猟犬と魔術師
「旦那、明日も頼むよ!」
「ああ、また明日な」
新聞を売りに来た少年にコインを渡し、文洋はパイロット待機所に引き返した。クラブハウス風の瀟洒な建物が第一航空隊のパイロット待機所兼、司令部だ。
「フミ、俺にも一杯入れてくれよ」
新聞を片手に広間に戻り、コーヒーを入れようとする文洋に、カードに興じるブライアンが、振り向きもせず声を掛ける。
いつもの事だが、後ろに目でもついてるんじゃないか……感心しながら、文洋は新聞を小脇に挟むと、カップを二つ手にしてブライアンに持って行ってやった。
「はいよ、子爵殿」
「子爵の俺が伯爵様の子息にコーヒー入れてもらえるなんざ、戦争バンザイだな。なんか面白い記事でてるか?」
差し出されたカップを受け取り、一口飲んでブライアンがカードを切る。後ろから覗いた感じだと手札はイマイチだ。
「テルミア海軍がレシチア沖で同盟軍と交戦、大戦果を得るも決定打には至らず……だそうだ」
「何回目だ、その決定打に云々」
「俺が覚えてるだけで、今年に入って三回目ってところだな」
文洋の答えに鼻を鳴らし、ブライアンはがっさり手札を入れ替える。
「海軍がどんくさいおかげで、俺達は大忙しって訳だ」
「とはいえ、飛行船で王都爆撃とは同盟も思い切った手を打ってくる」
「まったくだ。ほい、フォーカード、今夜はお前のおごりな?」
肩をすくめる相手に背を向け、ブライアンが立ち上がった。扶桑人としては大柄な文洋と背丈は変わらないが、束ねた長い金髪にハンサムな風貌は役者顔負けだ。
朝食用に積んであるサンドイッチを手に取り、文洋の肩越しにブライアンが新聞を覗きこむ。フワリとコロンの香りが漂った。
「お、明日封切りの劇はいいな、こりゃいい」
広告欄をトントンと指で叩いて、ブライアンがニヤリと笑う。
「面白いのか?」
「ああ、貴族と花売り娘の恋愛劇でな、これなら居酒屋のドロシーもいちころだ」
「言ってろ、ほら」
……まったく、何度トラブっても懲りないな、この子爵様は。思いながら、ブライアンに新聞を押し付け、文洋もハムサンドに手を伸ばす。
テルミア王国第一航空隊基地、パイロット待機所。クラブハウス風のレンガ造りの建物は、パイロットのほとんどが騎士と貴族階級ということもあり、さしずめ紳士の社交場といったところだ。
§
コツコツコツ、
二階の通信指揮所から軍靴の音が響いた。パイロットたちが一斉に扉へと目を向ける。緊張した面持ちの少年兵が小走りに階段を降りると、敬礼してから電信文を読み上げた。
「ライダル岬の監視所より電信、フェルデア海峡上空に敵飛行船団、高度一万五千フィート、王都上空まで一時間」
幼さの残る少年兵の声に、待機所が一瞬、静まりかえる。
「行くぞ、諸君、仕事の時間だ」
静寂を破って、ロバルト中佐がよく響くバリトンで命令を下す。隊長の号令でパイロット達も一斉に立ち上がった。
食べかけのサンドイッチを口に押し込んで、文洋も飛行帽とゴーグル片手に駐機場へ走る。
飛行帽をかぶり、ゴーグルをつける。飛行服のポケットから紺色のマフラーを出して首に巻く。
「まわーせー」
整備長の号令が駐機場に響く。純白の尾翼に真紅のワイバーン、主翼に描かれた金色の七芒星、それら国籍マーク以外は、フクロウの紋章が入ったロバルト中佐の機体を筆頭にパイロット達の好みで鮮やかにペイントされている。
主翼いっぱいに天使が描かれたもの、トラ柄のもの、サメの口が描かれたもの、複葉機達のエンジンに火が入り、駐機場がオイルの匂いと排気音に包まれる。
「よう、フミ、落とされるなよ」
待機所のドアを出たところで背中を叩かれ、文洋はよろめいた。飛行帽の後ろから束ねた金髪をシッポのように生やしたブライアンがニヤリと笑う。
「ブライアン『卿』も二日酔いなんですから背中に気を付けて」
「それをいうなら手前なんざ閣下じゃねえか、ケツ蹴っ飛ばすぞ」
文洋は小走りにブライアンを追い抜き、自分の機体に駆け寄る。磨き上げられた木製の桁に群青色の帆布の翼。胴体に白で狛犬が描かれた愛機が不規則な鼓動を立ててアイドリングしている。
