猟犬と銀狼
「申し訳ございませんお嬢様」
クラウスが整然と隊列を組み、アプローチを進んでくる兵士達を睨みつける。
「ルネを奪っておいて、さらになお……セプテントリオンの城に狼藉とは、良い度胸です」
レオナが殺気立って立ち上がり、テーブルに置いたポシェットから赤水晶を取りだすと窓際に歩み寄った。
飛行機を吹き飛ばすほどの火球だ、隊列の真ん中で炸裂すれば人間などひとたまりもあるまい。
「いけません、お嬢様」
手を横に出して制すると、クラウスがレオナの目の高さにかがんで声をかける。
「私兵といえどアリシアの民でございます。お嬢様が手を下してはなりません。誅するならば執政官めを」
「しかし、クラウス」
「兵どもは爺に任せて、お嬢様とフミさまは地下の船着き場からお逃げください」
「……クラウス」
「ご心配めさるな。坊ちゃまをお救いするまでは、このクラウス死んでも死に切れませぬ」
壁に掛けられた大剣を手にとると、びゅうと一振りしてクラウスが振り返る。
「クラウス、テルミアのエルフ居住区で俺のことを聞け、それで判る」
文洋も脇差しの鯉口を切る。
「必ず駆けつけましょう、お嬢様を頼みます」
うなずいて文洋がレオナに手を伸ばした。階下で大きな音がして、兵士達がなだれ込んでくるのがわかった。
「見つけたぞ!」
廊下の角から飛び出した途端、兵士たちの一斉射が襲いかかった。
慌てて引っ込んで見たものの、地下に下りるには中央の大階段を経由するしか無い。
「問答無用かよ」
グイとレオナを抱きしめて、飛び散る壁の破片からかばうと、文洋が唸る。
「魔法で弾丸を止めます。行けますね、クラウス?」
文洋に抱きしめられたまま、怒りを込めた冷たい声でレオナが言う。
「今日は中々に良い月です。おまかせあれ」
ニカリと歯を見せて笑うと、クラウスが天に吠えた。
耳をつんざく咆哮に銃声すらかき消される。
衝撃波に近い咆哮を至近で浴びて。思わず目を閉じた文洋は、レオナが腕からスルリと抜けてゆくのを感じて目を開く。
廊下の角を飛び出すレオナの背が見えた。
「レオナッ!」
叫びながら後を追う。
「行きなさい、クラウス」
凛とした声で命じる彼女の前に、銀色の毛皮をまとった大きな背中があった。
疾風の如く駆け抜ける『クラウスだったモノ』に、銃弾の嵐が襲いかかり、緑の燐光を上げる魔法陣に叩き落とされる。
「オミゴト、ワガキミ」
吠えるように言うと、風の盾をまとった銀色の狼男がゴウと音をたて加速し、大階段の手すりを飛び越えた。
すさまじい跳躍力で天井のシャンデリアを片手でつかまえる。
ぶら下がるようにしてシャンデリアを引きちぎり、悲鳴と怒号をあげる兵士達の真ん中にたたき落とす。
兵達の中心に着地した銀狼が、逃げ惑う兵士の一人を持ち上げ、銃弾の盾にしながら文字通り敵をなぎ倒してゆく。
「悪魔めっ!」
その攻撃をすり抜けて、一人の兵士が大階段に走り寄る。
兵士がレオナに銃を向けようとするのを見て、文洋は階段を飛びおりた。
十フィートの高さから兵士めがけて飛び蹴りを食らわせる。
骨のひしゃげる音をさせ、兵士がくずおれた。
「フミ! 無茶をしないで」
「娘のためだ、無茶もする」
「そうじゃなくて……、もうっ! いいからこっちに!」
正面から侵入した一ダースほどの兵士を片付けたが、門の方からさらに増援がくるのを見て、クラウスが重い樫の扉を閉めると、鍵を落とした。しばしの静寂が戻る。
「ユカレヨ、ワガキミ」
返り血を浴びた狼男が片膝をついて、レオナの髪を撫でる。
「クラウス、セプテントリオンの名で命じます、死なないで」
ひざまずいた銀狼の長い顔を両手で挟むようにして見つめると、レオナがクラウスに命令する。
「オマカセアレ」
最初にレオナに、そして立ち上がると文洋にうなずいて、階下へと通じる方向を指差す。
レオナの手をとって走りだした文洋の背後で、扉を破る爆発音と、狼男の咆哮が響いた。
「こっち、早く!」
裏手から入った兵士達に追われつつ、背後を守って走る文洋の前を、鹿のようにしなやかにレオナが駆ける。
なんとか最下層まで駆け下り、文洋達は重い扉を開いて転がるように中に入った。船着場なのか、レオナの手にした赤水晶が水面に映り、水音と潮の香りが漂う。鉄枠と鋲で止められた分厚い扉を閉め、かんぬきをかける。
「このへんにスイッチが……」
レオナが赤水晶の光を頼りに、スイッチを探している。
パチン、と音がして船着場に電灯がともった。
「あった、スレイプニル!」
レオナが天井を見上げて歓声をあげた。船着場の上に吊られたスマートな飛行艇に文洋も息を呑む。時折鳴り響く銃声が近づいてくる。
「クラウスは?」
文洋の問いに、レオナが首を横に振った。
「私が城にいる限り彼は決して引きません……だから……」
「わかった、なら、早いところ逃げ出そう」
