表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/57

神馬《スレイプニル》と九頭蛇《ヒュードラ》

 揺れる海面を歩いて、文洋とレオナはカッターに乗り込んだ。子供のように頬をふくらませ、腕の中から降りたがらないローラの額にキスしてそっと降ろすと、文洋はレオナのジト目を浴びながらカッターに乗り込んだ。


「妬けますな」


 掌帆長ボースンが苦笑いしながら小さく敬礼してよこす。


「困った娘と妻なんですよ」


 苦笑いしながら、文洋は肩をすくめてみせた。


「よーし、野郎共! この優男とお嬢さん方に海の男のカッコイイところを見せてやれ」

「おう!」


 舷側に立てられていたオールが一斉におろされる。


「踊ってくれよカワイイ坊や、パパのカワイイ子羊ちゃん」

「踊ってくれよカワイイ坊や、パパのカワイイ子羊ちゃん」


 力強い歌声と共に、文洋の倍はあろうか腕をはちきれんばかりに、水夫たちがカッターを漕ぎだした。カッターより大きな『スレイプニル』を引いて、二〇〇ヤードほどの距離を『ウィンド・オブ・デルティック』目指し漕ぎ続ける。


「フミ! みんな凄い!」


 胸板の厚い男たちの朗らかな歌声に、レオナが感嘆の声を漏らす。家族を思って歌う歌だ。ローラが透き通るような声で船乗りたちの歌に合わせてハモらせる。


「さあ、野郎共、お嬢さん方がお気に入りだ、気合いれてかかれ」

「おうさ!」


 オールが水面を叩くたびに輝く夜光虫の光を引いて、文洋達はヨットへと近づいていった。


     §


「さて、奥方様はフミヒロ様が戻られたら『テルミアの涙』まで引き返せといわれておりますが……」


 船長が曳航している『スレイプニル』をみて、困惑した表情を浮かべた。

 追い風だが、トップスルだけで走る船はせいぜい三ノットといったところだ。

 この速度なら曳航もできるが、かといって、このまま牽いて戻れるものでもない。


「フミ……?」


 心配そうにレオナが文洋を見上げる。


「レオナ、選択肢は二つ、少し休んで朝まで飛び続けるか、ここでスレイプニルを捨てるか」


 文洋はレオナの肩に手を置いて見つめた。


「……私……がんばるから……お願い……フミ、お願いします」


 目に涙をためて、レオナが文洋を見上げる。全てを捨てて、最後に残ったレオナの世界。自分の瞳と同じ色の、天駆ける神馬。


「ローラ?」

「私に聞かなくても答えは決まっているのでしょう?」


 いつも通り優しく微笑んで、ローラが後ろからレオナをぎゅっと抱きしめる。


「一人で飛ばせるなら、俺一人で持ってくんだがな……」

「この子は墜ちないわ……お祖父様は南の大陸にだって……行ってたもの」


 すがるような目でレオナが言う。今にも泣き出しそうな瞳。


「船長、ライダル岬までの距離は?」

「岬の先端まで五〇〇マイルですな」


 ざっと3時間半というところか……ここまで乗ってきた感覚で文洋は『スレイプニル』の巡航速度で見当を付ける。幸い天気の良い月夜だ。


「後は機体次第と行った所か……」


 ふぅ、と文洋はため息をつく。目を閉じて乗ってきた感覚を思い出す。どこまでもスムースな機体の反応。行ける、そんな気がした。


「船長、針路を北にお願いします、レオナ、温かい格好を」

「フミ! ありがとう、大好き」


 飛びついてレオナが文洋を抱きしめる。それを微笑んでみていたローラが、文洋と目を合わせ、拗ねた表情でそっぽを向いた。


