エルフと艦長
「あ、あの……失礼します」
船から走ってやってきた若い士官が、直立不動で敬礼すると、たどたどしいテルミア語で話しかけてくる。
「?」
文洋を見上げて、ローラは小首をかしげた。その仕草を見て、言葉が通じていないと思ったのか、若い士官がひどくどもりながら、同じフレーズを再度繰り返した。
「失礼します」
「なんでしょう?」
テルミア語で返した文洋に、士官が安堵の表情を浮かべて、言葉を継いだ。
「自分は扶桑海軍所属、ヤマナカ少尉です、先ほど乗艦されたお連れのレディ二名とともに、艦長がお二人をお茶にお招きしたいと申しております」
「でも、私、あの急な階段を登れませんし」
「えーと……」
話せても聞き取れないのか、若い士官が困った顔をするのをみて、ローラは文洋を見上た。
「ヤマナカ少尉、お招きには感謝しますが妻は足を怪我しています。抱き上げるにもあの細いラッタルでは危なくて仕方ない」
ローラには半分ほどしか理解できなかったが、文洋が扶桑の言葉で士官に話しかけると、線の細い優しげな士官が目を丸くする。
「扶桑の方ですか?」
「ええ、故郷の言葉は四年ぶりに聞きます」
「奥様は、右舷の短艇を降ろします。それに乗っていただければ、我々が引き上げます、どうでしょうか?」
なにを話しているのだろう? 思いながら、ローラは文洋の袖をつまんで、ちょんちょん、と引っ張る。
「あれで君を引き上げてくれるそうだよ」
文洋の指差す先で、何人かの水夫が短艇を下ろしていた。なるほど、あれをエレベーターのようにして引き上げようというのかと、納得して小さくうなづいた。
「フミ、行きましょう」
「妻も行きたいそうなので、ご招待をお受けします」
「ありがとうございます」
ローラと文洋の返事に敬礼して、少尉が踵をかえすと、吊り下ろされる短艇に向かって歩き出す。文洋の押す車いすに揺られて、ローラは船へと近づいていった。
§
「短艇収容よし」
無事に釣り上げられたものの、ボートから甲板までは四フィート程の高さがある。今の足ではハシゴをかけられても降りられないので、着陸魔法で降りようと……ローラが下を覗きこむと、そこには大小の木箱を組み合わせて、階段がしつらえてあった。
「そこにいてください。今、お迎えにあがります」
ノリの効いた真っ白な長袖シャツ、日焼けした顔、短く刈り込んだ髪、海軍の軍人を絵に書いたような男が、流暢なテルミア語でそう言って、木箱の階段を登ってくる。
「お手をどうぞ」
伸ばされた手につかまって、ローラはケガの無いほうの足で立ち上がった。
「失礼」
「きゃっ」
つかまった手を引き寄せると、手慣れた感じで無造作に抱えられ、ローラはひょいと短艇から階段へとおろされる。
「さあ、肩を」
「あ、ありがとうございます」
あまりに無造作な感じに、何故か少しムッとしたが、礼を言ってローラが階段を降りる。
「ローラ!」
「お嬢様」
降りた所で駆け寄ってくるレオナとシェラーナに支えられ、ローラは文洋を探して振り返った。
ヤマナカ少尉と二人で、細いラッタルに四苦八苦しながら、車椅子を抱えて登ってくるのが見える。
……フミがああなのは、国柄なんだ……、士官なのに、荷物運びも水兵さんに任せてしまわないのは……。
その様子を見て、なんだかローラは微妙に納得した。
「ローラ、彼が艦長さん」
視線を戻したローラに、レオナが先ほどの男性を紹介してくれる。少年水兵から上着を受け取って、金モールに詰め襟の真っ白な上着を着た姿は、なるほど、若いながらも偉い人にみえる。
「扶桑海軍、ユウキ少佐、駆逐艦『樹雨』の艦長です、招待に応じていただき光栄です」
「ローラ・エラ・スェルシ・ハーラと申します、娘と夫共々、お招きいただきありがとうございます」
「歓迎します、ローラさん。そうですか、娘さんでしたか、可愛らしいお嬢さんだ」
「ええ、お転婆さんですが」
その言葉に、顔を真っ赤にしてすねるレオナのふわふわの髪を撫で、ローラはふと思った。フミと同じファミリーネームは扶桑には沢山いるのだろうか? と。
