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猟犬と紅薔薇

「ローラ、イルカよ」

「あら、本当に! フミ、ブライアン、イルカよ、イルカ!」


 レオナとローラが舷側と並走して飛び跳ねるイルカにはしゃいだ声をあげる。

 軽く手をあげて返事を返すと、文洋は手にしたスパークリングワインを煽った。


「よく借りられたな」


 文洋は二本マストの大型ヨットを、事も無げに借りてきたブライアンを驚き半分、呆れ半分で見つめた。

 季節風にの乗って南東に走るトップスル・スクーナ『ウィンド・オブ・デルティック』は乗組員二〇名、全長で一〇〇フィート近い大型のヨットだ。


「まあ、あれだ。親戚の伯爵が一昨年亡くなってな、未亡人になった伯爵夫人のご好意で借りてきた」


 ご好意……か、物は言いようとはよく言ったものだ。


 ローラとレオナの隣で、にこやかに手を振る三十半ばの夫人に、ブライアンが大仰な身振りで礼をした。 

 レオナを見るなり気に入ったのか、伯爵夫人は自分の娘のように可愛がってくれている。なんだか、騙したような気がしてチクリと心が傷んだが、他に手がない以上仕方あるまい。


「まあ、借りたというより、社交界で知らぬ者の無しのソールベル伯爵婦人のバカンスに便乗だな」


 グラスを煽ってブライアンが言葉を継いだ。


「この時期のバカンス地としてアリシアは悪くないし、使用人も入れれば三〇人以上の大世帯だ、一人や二人増えた所で目立たんよ」

「ただ、逆にどうやって別行動するか口実は考えとかないとな」

「お前とレオナが恋の逃避行とかどうだ?」


 バカをいうなと肩をすくめてから、それくらいの大胆さがないと何ともならない話だろうなと、空を見上げる。

 テルミア王国最南端の港町から出港して三日、夏の観光地として有名なアリシア島にむかって、オークとマホガニー、ローズウッドと真鍮、磨き上げられた豪華ヨットは、白い帆を広げて翼が生えたように走り続けていた。


     §


 カモのローストをメインに船上でよくぞここまで……というような豪華な夕食の後、文洋はブライアンと自室で上陸計画を練っていた。

 ローズ・ソールベル伯爵夫人ほどの要人ともなれば、入国審査自体はさほど大した事はない。ほぼフリーパスに近いと言っていいだろう。

 問題は有名人の部類に入るレオナをいかに密入国させて、弟を連れて脱出してくるかの一点に絞られる。


「フミよ、レオナの言うところによると、屋敷への抜け道はあるんだよな?」

「ああ、古い城だからな、いざという時の抜け道のたぐいはあると聞いてる」

「なら、一番の問題は帰りだな」


 タバコに火を付けて、ブライアンが腕を組む。レオナの館はもとよりアリシア王都の北壁と一体となった城塞である。彼女の魔法があれば城壁から飛び降りてでも海にはおりられるだろう。