「ローラもだ……」

「あら、連れて行ってくださるんですか? 我が君?」

「膝の上には乗せられないけどな」

「乗り移るときは抱っこしてくださいね?」


 両手を上げて降参すると、文洋は自室に戻って飛行服に身を包んだ。ローラに着せるのに、ブライアンの荷物から革のジャケットと飛行帽、ゴーグルを拝借する。

 レオナにはニット帽を被ってもらおう。

 二人が着替える間に、副長とブリーフィング。目印の小島を中心に方位と距離を地図に書き込んだ。


     §


「ではお気をつけて、少尉、お嬢さん方」


 水面まで縄梯子をおろし、掌帆長の鳴らす号笛と帽子を振る水夫達に見送られて、文洋は再び海面を歩いてスレイプニルへと乗り込んだ。

 横抱きにされたローラと、隣を歩くレオナが、水夫達に手を振って別れを惜しむ。


「フミ」


 後席にローラを座らせて、ベルトを締めてやる文洋にローラが小さく声を掛ける。


「?」

「レオナを大事にしてくれてありがとう」

「俺の娘なんだろ?」

「ええ、それに私の娘です」


 ローラに笑顔を返し、コックピットに滑りこむとベルトを締める。膝の上のレオナは、ロープの切れ端で腰を自分にに結わえつけた。


「さあ、行こう」


 水夫たちが帆を上げ、白波を上げる『ウィンド・オブ・デルティック』の横を加速して追い抜く。手を振る水夫達に翼を振って答えると、『スレイプニル』は一路、テルミア目指して空を駆けた。


「あれが北を指す星、ここが目指すライダル岬」


 小さな板の上にクリップで止めた地図に、文洋は赤鉛筆で印を付ける。

 レオナが退屈しないよう、航法のやり方を簡単にして教えてゆく。


「針路は三三○、速度は一時間に一二〇ノット、横風で流されてなければそろそろラディウス群島が見えてくる」

「フミは何でもできるのね」


 島影と星と時計を見ながら、針路を調整する文洋をレオナがそう言って見上げる。


「魔法は使えないけどな」


 左手でポンと頭を叩いて、文洋は月明かりに光る水面を見つめた。


「あった、アレ!」


 七つの島から成る群島の影を目ざとく見つけて、レオナが指さす。


「よし、あと一時間もあれば岬が見えるぞ」


 順調すぎるほど順調に文洋達は北北西目指して飛び続ける。岬が見えれば東に回って、どこか港町で一休みだ。ローラはどうしているかと振り返ると上を向いて何かを見つめていた。


「ローラ?」


 風で消えないように大声で文洋が問いかける。


「フミ、あれ」


 ローラが指差す先、上空に飛行船二隻をつないだような影が浮かんでいる。


「ヒュードラ……」


 影を見上げてレオナが右手を口に当て、息を呑む。


「ヒュードラ?」

「同盟の航空母艦! わたしが落とされた日には後詰を……」


 ……俺が落とされた日の戦闘機はあんなところから来てたのかよ。文洋が影を睨みつける。


「星誕祭はもう一日あって、休戦中だろ」

「……私達を探して?」


 ああ、と文洋は空を見上げた。半島南端の基地レブログから片道一五〇マイル、武装した戦闘機なら片道でギリギリといった所だ。

 どこに浮かんでたのかしらないが、その気になれば一週間でも浮いていられる飛行船だ。最短距離を飛ぶ文洋達を捕まえるなら、ここは絶好のポイントだった。

 アリシアと三都同盟がどこまで懇意ねんごろにしているかは知らないが、そこまでしてレオナを消したいのだろうか?


