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猟犬と老執事

「お茶の時間にはガリウス公爵邸に着きたいのだけれど、とりあえず急いで通していただけるかしら?」


 つば広の帽子を被った伯爵夫人が、港へ迎えに来た黒塗りの大型車を指さしてニコリと笑った。

 公爵家の紋章がドアに書かれた迎えの黒塗りを見て、入国管理の役人がまとめて差し出された旅券を確認もせずに判をついてゆく。


「では、船長、後はよろしく」


 正装のブライアンとメイド二人を連れて、桟橋を馬車へと向かう夫人が文洋の横をぬけながら、小さくつぶやいた。


「ちゃんと連れて帰ってくるんですよ?」


 おつきのメイドが精一杯お洒落をしました、といった体のレオナがチラリと視線を文洋にやると、何も言わずそそくさと船をおりてゆく。


「さてと、俺も降りるか」

「フミ?」


 船倉から文洋の荷物を下げきたローラが、心配そうに文洋を見つめる。


「大丈夫だよ、ローラ。ちゃんと帰ってくるから。俺が居ないと缶詰開ける奴がいなくなるだろ?」

「フミのばかっ」


 ドン!と荷物を押し付けてローラが俯いた。


「帰ってこなかったら泣いちゃいますからね? ホントですからね?」

「ああ、ちゃんと帰ってくるよ」


 そんなやりとりに、今日は厄日だ……という顔の役人に旅券を差し出して、文洋は荷物を担いで船を降りた。


     §


「似合わないわね、フミ」


 夕暮れ時、水夫から借りた服を着た文洋は、北壁の城館を見おろす丘の上に居た。遅れてやってきたレオナがトコトコと丘を登ってくる。


「そういうレオナも、ローラのお古の方が似合うと思うぞ」


 町娘の衣装でプイとむくれるレオナに苦笑いして、文洋は荷物を開けると柄と鞘を短剣の拵えに直した脇差しを取り出してベルトにぶら下げる。


「銃にすればいいのに」

「銃では人を活かすことができない」

「剣ならできるの? 訳がわからないわ」


 レオナの問いに肩をすくめると、カバンの荷物から旅券を取り出してポケットにねじ込み、ボロとガラクタの入ったカバンを繁みの中に放り出した。屋敷を大きく迂回すると、西面の城壁に回り込む。


「それで、この一〇ヤードはある壁をどうやって超えるんだ?」

「こうするの」


 城壁の石を端から順番に数えていたレオナが、杖から外した赤水晶をポシェットから取り出して小さく呪文を唱える。ボウっと赤水晶が輝き壁の一部が石のこすれる重い音を立てて沈み込んだ。