「では、私は準備の様子をみてきます、車椅子がくるまで、そちらにかけてお待ちください」
「ありがとうございます、艦長」
§
「フミ!」
狭いデッキで頭を下げたり、車椅子を持ち上げたりと、ほうほうの体でやってくる文洋にレオナが駆けてゆく。
「みんな真っ白なお洋服で、なんだかお人形さんみたいなの!」
「そうか」
他愛もない会話をしながら、レオナの前にやってきた文洋にローラは無言で両手をのばした。
「もう! ローラばかりずるい」
「なんだ、レオナも抱っこして欲しいのか?」
「ち、ちがうもん! そうじゃなくて!」
二人のやりとりに吹き出しながら、ローラは文洋に抱き上げられて、車椅子に載せられる。艦長の時と違い、腕を通じて伝わる優しい感じに、安堵のため息をついた。
「ほら、フミ、ちゃんとしてください、テルミアの兵士がみんなフミみたいにだらしないと思われたら大変です」
文洋の襟元に手を伸ばし、水色の制服の上着と、白いシャツの襟元を綺麗に整え、無造作に肩章止めに押し込まれた舟型帽の形を直して被せる。
「よろしいですか?」
そんな茶番を微笑んで見ていたヤマナカ少尉に促されて、一行は賑やかな後部甲板へと向かった。
下から見ていた時には前後に並んで長い筒が二本ついていた後部甲板は、筒が横に回され、ちょっとしたスペースが作られていた。
広いとは言えないそのスペースに、小さなテーブルと、椅子が用意され、その筒に結わえつけたポールを利用して、日よけの天幕まで張ってある。
「ほら、頭を下げて」
「フミ、この大きな筒はなんです?」
筒をくぐりながら、ローラは文洋に尋ねた。
「魚雷発射管だ、そうだな、海の中を走る爆弾みたいなもんだ」
「爆弾の間でお茶会なんて、なんだか変な気分です」
「違いない」
§
「艦長、お客様をお連れしました」
ヤマナカ少尉が、背を向けて指示を飛ばしていた艦長に声を掛ける。
「「……」」
振り向いた艦長と、文洋が一瞬無言で見つめ合う。
不審に思ったローラが、文洋を見上げた途端、ゼンマイが解けたように文洋が敬礼した。
「テルミア空軍少尉、フミヒロ・ユウキです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、少尉。来ていただき光栄です。綺麗なお嬢さん達が来てくださったのですから、今日は階級抜きで楽しんでいってください」
なんだか、ぎこちないテルミア語での社交辞令。
扶桑の言葉で話せばいいのに……。
「フミ?」
覗きこんだローラに、文洋が曖昧な笑顔を返してくる。
……まただ……、ローラはそんな文洋の笑みを見て、ピンときた。
ジトリと目を細めるローラに、一瞬、文洋が困った顔をするのを見て、ローラは小さなため息をついた。
「小さな船です、大したおもてなしは出来ませんが、しばし、お楽しみください」
§
「わぁ!」
小皿に盛られた可愛らしい菓子にレオナが、歓声をあげた。ピンクの花、薄緑の木の葉の形をした、指先ほどの小さな菓子。
「艦長さん、これは、何?何でできているの?」
「砂糖です、一つ一つ、職人が手でつくるんですよ」
目を輝かせるレオナの前に、艦長が一つ、一つ、花の形をした砂糖菓子を並べてみせる。その小さな菓子が、どれひとつとして同じ形をしていないことに、ローラは感嘆した。
「フミ?それは何?」
木のピックで、茶色の四角いチョコレートのような物を口に運ぶ文洋に、ローラは尋ねる。
「これかい?これは豆だな」
「え?」
美味しそうにもしゃもしゃと食べてから、紅茶を飲む文洋をみて、シェラーナが恐る恐るといった体で、同じものを手に取ると、一口頬張った。
「ん……」
目を見開いて、シェラーナが固まる。
「お口にあいませんでしたか?」
心配そうにそう言って見つめる艦長の視線、シェラーナがフルフルと首を振って、飲み込んでから声を上げた。
「おいしいです、凄いです、初めて食べました」
