猟犬と肉食竜《ラプトル》
チラリと時計を見て、文洋はため息をついた。拘束されてから丸三日、憲兵隊の次は情報部と来た。
「さて、フミヒロ・ユウキ少尉、自己紹介をしよう、私の名前はヒースコート、情報部中尉だ」
対面に座った爬虫類を思わせる表情の男が、笑いながら挨拶するなり、文洋は裏拳で殴り飛ばされた。
殴られた方向に身を投げ出し、ダメージを最小限に抑えたものの、派手に転がった文洋を、憲兵曹長が慌てて駆け寄って抱え起こしてくれる。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう曹長」
礼を言って、文洋は立ち上がると飛行服についたホコリを叩いて落とした。
「甘いな、憲兵が甘いから亜人だの黄色い猿だのにナメられる」
「中尉、我々は女神テルミアと巫女に忠誠を誓った平等と光の守護者……」
「それで? そのような甘い取り調べで、このスパイは口を割ったのかね、憲兵曹長」
座り直した文洋を指さし、情報部少佐が冷たく微笑みを浮かべる。それを聞いて、文洋は自分の立ち位置がいかに危ういかを再確認した。
「スパイとおっしゃいましたか中尉?」
「ああ、貴様のような黄色い猿は、黒兎やうすのろの駄馬同様、王国を陥れるスパイに決まっている」
甲高い声でそう言って、ヒースコート中尉が憲兵隊から受け取った調書を読み上げはじめた。
「極東地域、芙蓉国出身、ユウキ伯爵家三男の二十三歳、住所は王都テルミア、セレディア租借地フェリア通り四番、テルミア航空学校に留学、卒業後、テルミア空軍に配属、撃墜数は三」
「五だ」
卒業後、最初に配属された第三飛行隊での戦闘と、先日の戦果を踏まえ、文洋が訂正する。
「撃墜数五! エース様じゃないか!」
言いながら、ヒースコートに先ほどと反対側の頬を殴られた。今度も大げさに床に転がって見せる。
「中尉!」
ヒースコートを睨みつけ、曹長が再度文洋を抱え起こす。
「ありがとう、曹長」
文洋は再度立ち上がって椅子へと腰掛けた。
「中尉の個人的な種族、人種への好き嫌いはともかく、こんな不当な扱いをされる覚えはない」
口の端についた血を拭って、文洋は胸を張って座り直す。なるほど、自白のための自白をさせようというなら、もうこれは、いかに負けないかという戦いだ。
ならば、と肚をくくり、文洋は胸を張って、情報部中尉を睨みつけた。
「気に入らん、実に気に入らん目つきだ」
肉食竜のような顔をして、中尉が文洋の視線を受け止めニヤリと笑う。
四日目の夜、そろそろ夜半を過ぎようかという頃、文洋は昨日の午後から何十回と繰り返される質問に、ひたすら同じ回答を返し続けていた。
氏名、年齢、職業、住所から始まるその質問は、ヒースコートが手にした書類の順番に、時計のように正確に繰り返される。
「なぜ休暇中にアリシアに?」
「娘の弟を亡命させるために」
「北壁の騎士の紋章の飛行艇はどこから?」
「娘の財産だ」
「では、娘は北壁の騎士だと?」
「そういうことになるな」
「では何故彼女がテルミアに?」
「それを聞いたのは引き取った後だ。事実、両親とは死別しているはずだ」
ここで決まって、頬に一発、拳が飛んでくる。
最初は殴られる勢いを殺していた文洋だが、こう何度もとなるとイイのを何発かもらって、口の中が傷だらけだった。その後も決まって同じ質問が延々と繰り返される。
「なぜこの基地に着陸を?」
「妻が負傷したからだ」
「何故負傷を?」
「偶然、出くわした連合の戦闘機に襲われた、この基地の偵察隊も知っているはずだ」
文洋は時々殴られながら、淡々と事実を回答し続ける。
機械的に、何一つウソを交えず。