「これがないと入れないけど、便利でしょ?」

「ああ、そうだな」


 赤水晶を愛しそうになでてから、ポシェットにしまいこむレオナに文洋は笑って答えた。


 かろうじて文洋がくぐれる程度に下がった石壁を、泥まみれになりながらくぐり抜け、文洋は中庭から屋敷を見上げた。屋敷……というよりはむしろ要塞に近い威容だ。


「レオナ」

「なあに?フミ」

「この屋敷は、建ててから何年くらいなんだ?」

「そうね、千年くらい?」


 事も無げに返すレオナに、たいしたもんだなと、見上げて文洋はポンと花崗岩の壁をたたいた。刹那、三階の窓から黒い人影が舞い降りる。


「!」


 反射的に身体を後ろに転がして、腰の後ろから脇差しを抜く。

 文洋の首を狙って、銀色の線が伸びる。

 脇差しで受けた文洋の横で、ギャン!と耳をつんざく金属音がして火花が上がった。

 重い剣戟を二つ、三つといなしながら、文洋はトトンとステップを踏んで後ろに下がる。

 四つめを払いざま、脇差を捨てて前に出ると、強引に背負い投げた。


「?」


 手応えの無さに目を丸くする間もなく、長剣を捨てた男が人外の動きで綺麗に着地。その勢いで逆に文洋を投げにかかる。

 斜め前に飛ぶことで相手を崩して腕を取り、腕ひしぎで関節を極めようと飛びつくが、決して軽くない文洋を相手は楽々と『片手で』放り投げた。

 前回り受け身で転がって低い姿勢のまま向き直った文洋と男の間に、レオナが駆け込んでくる。


「クラウス! いけません!」

「レオナ!」


 呼び止める文洋をよそに、手を広げて押しとどめるように立ちはだかる少女を見て、男が動きを止めた。幽霊でも見るような血の気の引いた顔でまじまじとレオナを見つめる。


「レオナお嬢様? お嬢様っ!」


 次の瞬間、両手を広げて執事服の老人がレオナに駆け寄る。小さな子供にするように高々と抱き上げて、グルグルと振り回す。


「お化けじゃないわ、クラウス……ってくすぐったい、放しなさい」

「よかった、生きておられた、よかった」


 レオナを抱き上げ、髭面で頬ずりする好々爺然とした執事服の老人のどこに、あんな力があったのかと思いながら、文洋は土を払って立ち上がった。


     §


「どうぞ」


 レオナと変わらない年齢のメイドがお茶を置いて部屋を出てゆく。


「今の子は?」

「三日ほど前に屋敷の前で行き倒れておりましたので雇い入れました」

「そう……、それにしても先ほどの振る舞いはクラウスらしくないわ」

「ご無礼をお詫びします。このところ物騒な事件が続いておりまして」


 老執事が深々と頭を下げた。


「フミ、許してあげて」

 レオナが祈るように手を組むと文洋を見上げる。文洋は苦笑いして小さくうなずく。


「裏口から入った俺たちが悪いさ、しかし、強いな、レオナのところの執事は」

「生まれたころからの戦場育ちだったもので、お恥ずかしい」


 そんな物騒な執事があるものか、文洋が笑う。


「それでお嬢様、その御髪おぐしは?」

「私も子供じゃないわ、執政官が私たちを狙っている事くらいはわかっています」

「それで、そのようなお姿に」


 髪を染め、町娘の恰好をしたレオナに感心しきりとクラウスがうんうんと頷く。


「クラウス」

「何でございましょう?」


 窓辺に立ったレオナが庭を見つめてため息をついた。


「館を……捨てます。荷物は最小限に。夜中に迎えがきます、ルネを連れてきて。」

「……お嬢さま……」


 老執事がうなだれて唇を引き結んだ。


「坊ちゃまは、お嬢様がお亡くなりになられたと聞いて、大変落ち込まれまして」

「ルネはどこ?」


 何かを察して、厳しい口調でレオナが問い詰める。


「王宮からのお召しがかかり、既に館にはいらっしゃいません」


 ああ……、声にならない声をたて、レオナがくずおれた。倒れるレオナを抱きとめて、文洋は老執事を見つめる。


「お嬢様に雇われた傭兵マーセナリーですかな?」


 その言葉に、こちらに来てから散々接してきたのと同種の悪意を感じて、イエローだの黒兎ダークエルフだの、そんなにお前たちは上等なのか?と文洋が執事に問い返す。


「いいや、いろいろあって今のところは彼女の養父さ。扶桑人では不満かい?」


 思いがけない返答に目を丸くして、文洋の険のある視線を見つめ返し、クラウスが胸に手を当てて深々と頭を下げた。


「失礼を申したこと、お詫びいたします」

義娘むすめの意志でここまで来た、だから俺にはこの子を守る義務がある」


 クラウスの銀色の視線を受け止めて、文洋も老執事の目をまっすぐに見て答えた。


「ならば、貴方様にはこの国の恥をお話する必要がありましょう」


 気を失ったレオナを横抱きにして、ソファーに寝かせ文洋はクラウスに向き直る。


「なら、フェアに行こう。私は結城文洋テルミア空軍少尉、それを踏まえて話を」


 そういって文洋が右手を差し出した。


「クラウス・アルジェンタム・ルプス、先々代よりこの家で執事をしております」


 手袋をはずして手を取ると、力強く老執事が握り返した。


     §


「それで、執政官はこんな子供たちを目の敵にしていると?」

「その上でこの国を戦争に巻き込もうとしております」


 おおよそ、レオナから聞いた通りだったが、クラウスが手に入れた情報と一つだけが大きく違っていた。

 それはアリシアが秘密裏に、だが積極的に三都同盟に肩入れしつつあるという、一執政官の私欲の域をはるかに超えた事実だった。


「昔日の栄光よ再び……か」

「そのために、いくら四騎士の末裔と言え、お嬢様や坊ちゃままで道具にしようとは」


 ソファーで気を失っているレオナの長いまつげに光る涙を見て、執事が憤怒の表情を浮かべる。


「それで、レオナの弟は?」


 後にローズに伝えれば、助けになる事もあるだろうと思い、文洋はクラウスに尋ねた。


「姉君の船がブルードラゴンに墜とされ、亡くなられた事を伝えられ、当初落ち込んでおられましたが……」

「執政官に復讐でも勧められたか?」

「その通りでございます」


 幼さゆえに純粋な気持ち、男ゆえの単純な感情、悪意ある大人にとっては、実に操りやすいコマだったろう。


「ちなみに、ルネ君の年はいくつだったかな?」

「明日のお誕生日で……八歳よ」


 いつの間に目を覚ましたのか、レオナが起き上がるとそう言ってうつむいた。


「魔法が使えるのか?」

「赤水晶を使う才能なら、わたしより上だと思う」


 文洋はうつむいたままのレオナの前で片膝をつき、親指で涙をぬぐう。


「相手が王様じゃ一度ローズに相談してからだ、夜になったら船に戻ろう」


 濡れた紫の瞳で文洋を見つめて、レオナがコクリとうなずく。


「……お嬢様、フミヒロ様、そう悠長なことを言ってはおられなさそうです」


 窓から外を見ていたクラウスが憎々しげに、絞り出すように言う。


「ジイの不覚でございますお嬢様。あの小娘、次に見かけたら喉笛を食いちぎってくれる」


 獣のように唸る執事の横に立ち、文洋も綺麗に刈り込まれた庭園へと延びるアプローチと城門に目をやった。紺色の制服を着た男たちが先ほどのメイドが開けたくぐり戸から、続々と入ってくる。


「あれは?」

「執政官の私兵ですな」


 ピストルと小銃で武装した二〇名ほどが一度整列すると、整然と屋敷に向かって行進を始めた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 三日前とかあまりにも分かり易いフラグだったので、 てっきり爺が裏切っているのかと思ったけども、まさかのうっかりなのか。
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