フックで吊られた飛行艇を見上げた。アメジストのような紫、尾翼には剣と杖が交差し、サーペントが巻き付いた紋章が白銀で入っている。
「飛べるのか、プロペラがないぞ?」
「大丈夫、水面に降ろして」
ウィンチのスイッチを入れると、吊るされていた飛行艇がゆっくりと水面に降りてくる。同時に、船着場と海を仕切っていた大扉が上がり始めた。
吊り下げ具を外して、もやい綱でたぐりよせ、文洋はコックピットに乗り移る。エンジンスターターを探すがそれらしきものが見当たらない。
「レオナ、エンジンは?」
「お願い!手を貸して」
横を向いた文洋に桟橋の上からレオナが手を伸ばす。
「後席に!」
「だめ、この子、フミだけじゃ飛ばせない」
真剣な眼差しに文洋は手を伸ばすと、レオナ引っ張りあげた。
「こんなに狭かったかしら?」
言いながら、小さな身体をねじりこむように文洋の膝の上にレオナが乗り込んでくる。少女のしなやかな感触と体温に文洋はドキリとした。
「フミ、これを開けて!」
エルロン、ラダー、エレベータ、目視で確認をする文洋の膝の上で、レオナが計器盤下の小さな扉を開こうと悪戦苦闘している。
「見せてみろ」
「ちょっと! くすぐったい」
「我慢してろ」
後ろから頬を寄せるように覗きこむ。少女を抱きかかえるようにして手を伸ばし、金具を引きあげた。パタリ、とバネじかけでコンソールボックスが跳ね上がる。
「これを、この中に!」
ごそごそと膝の上で身をよじらせ、レオナがポシェットから赤水晶を取り出した。レオナの柔らかな髪に頬をくすぐられる。ガラス張りのふたをスライドさせ、シリンダーに赤水晶をはめ込むと蓋を閉めた。
ダン!ダン!
背後で扉が叩かれる音がする。
「レオナ、エンジンは?」
「この子は魔法で動くの! 加減がわからないからフミも手伝って」
そう言ってレオナがスロットルレバーに左手をのせた。ブン、と低い音がして計器盤に赤い光が灯る。
文洋がレオナの左手を包むようにして手を添えると、ゆっくりとスロットルレバーを押し込んだ。頭上でモーターでも回るような高い音がし始める。
ドン!
爆炎を上げて背後のドアが吹き飛ぶと同時に、甲高い音を立てて『スレイプニル』が水面を滑り出した。
「動いた!」
「ああ、どんな仕組みかしらないが、大したもんだ」
背後を振り向くと、数人の男たちが船着場になだれ込んでくる。
「行こう」
スロットルを一杯に押し上げる。音がさらに高くなり、背後で一人の男が風にあおられてひっくり返った。
タン! チュイン!
風切音がして、機体をかすめた銃弾が火花をあげる。
「頭を下げてろ」
小さく悲鳴を上げて目を閉じるレオナにそう言って、文洋はスロットルを絞ってペダルを蹴った。
右に旋回して風に舳先を立てる。
ピタリと銃声がやんだ。
船着場に目をやると、クラウスが兵士の頭を左手で掴んで持ち上げていた。
操縦桿を放して小さく敬礼。
掴んだ兵士を海に放り込み、大剣を立てて騎士の答礼をする銀狼を残し、文洋はスロットルを開いた。
機体が高い音を立てて加速する。
「クラウス!」
身を乗り出して、レオナが叫んだ。
「ウォオオオオオオオオオン」
応えるように遠吠えが、長く、長く、天を貫く。
呼応するように、機体が中に浮き、波を叩く音がフッと消える。
ゾクリとする浮遊感に文洋が笑みを浮かべた。
「レオナ、目をあけて」
高度五〇〇フィートでスロットルを戻して水平飛行すると、文洋は屋敷の上空を大きく旋回しながらレオナに声をかける。
「よく見ておくんだ」
月明かりに照らされた屋敷をレオナが黙って見つめている。
「ねえ、フミ」
「ん?」
「また、ここに戻ってこられるかな?」
文洋は一緒にスロットルを握っている小さな手が震えているのに気がついた。
「ああ……、きっとな」
「……ローラの言ったとおりね、フミは嘘つきだって」
屋敷から目を離すとすと、レオナがスロットルから左手を外して身体をひねった。レオナが手を放した途端、ひゅうううん……と情けない音を立て推進器が止まる。
「レオナ?」
機首を下げて緩降下させて滑空、北に進路を取ってから、文洋はレオナに視線をやった。
「でも……ありがとう、フミ」
首にしがみつくようにして身体を引き上げると、レオナが文洋に頬をよせる。
柔らかで温かい少女の腕の中、翼が風を切る音だけが文洋の耳に響く。
「ローラには内緒なんだから」
唖然とする文洋にそう言って、レオナがプイと前を向くと、スロットルレバーに手をかけて一気に押し込んだ。
反射的に機首を上げた文洋と、耳まで赤くしたレオナを乗せて、『スレイプニル』が星空めがけて駆け上ってゆく。
「さあ、帰ろう」
月明かりの中、紫にきらめく機体が夜空をはしる。暮れゆく海に漁火がチラリ、チラリと輝き、天と地に星空が広がり始めた。