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紅薔薇と商人貴族

「あいつら、上手くやりましたかね?」


 ガリウス公爵邸の客間に通されたブライアンが声を潜めてつぶやく。ここ数十年で中継ぎ貿易国の地位を失ったアリシアだったが、かつての財力を背景にした名うての実業家である公爵の館は、惜しげもなくマホガニーとローズウッドが奢られた調度品に彩られている。そんな客間の一角に腰掛けて、ローズはニコリと微笑んだ。


「どうかしらね?でも……子爵ぼうやは彼を信じているのでしょう?」

「そうですね、一応親友のつもりなんで」


 ほんと、男の子っていうのは……思いながらローズはブライアンの横顔を見つめる。


「そんなに見つめるほどいい男っすかね? オレ?」

「そうね、うちの旦那よりはハンサムだとは思うわよ?」


 一昨年に亡くなった夫のソールベル伯爵を思い出して、ローズはくすりと笑う。


「実直で強情で、ハンサムでは無かったけれど、一生懸命ないい男だったわ」


 なるほど、フミを見た時に誰かに似ていると思ったら……。実直で強情で、それでいて妙に馬鹿正直なお人好し……亡くなった夫のウィリアムだ。


「なんだかんだ言って、叔母様は叔父貴の事、大好きですよね」


 見透かしたようにそう言ってブライアンが笑う。


「つぎに叔母様なんて言ってご覧なさい、首に縄つけてサーペント釣りのエサにしてしまうから」

「ブルブル」


 仔馬のように声を上げて、おどけてみせるブライアンに、ローズも小さく声を上げて笑う。


「まあとりあえず、親戚筋ガリウスがアリシアに居たのは僥倖ぎょうこうといったところかしらね」


     §


 待つこと十分。


「姪子殿、一昨年の夏の舞踏会以来かな? また一段と綺麗になられたようだ」


 金モールに彩られた、スタンドカラーの上着を着た公爵が、ローズを抱きしめて両頬にキスする。


「お久しぶりです、叔父様。相変わらず香水作りが趣味ですの?」

「おお、気づいてくれたかね! 今は極東からの素材に凝っておってな」

「それで白檀の香りが……ああ、そうそう、こちらブライアン子爵」


 公爵の腰に手を回して、にこやかに答えながら振り返り、ローズはブライアンを紹介した。


「亡くなったウィリアムの甥っ子ですの」

「これはまたハンサムな青年だな」


 片方の眉を上げて曰くありげな表情の公爵に、いつも通りの『表情の読めない』爽やかな笑顔で握手するブライアンに、ローズは本当に貴族向きな子だと感心する。


「テルミアにいると戦争のお話ばかりでしょ? 憂鬱になったら海が見たくなりましたの」

「小さい頃から変わらず、お転婆さんなことだ、海の上も物騒だというのに」

「あら、アリシアへの航路は、両軍共に手を出さないという取り決めではなくて?」


 勧められてソファーに腰掛け、ローズはにこりと笑った。


「おかげでアリシアは百年ぶりの好景気でありがたいことだがね」


 肩をすくめて老公爵が苦笑いする。


     §


 テルミア、アリシア、三都通商同盟、シルヴァリア、古くは千年以上続く国もあり、貴族に関して言えば何処かで繋がって皆親戚……と言っても過言ではない。

 戦争が始まって最初の冬、そんな貴族たちがそれぞれの国家に働きかけ、ある条約が結ばれた。


 テルミア王国の中央部を流れるルデア川河口からアリシア王都、三都同盟西端の港町アイナスとアリシア南端の港町街メリディア、これを直線に結ぶ幅五〇マイルの航路を行く民間の船舶への攻撃を禁止するというものである。


 これにより、アリシアはテルミア王国から主に小麦を、三都同盟からは主に羊毛を買い入れ、中立国であることを背景に交易することで、かつての輝きを一時なりとも取り戻していた。