「日が暮れるまで屋敷に潜んで、ボートで回収してもらうのがベストだがな」


 ウイスキーを一口舐めて、文洋も波に揺れる小さなシャンデリアを見上げた。


「伯爵夫人をどうだまくらかすか……だよなあ」


 コンコン


 聞こえていたかのようなタイミングでのノックに、文洋とブライアンはビクリと飛び上がった。目配せして、ブライアンが扉を開ける。

 そこには眼鏡を掛け、そばかすのあるメイドが、うつむきがちに立っていた。


「夫人がお待ちです、上までおいでください」


 か細い声で言うと、小さく礼をする。

 安堵のため息をついて、ブライアンが文洋を振り返った。


「夫人がお待ちだそうだ……」


     §


 薄いブルネットの髪を一本おさげにしたメイドの背中に、ふと既視感を覚えながら文洋は船の中央部にある夫人の船室へと案内される。


「ようこそ、坊やたち」


 昼間はアップにしていたブルネットの髪をおろした、伯爵夫人に勧められ、文洋とブライアンはソファーに腰掛けた。


「ブランデーを、持ってきて頂戴」

「はい、奥様」


 小さな声で返事をして、隣の間にメイドが下がる。


「さて、坊やたち、どんなイタズラを考えているのか、そろそろ聞かせてもらおうかしら」


 紫の夜着にナイトガウン、なかなかに扇情的な格好の夫人が肘置きに片肘をついて、カウチにゴロリともたれかかった。


「何のことですか?伯爵夫人」

「おだまりなさい、ブライアン。ほんとにいつも、どうしようもない子」


 鎧袖一触、ブライアンが撃墜される。


「ブライアン……」

「フミ、可哀想なモノを見る目で俺を見るのはやめろ」


 おどけたやりとりに、ワインレッドのルージュを引いた唇がニコリと微笑む。


「それで、フミヒロ・ユウキだったかしら? 貴方はどうなの?」


 頬杖をついて、ウェーブの掛かった黒髪の間から、鳶色の瞳が文洋を見つめる。

 一か八か……。

 まっすぐに彼女を見つめ返して、文洋は口を開いた。


「伯爵夫人」

「ローズでいいわ、フミヒロ」


 悪戯っぽく伯爵夫人が笑う。


「では、ローズ……娘のために力を貸して頂きたい」


 まっすぐに座り直し、膝の上に手を乗せて文洋は頭を下げた。

 しばしの静寂に、船腹を叩く波の音だけが響く……。

 ンフッ、と小さく笑うように伯爵夫人が小さく息を吐く。


「いいわ、貴族としては賢い方法とは言いがたいけれど……愚直で誠実な男はわたくし大好きよ。そこのオバカな子犬みたいな子爵も含めてね」


 ポカンとする二人の様子に、声を上げて笑いながら、伯爵夫人がテーブルから呼び鈴を取り上げて鳴らした。チリン、と澄んだ音が響く。


「はい、奥様」


 小さな声で返事をして、先ほどのメイドが入ってくる。


「唐変木だけど、まあ及第点にしといてあげる。でも、どうせならパパにするんじゃなくて、こういう、真面目なバカのお嫁さんになった方がいいわね、レオナ」


 入ってきたメイドに、伯爵夫人が声をかけて笑った。


「お……およめさん……?」

「「レオナ?」」


 慌てた拍子に、おとなしい小さな声が、普段通りの声にもどったメイドがレオナだったことに気がついて、文洋とブライアンは二人揃って声を上げた。髪と眉を染め、そばかすを描いただけで、すっかり騙されていたというわけだ。


「だめですよ、フミは私の旦那様なんですから」


 隣の間からメイドのエプロンドレスを着たローラが、ブランデーとグラスをお盆に載せて入ってくる。


「「ローラ?」」


 してやられたという顔の二人をカラカラと笑い飛ばして、伯爵夫人が文洋とブライアンにブランデーグラスを差し出した。


「まったく、男の子ってのは可愛いわね」

「いつまでも、子供なだけです」

「およめさん……」


     §


「こんなカワイイ子が時々、海を見て悲しそうにしてたら、何かあると気がつくでしょう?」


 テルミアの標準時間で二三〇〇時、狭い船室から、ダイニングのあるキャビンへと場所を移し、船長をを含めて作戦会議が行われていた。


「でも、この子ったら意地っ張りだから、どうしても理由を教えてくれないし」

「あ、あの……ごめんなさい」

「そこで思い出したのよ、昔、この子によく似たお友達がアリシアにいたなって。それで、レオナが一人で海を見てる時に、後ろからエラ・セプテントリオン、って呼びかけたらこの子、返事をして振り返るんですもの」