「おやっさん、調子は?」
フリント整備中尉に声をかけ、コックピットに滑り込む。
「ちょいと吹かしてみな」
エンジンの轟音に負けないダミ声に文洋はスロットルを開いた。
ブォォォォオオ、パパパ…パン
爆ぜるようなバックファイアの音、スロットルを戻して燃調レバーを操作する。
ブォォォォォォォォォオオオオオオ
気持ち空燃比を薄めたところで、テルミア空軍正式戦闘機『スコル』に搭載された、九十八馬力の七気筒星形ロータリーエンジンが高く吠えた。
「いいぞ坊主、てえしたもんだ」
飛び散るオイルのしぶきで、整備服と顔が汚れるのも気にせず、ニカッと歯を見せてフリント整備中尉が親指を立てる。
駆け寄った整備兵が主脚の車輪からストッパーを外すと、芝生の駐機場を機体がゴトゴトと走り出した。
滑走路で真紅の機体に白十字のついたブライアンの機体が横に並ぶ。手を振るブライアンに、『お先にどうぞ』と身振りで示して、文洋は胸ポケットに入っている守り袋を無意識に握りしめた。
操縦桿を動かし、ペダルを左右に蹴る。エルロン、エレベーター、ラダー、目視で動作確認。座席の下には四十五発入りのドラムマガジンが二つ。
「さあ、行こうか」
ぽん、と操縦桿を叩いて誰に言うともなくつぶやき、スロットルを全開。
ゴトゴトゴト
土を押し固めだけの滑走路を群青の機体が突っ走る。三〇ノット、四〇ノット……尾翼が上がり、視界が開けた。速度計が六〇ノットにさし掛かったあたりで文洋はそっと操縦桿を引き上げる。
ふわり……と重力を振り切り、自分が風になったような感触。グンとエンジンのトルクで機体が傾斜するのを当て舵をして抑えこむ。
……空は良い……自由だ……。
笑みを浮かべたまま、文洋は青い空を目指して駆け上った。
§
全員が上がるまで上空を旋回して編隊を組みながら高度を上げる。チョコレートブラウンのロバルト隊長機を先頭に、猛禽たちが一路南へ向かって進路を取る。
巡航高度まで上がって、文洋はどこまでも広がる麦畑を見下ろした。綺麗に整地された緑の絨毯が故郷の水田を思い出させる。
見上げるような大聖堂の尖塔ですら六千フィートの上空からだとマッチ箱のようだ。
深呼吸してオイルの匂いのする冷たい空気を吸い込む。
操縦桿を握りしめて文洋は笑いながら息を吐いた。
三〇分ほど南へ飛んだところで、編隊が二つに別れた。ロバルト少佐率いるドラグーン隊の新鋭機『レイフ』が、一三五馬力のエンジンに物を言わせ上昇を開始する。
文洋たちのハウンドドッグ隊は、ブライアンを先頭にゆるやかに高度を上げつつ前に出た。役割分担は単純だ、文洋達はその名の通り敵にまとわりつき、足に噛み付いてやればいい。
「来た……」
前方に三つ小さな点が現れた。陽光を反射して、キラリと硬式飛行船の外装が光る。見る見る大きくなるそれは、さながら空をゆく白鯨だ。
先頭をゆくブライアンが翼を左右に振って増速、正面から突っ込んでゆく。文洋も船団の側面へ回りこむべくスロットルを開ける。
ジャコン! 機銃に初弾を送り込む。コックピット右側に取り付けられた一丁の機銃が『スコル』の武器だ。
船首に描かれた三都同盟のエンブレム『紅のトライデント』を横目に、文洋は船団を通りすぎて反転上昇、三角編隊右翼の飛行船に狙いを定めた。
ウォオオオオオオオオン
翼桁に張られたワイヤーが風を切って遠吠えのような音を立てる。緩降下しながら後方のエンジンめがけ、機銃弾を浴びせる。
ツタタタ、ツタタタタ、
短く指切り射撃、弾丸がまっすぐに右端のエンジンに吸い込まれた。命中かと思いきや、緑の燐光が走ると空中に魔法陣が浮かび文洋の弾丸をはじき返す。
「嘘だろ」
ひとりごちる。飛行船のキャビンからは視界外のはずだ、見えない場所には魔法を展開できない魔術師が防げる位置じゃない。
あっけに取られていた文洋は、チリチリと首の後ろに電気が走ったような気がして、機体をロールさせ急降下した。
ドン!
