塗りの鞘がなった。
§
「ユウキ少尉! 敵艦発見!」
文洋が想定したおおよその会敵時間をラディアに話したのは、良かったのか、悪かったのか……伝声管に響いたのはラディアの声だった。
「了解!」
丈の長い近衛の上着を脱ぎ捨てて、文洋は隊員たちの待つ食堂へと向かった。慌ただしい空気にすでに勘づいていたのか、ダークエルフの戦士たちが、白い僧服を脱いで黒の革鎧に双剣の出で立ちで待っている。
「少尉、俺たちはどうすればいいんです?」
慌ただしく戦闘準備をする戦士たちの後ろで、手持ち無沙汰に佇んでいるのは、整備兵二人と、九頭蛇をぶんどった時のために連れて来られた航海長と機関長だ。
「船は俺達を降ろしたら一旦、現場を離れる、そこのお嬢さんを守ってやれ」
着剣した騎兵銃を手にした整備兵に、文洋はレブログを発つ時に乗せられた影武者の少女を指して、命令を出す。
「大丈夫、この船はどの飛行機より早く飛べる、いざ死ぬときは俺達だけだ」
文洋は、食堂の隅で膝を抱えて震える少女の横にしゃがみ、少女の髪をクシャクシャとかき混ぜてニコリと笑う。キョトンとした顔で自分を見上げる少女に、もう一度微笑んでから、文洋は立ち上がった。
「ラディア、左舷、前部上甲板へ全員を」
「了解、少尉」
もうここまで来たら、艦長の手腕を信じるしか無い。ボウと音を立て、船窓の外が明るくなったのは、敵の戦闘機に護衛の飛行船が落とされたからだろう。
気にせず前部上甲板へのラッタルを駆け上り、舷側にあるハッチのそばにしゃがみ込む。
「もう一隻、落とされるぞ」
船窓から外を覗いていたダークエルフの戦士が叫び声をあげる。釣られて窓を覗いた文洋の前で、護衛の飛行船が火を吹きながらなお、夜空を焦がせとばかり曳光弾を吐き続け、暗い海面へと落ちていった。
「敵艦より、発光信号」
発光信号、か……読まなくともわかる。降伏勧告だ。
「すまないな、ラディア」
文洋は腰の短剣と、左脇の拳銃、それに腰から下げた二発の手榴弾を確認して、目を閉じる。
「バカだね、フミ、あたしたちは楽しんでる。むしろ感謝すらしてるさ、そうだろお前ら!」
ラディアが吼える。十二人の戦士たちが、呼応して雄叫びを上げた。
「あいつをぶんどって基地に帰る。生き残った奴らには全員、好きなだけ奢ってやるからおぼえておけ!」
叫び声を上げ、カッと目を見開いて、文洋は上甲板への扉を開いた。
ゴウと音を立てて、逆巻く風が通路へとなだれ込んでくる。
§
発光信号で降伏すると見せかけた『シームルグ』が、想像を絶する機動で、『ヒュードラ』に体当たりを仕掛けた。一五〇フィートを超える巨体が、戦闘機顔負けの速度と身軽さで、九頭蛇の側面を擦るように体当たりをぶちかます。
ズシン、という衝撃で甲板に待機していた兵士の数人が転がる。『シームルグ』の三倍以上と、圧倒的に大きな『ヒュードラ』の軽金属の外殻が火花を上げ、対魔法用の防御符が剥がれ落ちて、銀色の吹雪をまき散らした。
「いくよ、野郎共!」
突然の衝突に、あっけにとられた敵艦の機銃座に、ダークエルフが召喚したサラマンダーが炎をまき散らす。コートについた火を消そうと、転がり回る機銃手をサラマンダーがパクリと咥えて、無造作に空中へと放り出した。
落下の途中、機銃手が飛行船の外殻に当たる。サラマンダーの炎が防護符の効果でかき消され、反応した防護符が砕け散って、銀色の吹雪が夜空にきらめく。気の毒な機銃手はそのまま三千フィートの暗闇の中、海へと落ちていった。