 真っ赤になって小さくなるレオナを横からそっと抱きしめて、ローラが頭を撫でる。


「そうして、やっと事情をきいたら、あまりに酷い話じゃない?ほんと、大人ってなんでこうなんでしょうね」


 社交界に知らぬ者なし、ってのは伊達じゃないらしいと文洋は感心する。


 テルミアの舞踏会なら、なんどかブライアンに付き合って顔を出したが、ああ人が多くては誰が誰かなど、まったく覚えていないというのが本音のところだ。ローズほどの才媛なら、また違ったものも見えるのだろう。


「それで、私達、賭けをしたの」

「賭けですか?」


 文洋の問いかけにウィンクを返して、ローズが言葉を継いだ。


「坊や達が私を納得させられたら、力を貸してあげる、納得させられなかったら、レオナはうちの子になりなさいって」


 なんともはや、と文洋は天を仰いだ。


「貴方の政治力なら、レオナと弟を助けられる……と?」

「そうね、あなた達が誘拐してくるよりは、確実に」


 文洋は、それならば、いっそのことローズにまかせてしまった方が良いのではないか? と思ったが、ふと違うと感じた。それが可能ならローズは最初から、政治力でなんとかするはずだ。


「伯爵夫人」

「ローズでいいと言わなかったかしら、フミ」

「失礼、ローズ、ではなぜ我々に力を貸してくださるんです?」

「そうね、政治力で何とかなるのは、交渉出来る相手だった時だけだもの」


 ピクリと、レオナが肩を震わせる。


「レオナが死んでないと困る、アリシアの中でそういう状況になっていたら、私ではレオナとルネ君、両方は助けられないわね、きっと」


 文洋は納得がいった。彼女の政治力が及ばない場合に、死地に放り込むコマがいる、そういう事だ。


「ブライアンとローラも、あなた達の世界に近いがゆえに、同じ状況だと?」

「あら、思ったより理解が早いわね、少なくともアリシアという中立国を敵に回すのは、テルミアの本意で無いことは確かね」


 全員の視線が自分に集まるのを感じて、文洋は本音を口に出した。


「では、ローズ、俺と賭けをしましょう」

「いいわね、言ってごらんなさい」


 文洋は目を閉じて息を吸い込んだ。


「俺とレオナで明日、ルネを連れ出しに彼女の屋敷に忍び込みます。戻ってこれたら二人を守って下さい」

「これなかったら?」

「レオナだけでも救って下さい、代わりに……俺の親友の、ブライアンを差し上げますよ」


 目をむくブライアンをよそに、ローズはカラカラと笑った。損得ぬきで、最初から助けるつもりだというのを見透かした文洋の提案に、大笑いする。


「そうね、もし連れてくることができたなら、レオナとルネ君を守ってあげる事くらいは出来るわ、約束してあげる」


 不安そうに自分を見つめるローラとレオナに文洋はニコリと笑った。


「ブライアンはローズを手伝って社交界とやらで派手にやってくれ、少しでも大勢の目が他所を向いてくれていたほうが助かる」

「私は……一緒に」


 口を開いたローラに文洋は笑った。


「俺の生まれた国では、奥さんは家で帰りを待っていてくれるんだ、ローラ。それに、君が誰かに目をつけられると、俺やレオナがあの家に帰れなくなっちまう」


 日が変わるまで掛かって、役割分担を明確にする。ローズとブライアンは三日間の日程をアリシアで過ごした後に、定期便の飛行船で帰国、『ウィンド・オブ・デルティック』は明後日の午後にアリシアの北の沖合で待機、〇一〇〇時に再接近してボートをおろして文洋達を回収、ローラと共に帰国


 うつらうつらし始めたレオナの肩を抱いて、ローラが部屋に戻ってゆく。各々が思いを抱いて、部屋へと戻ってゆく。

 そんな中、部屋キャビンを出ようとした文洋の方を、ぽんと叩いて船長がポツリとつぶやいた。


「無事のお帰りを」


 微笑んで文洋が言葉を返した。


「妻を頼みます」


 満天の星空の下、白い帆を上げて船が南へと走る。

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