端から対話など求めていない空虚な会話が続く。
時折、思わぬタイミングで突飛な質問が飛んでくる。
「芙蓉で軍に所属していた事は?」
「ダークエルフのパイロットと男女の仲では?」
「エルフの奥方から、軍務について聞かれたことは?」
……これは空中戦だ。
イレギュラーな質問を慎重にかわし唐突に殴られながら、文洋は考えていた。相手はこちらの集中力が切れるのを待っている……。
クルリ、クルリと相手の背後を取ろうと、回り続ける空中戦なのだ。こちらが弾切れで、ただひたすらに避け続けることしか出来ない、一方的な戦いだが……。
賭けられたチップは、自分の名誉と、愛する者の人生。ならば、何日でも、何週間でも、同じ答えを繰り返してやるまでだ。
文洋は殴られるたびに、自分に気合を入れなおした。
これはタフな空中戦だ……。
眠気の中、殴られるたびに、文洋は心の中で操縦桿を握り直した。
「なあ、ユウキ少尉、私も悪魔じゃない、知っていることを話してくれないかね?」
相変わらず、表情の読めない顔に、貼り付けたような笑顔を浮かべて、中尉が大げさにため息をついてみせる。
「聞かれた事には答えてるさ」
腫れ上がった頬で精一杯の微笑みを文洋は浮かべる。ガツンと一発、イイのをもらって、文洋は気を失った。
§
拘束されてから、五度目の起床ラッパが鳴り響く。
起床ラッパと同時に、ノリの利いたシャツを来たヒースコート中尉が部屋のドアを開けて入ってきた。
「やあ、ユウキ少尉、ごきげんはいかがかな?」
「……ああ、たった今最悪になったところだ」
机に突っ伏して眠っていた文洋は、腫れぼったい瞼をこじ開けて、ヒースコートを睨みつけた。
「昨年から、テルミア王国と芙蓉が同盟交渉を行っているのは、少尉も知っていると思うが」
バサリ、とテーブルに新聞を投げだして、ヒースコートが忌々しげに吐き捨てた。
「本日の午後の王国議会で、同盟が締結される事が決まった」
ギシリ、と椅子を軋ませて中尉が対面に座る。新聞を手に取り、文洋は一面の記事を眺めた。 戦争のさなかアリシアとの中継貿易で利益を上げ続ける海運株が高値をつけたという記事が踊っている。
その隣に、テルミア、扶桑両国が明日にも同盟を締結か?という記事と、レブログに入港する扶桑艦隊の様子が描かれていた。
「巡洋艦 双葉、駆逐艦 翠雨、樹雨、極東の黄色い猿が地球の裏からご苦労な事だ」
そこまで言ってから、胸ポケットからシガレットを出すと、ヒースコートが火を着ける。
「おかげで君は命拾いして、私は黄色い猿を一匹、狩りそこねたというわけだ」
「関係がわからん」
新聞を突き返した文洋に、シガレットケースを差し出すヒースコートに、文洋は憮然として答える。
「我が国と扶桑は相互の権利を認め合うという形で調印式に望むそうだ」
「それで?」
「我が国では、確たる証拠のない場合、貴族の逮捕、監禁、拷問は禁止されている。この同盟の結果、君の扱いは、我が国の貴族と同等になったというわけだ」
……それを気にするようなタマかよ。
「情報部がそれを気にするのか?」
殴られるのを覚悟で、文洋は差し出されたシガレットに手を伸ばす。
「貴族だろうとなんだろうと、私にとって貴様は祖国に仇なす猿に違いはないと確信している」
言いながも、文洋のシガレットに火を着け、中尉は言葉を継いだ。
「だが、私もこう見えて軍人でね、命令は絶対なのだよ」
「情報部に命令できる奴なんて居るのかよ」
一口吸い込んだ途端、口の中の傷に煙がしみて、文洋は涙目でむせた。国家のためなら法を犯し、例え貴族でも拉致、拷問し、求めた答えにたどり着く、血も涙もない集団。黒いコートを吸血鬼になぞらえて、情報部がコウモリと呼ばれる所以。