「わからん、とりあえず逃げるぞ」


 あいにく、雲ひとつ無い。夜陰に紛れるにも『スレイプニル』の魔法推進器は彗星のように緑の尾を引いている。どうぞ見つけてくださいと言わんばかりだ。

「フミ、来ます、二機」 


 背後からローラの声。

 排気炎が上空から二つ、降ってくる。


「この夜間に直援機までだしてんのかよ、二人ともつかまってろ」


 スロットルを押し上げ、文洋はスレイプニルを加速する。

 速度計がたちまち跳ね上がり一三〇ノットを指す。 


「一撃ずつ避けれたら逃げ切れる」


 上を睨みつけてタイミングをはかる。

 来い、さあ来い。

 軽く右ペダルを踏んで機体を滑らせた。

 動きが地味な分、こういう時は気取られにくい。

 ザアッと夕立のような音を立て、曳光弾の雨が機体左を行き過ぎる。

 一気にスティックを倒しこんでバレルロール。


「「キャアッ」」


 振り回されて二人の悲鳴が響いた。

 二機目の放った機銃弾がコックピット上方の虚空を穿って消える。


 ウォン!


 風切り音を上げて黄色い機体が通り過ぎた。

 あて舵をして水平飛行に戻すと、文洋はレオナの左手ごとスロットルを一杯に上げる。


「レオナ、しっかりしろ、逃げ切れる」


 レオナが気を失えば、おそらく推進器が止まるだろう。


「わ……わたしを誰だと思ってる……の?」

「その意気だ」


 肩で息をしながら、強がってみせるレオナに文洋が声を上げて笑う。

 推進器から緑の尾を盛大に引きながら、スレイプニルが加速した。


「フミ、あれ」


 追撃を振りきった所で、今度は前方に曳光弾の光が見える。

 追われている機影はテルミアの偵察機のようだ。


「あれは……墜とされるな」


 文洋の言葉にレオナが身を硬くする。


「助けてあげられないの?」

「武器がない」

「武器なら……」


 グイとスロットルを握りしめて、レオナが前方を見据えた。


「ここに」


 計器盤の中で赤水晶が力強く輝くと、機体の前に火の玉が現れる。

 おいおい……。文洋が目を丸くする。


「行って!」


 撃ちだされた火の玉が偵察機の後方で破裂する。追っていた戦闘機がすんでのところで回避すると、スプリット機動でこちらに向き直る。


「言わんこっちゃない」


 背を向けた敵に偵察機が機銃を浴びせるが、いかんせん速度が違う。 


「レオナ、風の盾を、そのまま突っ切る、ローラ、伏せてろ」


 レオナに指示をだし、文洋がペダルを蹴って軸線をずらす。

 魔法の盾でヘッドオンからの一撃だけ凌げば、スレイプニルなら逃げ切れる。

 振り返り、ローラが頭をかがめて小さくなるのを見届ける。

 推進器が高く吠え、一五〇ノットまで機速を引き上げる。

 軸線をずらしたまま、敵を右に見て並行に行き違う……刹那!

 強引に機首を巡らせ、黄色い機体が発砲。


「ダメ!」


 レオナが悲痛な叫びを上げる。とっさに右ロール。

 機首側で数発、緑色の燐光が走って機銃弾を弾く。

 火花が散り、スレイプニルの側面に銃弾が当たる。


「くそっつ!」


 黄色い機体に白狐のペイント。アイツか!

 強引に斜めに飛んだ黄色い機体が失速、フラットスピンで墜ちてゆく。

 立て直した所で、追いつけはしないだろう。

 スロットルを閉じて文洋は操縦系をチェックする。

 速度計が割れた以外は問題なさそうだ。

 いつの間にか横に並んだ偵察機が翼を振って礼をよこす。


「レオナ、ケガは?」

「大丈夫……」

「ローラ?」

「……」

「ローラ!」


 文洋がベルトを外して後ろを振り返った。ブライアンから拝借したゴーグルにヒビが入り、ローラの額から血が流れている。


「くそっ!」

「フミ、ローラは?」

「前を見て、今は前だけを見てろ」

「……」


 鬼気迫る文洋の形相に、レオナが怯えたように頷く。

 血の気がひくのを感じながら、文洋はスロットルを全開にする。

 早く、もっと早く。

 時速一七〇ノットで空を駆ける神馬すらもどかしい。


 全てを振り払って『スレイプニル』は北北西、レブログ基地を目指して夜空を駆け続けた……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バナー画像
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