なんとなく無表情な感じを受けるシェラーナの妙なテンションに、テーブルを囲んだ面々が一斉に声を上げて笑う。顔を真っ赤にしてうつむくエルフの少女に、艦長がにこやかに言葉を継いだ。
「それは、うちの厨房長の自作です」
「作り方を教えて欲しいです」
「あとで、メモにしてお渡しましょう」
「ホントですか?」
またしても、目をキラキラさせるシェラーナに、一同がこらえきれずに吹き出す。そんなに美味しいものならと、ローラも一つ食べてみたが、甘さの後からフワリと豆の香りがただよい、とても上品なお菓子だ。
テルミアの菓子より、森と土の恵みで生きるエルフの食べ物に近いかもしれない。
「これ、私も気に入りました」
「それは良かった、他所の国で、自分の国の物が褒めていだけるのは、とてもうれしい事ですから」
ひどく苦くて、やたらと緑色のお茶、甘い芋で作ったパイケーキ、透き通ったオレンジ風味の水菓子、厨房長自慢の茶菓子を一通りごちそうになって、一時間ほどの小さなティーパーティーはお開きになった。
§
「とても楽しかったわ、ありがとう、ローラ、フミ! おやすみなさい」
「おやすみなさい、レオナ、虫歯になるから、ベッドで食べちゃダメよ?」
扶桑の兵食のビスケットに、少しずつ入っているという色とりどりの可愛らしい砂糖菓子が入ったガラス瓶まで土産に貰って、その日、レオナは寝室に戻るまでご機嫌だった。
「よかったわね、レオナ、楽しかったみたい」
「ああ、少しでも元気になってくれるなら、何よりだ」
ワインのグラスを傾ける文洋に、ローラは精一杯の微笑みを向けて、言葉を継いだ。
「それで、フミ、私になにを隠しているのか、正直におっしゃい」
「ローラには敵わないな」
文洋が上着のポケットからメモ書きを出して、ローラに差し出す。
「今夜、二三○○時に、港の酒場『ラダー&ハッチ』で待つ、テルフミ」
扶桑の言葉ではなく、几帳面なテルミア語の筆記体で記されたそれを、読んで、ローラが小首をかしげる。
「どなたからです?」
「結城照文、海軍少佐、今日の艦長さんだよ」
「ねえフミ」
「ん?」
「あの方、フミの親戚?」
「ああ、兄貴だ」
……それで、お茶会で……。二人の間に流れた微妙な空気にローラは思い出した。
「招待した時点で俺とは気がついてなかったんだろう」
「でも、兄弟ならお茶会でお話がでても」
「そうすると、お客ではなく、弟を歓待したように見える」
「公私混同だと?」
「そう、彼はとても優秀で、とても真面目で、なにより卆のない、よく出来た長男さ」
……卆の無い……か……無造作に抱えられた時のあの、妙な違和感はそれだったのだろうか。
「それで、行くのですか?」
「まあな、逃げたと思われても、気に入らない」
メモを取り上げて、張り詰めた表情で立ち上がった文洋に、ローラは両手を伸ばす。
「ん?」
当然のように抱き上げてくれた文洋をギュッと抱きしめて、ローラは耳もとで囁いた。
「大好きですよ、フミ。だからお酒はホドホドで、喧嘩せずに帰ってきてくださいね?」
「……わかった。ありがとう、ローラ」
珍しく、文洋がローラの耳元で、静かに囁いた。
バシャリ
ダイニングで物が落ちる音にローラと文洋が振り返ると、そこには布の袋を床に落としたシェラーナが顔を真っ赤にして、立っていた。
「あ、あのですね、お嬢様、これは、帰りに厨房長が『あずき』という豆を分けてくださったので、水にまる一日つけておくとのことで……、どうしても早く食べてみたくて……あの、違うんです、違うんです……、ゴメンナサイ!」
両手で顔を隠して、シェラーナが走って逃げていった。
「いってらっしゃい」
車椅子に腰を落として、苦笑いしながら、ローラは文洋に小さく手を降る。
「うん、行ってきます」
ポン、と肩に手を置いて、文洋がダイニングを後にした。手を置かれたところから、なんだかぬくもりが広がる気がして、ローラはそっと肩を触ってみる。
トテトテトテとシェラーナが階段を登る音が、夜の静寂に響いた。