「恐れ多くも、ラティーシャ・エラ・テルミア王女殿下からの勅命とあっては、我々も手を引かざるをえない」
「……」
女神テルミアの巫女、王女とは言うが、実質の最高権威者。
「どういう手品を使ったかは知らんが、我々は貴様から目を放さん」
「どういう手品を使ったら王女殿下に助けてもらえるのか、判ったら教えてくれ」
シガレットを灰皿に押し付け、文洋は立ち上がる。
「では、失礼します中尉殿」
ふん、と鼻を鳴らしておざなりに敬礼する中尉を残して、文洋は部屋を後にした。
……少なくとも、今回は誰かの援護のおかげで辛くも逃げ切ったというわけだ。
§
来客棟を出て、文洋は医務室に向かって歩き出す。セレディア大使が真面目に仕事をしていれば、ローラとレオナはエルフ居住区か大使館に保護されているはずだ。それでもひょっとしたら……という気持ちがそちらへ足を向けさせた。
「まあ、まだ来てないわな……エレイン先生」
ポーチの柱にもたれると、階段に座り込んで文洋は目を閉じた。脱力感が襲いかかり、そのまま眠りこむ。
「ユウキ! ユウキ! 大丈夫かい!?」
肩をゆすられ、文洋は目を開けた。泣きそうな顔をしてラディアが文洋の顔を覗き込んでいる。
「君が天使でないなら、多分大丈夫だ」
「こんな色の黒い天使がいるもんか」
言いながら飛びついてきたラディアに文洋は抱きしめられた。暖かで柔らかいな感触に包まれて、文洋はもう一度目を閉じる。
「酷いじゃないか、こんなのって……」
腫れ上がった頬を撫でながら、ラディアが流す涙が、時折ポタリと文洋を濡らす。
……ああ、全く酷いもんだ……。
その後、出勤してきたエレインに痛み止めを貰い、ローラとレオナがセレディア大使館に保護されていることを聞かされて、文洋は安堵のため息をついた。
『あたしの部下を救ってくれた少尉の家族にゃ、指一本触れさせない』息巻くラディアが率いるダークエルフの偵察隊と、何があったのかレオナにえらく肩入れした整備隊が、セレディア大使館までの護衛を申し出でて、ロバルト中佐が車両の使用許可まで出したという。
双剣で武装したダークエルフと、小銃で武装した整備隊の車両に前後を護衛され、目を白黒させるセレディア大使を伴って、基地を出てゆくさまは中々の見ものだったらしい。
結局、エレインの見立てでもう二日、傷病休暇が延長になった文洋だったが、真っ先に訪れた大使館でローラに叱られ、レオナには泣かれ、散々な傷病休暇は幕を閉じた。
§
多少アザが残っているものの、部隊に復帰した文洋が待機所でコーヒーを飲んでいると、ブライアンが新聞を持ってやってくる。
「おい、フミ、コイツお前をぶん殴ってたっていう中尉殿じゃねーのか?」
「んん?」
―― 陸軍の軍用車が首都テルミアの広場で突然の爆発、市民四名と乗員二名が負傷した。後部座席に座っていたアルバート・ヒースコート中尉が重傷、警察は燃料漏れによる事故として軍に厳しい対応を求めていく模様
「な? 同じ名前だろ?」
「ああ、なんというか、嫌な奴だったが……」
うっかり口にした熱々のコーヒーが、まだふさがらない傷口にしみてうめき声をあげる。
「暗黒神に呪われたんだよ、ナメた事ばっか、やってるもんだから」
隣で朝食をとっていたラディアが、ボソリとつぶやいた。新聞から目を上げて、文洋はラディアに目をやる。
ブルーベリージャムをタップリ乗せたトーストを、おいしそうに頬張るラディアが氷のような冷たい微笑みを浮かべるのを見て、文洋はとりあえずラディアも敵に回すのはやめようと心に決めた
 