「それで、ローズ、いや、ソールベル伯爵夫人」


 ひとしきりの世間話の後、好々爺とした叔父の眼光が鋭くなるのを見て、ローズもスイッチを切り替える。

 ここからは叔父と姪ではなく、ガリウス公爵家とソールベル公爵家、大貴族同士の交渉の場という事だ。


「嫌ですわ叔父様。怖いお顔」


 ローズはかるく先制するつもりで、そう言って満面の笑みを浮かべる。


「ふむん」


 公爵が鼻白んだ表情を浮かべた。


「今日、ご訪問したのは、難しいお話をしたいわけではなくてよ?」

「とは言え、『紅薔薇の公爵夫人』の事だ、なにかあるのだろ?」

「そうね、叔父様、まずはテルミアで聞いたうわさ話から始めましょうか……ブライアン、ちょっと席を外してくださる?」


 仰々しく一礼して、執事に案内されたブライアンが部屋を出て行く。

 重い音がして扉がしまるのを確認して、ひと息置いてからローズは口を開いた。


「アリシアの北壁の騎士と西壁の騎士が、青竜フルメンに落とされたという噂、叔父様はご存知?」


 小首をかしげローズは公爵の顔をじっと見つめて尋ねる。驚いた表情を浮かべ、黙ったまま天井を見上げると、公爵がため息をついた。


「悪事千里を走る……とはよく言ったものだ、うわさの出どころはどこかね?」  

「墜落した飛行船から回収された遺体に少女が一人、もう一隻の遺品に『剣と狼』の紋章の入った赤水晶の杖があった、という軍の情報筋」


 声を潜めたローズの言葉を、公爵が値踏みするように目を細める。


「それで?」

「アリシアが三都同盟にくみするのでしたら、ソールベル家としては引き上げたい投資がございますでしょ?」


 口ひげを引っ張り、やれやれと言った顔で公爵がテーブルに置かれたグラスにブランデーを注いだ。


「誰に似たのか、テルミアの石頭連中とちがって、わが姪子殿は商売人だな」

「留学時代に、これからの貴族のありようだと言って、商いのイロハを私に薫陶してくださった、叔父様に似たのではないかしら?」


 差し出されたグラスを受け取って、ローズは冷たい笑みを浮かべる。


「まあ、あれだ、どちらかに勝たれてしまってはな」

「戦争が終わらないほうが、アリシアは儲かりますものね」

「南テルミア海運の大株主の姪子殿もな」


 グラスを上げ、乾杯するとローズはブランデーを一口煽る。目を閉じて鼻に抜ける甘い香りを楽しんだ。


「それで、叔父様?」

「おとぎ話から出てきた悪夢ドラゴンのおかげで、面倒な事になっているのは確かでな」

「伝説の青竜フルメン相手では、飛行機や飛行船では役者不足ですわね」

「まあ、それについては人の知恵もそうそう、バカにしたものでもないぞ」


 神をも畏れぬ無茶をして、空から叩き落とされた挙句に、何が人の知恵かとローズは思う。


「大砲が空でも飛べば、アレと戦えるかも知れないですわね」

「まったくだ」


 嫌味半分に言ったローズの言葉に笑みを返した公爵に嫌な感じを覚え、ローズは話題を変えることにした。


「ああ、それで叔父様」

「まだ他に?」

「何年か前に亡くなったセプテントリオン家の奥方、わたくしがこちらに居る時にが良くして頂いてたでしょ?噂が本当ならまだ小さい男の子が居るはずだけれど、何か助けてあげられないかしら?」

「ルネ・セプテントリオンなら、執政官のルデウスがえらくご執心でな」


 そこで区切ってグイとグラスを飲み干すと、不機嫌そうに公爵が言葉を継いだ。


「赤水晶を扱うのに天賦の才があるとかで、養子にしたいとまで言っているという話だ」

「あら、ルデウスなら、こちらの大学で同級生でしたけれど、そんな優しい男だったかしら?」


 姉を葬り去ろうとしておいて、よくもまあいけしゃあしゃあと……。


 だが、執政官が引き取ったとなると、よほど上手く立ち回らなければ、面会もままならないだろう。

 ルデウス・ベリーニは秀才かつ嫌味なほどにスキのない男で、サーカスの道化師ピエロのように、にこやかな仮面の裏に何かを押し殺しているような男だったのを覚えている。


「我らも他人のことは言えぬが、あれは権力の亡者だな」

「邪魔者を死地に送るロクでなしの上に?」

「ああ、ロクでなしの上にだ」


 言ってから、しまったという顔をする公爵に、ローズはニコリと笑う。


「聞かなかったことにして差し上げますわ」

「お前には敵わんよ、まったく」


 ため息をついて、公爵が好々爺然とした表情に戻る。


「叔父様」

「なにかな、姪子殿」

「海運株は売りどきではなくて?」


 小さく、だが確かに頷いた公爵に、ローズは微笑みかけて立ち上がった。


「使い魔を一匹、お借りできます? 叔父様に役に立ちそうなお話があれば手紙を持たせます」

「執事に用意させよう」

「では、今宵の舞踏会で」


 執事から使い魔の封印されたクリスタルを受け取って、ローズは屋敷を後にした。


     §


「イテテ、それで、首尾はどうでした?」


 公爵家のメイドを口説いていたところを発見され、耳を引っ張られたブライアンが、悪びれもせずそう言って笑う。


「まあ、女の子のお尻を追いかけ回していた、子爵ぼうやよりは少し有意義な時間を過ごしたかしら」

「酷いなあ、ちゃんと情報収集してましたよ?」

「そう、何か面白い話は聞けて?」


 おざなりにそう言ったローズにブライアンが得意げに、だが声を潜めて耳元で囁いた。


「ルーシー、あ、さっきのメイドですがね……、彼氏が造船所に勤めてるらしいんですが、鋼鉄で出来た飛行船をアリシアでは作ってるんだそうです。どうやって飛ばすんでしょうねそんな重いもの」


 ……人の知恵……か。まったくロクでもないことだ。

 

 舞踏会の会場目指して走る馬車に揺られながら、ローズはため息をついた。

 笑わない道化師ピエロからルネを取り返すのは少々骨の折れる仕事になりそうだ。

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