黒兎《ダークエルフ》と機械技師《メカニック》
「姐さん、嬉しそうっすね」
「なんだい、あんたは嬉しかないのかい? フェデロ」
第一航空隊の要塞都市レブログへの移動が開始された初日、ラディアは紅と蒼、二機の戦闘機を前にして踊る気持ちを抑えられずにいた。
……夢にまで見た一人乗りの戦闘機だ二人乗りの偵察機とはわけが違う。
「そりゃまあ、借り物とは言え一人乗りに乗れるんだ、嬉しいですが……」
戦争が始まって以来、夜目が効くということで偵察兵と戦場に送り込まれたダークエルフ自治区の兵士達だったが、ミノタウロスやケンタウロス同様、かつて人間に敵対してきた少数民族ということで、決して扱いがいいというわけではない。
「ウンディーネやサラマンダが使えても、機関銃にゃ敵わないからねえ……とはいえ情けない話だよ」
「親父の時代と違って、短剣一本で切り込むと死んじまいますから」
「ラスディア炭鉱の偵察で不時着した時に、短剣一本で一個分隊相手に大立ち回りしといて良くいうよ」
遠い目をして戦闘機を眺めるフェデロを見てラディアが笑う。
「いや、あれは姐さんがサラマンダを三匹も召喚して敵の真ん中にぶちこんだからっすよ?」
「おかげで勲章がもらえたじゃないか」
フフンと鼻を鳴らし、もっと褒めろとラディアは胸を張った。何といっても、ダークエルフに勲章を出した時の司令官のマヌケ面が傑作だった。
飛行帽からはみ出た薄紫の銀髪がプロペラの風にたなびく。
オイルの匂いに目を細め、ラディアは機体を撫でるように指を走らせた。
「お前らか、こいつをレブログまで持ってくのは?」
不意に掛けられた年老いた声に、ラディアは振り返りざま敬礼する。
「ラディア・ラエル・フェリアード准尉であります、彼はフェデロ・レアル・セリアラス軍曹」
「フリントだ。そんな固くならんでいい、お偉方の貴族様と違ってこちとら整備中尉だ」
並んで敬礼する二人に、中尉の階級章を付けた髭面の男が人懐こい笑みを浮かべて微笑んだ。
「ブライアン少尉から頼まれました、こちらの二機はレブログ基地まで我々が空輸します」
ラディアがフライトジャケットから命令書を差し出す。
「で? まだあんだろ?」
命令書を見ようともせずフリント整備中尉が、レンチでラディアが下げたバスケットを指してニヤリと笑った。
「はっ、ブライアン少尉から、これをウォルズ村に届けるように頼まれました」
藤蔓のバスケット一杯に詰められたのはチョコレートにビスケット、可愛らしい包み紙に包まれたキャンディと手紙が一通、
「あいつ、女たらしのロクデナシの癖に、そんなところだけ妙に優しいというか、何と言うか」
「その意見には同意します」
ラディアがラベンダー色の唇をほころばせる。
「村の場所はわかるか?」
「航空地図にブライアン少尉が印を」
ラディアが太もものポケットに入った地図を、ぽんと叩く。
「テストフライト名目で書類は出してやる。バーニー!」
フリントが野太い声を張り上げる。あまりの声の大きさにラディアの隣でフェデロがビクッと小さく飛び上がった。
「なんすかーおやっさん!」
油まみれで蒼い機体を整備していた伍長が、整備中尉に負けない大きな声で返事をする。
「ウォルズ村への特急便だ、落下傘もってきてやんな」
「ああ、星誕祭ですからね」
腰にぶらさげたボロ布で手を拭くと、バーニー伍長が格納庫に小走りで走ってゆく。
「それで、どっちがどっちに乗るんだ?」
§
結局、ラディアが紅い機体に乗ることにして、二人は基地を後にした。晴れ渡る夏空に紅と蒼の機体が北北西に針路を取る。
右に左に操縦桿を軽く揺らすと、推進式で二人乗りの偵察機とは比べ物にならない素早さで機体が反応する。
フェデロの蒼い機体がラディアの機体を中心にして綺麗にフォーポイントロール。再び右後ろにつくと、親指を上げた。
調子にのりやがって……帰り道に追いかけまわしてやろう……。
膝の上のバスケットのせいで自由に動けないラディアは、親指を下に向けて『くたばりな』と合図を送る。
並んだ機体の胴体に染め抜かれた、ライオンにしては鼻の大きな、犬にしては頭の大きな、妙に愛嬌のある動物。
ユウキ少尉といったか、今度その動物は何なのか聞いてみよう。バスケットの蓋を開け、キャンディを一つ失敬してラディアは口に放り込んだ。ミントの香りと甘い味が口の中に広がる。
オイルとガソリンの匂い、心地よい振動と風切り音に包まれ、ラディアはつかの間、鳥になった気分に身を委ねた。
四十分ほど飛んだところで、地図に描かれた目印の小さな教会が見えてきた。
高度を落としてフライパス。
星誕祭のお祝いに集まった村人の上を、なんどか旋回して覗きこむ。
紅い機体を見つけた子供たちが、大きく手を振ってはしゃいでいるのが見える。
なるほど、あの女たらしの子爵は存外に領民には愛されているらしい。
くるり、くるりと旋回半径を小さくしながら、ラディアはグンと降下させてから宙返り。背面飛行に入った所で蓋を閉じたバスケットを空中に放り出した。
操縦桿を倒して機体を水平に戻す。誰が縫ったのか可愛らしい赤と白の落下傘が広場の中央めがけてゆっくりと舞い降りる。
落下傘を追って子供たちが我先に走りだす。
――もう一つはな、星誕祭に俺の村の子供にお菓子を届けてくれないか?