一瞬遅れて背後で火球が炸裂する。文洋は冷や汗をかいた。間一髪だ。召還魔法の射程はせいぜい弓と変わらない程度だが、こいつは思ったより飛ばしてくる。
一旦間合いをはかろうと文洋は急降下で距離を取った。派手な火球が目を引いたのか、ハウンドドッグ隊が右翼の飛行船に集中砲火を叩き込む。
空中に現れた魔法陣が、緑の燐光を上げ、完璧なタイミングで攻撃を跳ね返す。
「大したもんだ」
敵の腕に文洋は舌を巻いた。ならば……と急降下、速度をのせて飛行船の真下に潜り込み、キャビンめがけて垂直上昇。
たかだか九十八馬力の『スコル』のエンジンでは、そう長く機体を引き上げられない。エンジンが悲鳴を上げ、重力に引かれて速度が失われる。失速直前、残っていた弾丸をありったけキャビンの底に叩き込んだ。
カカカカン、カン、カン、カン、カン、
火花をあげてキャビンに着弾、ミスリル板で装甲されたキャビンに火花があがった。七・六ミリ弾では歯が立たない。だが、中はさぞかしにぎやかに違いない。
「よし」
ニヤリ、と笑って文洋は機首を下げようとする愛機のペダルを蹴る。テールスライドからハンマーヘッドターン。降下して離脱する。
速度が戻った所で水平飛行、文洋は大きな円を描いて船団の後ろに回りこんだ。リリースレバーを引き、クッキー缶ほどのドラムマガジンを取り外す。マガジンを座席の下から出して交換、再攻撃の態勢に入る。
クルリ、クルリと舞いながら、猟犬達が輪を縮めようとしたその時。
ズズズン、ズン、ズン
蒼い爆発炎が船団を包み込んだ。
三角形の船団の真ん中を六機のドラグーン隊が駆け抜けてゆく。
急降下からの魔法攻撃。
飛行船の外壁を覆う魔法防護符が砕け散り、銀色の雪になって降り注ぐ。
「凄い」
文洋が感嘆の声を上げた。魔術師の名家からの選りすぐりで組織されただけの事はある。
雷の矢に防御を破られて、左翼の飛行船が煙を吹いてゆっくりと降下を開始。残り二隻も回頭して麦畑に爆弾を投下、上昇して戦線から離脱する。
逃走する二隻を猟犬達が追おうとしたその時、空中に赤い信号弾が打ち上げられた。
「戦闘中止……か、相変わらず隊長は慎重だな」
それにしても、どんな魔術師が乗っているのだろう。見事な防御魔法に興味がわいた文洋は、一〇〇ヤード程の距離を開けると右翼の一隻を追尾した、ポケットから双眼鏡を取り出して覗きこむ。
窓にかかった装甲板で中の様子はうかがい知れない。この距離から撃ってもミスリルの装甲板を機銃で貫けるとも思えない。
諦めて反転しようとした時、後部の装甲板がスルスルと下がった。柔らかそうな亜麻色の髪の少女が、こちらをじっと見つめている。
「女の子? 魔術師の杖って……マジかよ……」
勝ち気そうな紫の瞳を綺麗だなと眺めている文洋に、少女が杖をこちらに向けるのが見えた。
首の後ろにチリリと電気が走る。
双眼鏡を放り出してスプリット機動で回避に移る。
回避しながらも、目線は飛行船に向けたままの文洋のすぐ後ろに、水色の魔法陣が現れた。
パンという軽い音がして、そこから砂利粒ほどの氷が爆発的に飛び散る。
バラ、バラ、バラと機体を氷の粒が叩く。
「キャビンにお見舞いした仕返しってわけか」
自分より年下の少女か……と複雑な気分で文洋は愛機を基地に向けた。この異国の戦場に、あんな少女が何人いるのだろうと。
§
「威力を下げれば射程は伸びる、氷だから良かったものの炎だったら君は今ここにはいないぞ、フミヒロ・ユウキ少尉」
一部始終を目撃したロバルト中佐に帰投後、紳士らしく淡々と、そしてテルミア人らしく理路整然と、こってり絞られたのが、その日一番、文洋にとっては大変な出来事となった。
※レオナのイラストは、
http://ncode.syosetu.com/n5329ci/の「まほそ」さんから頂きました。