「撃て」
この日のために上甲板に備え付けられた捕鯨銛が、爆音を上げてワイヤーの尾を引き、機銃座の周りに突き刺さる。一本、二本、三本、銃座の周りに張られたワイヤーを頼りに、フック付きのロープに身を預けて、戦士たちが機銃座へと滑り降りた。
「イリア、イリア! イーリア!」
乗り移ったダークエルフ達が、エルフ語で叫び声を上げながら、双剣を引き抜きハッチから雪崩こむ。
「ラディア、後ろから回りこめ、ブリッジで会おう」
「死ぬんじゃないよ! 少尉」
「約束は守る性質だからな、次は酒場だ」
ギシリと、ヒュードラの軽金属の外壁ごと刺さった銛をむしりとって、『シームルグ』が離れてゆく。短刀を引き抜いて、文洋は先をゆくダークエルフの戦士の後を追った。
「て、敵襲!」
木造帆船が主流から外れて四半世紀、空中で斬込攻撃を食らうなどと、誰が想像だにしただろう。当たるを幸いなぎ払い、文洋とダークエルフたちは快進撃を続けた。
グラリ、と巨体を傾かせ、大きな唸り声を『ヒュードラ』が上げたのは逃げ出した『シームルグ』を追うために違いない。
「この野郎!」
叫び声を上げ、手斧を片手に敵兵が飛び出してくる。切りかかってくる一撃を交わし、敵兵の顔面に肘を叩きつけて、文洋はそのまま前へと進みつづける。
「少尉、そろそろ向こうも気がついたようですぜ」
「らしいな、急ぐぞ」
双胴飛行船の胴体を前へ前へと進み続け、中央部に釣られたキャビンへ通じるハッチの手前で、文洋と二人のダークエルフ兵は釘付けにされていた。
召喚したサラマンダーが、火力任せに薄いハッチを焼ききったまでは良かったが、途端、扉の中から一斉射撃を浴びて蜂の巣になった。
長さ十ヤード、幅二フィートほどのキャットウォークを挟んで、猛烈な銃撃が文洋たちに襲いかかる。
苦し紛れに再度召喚したサラマンダーが、炎を吐く前に蜂の巣になって、火の粉になると虚空へ舞い散った。
「くそっ、駄目だ、一匹じゃどうにもなんねえ」」
「ドアの向こうに召喚できないのか?」
「広さがたりねえよ」
ここに釘付けになると、数で押し切られる。
「二秒でいい、俺が突っ込む間、扉の向こうを黙らせてくれ」
「なら、そいつを二発とも貸して下さい」
文洋の腰に付けた手榴弾をダークエルフの兵士が指差して、ニヤリと笑った。
上空三千フィート、しかも最大戦速で空を飛ぶ飛行船の上だ。たかが一〇ヤードとは言え、風のせいであの中に放り込めるとも思えなかったが、自信満々の様子に文洋は手榴弾をダークエルフの戦士に手渡す。
「少尉、ゆっくり五つ数えたら突撃です」
一個ずつ手榴弾を手に持つと、二人のダークエルフが頷き合った。
「わかった」
「じゃあ行きますよ」
一つ、ハッチ付近に再度サラマンダーが現れる
二つ、二匹のシルフが、ピンを抜いた手榴弾を受け取り飛び去った。
三つ、一斉射をくらって、サラマンダーが火の粉になって砕け散る。
四つ、ピンを抜いた手榴弾を渡されたシルフが、ハッチめがけて飛んでゆき
一呼吸の静寂の後、ドウ!と爆炎が向こう側のハッチから吹き上がった。
同時に、文洋は右手に短刀、左手に拳銃を握りしめ、駈け出した。地上三千フィート、時速四十ノット、叩きつけるような横風の中、身を低くした文洋は、軽金属のキャットウォークをハッチ目掛けて疾走する。
風の音以外なにも聞こえず、鼻をつく硝煙の匂いの中、文洋は不思議な高揚感に包まれ走り続けた。