待機所でのブライアン子爵の言葉を思い出し、ラディアは微笑む。
いや、気がつけば声を上げて笑っていた。まったく、他の連中が見たら、姐さんが壊れたと大笑いするに違いない。
何の得にもならないのに、ダークエルフのために、候補生を投げ飛ばす扶桑人に、愛機の移送とお菓子の配達を頼む優男、片棒を担ぐ整備中尉に伍長。どいつもこいつも石頭の貴族や軍人にしとくのはもったいない。
翼を左右にバンクさせ、フェデロを隣に呼び寄せると、ラディアは旋回しながら高度を上げた。折角のお祭りだ。子供たちはお菓子を持って子爵が来たと思っていることだろう。
これは少し格好をつけておかないとな……そうだろ、子爵殿
九〇〇フィートほどまで上げた所でフェデロに左右の手のひらを交差させて下を指さす。
ラディアとフェデロは広場目がけてバーチカルシザースを繰り返しながら急降下。
毛糸を編む編み針のように、紅と蒼の機体が交互に空を編む。
お互いの後ろを取ろうと、クルリクルリとひねりこむ。
自分に翼が生えたような高揚感。
一五〇フィートほどで引き起こし、二機揃って宙返り。
人々が飛び上がって喝采する広場の上を、二度、三度、緩く旋回。
村の上空で名残惜しげに翼を振って二機は南南東へと機首を向けた。
「ああ、楽しかった」
誘導路を走り、駐機場でエンジンを止める。ゴーグルを額にあげると、ラディアは目尻に溜まった涙を拭った。
ひらりと飛び降りて、駆け寄ってくる整備員に機体を引き渡すと、同じく高揚した顔のフェデロの背中をバンバンと叩いて、ラディアは格納庫に向かった。
「やりすぎましたかね?」
「祭りだからね、あんくらいで丁度いいんだよ」
フライトジャケットの前を開ける。汗ばんだ肌に風が心地いい。
「で、どうだった?」
帰還を報告しにフリントの元を訪れたラディアにフリントの第一声。
「子供達は喜んでいました」
ラディアが返答する。
「そうか、軍曹、そっちは?」
「左ロールが少し遅れます、あと四千回転くらいで妙な息継ぎと振動が」
「一度エンジン降ろしてるからな、おめえは合格だ、軍曹」
「あっ……」
ラディアが勘違いに気が付き、うなだれる。
テストを忘れてすっかり楽しんでしまっていた自分が恥ずかしかった。
頬が紅潮し、耳がショボンとするのが自分でもわかる。
「軍曹は解散、准尉はユウキ少尉の機体整備すんの手伝え」
「いや、あの自分も」
言いかける軍曹を手を上げて止めると、ラディアはフリント整備中尉に敬礼した。
「了解しました」
顎鬚を引っ張って、ふむと頷くと整備中尉がまっすぐにラディアの顔を見る。
「空は楽しいか?」
視線をまっすぐに受け止めて、ラディアは小さく頷いた。族長だった父に怒られているような妙な気分だ。
「そこの蒼いのに載ってるバカはな、飛行機が好きだそうだ」
「はっ」
「理由はな、空を飛べるから……あと、全部を置いていけるから……だそうだ」
「なんとなくわかります。」
敬礼を降ろし、直立のままラディアは琥珀色の瞳でフリントの髭面を見つめる。
「そのバカにも言ってやったがな、空を飛んで楽しいのは地面に足がついてるからだ」
「そいうものでしょうか?」
「ああ、そういうもんだ。だからな、お前たちが故障で空から落っこちて、撃たれもしないのに女神様の元にいかねえように、オレ達が整備してやる」
「はい」
ラディアは整備中尉が何を言いたいのか理解して、素直に頷く。
「見かけによらず素直なやつだな……そこのツナギに着替えて来い」
手に持ったねじ回しで壁に掛かったツナギを指差す。名札にはユウキ・フミヒロの文字。
「お借りして良いのでしょうか?」
「洗濯して返してやればいい、それに奴はそんなこた気にしねえ」
「了解しました」
「でな」
頷いたラディアに、フリントが好々爺とした笑顔を浮かべて言葉を継いだ。
「調整が終わったら、もっかいそいつに乗せてやるから、ちゃんとテストしてこい」
「えっ」
「なんでえ?もう戦闘機は乗りたくないか?軍曹呼び返すか?」
フリントの言葉に、ラディアはブンブンと首を横に振る。
「乗ります!乗らせて下さい!」
「ほんと素直な奴だな……バーニー、ユウキの機体、エンジンカウル外せ、軸線合わせと点火時期、あとキャブの調整し直すぞ!!」
整備中尉の大声を背に、ラディアは壁に掛かったツナギを抱えて更衣室に向かった。
また空を飛べる、女神様ありがとう、星誕祭万歳。
ラベンダーのルージュを引いた口元が綻ぶのをもう抑えもせず、ラディアは小走りに走る。
空は自由だ……誰のものでもない……、そう思いながら。