見えない明日
「さて、何からご説明致しましょう」
暫く考えてから「先ほど、神社で
あなたがお見かけした方は……。
ご察しの通り、あなたの前世である、
コノハです」
言葉滑らかに話し始めた。
「あの方は、母と二人で暮らして
おりました。 長い間、母の病を診ながら
必死に働き、ある時思いつめて、母を
自らの手で……」
目を閉じ、ため息をつく。
「あなたも、お母上の事で、お悩みの
様子。 あなたが出会ったイチョウの
精霊から話は聞いております。
しかし、最近、あなたのご様子が
少し違ってきているとの事。
本来、人の運命を左右してはいけない
掟なのですが、イチョウの話を聞き、
あなたとお話をしてみたいと……」
涼やかな目を和ませる。
「本来ならば、この時代は、あなたとは
無縁の時代。 しかし、あなたの世界で
あるコノハの過ちを、生まれ変わり
である、あなたが再び犯してしまうの
ではと……」
私ははっとした。私の前世は聞いている。
コノハと言う人の犯した罪を償う為に、
私は生まれ変わった。
しかし、罪を償えと言われても。
それに、私はまた、同じ過ちを繰り返す
と言うのか。
最近、父と妹と、母についての話し合い
が続く。
けれど、いい方法などなく、解決策
などあるはずもない。
日に日に本当に悪くなっていく母の
状態に、いたたまれない思いでいる。
頭では理解をしているつもりだし、
我慢もしているが、内心不安だらけ。
私の人生を、母の為に犠牲にするのか。
父も妹も、それぞれの人生、生活の
ある中、母の為に、病院に付き添い、
母に寄り添っている。
しかし、母のワガママぶり、急な態度の
豹変に、怒りがこみ上げる。
子供の様に甘えてきたり、時には私を
敵視したり、泥棒扱いしたり……。
父と私が仲良くテレビを観ていた時、
リビングに突然母が現れ「この泥棒!
私の主人をたぶらかして!」
物凄いけんまくでまくしたて、テーブルの
上にあったグラスを私に投げつけた。
実の娘への嫉妬。
割れるグラス、散らばる破片。
鬼の形相。
父を取られた。そう思ったのだ。
散らばったガラスの破片を拾う。
右手の人差し指に刺さり、血が溢れ
出す。
私はじっと血が流れる指を見つめ、
自分の中の冷めた感情に驚いた。
指の痛みなど、感じない。
幸せで、仲の良い家族。割れたガラスの
様に、一瞬で砕け、元には戻らない。
何とも言えぬ、重たい空気が漂う
我が家。
気の休まる時がない。
家に帰る足が重い。今日の母の様子は
どうなのか。そんな事ばかり考えて
家路に着く。
「お帰りなさい」 にこやかに母が
出迎えた。
「今日の夕飯、お鍋よ」
今日は機嫌がいいのか。
ウキウキしながら、夕飯の準備をする。
症状を和らげる薬のおかげなのか。
「あなたの進路の事だけど、今日お母さん
考えてみたの」
突然の母の言葉。母の手伝いの為に、
キッチンに立ち、夕飯の準備をしていた
私の手が止まる。
母の横顔を見つめた。
「何、急に……」
「あなたもそろそろ、卒業後の事、
考えてみたらと思ってね。 まあ、色々
あるけど、今日たまたま、古い友人と
お話してね。 お互いの話をしていたら、
あちらに、あなたより三つ上だけど、まだ
結婚していない息子さんがいるって
言うじゃない。 で、今度皆さんで
お会いしようかって……」
「え?」 私は言葉を失った。
お見合いですか?
戸惑いを隠しながら、言葉を選び、
母に聞いた。
「急な話だね。でも、何で……?」
にこやかに母が言った。
「大学を卒業しても、就職するとなると
大変でしょう。 女の幸せは、結婚に
あるものよ。 あなた今、お付き合いして
いる方いないでしょう? ちょうどいい
かと思ってね」
淡々と話す。
私は大学卒業後、ある出版社に就職したく、
試験を受け、内定ももらっている。
それは、母も知っている。
以前話をしたから。きちんと、進路に
ついて相談した。
けれど、今の母には何も言っていない。
それどころではなかったし、母の今の
理解力からして、将来について話を
しても、どうせ忘れてしまうだろう。
そう考えた。
なので、いきなり母が切り出した話に
驚いた。
以前の相談は、忘れてしまったの
だろう。
母にどう言っていいか分からず、
その場をやり過ごした。
実の所、最近私も考える。
大学卒業後、例え就職したとしても、
忙しい父、学生の妹と共に、母の
面倒を見られるのか。
社会は厳しい。病の母の為に、仕事を
疎かにできない。
私は、私の辿る道さえ、見失いつつ
ある。
けれど、結婚など考えた事もない。
相手あっての結婚。勿論、母の病の
事も、知った上での事になる。
理解をしてくれるのか……。
夕飯の後、部屋で色々と考えていた
私の元に、母がやってきた。
久しぶりに母と二人きりになる。
私は何となく、居心地が悪い。
何も話さない私に、母が少し真剣な
面持ちで「さっきも言ったけど、将来の
事、きちんと決めておかないと、
時間がないのよ? お母さんも、いつまでも
生きている訳ではないし。 ……最近、
お母さん自身、自分が分からない時が
あるの。 物凄く、不安になるの。 何か
おかしい。 そんな時、あなた達の
将来を思うと、やりきれないのよ」
母の言葉に、私は心臓を掴まれる
思いがした。
母も、自分の事が分かっていたのか。
勝手に病人扱いをしていたが、母も
母なりに、自分について多少なりとも
自覚をしていたのか。
勝手な事ばかり言っている母を、疎ましく
思っていた。
けれど、母にも意思があり、自分なりに
悩んでいた。
交差する思い。向き合っていなかった。
思い違いをしていたのか。
「とにかく、よく考えて」
そう言うと、母は部屋を後にした。
窓越しに、月が見える。
私は月を眺めた。
「色々、お考えですね……」
その声に、私は我に返った。
私は今、前世の時代にきていたのだ。
「人の因果と言うものは、巡るもの
です。 罪を作った者は、その因果を
断ち切らなければ、また同じ事を繰り返して
しまう。 あなたは、あなたの因果を
断ち切らなければなりません」
器を持ち上げ、白湯を口にした。
そして、コトっと器を床の上に置く。
夜風が、さーっと部屋に流れこむ。
冷たい風が、私の背中に差し込む。